Thesis
中国の観光開発に関して、中国の経済紙「経済消息報」に、毎月連載中。11月分に関して、その日本語訳を報告する。
題名「優秀観光都市」
昨年、中国は観光業外貨収入73.23億ドルを記録し、前年と比べ56.3%増加している。しかし、一方で外国人観光客が巻き込まれる事故も増え、また彼らが訴える不平不満も増加している。これまで、外国の旅行業者の団体の公式非公式の訴えに対して、正式な回答を避けていた中国国家旅遊局も今年になってとうとうその不平不満の存在を認めたほどだ。
今年に入り、中国国家旅遊局は、近年来の観光業の速やかな発展による観光市場の秩序混乱の現象を改善するため、観光業の基準化を進めている。現在、すでに20項目の基準が論証を終えたかあるいは起草中である。例えば、「内陸河川豪華観光船の基準」が公布され、目下長江を航行している59隻の観光船が統一的に等級が確定され、不合理な料金をとる行為が制止された。また、「旅行ガイドの免許制」も徐々に実施に移されている。 こうした中で、すばらしい観光環境を創りだし、観光都市の全般的な受け入れ水準とサービスの質を向上させるため、中国国家旅遊局は今年から1997年の「中国観光年」までの期間に、全国で「中国の優秀観光都市」建設・評定するという活動を開始した。国家旅遊局は評定委員会を設置し、優秀観光都市を評定させるという。今回の評定では、インフラも評価するが、重点は観光業の管理とサービスの質におかれるそうだ。評定結果はきっと旅行業従事者、ホテルの職員、交通機関の職員等のやる気に影響を与えるだけでなく、まちづくりに与える影響も少なくないであろう。
評定に当っては、専門家だけによる評価に頼るのではなく、実際の観光サービスの消費者、つまり観光客の意見を重視してもらいたい。また、観光名所だけにおける評価や観光事業に関わる人のサービスの評価だけでなく、まち全体のイメージやまちの一般の人のもてなしの心をも包含するような審査基準にしてもらいたい。
2 もてなしの心は大切な観光資源
中国教育報の依頼に応えて、「外国人の見た中国観光」という内容で投稿したので、以下日本語訳を報告する。
題名「もてなしの心は大切な観光資源」
中国に来て5か月目の今年8月に、初めて中国を1人旅した。場所は海南島である。海南島は、90年代に入り、盛んに観光開発が行なわれている。香港を始めとする外国の投資が盛んである。この島は、島全体が経済特別区に指定されている。シェンヂェンのように都市の一部が指定されているのとは異なり、大きな面としての経済特別区の壮大な実験場所となっている。海南島は東洋のハワイとも呼ばれ、五指山、万泉河、天涯海角など、景勝地は123カ所にも及ぶ。また、パンノキ、コーヒー、ココアやマングローブなど熱帯特有の産物や風景が広がっており、レジャー地としても脚光を浴び始めている。
胸時めかせ、私は海南島の省都海口市に下り立った。飛行機のタラップを下りた途端、熱帯特有のむっとする熱さが体を覆った。予想通りの南国の楽園の臭いに、足はゲートへと心持ち急いだ。ゲートには多くの人が出迎えている。自分を出迎えてくれているのではないと知りつつも、心は浮き浮きする。ところが、ゲートを出た途端、自分を知るはずもない人々が南方なまりの中国語で私に群がってくる。どうやらタクシーの客引きのようである。人の良さそうな人を選んで、付いて行った。荷物を持ってくれる。有難い。なんて親切なんだろう。しかし、タクシーに乗るや、態度が急変した。ホテルまでたった10㌔という距離にも関わらず、500元(約6000円)という法外な額を要求してきた。身の危険すら感じた私は荷物を奪い取り、指定の位置で客待ちをしている別のタクシーに逃げ込んだ。危機一髪だった。旅の始まりは散々だった。旅の始まりの印象は、私の海南島に対するイメージを一気に悪いものにした。ああ、早く北京に帰りたい。
2日目。海口市から島中央部の興隆という小さな町へ移動。高速バスに乗り、島の東海岸辺りを走る高速道路を一気に南下する。2時間足らずで興隆付近のインターチェンジにさしかかる。既に、運転手には興隆で下りる意志は伝えてある。ところが突然、「興隆には寄らない。ここで下りろ。」と冷たく言い放たれ、なんと高速道路の上に下ろされてしまった。8月の日差しを避け、立体交差の橋の下まで移動しホッと一息ついた途端に、一気に不安に襲われた。タクシーが来ないどころか、車一台も通らない。雲一つ無い抜けるような青い空が恨めしかった。2時間近く経っただろうか。小気味良いエンジン音を響かせオートバイが近付いてきた。思わず手を振る。止まってくれた。興隆に行きたい旨を伝える。後ろに乗れという手振りで、私を後部座席に促す。涙が出るほど嬉しかった。「留学生か?」「どこから来た?」「何年、中国語を勉強した?」「日本人か?」「観光か?」いろいろ質問してくる。次第に打ち解けてきた。「今日はどこに泊まるんだ?」とオジさんは聞く。「まだ、決めていない」。「なら、うちの姉が働いているところがあるから、そこに泊まれや」。「高いか」。「中くらいだ」。そんな会話をしているうちに、彼のいう姉の宿に到着。なかなか奇麗な宿だ。それに親切そうなお姉さんだ。値段も悪くない。「じゃあ、僕はここに決めました。オートバイのオジさんありがとう。それじゃ、オートバイ載せてもらったんで、いくら払えばいいでしょう。」。オジさんは言う、「そんなに焦るなって。」。「え?」どういう意味なのだろう。僕が呆気にとられている内に、サッサッと僕の宿の部屋に入り、お茶を飲みだした。「ちょっと涼んで行こう。海南島の昼間は熱い。」。どういうこと?またまた、僕は人にだまされているのだろうか。ただ、もうどうすることもできない。なるようになるさ、という気持ちで、彼が部屋を出ていってくれるのを待つ。1時間経っただろうか。彼が僕に言う「そろそろ、行こうか。興隆を案内しよう。」。とうとう本領発揮か。やっぱり後で法外なガイド料を請求してくる気だろう。僕も言う「僕は留学生だから、お金がないよ。」。「お金のことは後でいいから、サッ行こう。」強引に僕を誘う。こうして彼と僕の奇妙な2日間が始まった。
朝から晩まで彼と一緒だった。お金がないといったことが幸を奏したのか、3食は安くて旨いところばかり案内してくれた。道の舗装の悪い、こうした中国の田舎町はオートバイの機動性が十分発揮された。能率良く観光ポイントを回ってくれた。アッと言う間の2日間だった。とうとう興隆を離れる朝が来た。彼がオートバイで、3日前に私がバスから下ろされた高速道路まで連れていってくれた。「あと30分したら、バスが来るから手を挙げて止めろよ。」と彼は言う。確かに30分したらバスが来た。バスがどんどん近付いてくる。別れの瞬間が近付く。なのに彼は一向にガイド料の話を持ち出さない。バスが止まる。私は次の訪問地の名前を運転手に告げてバスに乗り込む。バスのタラップでオートバイのオジさんにさよならを言う。オジさんは「楽しかったよ。また来いな。」と日焼けした顔を綻ばす。僕は言葉にならず、ただうなづくだけだった。オジさんは、陽炎に霞む僕のバスをいつまでも見送ってくれた。
また行ってみたい島はどこと聞かれると、きっと海南島と応えるだろう。一人の親切なオジさんに出会っただけで、その土地のイメージはこうも変わるものなのなんだなあと実感している。北京に帰ってからも、そのオジさんとは手紙のやり取りをしている。
Thesis
Koya Takahashi
第15期
たかはし・こうや
Executive Vice President, Panasonic Energy of North America
Mission
企業経営、管理会計、ファイナンス、国際経済