Thesis
アジアでは今、地方が大変元気である。日本を取り巻く近隣アジア諸国の経済的ポテンシャルの高まりから、世界から見た日本の地方間における「地域特性」も高まってきた。今こそ、世界を視野に入れた地域経営が求められている。
シンガポールの沖合い20㎞に浮かぶインドネシア領バタム島。インドネシア内では辺境 の地(首都ジャカルタから約1500㎞の離島)とされるこの島は、1990年代に入って驚異的 な経済成長を遂げている。86年に年間2080万米ドルしかなかった輸出が、92年には5億641 0万米ドルに達し、観光収入も1810万米ドルから2億3800万米ドルへと急伸した。これには シンガポール企業による投資が大きく寄与しており、このような地域間経済の緊密性から 、シンガポール北岸に隣接するマレーシアのジョホール州も含め、この地域一帯は、国境 を越えた地方経済の融合、いわゆる「局地経済圏」の先駆的事例として「成長の三角地帯」と呼ばれている。東南アジアにはこの他にも、「北方の成長の三角地帯」、「東部アセ アン成長地帯」といった構想も持ち上がっており、それぞれの域内の地方政府の開発にか ける鼻息は荒い。
隣国中国も、79年以降本格化した改革開放経済によって広範な経済政策権限が地方政府 に下放され、それぞれの地域が独自に国外の経済と結び付き、年間二桁を越える経済成長 を見せている。88年には山東・遼東両半島が「沿海経済開放区」の指定を受けた。
これに呼応するかのように89年には韓国が「西海岸総合開発計画」を策定した。西海岸 を対中経済交流基地と位置づけ、全体で126事業、2001年までに22.3兆ウォン(100ウォン =約14円)を投入するという。つられて韓国西部の各地方(牙山地区、瑞山地区等)の経 済活動も活発化している。
台湾も、97年の中国への香港返還や「三通(大陸との直接の通郵、通航、通商)」解禁 ・緩和への動きを先取りし、台湾を香港に代わる「アジア太平洋地域運営センター」に発 展させようという構想を打ち出し、高雄市や台中市など地方都市が名乗りを上げている。 このように日本を取り巻くアジアでは「元気な」地方都市の国境を越えた活動が目立っ ている。なぜ、この時期にこのような動きを見せ始めたのであろうか。
アジア経済は、戦後の安定的な国際貿易の拡大といった国際環境の下、輸出志向型の経 済政策の選択により離陸が始まった。特に、85年のプラザ合意以降、自国通貨の切り上げ にあった日本、それに続きNIEs(韓国、台湾等)企業が輸出競争力確保のために安価な生 産財(土地、労働者等)を求めて海外直接投資を活発に行った。こうした動きがその受け 皿となった東南アジア諸国連合(ASEAN)各国、中国の経済発展を促した。この一連の投資行動が、90年代に入り地域化の様相を見せ、「局地経済圏」を形成し始めたと言える。 これらの経済圏は、その特徴である「直接投資」及び「地理的近接性」といった点で次のような経済的(市場的)インセンティヴを持っている。まず、直接投資は互いに絶対優 位にある生産要素を結び付け「生産コスト減」を実現し、国際競争力のある産品を生み出 した。また近距離の直接投資は、生産要素の移動費用を大幅に削減でき、一層の生産コス ト減を可能にした。さらに、近接さは文化・民族的つながりを共有するケースが多く、両 地域における経済活動の摩擦を軽減した。これ以外にも、近接さゆえに域内の開発が同時 に期待できる点、域内の国際政治の安定が図られる点、国境地域という辺境地の開発が可 能になる点、といった政治的(国家的)インセンティヴも働く。
このように強いインセンティヴを持つ局地経済圏が、東西冷戦の終結により、イデオロ ギーよりも実利中心の経済にその関心が移るという国際環境の激変を背景に、90年代に入 り活発化したのは当然の趨勢だったと言える。
こうした近隣アジア諸国の経済的ポテンシャルの高まりは、当然日本経済へも波及して いる。
日本の対アジア輸出は85年以降着実に増加し、91年には対米輸出を上回った。それまで 最大の貿易パートナーであった米国から見た日本は、1万㎞も彼方の、東京を中心とする黒丸のような存在にすぎなかった。しかし、日本から1000㎞以内にあるソウル、上海、台 北などアジア各都市から見れば、南北に1500㎞にわたって横たわる日本の地域特性ははっ きり見える。北九州市や福岡市は東アジアの拠点都市を目指して、輸入施設の整備や国際 都市会議を開いているし、新潟を中心とした日本海側の自治体はロシアとの交流を深めて いる。神戸市は「上海・長江交易促進プロジェクト」を進めているし、北海道は雪のない アジアの人々に観光地としての北海道をアピールし、地域の特性を生かそうと積極的であ る。
「地方経済の国際化」は、上記のアジアの事例を見るまでもなく、世界的に優位にある財に直接アクセスでき、世界を市場として捉えた産品の開発につながる可能性を秘めてい る。
日本には地理的なことを理由に国際化に消極的な自治体があるが、内海に面して決して 有利とはいえない大分県が「一村一品運動」という独自の地域振興策を媒介に、世界の自 治体との経済交流を深めている例は注目に値する。何も交通の要所になることだけが国際 化ではない。国際レベルのアイデアで交流の中身を高めていくことこそが国際化の成否を 分ける。地方経済の国際化は、まずは「発想の国際化」から始まるのではないだろうか。
Thesis
Koya Takahashi
第15期
たかはし・こうや
Executive Vice President, Panasonic Energy of North America
Mission
企業経営、管理会計、ファイナンス、国際経済