Thesis
「経済消息報」12月分の投稿文書の日本語訳を以下のとおり報告する。
「中国社会の現代化に果たす流通業の役割」
現在、中国の首都北京では、建築面積1万平方メートル以上の大型百貨店を48店も数えるに至った。今後建設が予定ないし、もう既に建設されている百貨店はあと120店舗もある。これらを全て併せた総面積はざっと560万平方メートルにも及ぶ。
こうした百貨店ブームは、中国政府の公布した1992年6月の「第三次産業の発展を加速することについての決定」以降、顕著になっている。この「決定」の中で政府は、第三次産業の発展を速めることの意義について、現状が国民生産発展の要請に応えていないこと、市場の育成促進につながること、多くの労働力を吸収できること、住民生活の質の向上につながることなどを指摘している。
こうした百貨店ブームを、北京の消費能力以上のものだと懸念する向きもあるが、一般的に政府の経済政策に沿ったものとして評価する論調が多い。
私はこうした流通業の発展を、1992年の「決定」の中で挙がってる各評価要素を経済的側面とするならば、いわゆる社会的側面からも評価を加えたい。
ここで言う社会的側面とは、具体的には、まず、現在中国が国家を挙げて取り組んでいる「社会主義精神文明」の建設に寄与するという点が挙げられる。つまり、「中国にサービス革命を起こしたい」というヤオハンの守屋氏の言葉にも伺えるように、流通業はサービス産業である。このサービス産業としての側面が激しい競争により、より鮮明になり、その結果、各百貨店のサービスレベルが向上する。
また、現在、一般の中国人はなかなか自由に海外渡航できるとまではまだまだいっていない。「日本でまだ海外渡航が制限されていたころ、百貨店が海外文化の紹介窓口だった(伊勢丹 山路氏)」。現在、流通業の、中国において果たす生活文化を介した国際交流という役割はかなり大きいものがあるのではなかろうか。上海のヤオハンにある世界の軽食が食べられるフードコートや、天津のダイエーの鯛焼きのコーナーに多くの中国人が群がってた光景は印象的だった。
このようなサービスレベルの向上や、海外の文化の紹介は、流通業への外資の進出が必要条件となる。中国への第三次産業への外資はホテル関係が特に目立つが、最近になって流通業への進出も認めるようになってきている。しかし、条件付きであり、自由にというわけにはいかない。「ほとんどの国有流通業が黒字(天津伊勢丹 海老名氏)」という状況で、わざわざ外資を導入することに対して足踏みをする状況は解るが、経済的側面、社会的側面という二側面から中国社会の現代化を支援するという流通業へは、積極的に外資の利用を進めて行ってもらいたい。
2 シンガポールと蘇州市のタウンシップ
1994年2月に、シンガポールと中国は、「中華人民共和国とシンガポール共和国政府の蘇州工業団地共同開発に関する合意書」という文書に調印した。1992年初め、トウ小平が南方を視察した際に発表した講話(南方視察講話)の中で、彼は「シンガポールの経験を学び、手本としよう」と呼びかけた。時を同じくして、中国は社会主義市場経済体制を実行し、6・4天安門事件(1989年)以降続いた経済的な整理調整の時期から、再び改革開放の速度を速めた。これらの動きはシンガポール政府、産業界の関心を高め、その結果シンガポールの前首相リークアンユー上級相の「中国とシンガポールの経済開発協力」という提案につながった。その提案に基づき、両国で協議を重ねた結果、シンガポールのジュロン工業団地(輸出工業区から出発して、現在はハイテクなどの先端技術工業団地となっている。日本企業の多くが進出している。)のような近代的工業団地を、上海にも近く交通も便利な蘇州に造るという上記の合意に達した。
蘇州工業団地準備委員会によると、中国、シンガポール両国は今後10年間のうちにハイテクを先頭に、近代的工業を主体として、第3次産業と社会公益がワンセットになった、世界的レベルの近代的工業団地をつくるという。管理方式の面では、主にシンガポールの経済と公共行政管理方式をモデルとする一方、開発形式の面では、企業行為としての商業プロジェクトは蘇州側の開発財団とシンガポール側の19の財団からなる合資会社によって共に運営される。投資額は1億米ドルにも及び、そのうちシンガポールは65%、中国は35%を占める。今回のプロジェクトは両国政府間の初めての協力なので、両国の指導者達は共にこのプロジェクトを重要視している。昨年もシンガポールのゴー首相やリー前首相、ワン大統領、リーシェンロン副首相は中国を訪問しており、その際この建設中の蘇州工業団地を必ず訪れている。また、中国側も、この工業団地に対しては、沿海開放都市の経済技術開発区と同じような各種優遇政策を実行するほか、団地内に税関の設置、資金協力による金融機関と小売企業の設立、外国資本プロジェクトの自己審査、法律的制約力を有する管理条例の作成など、特定の優遇政策も行なう予定でいる。合意書調印後、3年経った現在、ほぼインフラの整備は整ってきていた。あとは上海の虹橋国際空港へつながる高速道路の完成を待つばかりのようであった。
今回のシンガポールと中国蘇州市の協力を観光開発の面から洗い直してみたい。方建淋氏の調査研究「蘇州工業園区 対旅遊業的積極影響」(中国旅遊1995年第1期)によると5つのポイントが指摘されている。まず第1に、シンガポール政府はこの工業団地への企業誘致のため、世界中の国々に政府高官を派遣し、蘇州工業団地の宣伝を進めている。これまで、東洋のベニスといわれ国内的には観光のメッカであった蘇州も、国際的、特に欧米に対しては無名であった。しかし、この宣伝が幸を奏して観光地蘇州という名も工業団地ととも世界に知れ渡ることが期待される。第2として、蘇州古来の古く歴史のある町並みに加え、この工業団地(計画面積70平方キロ、蘇州旧市街地の約6倍に相当)にシンガポール風に奇麗に整備された近未来空間都市という新しい観光ポイントが加わり、その新しさというコンセプトから、古い旧市街地の魅力も一層増すことが期待される。第3として、各都市、港湾、空港から工業団地へつながる道が整備されることにより、観光地蘇州への他からのアクセス能力が高まる。計画によると、張家港という港と空港へのアクセスを改善するため、3つの国道と1つの省道が整備される。また旧市街と工業団地をつなぐ道も整備され、それに伴い旧市街地内の道も整備される。第4として、蘇州市が工業団地開発で潤うことにより、豊富な観光資源を生かす観光開発への公共投資が増え、それに反応し民間の観光への投資も増加することが期待される。実際、シンガポールはホテル、遊園地、リゾート村、ゴルフ場開発に3億米ドルを投資している。第5として、合意書に「シンガポールの厳格な法治、社会公共管理方面(民度の高揚、礼儀正さ、衛生、交通秩序等)の有為な経験を学び、国際的な観光設備を整備し、外国からの旅行者を引き付ける蘇州工業開発区とその他の蘇州の観光地を創る」とあり、シンガポールの「管理軟件(管理ソフト)」により観光経営管理の水準が高まることが期待される。
特に今回の私の蘇州訪問では、方氏の挙げる第5の点を期待した。しかし、まだ交通機関にしてもホテルにしてもその他の観光施設にしてもそのサービスは他の中国の都市となんら変わるところはなかった。町の景観も他の都市を変わらなかった。警察、役人の市民、観光客に対する態度も相変わらずだった。そもそも、ハードの部分である工業団地がまだ建設中の状態でそれを期待するのは無理があったのかもしれない。今後の工業団地の建設の進展を見守る必要がある。ただ、気になるのが、昨年の夏に日本経済新聞主催で東京で開かれたアジアフォーラムに出席したリー前首相が、この蘇州工業開発区がうまく進んでいないということを漏らしたと伝えられていることである。10年計画ではあるものの、3年経った今、インフラは整備できているにしても、そのインフラの上に立地している企業がたいへん少ない。工場を建設している企業は韓国の三星グループを除いてはないし、契約済みの土地も少ない(日本からのポッカの他、欧米の企業が2、3)。上海では、この工業団地があまりにも高度すぎて、その高度の分高くなっている契約料と外国企業が今の中国に対して求めているベネフィットが一致していないからではないかという声も聞かれた。
1企業と1企業の合弁事業とは異なり、国(中国)と国(シンガポール)、もしくはまち(蘇州)とまち(シンガポール)の協力(タウンシップ)による新たなまちづくりそしてまちの活性化というケースだけに、私は今後も期待して見ていきたいと考えている。そして、リー前首相が漏らしたという、中国とのこうした協力の難しさとはいったい何なのか、今後追及していきたいと考えている。
Thesis
Koya Takahashi
第15期
たかはし・こうや
Executive Vice President, Panasonic Energy of North America
Mission
企業経営、管理会計、ファイナンス、国際経済