Thesis
塾生3年目の活動を始めるに当たって、松下幸之助塾主のお考えを塾生として自分の中にどう位置づけ、そしてどう学んで行けばいいのか、自分なりに考え整理してみた。
まず、塾主とは我々塾生にとって何なのであろうか。塾主が我々に託した夢を実現することこそが我々の使命であることに異論を唱える人はいないだろう。では、塾主が我々に託した夢とは? 設立趣意書を読むと、つまるところ「日本を良くする」ということしか書かれていない。勿論、塾主はPHP活動を通じて、塾主が理想とする日本像を書物、講演等を通じてある程度示している。しかし、一方で塾主は我々塾生に対して次のように言う。「あんたらは、わしより新しい時代に生まれれたんやから、わしより偉くならんとあかんで。」 つまり、塾主を越えろというのである。また、塾主は言う。特定の師を持ってはならぬと。つまり、塾主は、我々にとって1人の師ではあっても、唯一絶対の師ではないのである。塾主自身、自修自得でわしを越えろと言っているのであるから。
では、塾主とは、我々塾生にとっては、「日本をよくする」天才になるための研修の場を与えてくれた人ということで整理が一応つくような気がする。しかし、それだけであろうか。勿論、違う。しかし、最近、塾主の理念を軽視する塾生が目立つが、彼らは塾主をこのように単なるフェローシップの提供者として位置づけているようだ。
しかし、私はこう考える。幸之助塾主とは、人生そして社会の真理を見極めるための最も便利な学習手段ではなかろうか。本当に人々に役立つ人生そして社会の真理というものは、1つしか存在しないと思う。幸之助塾主を始め、実学を極めた達人が、その表現こそ違え、それぞれが一生を懸けて捕らえた人生そして社会の真理は1つなのである。ただ、その人の生きた時代、環境、そして持って生まれた性格などによって、1つしかない真理を、それぞれの方向から描写しているにすぎないのである。我々がこの真理を学ぼうとするとき、その学習手段は、なにも幸之助塾主でなくとも構わないのだろう。1から自分で考えても可能かもしれない。土光敏夫、本田宗一郎など他の人でも構わないかもしれない。しかし、幸之助塾主ほど、後世のために、そのお考えを体系的に残された人はいない。科学が、先人の発見した法則を定理として新たな進歩のスタートポイントとするように、人生や社会の更なる真理を極めるためにも、幸之助塾主の残されたお考えを勉強しない手はないのである。この人類の遺産を有効に活用すべきであろう。
私の浅はかな理解ではあるが、幸之助の人生哲学を、「人生とは、素直な心で、運命に従い、日々新たに、生成発展する営み」であると整理している。そして、幸之助の経営哲学、世界観、建塾の理念などは、この人生哲学がベースとなって形作られていると考えている。人の理念なり哲学はその人の日々の生活の積み重ねに他ならないのだから、当然のこととも言える。基本は、その人の人生哲学にあるのである。
さて、能書きはこれくらいにして、最後に塾主理念の学習方法を具体的に示しておきたい。特に塾生用に、PHP研究所の山口専務にアドバイスを頂き、自分なりにまとめたものがあるので、それを最後に示したい。
以上、塾主について自分なりに整理してみたが、あくまで私見であり、先輩各位のご叱責を頂ければと想う。
Thesis
Koya Takahashi
第15期
たかはし・こうや
Executive Vice President, Panasonic Energy of North America
Mission
企業経営、管理会計、ファイナンス、国際経済