Thesis
1 沿海部と内陸部の所得格差~農村体験を通じて
(中国東北部における農村体験)
6月下旬から7月上旬にかけて、中国黒龍江省牡丹江市郊外(蒸気機関車で約1時間半)の 海林市柴河において農村体験を行った。
海林市柴河(人口約5000人の小県、県政府・党委員会に問い合わせても詳細な統計はなし。)林業工場の老幹部 王さん宅にホームステイした。王さんは共産党員として、この 国有工場の運営にあたっている。月々の給与は200元(約2,600円)。奥さんの給与 を足しても300元に満たない。6畳のキッチンと二間の家に王夫婦と中学生の末っ子併 せて3人が住む。トイレ、風呂などは無い。トイレは200メートルほどの所にある共同 トイレを使う。男女の区別はあるものの、個別の仕切りはない。勿論水洗ではなく、モノ が溜まった時点で回収し田畑の肥となる。用を足している時でも、ハエが群がり、不衛生 そのものである。不衛生といえば、共同浴場が自転車で20分以上走らないと無く、頻繁 には行けない。2週間ぐらいは行かず、夏は行水で済ますそうである。湯船は畳2畳ほど で、1畳ほどの踊り場がある。何日も水を替えていないのだろうか、水面には白いものが 一面に浮んでいる。北京ではこのような共同浴場には外国人は入れないことになっている 。不衛生で感染症の恐れがあるという理由でである。
(中国東北部の対日感情)
牡丹江は満州族の始祖の地として清朝の時代には開墾が禁止されていた。しかし、日露 戦争後、この地の開墾が進み、日本からの開拓団も多くこの地に移住した。その結果、戦 後の残留孤児もこのあたりで大量に生じた。中国語では残留孤児のことを「遺孤」という 。ホームステイ中も多くこの言葉を耳にした。今回知り合った年配の人はほとんど残留孤 児に関わった経験を持っている。私が日本人だと分かると、真剣な顔で自ら関わった残留 孤児の問題を話しはじめた。そして、その話は常に、日本の侵略に対する批判と、残留孤 児の処理については、損得を抜きにした中国人の日本人に対する心の繋がりがあったとい う点、これら2つの複雑な中国人の日本人に対する感情が併存していた。
(所得格差に対する住民感情は良好)
現在、生きるのにギリギリの食糧事情を維持している絶対貧困層と呼ばれる人々は中国に 約7000万人いるとされている。そのほとんどが黄土高原など西北部乾燥地帯に集中してい る。そこまではいかないまでも、ここ牡丹江一体は貧しい地域といわれている。「197 8年以前(改革開放政策が採られる以前)の生活の貧しさといったら、君たち今の日本人 には想像できないだろう。」と鉄道局の徐さんはいう。改革開放政策が採られた80年代 においても彼の給与は400元だったという。しかし、現在、彼の職業は変わっていない にも関わらず、携帯電話は持ち、かなり豪華な食堂で日中、食事を摂るなど生活情況は驚 く程改善されている。統計的な裏付けは得られなかったものの、出会った人々、訪問した 家々の情況から、沿海部と自分たちの所得の格差について認識はしているものの、それに ついて嘆いても仕方が無い、自分たちの現状も以前と比べてチャンス的にも実際の情況も…されているので、隣の庭を見るのではなく自分たちの生活情況の改善に邁進している という印象を受けた。そこには、中央の庇護に期待せず、地方は地方で自分たちの生活を 守るという中国の伝統的な行動様式を改めて感じた。また、その施行について問題が指摘 されているいわゆる「一人っ子政策」の成果も感じられた。一人っ子政策以前では一家平 均4から5人の子どもが普通であり、初等中学(中学校)を出たら皆、近隣の都市へ出稼ぎ に行き、高等中学(高校)以上の教育は受けていないそうである。しかし、現在、一家に は1人の子どもしかおらず、必然的に1人に掛ける教育費も増加し、また、それに出稼ぎに 出た「一人っ子政策」以前の親戚のお兄さんお姉さんからの仕送りが加わり、田舎町であ るにも関わらず、全国一斉大学試験をほぼ全戸の子弟が受験するという情況であった。こ のような少産、高学歴化に伴い、今後、世代が代わるに従って、個人所得は急速に伸び、 社会的厚生が飛躍的に完全されていく動きを感じずには居れなかった。
2 中国における新たな観光振興計画
今月、今後の5年間の観光振興計画と長期目標である「中国旅遊業発展九五計画及び2010年長期目標綱要」が公布された。今年の2月に中国国家旅遊局長に対し、「これまで の中央の一律統制的な観光開発から、今後は地方の個性を活かした地方独自の観光開発に 転換すべきだ」といった趣旨の提言を行ったところ、同月開かれた全国旅遊工作会議上、 私のこの意見が採用され、計画中に「それぞれの観光都市は自身の特色と魅力を活かした 観光を創造するよう努力するよう要求する」という趣旨の一文が盛り込まれた。実際の政 策への反映としては、今回の公布と同時に上海や西安など中国の代表的な観光都市に対し 、地方の特色を活かした独自の観光開発を行うよう通知された。しかし、それに対して財 政的な措置は一切採られていない。現在の経済政策全体の動き(地方分権から中央のマク…を強めようとしている)からして、今回の旅遊局の措置は全体の動きからしてギリギリの線だった思う。
3 中国を論ずる際に基本的に求められる姿勢(試論)
日本のマスコミの北京支局、経済日報など中国側のマスコミとの懇談の結果、中国を論じ る際に共通して基本的に踏まえておくべき姿勢として以下のように考えるに至った。
中国が対外政策を考える際、その基本は何といっても「国家の安定、存立」が重要である ということである。それは、万里の長城を思い浮かべる間でもなく、中国の歴史は異民族 の侵略の連続だったといっても過言ではない。こうした歴史的経験からの影響がかなり強 いことが伺える。満州族、モンゴル族、もちろんそこには日本民族も入る。第二次世界大 戦後、中国のこの国家存立という観点から最大の関心が払われた国は言うまでもなく米ソ である。戦後すぐは中ソ蜜月の時代が暫く続いたが、中国のソ連に対する修正社会主義へ の反発や、国境紛争の結果、中国はソ連と距離を置くようになった。そこへ70年代に入 って、米国が中国と接近し、中ソの関係は完璧に冷却化した。しかし、ソ連のゴルバチョ フの登場により、89年歴史的な訪中が実現し、中米ソ間の関係改善が計られた。しかし 、その期間は短く、ソ連崩壊とともに、米国の中国に対する見方が変化するとともに、米 中間に貿易問題、人権問題、台湾問題等がクローズアップされ、ここ数年ギクシャクした 関係になっている。以上が中国の戦後の対外関係の大枠である。「国家存立」という観点 から中米ソというトライアングルで、この中国の対外関係は大枠整理される。なぜなら、 「国家存立」が中国の対外政策にとって最大の関心事であるからである。
(ここで、余談を付け加えれば、7月10日、中国を訪問した武村代表率いる新党さきがけ訪中団は江沢民国家主席と会見した。その際、訪中団のほうから、「もし中国かこのまま核実験を続けるようであれば、日本は円借款凍結を考慮せざるをえない。」という発言が あった(翌日の経済日報)。後で聞いた話によると、その発言は宇佐美登塾員のものであ ったそうである。それに対し、江主席は「満ち足りた者は、飢えた者の気持ちは解らない という諺が中国にある。」と批判した。中国外交の最大の関心事である「国家存立」に関 わる問題故に江主席の批判は手厳しかった。もちろん被爆国日本としての道理から「核実 験」について一言付すのは当然の行為としても、中国流の礼儀は失するべきではなかった と思う。中国では長幼の礼は未だ厳しい。)さて、その次に中国にとって対外的に重要な国家は、国境を接している周辺国になる。こ れらの国々とはインド、パキスタンを始めすべて領土問題を抱えている。特に昨今の海洋 法の影響で海の国境がクラーズアップされ、南沙諸島を巡り東南アジア諸国もこの範疇に 入った。
次は、改革開放後、重視されてきた西ヨーロッパ諸国との問題が入っている。勿論これは 経済を巡る関係である。
そして、最後に第3世界がくる。世界最大の発展途上国として、米ソと対等の距離を置いていた時代には政策的にかなり重視された関係だが、現在はそれほどでもない。
さて、日本は、中国にとって周辺国の範疇に入るのであろうか。確かに、中国(台湾)と の間には尖角諸島を巡る領土問題がある。しかし、その他の周辺諸国とは一線を画しており、経済的な意味合いが強い。中国にとって最大の貿易相手国は日本である。しかし、日 本人が考えている程、ただ経済だけという単純なものではない。中国人の日本に対する感 情は明らかに2つある。1つは、日本は経済的に進んだ国だとするあこがれ、2つは、や はり過去の侵略の歴史。この過去の侵略の歴史は、教育、マスコミも手伝って世代の新旧 、学歴の有無を問わず根深いものがある。中国国家存立上最大の関心国である米国の核の下にある以前の侵略国日本の「核実験批判」といった発言などは、中国にとってはけっして感情的に受け入れがたいものなのである。だから、申し入れの際も相手(中国)の礼儀 を尊重し、決して感情論に走らないようにしなくてはいけない。卑屈になれといっている のではなく、これは交渉術である。確かに、日中間には、文化の共有や歴史上の繋がるが 深いがために、他国との関係以上に、プラスもあればマイナス面もある。プラス面を活か すためには、まず心と心の交流を深めお互いに正しい理解を進める必要がある。
こうした心と心の交流つまり文化交流の必要性は、例えば竹下首相(当時)の88年の訪 中の際にも「文化面の交流が重要」として、日中の文化面の交流強化がうたわれた。しか し、現状はなかなかうまく行っていない。それは兎にも角にも「経済格差、政治体制の違い」が影響している。姉妹都市について見れば、それはすべて日本側の持ち出しとなって おり、長続きしていない。また、中国側の文化の制限も厳しく影響している。心と心の交 流を考えるのであれば、やはり観光がここでも重要なプレイヤーになってくる。さて、中国の将来を決めるのは何といっても経済であろう。政治面での懸念が随分指摘さ れているが、毛沢東、4人組みの時代の反省からか、今の共産党内は随分民主化されてい る感じを受ける。党中央での政策決定でも随分と自由な議論がなされており、中央と地方 の関係でも中央の強権は感じられない。例えば、地方の党書記は中央が決めるが、省長は 中央の意向を踏まえつつも地方議会で独自に選出している。また、もっと末端の郷、鎮レ ベルの長にいたっては住民の直接投票が導入されつつある。経済の発展とともに、政治の 和平演変は徐々に起こりつつあるのは事実である。経済面では市場主義を採り個の発意を 重視する一方で、政治面では個の発意を否定する全体主義を採ることが遅かれ早かれ難しくなるであろう。
中国経済をみると噴出する問題は少なくない。ここでこれらの問題は2種類に分けて考える必要はあるように思う。1つは、制度転換に伴う技術的問題、2つは、中国の国情に起 因する問題。1つ目の例としては、国有企業再建問題、インフレ、官倒(汚職)などが挙 げられる。これらは何れも経済制度転換に伴う経済的技術的問題である。2つ目の例とし ては、食糧問題、エネルギー問題、公害問題が挙げられる。これらは何れも中国の人口の 多さといった国情に起因するものである。1つ目については、中国政策当局も問題認識しており、改善に向けて努力している。2つ目については、今後世界の繁栄のあり方を考え るためには、避けては通れない世界的な問題であり、世界的な解決が図られる必要があろ う。食糧問題や環境問題に対しては日本は技術協力を惜しんではならないし、その国情つ まり人口の多さの解決のための政策「一人っ子政策」に関しては、厚生面での協力をする など、人権侵害といった謗りを極力回避し、政策の効果を挙げるよう協力すべきであろう 。
中国は今や暗黒大陸ではなく、我々西側の人間同様、繁栄を求め必死に国を再建しようと している同じ理性的は人間なんだという認識を持つ必要があろう。けっして中国の将来を 楽観視している分けではないが、中国の経済システムや社会システムが(何れは政治シス テムも)79年以降、我々のそれに近づいてきており、相互に協力できる土俵が増えたと いうことは紛れも無い事実である。今後の地球全体の繁栄を実現するには、このアジア地 域の繁栄への挑戦、特に特殊な国情を抱える中国のこの挑戦を失敗に帰してはならない。 後世の模範として成功させるよう、日本としては1つ1つの問題に対して現実的に対処し 協力していくのが筋であろう。
4 MALAYSIA AND CHINA RELATION
在日、在華両マレイシア大使館の協力を得て、標記研究の骨格を定めたので報告する。
以下、ポイントを列挙する。
以上のポイントで今後調査を行う予定です。
Thesis
Koya Takahashi
第15期
たかはし・こうや
Executive Vice President, Panasonic Energy of North America
Mission
企業経営、管理会計、ファイナンス、国際経済