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1996年10月

『風土・秋号』刊行
黒田達也/卒塾生

 11月11日に地域雑誌『風土・秋号』が刊行された。春号から通算して3号目、寄稿者 で作る「風土の会」会員も60名を超えた。本号に寄稿した小論をそのまま報告する。

 



「志」の氾濫          黒田 達也



このところ、書店に並ぶ本の背に「志」という文字を見かけることが多い。ちょっと挙げ ると、「志」(羽田孜)、「さきがけの志」(武村正義)、「志ある国家、日本の構想」 (海部俊樹)など。特に政治家のビジョン物が目立つ。その答えが先般の衆議院総選挙だ としたら、投票率からみて彼らの「志」は有権者に届いてないようである。私も所属する 松下政経塾の先輩の選挙応援に各地を駆けずり回ったが、ある先輩は「昔は嘘つきは泥棒 の始まりとよく言われたものだが、今は政治家の始まりと言われている」と現状の政治の あり様を嘆いていた。政策をころころ変える政党、また政党を転々とする政治家では、「 志」と言われてもピンとこない。

松下政経塾は、21世紀を担う政治、経営の若いリーダーを育てる機関として、今から1 7年前に故松下幸之助翁によって創立されたわけだが、塾生募集の時に必ず言われるのが 、「学歴、家柄、財産などは関係なし。ただ志のみ持参のこと」という翁のメッセージで ある。そして、入塾式には理事長、塾長を始めとする役員や先輩塾生を前にして「入塾の 志」を発表するのが伝統となっている。入塾後も、塾生はその志を高めていくことに全精 力を注いでいく(政経塾の様子は上甲晃著「志のみ持参」致知出版社に詳しい)。かよう に我々にとって志という語は特別の重みを持つ語であり、常に自身の行動をそれと照らし 合わせ、日々切磋する性質のものである。してみると、今氾濫する「志」というものが、 いかにも軽くブームのように聞こえて仕方がない。

そもそも志という語は「士」+「心」、つまり「武士の魂」であり「命がけで守るべき信 念」を意味している。郷土の先人であり、日本の女医第2号として知られる生澤クノ女史 が医師ではなく「医士」と称したのも、社会の底辺を支える人々のために医業を貫くとい う強い信念に基づくものであったろう。また、桃井可堂先生を始めとする幕末の尊王攘夷 に身を投じて行った先人達も、まさに「草莽の志士」であった。 志が強い信念であり、信念という語が「今心にあることを人に言ったもの」である以上、 政治家であるならばすべての発言に志を込めるべきである。「心にもない」ことを言った り書いたりするから、政治の信頼が失墜し、彼らの言う「志」が軽くなるのだ。今回の政 見放送は誰から見ても以前よりひどくなったが、それは「前もって用意された、筋書き通 りの」ビデオ放映だったからである。手前みそであるが、若い仲間と今回企画した「埼玉 新11区公開政治討論会」では、生の討論だけに各候補者から忌憚のない意見を聞くこと ができた。一方、ある欠席候補の「党のいう消費税5%へのアップは、私見では反対だ」 という意見には、会場から冷笑が浴びせられた。私はこの光景に触れ、ここの有権者は皆 、志の有無を見分けるだけの見識を持っていると、強く確信した。

私が師と仰ぎ、ご指導をいただいている伝記作家の小島直記氏も昨年「志」という本を新 潮社より出版した。しかし、その副題が奮っており、「かつて日本にあったもの」とある 。氏に言わせると、その書中で絶賛している三宅雪嶺氏のように権力や名声に対してペン 先を鈍らせないジャーナリスト、荒畑寒村氏のように権力と弾圧に対し自説を曲げない政 治家は今日見当たらないという。「志」という語の氾濫の中、喜寿を迎えた氏の見解は当分覆せそうもない。

1996年10月 執筆
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