Thesis
2月の月例報告では、インターネットが宮澤賢治ら先哲の思想を具現化する可能性を指摘したが、その後、今年生誕100周年を迎える宮澤賢治について調べてみたところ、私の故郷である埼玉県北地域との接点を見つけることができたので紹介したい。
それは大正5年9月、賢治20歳の時、盛岡高等農林学校の学生として秩父地方に地質調査に訪れたことだ。賢治は、9月2日熊谷に投宿、熊谷寺にて次の2首を詠んだ。
第1首は、遠く平安末期、平敦盛を討つなど源平の戦いで活躍した熊谷次郎直実が、晩年頼朝に疎んぜられ出家、蓮生と号し、若年で討ち死にした敦盛を供養した碑を前に詠んだ歌である。第2首は第1首で詠んだ思いを胸に見上げた蠍座が、岩手で見ていたのよりも淡く光って見えたのだろう。この2首を見ても、賢治の発想は、容易に時代を超え、宇宙を超えることができたと想像される。
その後、賢治は秩父路に入り、長瀞などで地質調査を行ない、6日には埼玉を後にした。ここでも数首の歌が詠まれている。
こうした縁もあってか、また埼玉県北の人々の自然や農への思いも重なってか、潜在的な賢治ファンがこのあたりでは多いようである。この3月には、『熊谷賢治の会』が誕生、すでに4百人近い方が会員になっている。また、4月4日から15日には熊谷八木橋デパートにて朝日新聞社主催の『宮沢賢治の世界展』が開かれた。この展覧会は全国11カ所で開かれたというが、関東では新宿と横浜だけというから、『賢治の会』の熱意の程がわかる。『賢治の会』では今後、勉強会に加え、9月には花巻への賢治ツアーも予定している。賢治を通じ、多くの方々が自分のすむ地域をイーハトヴだと考え、積極的にまちづくりに携わってくれることを望みたい。
Thesis
Tatsuya Kuroda
第14期
くろだ・たつや
事業創造大学院大学副学長・教授
Mission
人工知能(AI)、地方創生、リベラルナショナリズム