論考

Thesis

巻原発住民投票を考える(2)

8月提出の月例報告に引き続き、巻原発建設の是非を問う住民投票の論点を検証する。

 3)国策と地域エゴ

 「国策」である原発建設に対する住民投票は、「地域エゴ」との批判が数多く出されてい る。それに対し、笹口町長は「十分な国民的議論と合意形成を経ていないエネルギー政策 を「国策」という名の下に押し付けてくるのはおかしい」と反論している。確かに国の原 子力政策は充分に国民に支持された政策だといえないが、国会で審議され、関連法案に基 づいた政策であることは間違いない。従って、たとえ巻町全体の合意があっても、ただち に国のエネルギー政策を変える必要はない。ただし、巻町に原発を建設することに限定し ていえば、巻町民が反対する権利は担保されるべきである。実際、今回の住民投票は、あ くまで巻に原発を建設するかどうかが問われたのであって、国の原発政策自体に見直しを 求めたものではないのである。

 「地域エゴ」とは、全体としては必要なものなのだが自分の地域で引き受けるのはいやだ というメンタリティを言う。この住民投票が原子力政策そのものを否定するものではない 以上、日本にとって原発が不要であるとは言いきれず、「地域エゴ」の要素は否定できな いのが現状であろう。しかし、批判するジャーナリストらも、自分の住む地域に原発を作 られるのがいやだとしたら、彼らはさらなる「エゴ」の固まりではないか。大量電力消費 地の住民は、電源地域の住民に(交付金だけでなく)心からの感謝の気持ちを持っていた だきたいと思う。

 同様のことはゴミや農業問題についてもいえると思う。余談であるが、今回の住民投票についてのマスコミの反応を見ていると、逗子の池子の森 を巡る住民投票運動の時に比べ、「地域エゴ」とか「住民に判断能力があるか」などの声 が盛んに上がっているような気がする。恐らく、根底に「新潟の田舎の住民に何がわかる 」という意識があるのではないか。私の知るかぎり、本局から解説委員クラスのジャーナ リストが現地取材していたのはTBSと読売新聞ぐらいであったろうと思う。帰りの電車 で同席した読売の解説委員の方いわく、「最近現場で声を拾うジャーナリストが少なくな りました。それでも記事は書けるのですが。。。」直接町民と話したわけでもないのに判 断能力をうんぬんするのはなはだ失礼ではないか。

 4)国の原発立地政策

計画が発表されてから25年、国の電源開発計画に組み入れられてから15年かかって大 きな壁にぶち当たった巻原発。既に漁業権の取得に約28億、町への「協力金」に約30 億、今回の住民投票でも数億の金が注ぎ込まれてきた。さらに原発が建設されると、電源 三法交付金が5年にわたり計216億、固定資産税も累積して約355億もの金が年間予 算100億足らずの町を潤す。それでも巻の住民はNOと言い、これらの金はわれわれの 電力料金や税金にはね返る。このまま建設計画が頓挫したら、今まで注ぎ込んだ金と労力 の責任はいったいどこへ行くのか。それが怖いから意地でも計画を遂行していくのであろ うか。

 ここまで原発の建設がこじれた原因は何であろう。

 第一に町長、議会、商工団体、漁協など、従来から政治力のある機関や団体に対してのみ 建設合意を取り付ければよいという国や電力会社の姿勢である。「住民投票を実行する会」の運動が始まる2年前までは1度も住民説明会が開かれていないのである。さらに資源 エネルギー庁自身が地元に入って説明会を開いたのは住民投票のたった2か月前であり、 エネルギー政策上原発建設が急がれる割にはなんともゆっくりとした対応である。こうし た行政の時間感覚が、新潟のベットタウンとして近年新しい住民が増えてきた巻町の世論 の変化についていけなかったのである。

 次に国、電力会社に対する住民の不信感である。「チェルノブイリ」や「もんじゅ」の事 故では原発の安全神話に疑問がもたれたが、それ以上に「もんじゅ」や「薬害エイズ」な どで発覚した都合の悪い情報を隠そうとする行政の体質が一層不信感を増大させている。 住民投票前の運動中でも、「日本の原発は安全だ」を繰り返すだけで決してマイナス情報 に触れることはなかった。さらに、地元の政治家が原発問題を政争の具として扱い、実質的な安全性論議などがなお ざりにされてきたことである。ここから住民投票を求める運動が生まれ、実際に建設推進 派、反対派、国や電力会社を巻き込んだ議論を生み、一定の成果を収めたと評価できる。

 これを機会に、原発に限らず、ゴミ処理場、空港などの施設の立地に関しては、従来のよ うに地域住民不在のまま計画が練られ、執行に当たっては金で何とかするという手順を見 直す必要がある。施設立地の適地を複数提示した後、施設の概要や見返りの補償額の上限 などもはっきりと住民に示した上で地域住民で議論してもらい、コンペティションにかけ て建設地を決定するべきである。その方が時間も金もかからず、より民主的な立地が行な えると思う。今後は地域住民の理解なしに頭ごなしに行政執行することはますます困難に なっていくことであろう。

 ところが、政府は今回の住民投票を見て、新たな原発交付金の制度を新設した。従来運転開始後5年で打ち切られていた交付金に加え、運転終了まで 交付し続けるという制度で対処しようというのだ。沖縄でも特別基地交付金が検討されており、すべて金で対処するという政府の姿勢に変りはない。そのツケはいずれ国民全体に はね返ってくる。立地地域の規制緩和、地域の自主的な開発計画案の作成等を抱き合わせ て総合的な対策を練らなければ時間だけが経っていくのではないかと危惧している。

 5)笹口町長の政治姿勢

 今回の住民投票まで、笹口町長は自身が原発建設に賛成か反対かを一切明らかにせず、中立な立場を守り続けた。この姿勢は、2年前の「住民投票を実行 する会」代表のときから、町長選挙を通じても一貫して変わっていない。あくまで住民投 票を実行し、町民の声で建設の是非を決めるというのが主張であった。これに対し、政治 家として建設に賛成か反対か、国の原発政策についてはどうか等、自身の意見を町民に表 明し、リーダーシップをとるべきだという批判が相次いだ。

 笹口町長は開票後の記者会見で、記者から住民投票も終わったのだからそろそろ自身の意見を表明してもいいのでは との問いに、「推進派、反対派に2分された町民の融和をはかることが先決。その後、し かるべき時に公表する」と答えている。

 私は、批判の主旨はもっともだと思うが、実際彼が始めから自分の意見を表明していたら、まず住民投票は実現しなかったであろうし、 住民の原発に対する理解も進まなかったろうと思う。住民投票後、敗れた推進派の町民も 「残念だが、自分の意見を表明できたことはうれしい」と一様に語っている。「この一票 は、今までの選挙の一票と違う気がする。この一票が巻の未来を変えるという重さがある 。」と語り、投票所が開く前から列を作った町民達がいた。町民は、町長の原発建設の是 非を聞きたがっていたのではなく、自分の是非を表明したかったのだ。従って、笹口氏の これまでの政治姿勢は決して批判されるべきものではなく、一歩一歩段階を踏みつつ現実 的な対応を採り続け、結果として25年間の原発建設に対する町としての答えを出した手 腕は、見事としかいいようがない。

 記者会見の後、マスコミから逃げるようにして「実行 する会」のプレハブ小屋に戻った笹口氏。仲間と祝杯をあげた時のその顔は、2年間の厳しい道のりを乗り越えて達成した充実感に満ちあふれていた。これからの政治家は、政策やヴィジョンも必要だが、その政策をどのように決定し、実行するのか(ついでにどの ように選挙を戦ってきたか)ということも問われると思う。whatとhowの両方を示 し、実行できる政治家が国民から望まれているのである。そのことを巻の住民運動を通じ て肌身に感ずることができたのである。

 まとめ

 巻の住民投票から、住民投票を求める運動が各地で起こり、行政を執行することが難しく なっていくのではと危惧する声がある。「民主主義は高くつく」「民主主義のコスト」と いうことが盛んに言われ始めた。しかし、かつて松下幸之助塾主は「民主主義は安上がり 」といい、みんなで智恵を出せば金をかけずにいい政治ができるはずだといっていた。一 昨年見た米国カリフォルニア州の住民投票では、案件に関する有利な情報も不利な情報も すべて住民の前に公開され、候補者選挙以上の運動の盛り上がりを見せる。そうしたメン タリティの中、あらゆる行政情報が公開され、住民が行政の無駄を監視している。確かに 住民コンセンサスが得られた施策はより迅速かつ効率的に遂行できると思う。巻の住民投 票は21世紀の日本の政治のあり方を探る上で、われわれに多くのヒントを与えてくれている。

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黒田達也の論考

Thesis

Tatsuya Kuroda

黒田達也

第14期

黒田 達也

くろだ・たつや

事業創造大学院大学副学長・教授

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人工知能(AI)、地方創生、リベラルナショナリズム

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