論考

Thesis

シュペングラーの呪縛

オスヴァルト・シュペングラーが『西洋の没落』を世に問うてから約80年。戦後、西洋合理主義を受け入れ繁栄してきた日本を、彼の予言の呪縛が襲っている。

戦後50年目に起きたオウム真理教のサリン事件に端を発し、先日の神戸小学生殺人事件と、現代日本人の精神構造がすでにずたずたに破壊されていることが露呈された。それは、シュペングラーが『西洋の没落』の中で描いた文明の終焉の状況と現在の日本の社会状況が極めて似通っていることと無縁ではないようだ。

 シュペングラーの『西洋の没落』のコンセプトを手短に紹介しよう。
 「文明とは、文化の歴史的過程の終焉である。たとえ非常に知的な技術的形態、あるいは政治的形態が存在しているとしても、すでに生命はつき、未来に向けて新しい表現形態を生み出す可能性はまったくない。
 文明の象徴は世界都市であり、それは自由な知性の容器である。それは母なる大地から完全に離反し、あらゆる伝統的文化形態から解放されたもっとも人工的な場所であり、実用と経済的目的だけのために数学的に設計された巨像である。ここに流通する貨幣は、現実的なものにいっさい制約されることのない形式的・抽象的・知的な力であり、どのような形であれ文明を支配する。ここに群集する人間は、故郷をもたない頭脳的流浪民、すなわち文明人であり、高層の賃貸長屋のなかでみじめに眠る。彼らは日常的労働の知的緊張をスポーツ、快楽、賭博という別の緊張によって解消する。このように大地を離れ極度に強化された知的生活からは不妊の現象が生じる。人口の減少が数百年にわたって続き、世界都市は廃墟となる。知性は空洞化した民主主義とともに破壊され、無制限の戦争をともなって文明は崩壊する。経済が思想(宗教、政治)を支配した末、西洋文明は21世紀で滅びるのである。」

 この本が出版されたのは第一次大戦中の1918年である。その後の第二次大戦、核開発競争をみれば「無制限の戦争」を予感した彼の先見性には驚くべきものがあろう。「空洞化した民主主義」は後にナチスを生んだが、現在の日本の政治状況はどうだろうか。「不妊の現象」は、子供を産まない社会的理由の多くが都市的生活環境によるものであるから、彼の思想の範囲内で「人口の減少」は現実のものとなっている。「貨幣(経済)」が伝統、文化から離れた「文明を支配」するというのも現在では多くの事例を挙げることができる。

 さて、「世界都市化」した社会では、あらゆるシステムが分業化・専門化され、個人にしろ地域にしろ国家にしろその得意な一部分のみを担当することを要請される。効率を求める社会では、「貨幣」により非効率な部分は駆逐される。「外で働くより子育て」という女性は、高い税負担により保母として他人の子供の面倒を見ざるをえなくなり、ねぎの生産に適した産地は片手間に米をつくることを許されず、ねぎに特化させられる。個人も地域も国家も社会システムの一部を専門的に担当し、経済的相互依存関係(そこに情の入り込む余地はない)を深めるかわりに独立性を失う。そこで戦争が起きたり、国際関係がおかしくなるとその国家は立ち行かない。こうした特異なケースを除いても「世界都市」は徐々に「没落」へと向かう。社会の一部に特化した個人・地域・国家は、他の部分とは間接的接触とならざるを得ない。
 そして他の部分が増大すればするほど、情報は2次的、3次的となる。野菜を買うのに直接手に取ってみるのではなく、カタログの写真を見て注文する。近所の○○さんのトマト、八百屋の親父さんの見立ての信頼度の代りに、カタログの米国産オレンジには農水省の検査証がつく。近所の農家や町の八百屋は価格と利便性の競争に敗れ、消費者は実物を手にする機会を無くし、選択する能力を失う。子供たちはカブトムシを捕るのをやめ、サッカーで汗を流すのも面倒で、ファミコンのサッカーゲームを楽しむ。ファミコンでは、命がどんなものか、どの程度の力で押すと人は怪我をするのかわからない。情報が高次になるに従い、内在するリスクは増大し、感動は薄れる。

 それではこうした「没落」への運命を避ける方法はないものか。答えは「世界都市」に生きる「大地を離れた」個人に「母なる大地」のありがたさを実感してもらうしかない。社会システムの分業化、専門化に対し、世の中全体(時間、空間)の繋がりを感じさせる機会を与えるのだ。伝統や歴史の中から、先人の長期的視野にたった知恵を学ぶ。都市計画に市民農園や市民の森を積極的に取り入れ、「大地」のいのちの循環を肌で感じてもらう。勤労者は時短に並行して地域奉仕に汗を流す。子供にも農園管理や地域福祉に実際携わらせ、机上以外の勉強をさせる。私はこうした施策を政治の場で力強く実現していきたい。

 松下政経塾は、現地現場主義を旨とし、現場を通じて天地自然の法則を体得せよとしている。恐らく18年前に松下幸之助塾主が松下政経塾を設立した際、このシュペングラーの呪縛を予見されていたのではあるまいか。だとすれば、我々は知的エリート風を吹かして机上で空想に耽り、言葉遊びに興じている場合ではない。進んで人と交わり、汗を流していく中にこそ、この呪縛を解く鍵を見い出せるのではないか。


(くろだたつや 黒田政経研究所代表として会報『春風秋霜』を発行する一方、まちづくりNGOを結成し平和祈念事業や衆院選候補者を集めた公開政治討論会などを実施。地域雑誌『風土』編集代表。埼玉県深谷市を中心に活動中。)

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黒田達也の論考

Thesis

Tatsuya Kuroda

黒田達也

第14期

黒田 達也

くろだ・たつや

事業創造大学院大学副学長・教授

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人工知能(AI)、地方創生、リベラルナショナリズム

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