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1995年7月

教育について
黒田達也/卒塾生

 
 私が故郷である埼玉県深谷市に戻って来てからはや半年が経つのだが、松下政経塾に行っているということを聞き付けて、いろんな方々がいろんなことを聞いてこられる。政経塾が松下幸之助翁が21世紀を担うリーダーを育成するために建塾したことをご存じの方は、塾では一体どんな内容の教育をしているのかを尋ねられ、一方学習塾と勘違いされる方はうちの子の勉強を見てほしいと言ってやってくる。そして最近はうちの子が不良グループと付き合っているとか、学校へ行こうとしないということを相談されるケースが増えてきた。学校の先生と協力してやってもうまくいかず、他に相談するところもない。毛色の変わった若い人に友達にでもなってもらったら、道が開けるのではないかという思いらしい。私は教育については全くの素人で研究テーマでもないので、そうお断りしたところでお話を伺う。お話を伺うだけで相手の親御さんの気が少しでも休まればという考えからだ。教育については、14期の藤崎さんや15期の藤沢さんが専門であり、また埼玉には開善塾という塾を主宰し、登校拒否児のコンサルタントを手掛ける金澤純三先生もいらっしゃるので、折に触れその難しさを伺っていたが、こうした事情で私自身も教育について考えさせられるようになってきた。

 先日、(社)実践人の家の常務理事で、教育界の泰斗森信三先生に長年師事され、著書も多数出されている寺田清一先生にお目にかかる機会を得た。ご一緒させていただいたのは、元深谷市教育長で現在渋澤国際学園学園長として、地元での渋澤栄一翁研究の第一人者であられる鳥塚恵和男先生であった。その鳥塚先生が開口一番、寺田先生に質問されたのは、「森先生は情操教育というものについて、どのようにお考えだったのでしょうか。」というものだった。私は喜寿にならんとする老師が、いまだに教育のあるべき姿を求め、また現在の教育のありかたに強い問題意識を持たれているのを知り、教育の難しさと重要性を改めて感じた。鳥塚先生は、昨今のいじめの問題はもとよりオウムの問題についも、今の教育に問題ありと考え、一教育者として心を痛めているご様子であった。

 いじめの問題やオウムの問題を通じて、情操教育あるいは道徳教育の必要性が以前にもまして叫ばれ始めた。松下幸之助塾主も教育の重要性を強調されていた一人であるが、とりわけ道徳教育(人間教育、規範教育)を重視されていたようである。

 『戦後のわが国では「道徳教育」というと何か片寄ったふうに思われることが多いが、私は道徳教育は、いわば「水」と同じではないかと思う。人間は生きるためにどうしても「水」が必要である。ところがこの水に何か不純物が混じっていて、それを飲んだ人が病気になった。だからといって水を飲むことを一切否定してしまったらどうなるか。大切なことは「水」そのものの価値、効用を否定してしまうことではない。水の中の不純物を取り除くことである。/かつての道徳教育の中に誤ったところがあったからといって、道徳教育そのものを否定してしまうことは、それこそ真実を知らぬことではないか。』
(昭和39年3月『PHP』より)

 最近戦前教育の復活、教育勅語の復活をいう人が増えて来たように思うが、「不純物」を取り除くことが肝要である。そもそも戦前にも現在と同様の問題はあったようである。

 『世間一体に、教育のやり方を見ると-私は殊に今の中等教育なるものがその弊がはなはだしいと思う-単に智識を授けるということにのみ重きを置き過ぎている、換言すれば、徳育の方面が欠けている、確かに欠乏している、(中略)当時の教育は学課の科目が多い、あれもこれもという有様であるので、その多い科目の修得にのみ逐われて、これ日も足らずという風であって見れば、従って他を顧みるいとまもない勘定で、人格、常識等の修養に心を注ぐことの出来ぬのも自然の数で、返す返すも遺憾千万な訳である。』
『いまさら、寺子屋時代の教育を例に引いて論ずる訳ではないが、人物養成の点は不完全ながらも昔の方が巧くいっていた。今日に比較すれば教育の方法などは極めて簡単なもので、教科書と言った所で、高尚なのが四書五経に八大家文くらいが関の山であったが、それによって養成された人物は、けっして同一類型の人物ばかりでは無かった。』
(昭和3年渋澤栄一『論語と算盤』より)

 現在私は江戸期の私塾の教育方法に興味を持っている。詳しくは他に譲るが、わが政経塾もその建塾の理念を探るとき、各私塾の教育方法を研究したことであろう。そこで改めて五誓(素志貫徹、自主自立、万事研修、先駆開拓、感謝協力)の意義を考えてみると、果して今の教育でこれらの要素を修得できるであろうかと疑問に思う。塾主がなぜ毎日早起きと掃除を続けることが大切だとしたのか、森信三先生の「立腰教育」「脱いだ靴をそろえる」「朝のアイサツ」の意義は何かがよくわかる。私はこの延長上に「農作業と家事手伝い」の大切さを見出し、励行しようと心がけている。教育はどうあるべきか、今後も五誓を念頭に置いて考え続けていきたいと思う。

1995年7月 執筆
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