Thesis
5月に、京都市経済産業局デジタルアーカイブセンターにおいて、一年間の時限機関として設置された「Brand-new Kyoto Unit」の最終活動として、報告書を出版することとなり私も論文を執筆した。
以下、本旨を抜粋したものを掲載することで、私の活動内容と根本的なビジョンを示すこととする。
ブレア政権が誕生(1997年5月)してから、イギリスには明確な2つの国家戦略がうかがえる。「国家広報戦略(Brand-new Britain)」と「クリエイティブ産業振興(Creative Britain)」である。 政府、中央省庁、民間を巻き込んだこの国家戦略の背景には、イギリスという国家のアイデンティティーを自問自答する状況があったからに他ならないが、京都を取り巻く現在の状況も極めて似ていると言えるだろう。
ここでは、国家広報戦略を、当時の時代背景や動きを含めて検証することで、京都再生に有効なヒントを見つけ出したい。
1.当時の社会状況
国家戦略の始まった前後のイギリスの社会状況を考察してみる。
「古きよき大英帝国」の面影はなくなり元皇太子妃もなくなった。欧州では未来に向けた動きが着々と進む一方、国内では地域運動が活発化し統一通貨参加でも揺れている。つまり当時のイギリスは国家アイデンティティーそのものを問われる時代の分岐点に立っていたのである。
その状況の中で
1990年代のイギリスはサッチャー改革の効果によって経済は決して悪くなかっただけに、この政権交代は変化を求めた国民の意思表示であったと言われている。 若くフレッシュなリーダーの登場は明るい期待を抱かせるに十分だったのである。
また以下のような動きも進展していた。
つまり90年代末のイギリス社会は、かつての英国病から完全に脱却し、ソフト資産が重視される社会、創造性・革新性に満ちた社会、多様で寛容な社会、に変化していたのである。
2.報告書「登録商標 ブリテン」
シンクタンク「DEMOS」 の研究員であったマーク・レナードは、1997年8月「登録商標ブリテン」 という報告書を発表した。この報告書は後にブレア政権において非常に注目され、その提言の多くが実際に実行に移されたという点で大きな影響力をもった。以下その内容を要約する。
(1)問題意識
90年代において、イギリスではデザイン・建築・アート・音楽などのクリエイティブ産業において目覚しい発展があった。また社会は人種的・文化的にも、世界で稀に見る多様化した社会となった。
しかし、国際社会の認識では、イギリスは未だに大英帝国の遺産にしがみつく後ろ向きの国家であり、イギリスの製品の認識はローテクで芸術性に乏しく買うに値しない、というものであった。
国家のイメージは政治、特に経済に大きく影響する。フォーチュン誌500社に対するアンケートでは、72%の企業が国家イメージは製品購入・投資先決定に大きく影響すると答えている。しかしイギリスの国家広報を担う外務省・貿易産業省・英国観光庁、ブリティッシュ・カウンシルは、戦略もなくメッセージもバラバラで毎年8億ポンドの予算を無駄遣いしている。
肯定的な国家イメージを戦略的に広報する必要があると同時に、クリエイティブ産業を21世紀の基幹産業とするべく振興するべきである。
(2)戦略立案の手法
過去、オーストラリア・アイルランド・チリといった国々は国家イメージの改善に成功してきた。
まず、メッセージを共有することである。イギリスという国はどういう国か、というメッセージをある程度普遍化し5~6に絞るべきである。
プロジェクトとして、キーメッセージを議論する機関として首相を議長としたビジョン・グループの設置、PRの専門家によって効果測定・助言を行う広報ユニットの設置、を提案する。
また、クリエイティブ産業の発展は目覚しく、経済成長・雇用の創出・外貨の獲得に大きく貢献している。 この産業を国家の基幹産業として振興するべく、政府内に産業振興特別委員会を設置する。この産業の実態、産業が直面する課題、ポテンシャルを最大限生かす方法などを議論する。
(3)具体的プロジェクト
新ミレニアム(2000年)は、新しいイギリスを世界にアピールする絶好の機会であり、国家をあげてプロジェクトに取り組むべきである。
3.国家広報戦略(Brand-new Britain)
上記のような社会状況の中で誕生したブレア政権は、報告書の趣旨に賛同し、早速国家広報プロジェクトの立ち上げにかかった。
(ア) FCO(Foreign and Commonwealth Office)Panel 2000
その中心となったのが「FCO Panel 2000」である。 ここではその活動について検証する。
(1)組織
1998年4月に英国外務省内に設置される。メンバーは、全体で33人(民間人17人、官僚16人、14人の女性、6人のマイノリティー)から成り、デレク・ファトチェットFCO長官を議長とした。
官僚は教育雇用省、貿易産業省、文化メディアスポーツ省、ブリティッシュ・カウンシル、英国観光庁から、民間人もTV、シンクタンク、音楽、ファッション、航空、スポーツ、と非常に広範囲にわたる分野から選出され、世界に対してどのように「イギリス」というブランドを広報していけばよいか議論することとなった。
(2)5つの使命
ロビン・クック外相は記者会見で、Panel 2000は以下の5つの使命を負うものとした。
<1> 現代イギリスの、正確でポジティブな国家広報の総合戦略を立案する
<2> 広報におけるキーメッセージとターゲット(国、年齢層)を絞る
<3> 公的部門(外務省やブリティッシュ・カウンシル)、民間部門が一体となったパブリック・ディプロマシーを実現する
<4> 海外におけるイギリスブランドをモニタリングする(現状認識や改善度を測定する)
<5> 外務省自体の開かれたイメージを作り出す
(3)提言書「Consultation Document」(1998年8月)
「Panel 2000」は発足から4ヶ月で14回の会合を持ち、5分野21項目にわたる提言を行った。その主な内容は以下の通りである。
1 キーメッセージの設定
以下の5項目を、イギリスを表すキーメッセージとするべきである.
2 データのストック
3 提言書「Consultation Document」(1998年8月)
これらの提言内容は「登録商標ブリテン」の内容をベースにし、それを深めたものであると理解できる。以上のように、「Panel 2000」は2000年までにおけるイギリス国家広報戦略の中枢にあり、戦略立案・政策実行に大きな影響を与えたことがわかる。提言内容も驚くほどの確率で、しかも短期間のうちに実行されており、政府内・民間において国家広報の重要性についての広いコンセンサスが存在していたことが理解できるだろう。
(イ)広報特別委員会(Britain Abroad Task Force)
「Panel 2000」の提言を受けて、イギリスの国家広報を担当する機関として設置されたのが、「Britain Abroad Task Force」である。 現在の戦略立案、広報の中心を担っている組織である。まだ設立されて時間が経っていないので目ぼしい成果を検証することは難しいが、以下この組織を簡単に説明する。
(1)組織
2001年に設置された。議長は外務省長官のバロネス・サイモンとジョン・ソレルの二人である。予算は外務省、貿易産業省、教育訓練省、ブリティッシュ・カウンシル、英国観光庁、デザイン・カウンシル、から拠出されている。メンバーは上記の公的機関からと、民間からPRの専門家が参加している。
(2) 戦略
国家広報の必要性として、政治的地位の向上、国際貿易・内向き投資への経済的効果、観光客の誘致、才能ある人間の集積、に資する点をあげている。
こうした明確な認識の下、「Panel 2000」の提言を基本として、海外におけるイギリスのイメージをさらに改善していくことが使命である。特に以下の点を強調している。
また、キーメッセージを踏まえた、より具体的な広報における資産として以下の項目を挙げている。
(3)ターゲット
マーク・レナードは報告書で、「若者はこれから各国において政治的指導者、ビジネス・リーダー、学者になっていく。国家広報のターゲットは若年層に絞るべきだ」、とした。 特別委員会は、「Panel 2000」の提言を深めて、ターゲットを細かく設定した。
また、広報ターゲットの優先順位の高い国々として以下の18カ国をあげている。
地域 | 国名 |
ヨーロッパ(7) | フランス、ドイツ、イタリア、ポーランド、ロシア、スペイン、トルコ |
アメリカ(4 | ブラジル、カナダ、メキシコ、アメリカ合衆国 |
アフリカ(1) | 南アフリカ |
アジア(6) | オーストラリア、中国、インド、日本、韓国、シンガポール |
(表1 「国家広報のターゲット国」、筆者作成、特別委員会ホームページ参照) |
国家広報や文化交流は、普通確固たる戦略がなく一過性のものになりやすいが、こうした取り組みはあたかも新製品を売り出す民間企業のマーケティングの手法を思わせるほど徹底している。それほど、国家イメージを重要視しており明確な戦略が見られる。
(4)具体的プロジェクト
「Panel 2000」が行ったミレニアム・プロジェクトは西暦2000年に特化した言わば特別なものであった。以後政策として継続性を持って行われているプロジェクトも、「Panel 2000」の提言を具体化したものである。それらを簡単に紹介する。
2000年10月にオープンしたベルリン英国大使館は、最新のイギリスを伝える建築であり、一般市民にも公開されている。
京都ほど、これまでに数多くの個人・団体が提言を繰り返してきた都市はないであろう。しかし、それら貴重な貢献にもかかわらず、京都は今存亡の危機を迎えている。
その直接的な原因はやはり長期的な展望を描けていないことに尽きるが、こうした提言もまた、政策に統一した根幹がなく個別具体論になるかと思えば抽象論に入ったりと、議論するレイヤーが異なっていることが多い。
私は、今の危機の時代こそ、京都の最も根本的なアイデンティティーを議論してメッセージ化し、それらに基づいた長期ビジョン・具体的政策の立案に入っていくべきだと考える。
以下、私の今までの議論を京都に当てはめた場合の具体例、つまり私の長期的ビジョンとプロジェクト案を世に問い掛けたい。
1.「Brand-new Kyoto」のキーメッセージ
京都を議論するとき、全体のビジョンにかかわるレベルから具体的なレベルまで、全くかみ合わず徒労に終わることが多い。こうした混乱を避けるためにも、私はこうしたキーメッセージを巡る議論が最も重要であり最初に行われるべきだと考える。
上記のイギリスの例を参考に、京都のアイデンティティーを最も根本的なレベルでまとめてみることにする。
以上のように、6つの根本的なメッセージで京都の特徴をほぼ全て網羅できるのではないだろうか。
2.戦略的目標
キーメッセージから、戦略的な目標を定める。
21世紀は、全世界的都市間競争の時代であり、京都のソフト・パワー向上に最も効果的な戦略を定める必要がある。
(1) 国際文化観光都市
基幹産業である観光を含め、文化の経済化を行う必要がある。
デザイン性の向上など、新しい局面を迎えている伝統産業等の需要拡大のためにも、PR体制に確
信する必要がある。
(2) 産学連携都市
大学は京都にとって大きな資産である。京都にくる大学生、大学での研究成果、大学の先生、をもっと有効に活用する方法はあるだろう。特に、新規事業育成に関する取り組みは非常に重要であり、
プロジェクトは動き出しているが、その検証が必要である。
(3) 最先端都市
OP3の開催実績だけを誇るのではなく、人類が直面する危機に対して新しいライフスタイルを打ち出すことで世界に貢献する都市になるべきである。また市民活動や街づくりにおけるパートナーシップなど、他都市が見習うような先進的な政策を社会のあらゆる分野で実施していくことが、京都のソフト・パワー向上につながる。
3.イギリスと京都の違い
京都においてアイデンティティーの刷新運動をしていく上で、イギリスの場合とは違う条件があるように思われる。
(1)新しい動き
イギリスで国家戦略が動き出したのは、1990年代におけるクリエイティブ産業の勃興が民間レベルですでに存在していたことである。1979年から11年間にわたってイギリス経済を徹底的に改革したサッチャー政権の果実が実を結び始めたということであろう。
しかし、残念ながら京都においては、それほどの新しい産業が芽を出しているわけでもなく、大きな改革を経験したわけでもない。よってこうしたアイデンティティーの刷新と同時に経済・政治改革を推進しなければならない。
(2)パートナーシップ
これもよく言われることであるが、京都においては行政・民間・市民との良好なパートナーシップが難しい。さらには、観光資源となる歴史的名所を保有している仏教会という勢力もあり、強い影響力を持っている。
イギリスにおける国家戦略は特に、行政と民間がお互いの利益を良好なパートナーシップで実現している。これは成功の大きな要素である。
(3)政治のリーダーシップ
イギリスの国家戦略における成功の一番の要因は、ブレア首相のリーダーシップである。明確なビジョンと実行力は、自分の信念を貫く気概に満ちている。
この危機的状況に、時代を見据えた新たなビジョンを市長、市会議員以下、市民の信託を受けて政治を行っている人間が真剣に議論して作り出さなければならない。瑣末な議論に終始している時代ではないことを十分に認識するべきだ。
現在、京都が直面している状況は小手先の策では解決できない根本的なものである。都市は理想なくしては発展できない。今、まさに21世紀に向けてのビジョンが求められている。
時代は大きく変化している。京都の現状は現在の時代の流れに取り残されている。ここで私は、市民の側にも責任を持って自らの地域をどうしていくのか、という切実な作業を要求したい。政治・行政ができないのなら、自分たちが、という気概が欲しい。ここで私は「ブランニュー・キョウト運動」を提唱したい。私たち市民の側から、21世紀自らの青写真を作って世に訴えるのである。
町衆文化の京都には、多くの市民団体・NPOが活躍している。こうした勢力を結集していこうではないか。
最後に、世界文化自由都市宣言(昭和53年制定)の一文を引用して終わることとする。
「都市は理想を必要とする。その理想が世界の現状の正しい認識と自己の伝統の深い省察の上にたち、市民がその実現に努力するならば、その都市は世界史に大きな役割を果たすだろう。(中略)もとより理想の宣言はやさしく、その実行はむずかしい。われわれ市民は、ここに高い理想に向かって進み出ることを静かに決意して、これを誓うものである。」
<参考文献>
・京都市基本構想
・京都市基本計画
・世界文化自由都市宣言
・京都市の経済’00
・安らぎ華やぎアクションプラン
Thesis
Takeshi Ninoyu
第21期
にのゆ・たけし