論考

Thesis

対症療法の政治

現在の日本が抱える問題は途方もなく多い。大きい。根が深い。未曾有のデフレ・スパイラルによる経済不況、多発する政治・大企業のスキャンダル、凶悪な少年犯罪、等々挙げ出したらきりがないだろう。政治の本来の取るべき役割は、こうした社会の表面に浮き上がって来る問題が発生する原因を突き止め、その原因を解決することによって今後発生する問題も含めて根本から根を断ってしまうところにある。

 ところが、ここ十数年の日本の政治はあるべきスタンスで社会問題に対処してきたであろうか。私にはごく短期的な視野に基づく対症療法の政治であったとしか映らないのである。そしてここに日本政治の脆弱な現実があり、日本社会の閉塞感があるのである。日本の政治はまず対症療法を打破し、病気を起こさない体質作りへと根本的な舵取りを変えるべきである。

 では、強い体質作りを行うにはどうするべきか。それは日本社会が抱える問題の本質をまず見抜くことである。私は一言で言う。「日本人の勇気・気概・モラルが著しく低下している。すなわち人間力の問題である」。100年前の日本の国を想像してみたい。果たして現在と比べてものは豊かにあっただろうか。経済規模はいったい何分の一であったろうか。生活の利便性はどうであったか。答えは簡単でいずれも今日の状況のほうが著しく改善されており、人間は途方もなく豊かな生活を享受をしているのである。

 しかし残念なことに人間の持つ力は大幅に弱くなったようだ。明治の人間が持っていた気骨・理想・実行力、いずれを考えても今の日本人とは比べ物にならない。人間とはやはり豊かになればなるほど弱くなる、平和であればあるほどボケていく生き物であるようだ。

 国とは人の集積である。会社とは人の集積である。地域とは人の集積である。これらの活性化は、まず人づくりにある。政治の最大の目標は、この国を将来背負って立つべき人材を育成することである。そこから経済が生まれ、文化が生まれる。夢を持って、希望を持って、勇気を持って全力で人生を生きられる人間がいったい何人いるのか。この国は最も人間にとって大切な要素を自然に持てるような環境があるだろうか。

 果たして現在の政治はこうして動いているだろうか。答えは簡単である。現象面にのみ囚われ、政治のメインは本質から非常に遠くにある。50年、100年はおろか、5年、10年でさえその視野には入らない。非常に短期的な発想の下でこの国の政治は動いている。貧困な政治と言われる所以である。単純に言って、数字からのみ得られる経済指標を元に、この数字を如何に上げるか、どうすれば数字を上げられるのか、これが現在の政治の唯一の関心事であろう。

 良識ある政治家には是非こうした問題に注目してほしい。いや、もうすでに多くの政治家がこうした問題意識を持っている事だろう。しかし、政治は結果責任である。国会の議論の場に国の将来を語る長期的な発想がない中では、責められるべきは政治家である。テレビ、新聞を通じてこれまでの政治慣習をぶち壊す政治家に是非とも登場してほしい。良識ある国民は潜在的にこうした人物を待っている。

 スケールが小さ過ぎるのである。100年前、まだ極東の小国であった日本を世界の一流国に押し上げた先人たちに思いを馳せて見ればいい。いかに現代の政治家が小粒で、頭でっかちで、それでいて大局観がなくて、人物がいないか。一言で言うと、この国には人物がいない。傑物がいない。これが全てであろう。

 政策的な観点、学術的な観点、経済指標からの観点、論理的分析からの観点。もう結構。要は何をなすかである。現在のような国民・政治家、総評論家であれば、誰もリスクを取って動かない。私も卒塾を控える身として、今までこの場で語ってきた言葉に反しない生き方を貫くしかない。そう心を決める段階に差し掛かってきた。

 今年は「赤穂浪士事件300周年」であるらしい。現在の日本にこうした気骨ある「武士」が何人いるだろうか。経済不況、拉致問題に揺れる中行われた補欠選挙の投票率はたった40%そこそこであった。この国は完全に死んでしまったのか。

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二之湯武史の論考

Thesis

Takeshi Ninoyu

松下政経塾 本館

第21期

二之湯 武史

にのゆ・たけし

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