Thesis
3年間にも及ぶ研修期間が早くも終わろうとしている。全く白紙の自分というキャンバスに政経塾での体験の一部始終を描き込み、ようやく哲学・理念と呼べるようなものが出来上がったことを非常に嬉しく思う。と同時にこのような3年間を与えて下さった松下塾主はじめ多くの関係者の方々に感謝の気持ちでいっぱいである。
卵から孵化して実社会に旅立とうとする「二之湯武史」という政経塾生最後の月例報告として、改めて松下幸之助塾主が、どういった思いを込めてこの政経塾を設立されたのかを、「設立趣意書」を読み返すことで今一度確認したい。
そもそも塾主はどういった問題意識を持って、政経塾を設立されたのか。塾生である我々は、常にこの根本的な命題を頭に入れ、それを行動原理として持っていなければならない。1979(昭和54)年に書かれた趣意書には、塾主の問題意識がはっきりと読み取れる。
まずそこには、「目をみはるほどの急速な経済復興発展をとげ、今や一面 に世界をリードする立場にまでなってきた」戦後日本の歩みに対して大きな評価をしている。太平洋戦争によって焦土と化した日本を私の世代は知る由もないが、その時代の巨人として生きてこられた塾主には、「奇跡の復興」となるのは至極当然である。
しかしその一方で、「社会生活面においては、青少年の非行の増加をはじめ、潤いのある人間関係や生きがいの喪失、思想や道義道徳の混迷」などの問題があるとし、「かえって国民の精神は混乱に陥りつつあるのではないか」との危惧を抱いておられる。そしてその原因として「国家の未来を開く長期的展望にいささか欠けるものがある」と主張しているのである。
日本経済の絶頂であるバブル期にまさしく入ろうとするこの時期に、こうした観点から日本に警鐘を鳴らした政治家・財界人が一体何人存在したであろうか。また実際に私財を投げ打ってまで行動に出た人間が何人いたであろうか。経済的な観点からよりもむしろ精神的な観点から問題提起をされたところに塾主の問題意識の本質がうかがえるであろう。つまるところ、戦後の日本が経済・物質一辺倒の繁栄に進んでしまい、ふと気がつくと道徳・倫理・伝統といった受け継ぐべき重要な財産が失われつつあることに問題意識を持っておられたのであった。
では、そういった危機的な状況から日本を守り、真の繁栄・幸福を実現していくにはどうするべきであるか。塾主は、「国家国民の物心一如の真の繁栄をめざす基本理念を探究」することと、「将来の指導者たりうる逸材の開発と育成」することが最も重要だと考えておられた。そして、こうした大きな問題を解決することを志として活動する有為の青年を教育する機関として設立されたのが松下政経塾であったのだ。
塾主は、政経塾において塾生が研修するべきテーマについても具体的に触れている。「人間とは何か、天地自然の理とは何か、日本の伝統精神とは何か」など、基本的な命題を考察、研究し、国家の経営理念やビジョンを探求する、と明確に書かれている。高度にシステム化され、また科学技術が宗教のように信仰される現代社会においては、上記のような雲を掴むような抽象的なテーマは見過ごされがちである。しかし、「論語」や「孟子」が2000年以上経った現在でも広く読まれているのと同じく、設立趣意書にも同じような時間を超えた深さと真実が込められていると私は実感している。
塾のアイデンティティーとさえ呼べる、こうした塾主の問題意識を私は常に探求し、何度も設立趣意書や著作を読み、塾の仲間と議論してきた。政経塾の同志性とは、同じ釜の飯を食うという日常的な繋がりと共に、こうした理念の点でも深く強く繋がっているはずである。そうでなければ、政経塾が一部世間で言われているような「単なる政治家養成学校」となってしまう危険がある。
「人間」「自然」「日本」。設立趣意書に刻まれているこれらのキーワードの真意を、日常の活動の中で常に頭の中に入れて考えていると、新しく見えてくるビジョンが必ずある。これが、我々が目指すべき「世界の繁栄・平和・幸福」であり、その受け皿となる我が国「日本」の将来像である。
Thesis
Takeshi Ninoyu
第21期
にのゆ・たけし