Thesis
「マニフェスト」は今回の統一地方選挙で北川正恭・前三重県知事などにより提唱され、初めて導入された選挙が行われたが、私は日本の政治風土を変える可能性を秘めていると期待している。今回はこの「マニフェスト」について述べることにする。
「マニフェスト」とこれまでの使われてきた「公約」は何が違うのか。「公約」は当選したら「こうしたい」という願望的な要素が非常に強かった。よって、どうしても有権者にとっては「おねだり」的になり、「あれもこれも」という総花的になりがちであった。有権者も関心を持たず、当選した後もチェックがしにくいので、次の選挙のときにはほとんど忘れてしまっているという状況である。また、公約を掲げた政治家も責任を持たず、ないがしろにしてきたことから、公約は「信じないもの」になってしまった。このような関係と状況においては真の健全な民主主義が育つはずがない。そこで登場したのが「マニフェスト」である。「マニフェスト」とはイギリスでは国政選挙における各政党の「政策綱領」を意味している。政権を取った際に「必ず実行する」政策であり、政党(立候補者)と有権者との契約である。そのためにはどれぐらいという「数値」、いつまでにという「期限」、どういう根拠でという「財源」が明記される必要がある。これなしに具体的な議論も、事後の達成度チェックもできない。また、各政党候補者が具体的数値を出した上で選んだ政権(首長を含む)に対しては有権者も責任を持たなければならない。既得権者に痛い政策も有権者の無言の力で実行できるはずである。これが「マニフェスト」と「公約」の最大の違いである。
ただ、「マニフェスト」という横文字は一般の人にはなじみが薄い。自動車販売の経験がある私には「産業廃棄物管理票」として自動車の廃車手続きを行う際に使用したイメージがあった。「政策綱領」、「政策宣言」などいろいろな言い方をされるが、今後いずれかに収斂が進み定着していくであろう。
平成15年5月よりソフト化経済センターの町田洋次氏の呼びかけで東京財団のプロジェクトとして「マニフェスト研究会」がスタートした。実践的なマニフェスト研究を目指している。私も多彩なメンバーの方々(下記参照)と共に参加させていただいている。
5~7月を「フェーズI」として、4月の地方選挙で知事に立候補した政治家のマニフェストを題材に事例研究、評価を行い、「私のマニフェスト10ヶ条」をメンバー全員で考えた。9月から「フェーズII」の研究を開始する予定で、ここでは、マニフェスト普及の基礎づくりには具体的に何が必要なのかを考える予定である。基礎とは、公職選挙法改正から、有権者の税金に依存する文化やクセを直すにはどうするのかなど、様々なものが想定されている。これらの成果は下記東京財団ホームページに逐次掲載されている。政治家になる人には、人々が感心するほどの立派なマニフェストをつくること、有権者の方にはそれを読む力を養っていただくことを願い、マニフェスト研究会はこれらを実現する力になりたいと考えている。
☆「マニフェスト研究会」メンバー | |
町田 洋次 | (ソフト化経済センター) |
佐々木孝明 | (東京財団) |
川野 晃 | (東京財団) |
國田 廣光 | (東京財団) |
西田 陽光 | (構想日本) |
冨永 朋義 | (構想日本) |
森嶋 伸夫 | (一新塾) |
大西 健介 | (参議院、一新塾) |
田辺 大 | (フォレスト経営コンサルティング、CAC) |
井上 英之 | (ETIC、CAC) |
吉田 信雄 | (神奈川県庁、CAC) |
児玉 徹 | (電通、CAC) |
白岩 正三 | (松下政経塾) |
福原慎太郎 | (松下政経塾) |
(順不同、敬称略) |
今回の統一地方選挙で使われたマニフェスト(主に知事選)を見ると、当然であるがまだまだ改善点がある。これまでの公約とあまり変わらないようなもの、数値、財源、期限がほとんど入ってないようなものなど不完全なものも多く見受けられる。それはその後の各県議会などでの議論からもうかがえる。しかし、最初から完全なものができるはずはなく、これまでのスローガン的なものから差こそあれ数値が入ってきたのは画期的なことではないかと私は考える。ただ、私はマスコミによる報道がマニフェスト自体を持てはやしたのはいいが、その中身についてあまり検証されていないことが残念であった。結果として「マニフェストと言った者勝ち、つくった者勝ち」になってしまった面があるのも否めない。今後はその中身と4年後の検証が求められる。
次に、具体的な例としてマニフェスト研究会で担当した古川康・佐賀県知事のマニフェストを評価してみたい。はじめに、「評価できる点」としては、「まとまっていて読みやすい」ことが挙げられる。また、「理念や理想を掲げ、それを実現するための具体策がある」のはよい。そして、「『ポジション・コメント』で個別問題について考え方を示す」ことは有権者にわかりやすくよいと思う。反対に「改善が考えられる点」としては、「『これをやる』というポイントを絞り、優先順位を付ける」ことで、実行可能性が高まるのではと思う。また、「『数値』を多くし、数値の根拠を示すこと、財源を明記すること」で、説得力が増すのではないだろうか。さらに、「『ポジション・コメント』の件についても、可能な限り数値を示す」ことで、説得力が増すであろう。「『国に積極的にモノを言う』というのは『中央とのパイプがある』と取られかねず、従来の中央官庁出身者との差別化をはかりにくい」、また「マニフェストとしてふさわしいか?という疑問が残る」という意味で改善が考えられる。
今回はこのような「マニフェスト」の形で出てきたことは画期的なことで、喜ばしいことである。ただ、残念なことは佐賀県内のマスコミでは改善点があまり指摘されていないようで、今後のマニフェストを育てていくときにマスコミのレベルアップも求められる。
ここでは私が上記の「マニフェスト研究会」で発表した、マニフェストを今後定着させるために必要な10のポイントを述べたい。ポイントは人によって考え方が違うと思うが、これらの議論をすることによってマニフェストがより身近なものになるのではと考えている。
今回の統一地方選挙を通して国民の間にマニフェストに対する期待感が広がってきた。前述のようにこれまでは選挙での「公約」をまともに信じる有権者は少なかった。むしろ、「政治家の言うことは信用ならない」という政治不信の一番の原因でもあった。それが、今回の選挙でマニフェストが導入されたことで、期待感が高まった。それはやはり、政治を諦めかけている一方で、しっかりした政治を国民が求めているからではないだろうか。私自身、神奈川県知事選挙に立候補した同じ松下政経塾出身の松沢成文(しげふみ)氏の選挙においてタクシーの運転手さんなどが100円を支払ってマニフェストを購入される姿を目の当たりにし、「もっとこれはPRしなきゃダメだよ」という声を聞きながら、驚いたものであった。
おそらく今後の日本でも選挙の必須のツールになるであろう。また、育てていかなければならない。ただ、あくまでもツール(道具)であって、目的ではない。選挙に限らず往々にしてツールや手段が「目的」になることが多いが、マニフェストもそうなってはならない。来年夏までに確実に行われる衆参両院のそれぞれの選挙で初めてマニフェストの真価が問われてくると私は思う。なぜなら、中央集権国家の日本では国が多くの権限、財源を持っているからである。今回の統一地方選挙でマニフェストが導入されたことは大変意義深いことであるが、残念ながら現在の地方には自己決定できる裁量権があまりない。そういう意味で、国政選挙では具体的な数値、財源、期限が求められる。スローガンとしての「平和」や「福祉」、現実性のない政策など中身よりもイメージに重きを置いた選挙とは変わらざるを得ない。私たちはその時こそ「真の政権選択」ができるし、責任も生じてくる。政党も変わらざるを得ない。これまでのような「政治家が悪い」、「マスコミが悪い」、「官僚が悪い」、「有権者が悪い」という「他への責任転嫁」は通用しないことを政治に関わる全ての人々が肝に銘じておく必要がある。しかし、これは日本の政治にとってこれまでの政治からステップアップする一大チャンスである。私たち自身がしっかり将来を考えて選択していきたい。
しかしながら、真の意味での民主的な選挙、民主主義を日本に根付かせるためにはマニフェストだけでは足りないのは言うまでもない。全国各地で行われるようになってきた「公開討論会」の義務化を始めとする公職選挙法の改正、日頃の政治行政の「情報公開」および住民との「情報共有」、政治の重要性をしっかり認識するための「政治・公民教育」など様々なものと一体となって「マニフェスト」を育てていく必要がある。「マニフェスト」は有効な手段であるが「打ち出の小槌」ではない。「マニフェスト」を有用に使って日本の政治風土を変えていけるか、私たち一人一人の行動にかかっている。
Thesis
Shintaro Fukuhara
第22期
ふくはら・しんたろう
株式会社成基 志共育事業担当マネージャー
Mission
「地域主権国家・日本」の実現 ~人と地域が輝く「自治体経営」~