Thesis
「21世紀はアジアの繁栄の時代」、松下幸之助塾主の長年の経験と勘から導き出された予測である。その来るべき「アジアの時代」の受け皿としての人材を育成することが松下政経塾設立の目的の一つであった。そして、そのアジアでも中心的な役割を果たすのが日本をはじめ韓国、中国、ロシアなど北東アジア地域であろう。
日本にとって全ての国が重要なのは言うまでもないが、超大国・中国と大国・ロシアの狭間で主体的に生きていくためには日本にとって日韓関係が最重要であると私は考える。日本は人口1億3千万人、韓国は4,600万人、将来北朝鮮と統一がなされたとしても人口は約7千万人である。今回は日韓関係強化について述べる。
平成13年3月、ソウル近郊の仁川(インチョン)広域市に、新しい国際空港が開港した。これによって、東京の羽田と成田の棲み分けと同様に、国際線は従来の金浦(キムポ)空港から仁川空港に移管された。しかし、仁川空港はソウル市内からバスで約60~80分と金浦に比べて約20~30分余分にかかる。また、金浦空港のように地下鉄が乗り入れていないことから定時性には不安定さが残るのは否めない。一方、東京の玄関である成田空港も鉄道を利用しても東京都内から約60分と羽田空港に比べて約30分余分にかかる。
東京-ソウル間の飛行時間は約2時間前後で国内線とほぼ同じような感覚である。しかし、成田-仁川空港を利用する現状ではそれ以上の時間を空港アクセスに費やしている。私は以前から羽田、金浦両空港を利用することで、両国の往来時間を大幅に短縮できるのではないかと考えていた。昨年、小泉純一郎首相と韓国の盧武鉉大統領の間で羽田-金浦間の定期路線の開設が合意され、11月より一日四往復で運航を開始した。東京、ソウル両市は両国の首都であると同時に経済、文化など多くの点で中心都市である。両都市ともに一極集中が激しく社会問題化している面もあるが、集中している都市同士のアクセス時間が短縮されることの意義は非常に大きい。羽田、金浦両空港を利用すると、滞在時間を増やすことが可能になり、ビジネス等の往来がより活発になるであろう。
また、心理的な距離を縮める効果から、両国民の交流がより活発に行われるようになることが期待できる。このような観点から考えると、国内線も満杯状態の羽田空港ではあるが、より一層の便数充実が求められる。また、韓国とのつながりの深い、大阪についても伊丹空港の活用などを検討すべきではないか。
成田と羽田の役割分担の議論は慎重に行うべき点でもある。しかし、現在でも30以上の航空会社の乗り入れ希望に応え切れていない成田空港の現状を考えると、韓国だけでなく、中国、台湾、ロシアなど近距離路線は羽田空港で対応すべきであろう。そうすることにより、世界都市としての東京の競争力アップにもつながる。羽田空港の再拡張計画も国際線の充実を視野に入れて動き始めたが、国内線の現状を考えると需要を満たすだけの容量があるとは思えない。
日韓両国が最も近い隣人同士として相互理解を深めるためにも、アジア各国との時間距離を縮めるためにも、石原慎太郎知事が提唱している米軍横田基地の軍民共用など、首都東京の空港を東京だけの問題ではなく、日本の国家戦略として対応すべきである。
今回、私にとっては三度目の自宅訪問をさせていただいた金泳三(キム・ヨンサム)元大統領は、日本の新聞も毎日読まれている。日本語ができるだけでなく、ハングル文字がほとんどの韓国の新聞よりも漢字が多くて読みやすいとのことである。
1993年、初めての文民政権として誕生した金泳三政権は、それまでの軍事政権下で制限されていた漢字教育の復活を重点課題として取り組まれた。「漢字」は日本、韓国、中国など東アジアに共通する重要な文化であるが、漢字教育を受けていない世代を中心に漢字が読めない韓国人も多いようである。「世界で一番多く使う文字として、東洋文化のためにも習うべき」と以前もおっしゃっておられた。ソウルや釜山市内でもハングル文字が多く、漢字はあまり見られない。そういう意味では、英語表記の多い欧米よりも外国に来た気分にもなる。
私も東アジア地域の相互の理解と韓国文化を理解しやすくするために、韓国で漢字を多く使うことが望ましいと思う。国によって意味が違うこともあるが、読み方がわからなくてもかなり理解できる。実際の韓国語を漢字で表記すると日本語とほとんど変わらないことに気付く。漢字の読み方は違っても似ており、意味はほとんど同じだからである。ハングル文字は韓国の固有の文化であり否定はしないが、漢字表記を増やすことにより、日本人や中国人など漢字を使う人達がより韓国を理解できるようになるだろう。
また、その逆も言える。以前、中国を旅行した際、少しの言葉と漢字による筆談でも多少のコミュニケーションが取れることを実感した。そういう意味でも、コミュニケーションの道具としても使える。欧米人など他地域の人達が日本語を学ぶときに漢字が一番難しいという声をよく聞く。漢字を勉強することで、日本のみならず韓国、中国についても理解しやすいという利点があれば東アジア地域への理解度も増すのではないかと思う。韓国の「国家戦略」としての「漢字表記」に今後期待していきたい。
日韓両国が「真の友人関係」を築いていくにはどうしたらよいのか。私はまずお互いをきちんと理解すること、その上で言いたいことを言い合える関係になる必要があるのではないかと思う。これは、個人だけでなく国家レベルでも言えることだと思うが、現在の日韓関係はその段階にはいっていない。
以前、韓国を訪問した際に韓国の方が口々におっしゃるのは「日本はきちんと歴史を認識すべきではないか」ということだった。この点については、私も全く同感である。ただ、「歴史的事実」を「客観的」に教えるべきであり、歴史的事実でないようなことも教えるこれまでのやり方が正しいとは思えない。日韓のマスコミが煽り外交問題化した「歴史教科書問題」などは日本の国内問題であり、韓国の内政干渉である。
今回も当然のように「過去の暗い関係」を話す方が多かった。私は過去の事実を直視すべきだと思うし、そこから目をそらすべきでもないと思う。しかし、日韓の歴史を少しずつ勉強していくうちに日韓両者の違いが多いことにも気付く。それは、韓国の歴史的観点からみて致し方ない面もあるだろうが、「事実ではない点」については日本は毅然として正すべきであろう。そのためにも、日本自身が過去の事実について正しく認識すべきである。その上で、お互いに理解をし合うしか道はない。
これまでの日本は残念ながら「謝罪だけすればよい」とも取れる態度を取ってきたが、それでは「真の友人関係」は築けない。過去があり、現在があって、初めて未来が拓けてくると私は信じる。そういう意味では、互いに知らない面がまだまだ多い気がしている。「すべては知ることから始まる」、そのために、知識を得たり、歴史をしっかり勉強することも必要であるし、やはり実際に行き来することが重要である。
ワールドカップが開催され、日韓の間の交流は自治体、民間などあらゆるレベルでより活発になっていくだろう。今後は買い物やレジャーなどだけでなく、お互いの友人をつくり、互いのことをより深く知る、個人同士の交流がもっと活発になることを期待したい。そうして、「一衣帯水」の両国関係がより緊密になり、「近くて近い国」として、「真の友人関係」を築いていけるように努力していきたい。
韓国もようやく日本の大衆文化を開放しつつある。両国がよりよい関係を目指していく中で、韓国が日本の音楽などを規制している状況は正常な関係には程遠い。友好関係を唱える国が取るべき政策とも思えない。日韓の相互理解のきっかけとして、大衆文化が相互に行き来するようになるべきだと思う。
もちろん、それらだけで何とかなるとは思わないが、国家のリーダー層は別として、一般の方々が他国に対してイメージするのは音楽を始め文化的な要素が強い。戦前の日本の関東軍が満州国において、日本人である山口淑子を中国人女優「李香蘭」に仕立て、日本に対してのイメージ戦略を取ったのもその一つであるし、最近はアメリカのジョセフ・ナイ氏(現、ハーバード大学ケネディ行政大学院院長)が提唱した「ソフトパワー」にも関係する。幸いなことにワールドカップ前後から両国の映画、ドラマ、音楽等が両国の若者を中心に相互に指示されるようになってきた。今後の更なる展開と発展に期待したい。
また、今後の「アジアの時代」を考えると、台湾出身で、日本だけでなく中国をはじめアジアで人気が高かった故テレサ・テンさんや戦前の李香蘭のようなアジアを股にかける多くのアーティストが各国から誕生してほしいものである。アジア地域の架け橋として活躍し少しでもお互いの誤解、わだかまりを解き、理解が進むことを期待したい。
ソウルの北約60キロに位置している「板門店」は、1953年、朝鮮戦争の休戦会談が行われた場所である。ここでは南北分断の実体を肌で感じることができる。板門店は国連軍と北朝鮮軍の共同警備区域になっており、ツアーでしか訪問することができない。ここで、注意しておきたいのは、韓国側が「韓国軍」ではなく「国連軍」という点である。私は板門店に来て「国連が全世界を平等に見ているものではない」ということを初めて実感した。日本では「国連」に対して過度な期待があるが、実際にはそうではない。
板門店の「軍事停戦委員会会議場」と呼ばれる建物は南北の境界「軍事分界ライン」上に建っている。内部の会談用の机の真ん中にもそのラインが通っており、それを挟んで会談を行うのである。この会議場の中のみ北朝鮮側に行くことが許されており、中には南北どちらかからしかゲストは入れない。また、北朝鮮側に利用されたり刺激しないよう、ジーパンや肌を露出した服装は禁じられ、北朝鮮の兵士に手を振ったり、話しかけたりすることも禁止されている。
平成12年、南北首脳会談が行われたが、まだ「休戦」状態であることに変わりはなく、たまに銃撃戦もある板門店には緊迫感が漂う。外では分界ラインを挟んでいつでも銃を発射できる状態で向き合う南北両軍兵士がおり、初めて訪問したときには正直死ぬかもしれないとも思った。「休戦状態の所へ行くので生命の保証はしない」という誓約書への署名は冗談ではないのである。
板門店に来ると冷戦がまだ終わっていないことを思い知らされる。1950年に始まった朝鮮戦争は現在の「軍事分界ライン」で膠着状態になった。このラインから南北それぞれ2km、合計4kmが非武装地域(DMZ)になっており、朝鮮半島を横断している。軍事分界ラインは西では「臨津江(イムジン川)」を通り黄海に達している。イムジン川を見ていると、手の届きそうな距離に北朝鮮が見え、近年日本でも発売された同名の南北分断の悲しみを詠った歌が自然と沸きあがってくる。韓国の離散家族の方々の心情を思うとやり切れなくなる。南北の交流が早く始まることを願わずにはいられない。と同時に、日本の拉致問題も早く解決すべきと実感した。
Thesis
Shintaro Fukuhara
第22期
ふくはら・しんたろう
株式会社成基 志共育事業担当マネージャー
Mission
「地域主権国家・日本」の実現 ~人と地域が輝く「自治体経営」~