論考

Thesis

柳井市長インターン報告

場所山口県柳井市役所 河内山哲朗市長および企画部秘書広報室
期間平成15年8月21日(木)~9月9日(火)
目的市長に随行することで公務ならびに市長の哲学を体得する
柳井市における先進事例調査研究

柳井市概要

 柳井市は山口県の南東部に位置し、人口約3万4千人、面積約128平方kmの都市である。茸のような形をして南北に細長く、南は瀬戸内海に面し、北は中山間地域が広がっている。かつては商業都市として栄え、近年は往時の「白壁の町並み」が復元整備され観光客が増えつつある。特産品としては「甘露醤油」、「金魚ちょうちん」、「柳井縞」などがある。JR山陽本線が通り、柳井港からは松山、別府などに航路があり、交通の便利はよい。また平郡島という離島へは、一日二便定期フェリーが運行されている。

 市長の河内山哲朗塾員(第2期生)は平成5年2月に当時史上最年少の34歳で市長に当選、現在3期目である。

自分の身を守る意識の向上と命懸けの方々への敬意

 今回のインターンでも消防署の全国大会出場壮行会および報告、消防団の方々による操法大会など消防関係の行事に随行させていただいた。前回の多久市インターン報告でも述べたが、消防関係の方々は命懸けである。考えてみれば、消防以外にも警察、自衛隊、海上保安庁など国家と国民の生命財産を守る立場の方がいらっしゃるが、殉職者が多いのは消防士ではないか。幸いなことに戦後58年間戦争を経験せずに済んだ我が国では、自衛官が殉職というのは聞いたことがない。自衛隊の海外派遣に関しては声高に自衛隊員の安全について叫ぶ人々の話を聞いていると、消防関係の方々へももっと配慮していただきたいと思うのは私だけだろうか。もちろん、自衛隊員の命を大事にするのは当然であり、「戦闘地域か非戦闘地域か、自分にわかるわけがない」などと最高司令官である内閣総理大臣に言われてしまっては、国家を背負って危険を冒したいとは誰も思わないだろう。

 インターン中に9月1日を迎えたが、柳井市では防災訓練が行われなかった。理由は10月下旬に総合防災訓練を実施しているからである。地震発生に備えて、初動態勢を確立することが目的である。柳井市の防災訓練では、消防、警察、山口県をはじめ各地区の自主防災組織、郵便局、中国電力、NTT、病院など各関係機関とも連携して訓練を行っている。また、自衛隊も訓練に参加している。このような規模の訓練は山口県内の市町村では現在のところ柳井市のみである。私はかねてから防災訓練には自衛隊は不可欠と考えていたが、戦後の社会情勢の中で抵抗が少なからずあるかと思われた。しかし、柳井市ではまったく問題なく訓練が行われているとのことである。陸上自衛隊山口駐屯地からの参加であるが、倒壊家屋からの救助や150人分のカレーライスの炊き出しなどを実施されている。「普段からのコミュニケーションがいざというときに必要」と河内山市長も言われている。自衛隊にとっては装備の披露や実演を通して市民の理解を得ることもできるであろうし、隊員の方々にとっても張り合いや訓練になるという意味で一石二鳥ではないだろうか。いずれにしても、自衛隊との協働は防災においても、今後の日本の国防を考える上でも大変意義深いように思う。ただ、やはり基本は「自分のことは自分で、地域のことは地域で守る」という意識の向上であり、この防災訓練に一人でも多くの市民の方々が参加されるよう、また存在を知っていただくよう、より積極的な広報PR活動が必要ではないかと思う。

United Islands of Japan

「島国日本」と言われるが日本には海岸線の長さが100m以上の島が6,852あり、そのうち有人島は約400である。瀬戸内海には727の島があり、多島海の美しさを演出している。柳井市の沖合い20kmに浮かぶ平郡島も柳井市に属する島である。柳井港から一日二便フェリーが出ており、平郡西港へは1時間、平郡東港へはさらに40分である。島民の方々の要望に応えて河内山市長が関係機関と調整を重ねて苦難の末に開設された大切な航路である。平郡島は東西に大きな集落が二つあり、現在は人口も600人を切ってしまったが、そこには「日本の原風景」があった。離島に住むことは不便かもしれない。橋が架かることによって便利になった島も多くある。しかし、だからこそ残されている独自の文化、生活様式があることを我々はもっと認識してもよい。東京的な発想で「不便」と片付けることは簡単であるが、島にしかないものを大切にすることが日本の多様な文化を守ることにもつながっていくであろう。ただ、残念なことは近代化の中で日本はコンクリートに覆われてしまったが、平郡島も例外ではなかった。

 松下政経塾23期の上里直司塾生は沖縄県の出身である。沖縄も363の島からなる典型的な「島国」である。彼は日本について「島だけではなく、各集落も島のようなもので、そう考えると日本は島の集合体ではないか」との考えを持っている。つまり日本は“United Islands of Japan”であると。確かに国土の約7割を山に覆われている日本はそれぞれの集落毎に独自の文化を築いてきた。明治以降、鉄道や道路の驚異的な発達により文化の違いが薄れてきたが、現在でも違いが見られる。まさに日本とは「多様な文化の集合体」なのである。単一民族と言われる日本だがその実態はアメリカ合衆国以上の多様な民族の集合体である。この歴史的経過と日本の地形、気候条件が独特の文化を育んできた土壌であろう。グローバル化の中で「世界の均一化」が進むが、人間が住む場所も歴史も伝統も違えば文化や習慣が違ってくるのは当然である。今後、グローバル化への反動として「ローカル化」が進むと思われるが、その時に「島」の生活・文化に見習うべき点は多いはずである。

山口県から見た益田市

 島根県益田市にとって山口県は欠かせない存在である。私の出身地である益田市は県の最西端に位置する町である。山口県の地図を見ると、右上部分が陥没した形になっており、そこに益田市や圏域の町村がすっぽり入る。車で20分も走れば山口県という環境から県境を意識することはほとんどない。益田市に接し、約20kmの所にある田万川(たまがわ)町のゴルフ場、温泉、道の駅などの利用者の80%以上が益田市民とも言われている。逆に、田万川町の方々は通勤(13.3%)、通学(45.0%)、買物(約40%)と多くの方が当たり前のように益田市に来られている。現在合併を協議している萩市とは距離が約40km、通勤(1.7%)、通学(21.9%)、買物(3.5%)とその差は歴然としている(通勤・通学:平成7年国勢調査、買物:平成10年山口県買物動向調査)。また隣接する須佐町と共に益田市と「し尿処理」を共同で行うなど行政上のつながりも深い。

 益田市は島根県内での結び付きが強くない。県庁所在地の松江市まで170kmもあり、車では4時間かかり、JRは高速化で以前より40分短縮されたが、それでも2時間かかる。山口県の県庁所在地である山口市までは80km、車でもJRでも1時間20分程度で行ける。その他にも益田市から100km前後の圏内に広島市(130km)、岩国市(100km)、周南市(100km、徳山市などが合併)、山口市、萩市(60km)が入り、国道が放射状に伸びている。柳井市までも約120kmであり、この120km以内の範囲に下関市地域以外のほとんどの山口県が入る。経済的な結びつきも強く、益田市の位置としては山口県の方がふさわしいとも言える。仕事や高校までの部活動他学校関連の行事など「島根県」という行政単位で関わりがない限り、県東部の松江市などに行くこともほとんどなく、なじみも薄い。島根県西部と東部の言葉がまったく違い、山口や広島の方に近いことにもそれは如実に表れている。京都から山陰海岸沿いに西へ伸びる国道9号線は益田市から津和野町を通り山口市へ抜ける。以前、国道9号線を鳥取県からずっと益田まで走ったことがあるが、益田市には山陰の風土と山口の風土がミックスされていると感じた。「萩・津和野」と観光地で有名な津和野町は島根県であるが、ほとんどの人が「山口県」だと思っており、津和野高校が甲子園に出場した際に島根県だと知った方も多いようである。また、今から500年前に画家の雪舟が益田に来たのは山口の大内氏と当時の益田氏の関係が深かったからである。

 このような環境から、益田市圏域には山口県に入った方がいいと考えている人も少なからずおられるようである。しかし、益田から岩国へ抜ける国道187号線の島根県側と山口県側の道路改良状況の格差を見る限り、益田市は島根県に入っているからこそ国や県による整備が進んでいるとも言える。ただ、これからの益田市を考えていく際に山口県はこれまで以上に欠かせない存在であることは間違いない。これまでも「普通に」認識はされているが、現在のメディア環境では県境による情報断絶が存在する。今後は観光や文化面など更なる情報共有を山口県の市町村と戦略的に連携を強化していくべきである。島根県と山口県の狭間に存在する自治体としてのいわゆる「外交」的な要素が必要になるのではないか。今回山口県側から益田市を見ることによって改めて実感した。

柳井市への提案

 最後に、今回三週間の短い間ではあるが、柳井市に滞在してみて感じたことをもとに僭越ながら私なりの提案をしてみたい。私の勉強不足による非現実的なものや費用等の関係ですぐ実現できないものもあるかと思うが、何かのヒントになれば幸いである。

1.「名札」

 現在ほとんどの自治体や企業で名札が使われており、柳井市役所でも大きな名札が使われているが、「文字」、「肩書き」、「位置」について改善提案をしてみたい。第一に「文字」をもう少し大きくするとよいのではないか。せっかく大きな名札があるのだが、現状のものでは名前が読みにくいように思う。せっかく付けられていても読めなければコミュニケーションが取りにくい。第二に「肩書き」をつけるべきである。部課長など各部署の責任者にある立場の方々の名札には肩書きを書くべきではないか。もちろん、肩書きの有無については両方にメリット・デメリットがあると思うが、市民の立場から見ると「誰が責任者か」一目でわかるほうがよい。販売店や飲食店などでも「店長」が誰かわかるようにしているお店は安心感があるように思う。第三に「位置の徹底」をすべきである。名札を腰の辺りに付けられている方も多く、付けてない方もいらっしゃる。しかし、それでは「何のために」「誰のために」名札を付けているのかがわからない。市民や来庁された方にわかってもらうのが目的のはずであり、「ファッション」や「個人のエゴ」が許されるものではないはずである。

「改革派」と言われる多くの市長、知事が就任して最初に「電話に出るときには名前を名乗るように」と述べられたようである。それは「自分の名前と仕事」に責任を持って仕事をするということであろう。「しっかり見える名札」も同様にその象徴であるので、改善されるとより素晴らしい市役所になるのではないかと感じた。

2.広報機能強化

 市長の考え方、メッセージをよりわかりやすく市民に伝えるために、広報機能の強化を期待している。既にホームページに市長コラムだけでなく、市長交際費まで掲載されているが、市議会での市長の所信表明演説など市民として知りたいものがある。また、河内山市長は「改革派市長」として地方自治関連の雑誌等での執筆や各種講演会、シンポジウムへの出席も多い。これらの活動を市民あるいは広く国民に知らせるためにも可能な限り、市長の過去の執筆物、シンポジウムのまとめなどを掲載していくべきではないかと思う。また、差し支えない範囲で市長の行動予定もしくは結果を掲載することも考えてよいのではないか。日本有数音響と言われる「サンビームやない」で開催された山口県老人クラブのコーラス発表会のパンフレットの中の「柳井市と言えば」という項目で河内山市長も挙げられているくらいである。「柳井市の顔」としてもっと売り出してもよいのではないか。柳井市のアピールにも貢献できるであろう。

 また、柳井市独自のメールマガジンを発行し、「柳井ファン」を世界に広げていくこともよいと思う。コストをそれほどかけずに広報活動ができるし、市町村で実施しているところはまだ多くない。ただ、「内容が重要」とは河内山市長も述べられおり、読み流しがちな「e-mail」であるので、しっかりした検討が必要である。また、現在のマスコミのレベルを考えたとき、ある面ではマスコミへ対抗し独自に強力な情報発信メディアを自治体が持つことは市の考え方をしっかり伝えるために必要である。ケーブルテレビも検討されているようであり、今後の取り組みに期待したい。

まとめ

 今回は河内山哲朗市長の配慮により、三週間ほとんどの場所に随行をさせていただき、大変有意義な研修をさせていただくことができた。二度目の市長インターンということで、より深く突っ込んだ質問などをさせていただくことができたのではないかと思う。また、受入担当をしていただいた秘書広報室の出相貴裕さんはじめ柳井市役所の皆さんにはいろいろとお気遣いいただいたおかげで、三週間という短い間ではあったが、楽しく過ごすことができた。益田市と近くの柳井市であるので、これからもご指導をいただければ幸いである。

参考文献

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福原慎太郎の論考

Thesis

Shintaro Fukuhara

福原慎太郎

第22期

福原 慎太郎

ふくはら・しんたろう

株式会社成基 志共育事業担当マネージャー

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「地域主権国家・日本」の実現 ~人と地域が輝く「自治体経営」~

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