Thesis
月例でも何度も報告しているとおり首相公選制実現に向けて活動をしているが、その活動の中で感じることは今の日本をとりまく政治状況へのイライラだ。首相公選の議論をしていてもその議論がたちまちに別の議論に摩り替えられ議論そのものが停滞してしまうからだ。そこでは首相公選の議論は改憲派VS護憲派の戦後から続く奇妙な対立に巻き込まれてしまう。
首相公選をめぐる政治状況は以下のとおりだ。学者や経済人らのグループ「新しい日本をつくる国民会議」(二十一世紀臨調、亀井正夫会長)が昨秋に実施した国会議員アンケート(衆参両院議員のうち四八・三%が回答=表)では、全体の五四・一%が首相公選を「前向きに検討すべきだ」と答え、「現時点では必要はない」の三〇%を大きく上回った。自民党では「前向き」が四二・六%にとどまったが、民主党では七三・六%にのぼっている。国民も日本世論調査会が最近行った調査によれば79.9%が首相公選制の導入を望んでいるとされ、そのような民意を反映すれば首相公選制実現に向けた前向きな議論が国会内で望まれるところだ。しかし、ことはそう単純ではない。民主党は昨年の衆議院選挙において「首相公選制の導入を検討」を公約として掲げたが「首相公選制導入」とは断言できない事情がある。それは憲法改正を必要とする首相公選制の導入には党内の調整がつかないからだ。また、公明党も今度の参議院選挙の公約として首相公選制導入を検討した。それは1999年池田大作名誉会長がある講演の中で首相公選制の導入を考えるべきだと発言したことを受けた検討であるが、結局、導入は公約に盛り込まれなかった。それは公約に盛り込むことがほぼ決まりつつあったが内閣法制局の見解を確認すると憲法改正が必要ということになり、公約にするのは見送られたそうだ。社民党、共産党もほぼ状況は一緒である。何故、憲法改正が障害になるのか。それはいかなる憲法改正であれ、一度憲法改正が行われると憲法9条改正に道を開くことになると考えられるからだ。私はこのような政治に疑問を感じざるを得ない。
まず、今の首相公選論は国民の8割が今の首相の選ばれ方に疑問を投げかけているということに一つの発端がある。そのような国民の声に耳を傾ければ首相公選制がこの国のリーダーの選び方として妥当か否かにおいて議論されるべきであろう。しかし、現実はこの議論が憲法9条の懸念から、改憲VS護憲の論争に摩り替えられ停滞してしまう。私は政治の役割は国民の声に耳を傾け、議論の上変えるべき所は変えることだと思う。しかし、護憲派といわれる集団は憲法を守ることに目的を置いており、例え国民が改憲を望んだとしても議論の余地はない。首相公選への是非はともかく、憲法9条を守るためにすべての改革論議を止めるのではなく、国民の声に耳を傾け、問題とされていることに真摯に議論をする姿勢が政治家としてあるべき姿ではないかと思う。そもそも、護憲VS改憲という対立軸があるがこの対立軸には疑問を感じる。一つ一つの改革論議はその改革が必要か必要でないか、あるべき姿か否かで語られるべきものであり、護憲とか改憲で語られるべき問題ではないからだ。これからの新しい日本を考える上ではこのような古い対立軸はなくしてしまいたいものだ。
小泉首相は自民党総裁選において構造改革を訴え、国民の圧倒的支持を得て内閣総理大臣に就任した。就任後は様々な改革に着手しているがその一つが新たな政治的対立を生み出そうとしている。それは都市VS地方の対立だ。小泉首相は新規国債発行を30兆円以下に抑えることを方針として打ち出している。
それを受け、塩川財務相は2002年度予算で地方交付税を1兆円程度絞ることを表明したがそれが地方の反発を受け、「地方切り捨て」論が台頭し、新たな対立が生まれてきているという構図である.参議院選挙に向けて地方選出の候補者はこの動きを地方切捨てと断罪しているがこの対立軸にも疑問を感じざるを得ない。今の日本の状況は国地方合わせて650兆円余りの債務を抱えており、早期の財政再建が望まれている。この状況において私はこの問題に関して地方の切り捨てか否かで議論をすることは政治的に疑問を感じる。それは以下のような理由による。例えば借金を多く抱えた家族を考えてみよう。その家族は今にも夜逃げしなければならないほどの借金を抱えていたとする。その時、その家庭(政府)は家計を見直さざるを得ない。そこに子供(地方)がいた場合、子供の小遣いの減額(交付税の減額)も検討するであろう。その時、子供は切り捨てだと感じるかもしれない。しかし、そこで親子喧嘩をしてしまってはその家庭は立ち直ることは難しいであろう。そこで行われるべきは親子で危機感を共有し、建て直しの為の対立ではない前向きな議論が必要である。そこで子供は小遣い減額を受け入れる代わりにアルバイトをするなどの解決策がその家庭には求められるのである。よって今のこの改革を地方切捨てと捉えるのではなく、財政再建のためには必要なものと認識した上で、以下に地方が自立した経営を確立していくかがここでのありうるべき議論ではなかろうか。今提起されようとしている都市VS地方の対立軸は日本の改革を遅らせる後ろ向きの議論であり、日本の低迷を長引かせかねない。対立でない政治を 政治はしばしば対立の中で捉えられる。しかし、政治は対立のためにあるのではない。対立は争いを生み、究極には戦争を起こしかねない。争いを避けるからこそ政治の意義はあるのであり、対立のための政治は言語道断である。今の日本においても無意味な対立が残っていたり、新たに生み出されたりしているがその対立は停滞を生み、今の日本の改革を妨げかねない。今の日本においての政治家の役割は対立をするのではなく、危機意識を共有し、前向きの議論を行う政治家が求められていると思う。
Thesis
Yoshiki Hirayama
第20期
ひらやま・よしき
衆議院議員鬼木誠 秘書
Mission
選挙と地方分権から民主政治を考える 食料問題 首相公選制