松下政経塾 The Matsushita Institute of
Goverment and Management

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国家観
2005年2月

塾生レポート

日本国憲法「第8章地方自治」と地域主権
前川桂恵三/卒塾生

国際的な地方自治保障の時代において、単一国家であり、立憲君主制である日本が、いかに地方自治を実現し、民主主義を高めていくべきか。そして、グローバル化や日本経済の現状を踏まえ、地域主権型国家へどう転換していくべきか。憲法第8条の制定過程と現状の地方分権論とともに考察し、新たな地域主権型の国家像の展望を試みたい。

 

1.はじめに

 今日において議論されている地方分権は、地方分権推進法から地方分権一括法といったように進展してきており、今後においてもさらなる分権が期待されるところである。しかし、三位一体の改革においては、中央政府の財政危機や各省庁の抵抗もあって、税財源の移譲がスムーズに実現しないのも現状といえよう。都道府県の知事による全国知事会を筆頭に地方六団体もひとまずは、額面上のすり合わせにすぎないと批判される政府案に合意したが、今後、財政再建が要されながら行われる地方分権が、日本の官治集権といわれる民主主義政治、あるいは一極集中型の経済構造というものをどう克服していくのかを中止していかなければならないであろう。
 一方、こうした地方分権の流れが進むに従って、いわゆる「地方主権」や「地域主権」あるいは「連邦制」の検討であったり、「道州制」であったり、「補完性の原理(個人からはじまり、家族、地域、基礎自治体、広域自治体、そして国というように補完関係にあるという発想転換)による自治」といったように、国と地方との抜本的な役割分担や地方自治制度自体の見直しを議論していく流れも再び大きくなってきている。

 「北海道道州制特区」が実際に認められ、北海道では、国の地方支分部局との機能等統合の検討や道州制先行実施に伴う財源移譲の検討、法令面での地域主権の推進(政省令等の適用範囲を縮小し、条例等によって基準等を設定できる範囲の拡大)などの取組みがなされている。そのほかにも、北東北三県で三県合併も視野に入れた様々な広域連携が行われ、その他、ほとんど全ての都道府県で、若手職員を中心に道州制への研究が行われている状況である。関西圏では関西経済連合会をはじめとする経済界等が「関西州産業再生特区構想」を打ち出した。
 全国知事会では、すでに道州制研究会が設置され、国の地方制度調査会においても道州制自体が審議されてきているわけである。

 現在、そうした都道府県や政府機関において議論されている多くの「道州制」は、現行憲法上においてどのように国と地方の関係を改めていくべきかということが前提となっている。そうした上において、都道府県を廃止して州を置くということにしろ、全国を300の基礎自治体にするというにせよ、広域自治体がどれだけ現状よりも自主的に課税権をはじめとして、国のもつ立法裁量、行政裁量から独立した自治権を持たせることが出来るかを主に検討しているといえる。
 しかし、そもそも地方自治体というものは、国から相対的に独立した自治権を持つ統治団体であり、住民意識に直接的に基づいて、自治権による裁量権を広く保障されるものであり、そうした「道州制」議論も「補完性の原理」や住民自治といった理念を持ってきたときに、基礎自治体、あるいは広域自治体のさらなる広域化という意味から相反するものとなり、理想的な制度像をはっきりと描くことは難しくなる。
 こうしたところに、市町村のありかたと都道府県のありかたを議論する場合に、単純にはいかない側面を要していることがいえるであろう。

 憲法の改正も視野に入れた、連邦制に近い、あるいは連邦制の国家を想定した場合はどうであるか。単一国家が連邦制に変わるというものは、国としての州が連合によって国を形成するという連邦制というものの本質からいって考えにくいが、現状打破に向けた抜本的な改革モデルとして提唱されている。例えばPHP総合研究所では、州が、内政における立法権、行政権、司法権を持ち、課税自主権もあるなかでより強い裁量を持っていくという「地域主権」を描いている。恒松制治氏や大前研一氏等もそういった考えに近いといえるであろう。まさにその州が憲法あるいは基本法を持ち、その域内での主権的要素を持っていくというものになるが、これに関しても実に議論が循環していくことになる。
 つまりは、グローバル化や、アジアでのメガリージョン化といった時代背景と中央集権的な構造を変革するために、日本全国を10程度に分けた州というものを設置するとしても、その州に持たせる議会や行政機関というものの詳細やあらたな財源調整機能を議論していったときに、有る程度は新たな国家統治機関を描けるわけではあるが。その根本的に地方公共団体という性質を超えた州が、国際的に見ても極めて稀に大きな人口、欧州の一国に匹敵する経済規模を持って、現状の中央集権構造に比べて、具体的にどういった効率性や戦略性を有しうるのかとなると、想像の域を脱しえないといえよう。むしろ、つい最近になって一部の都県や市町村において進められている首長の強いリーダーシップによる行政改革や地域の取組みをみたときに、問題の解決は別にあるとも思えてくるわけである。
 これまで百数十年を経て定着してきた都県や市町村との役割分担を考えると、そこにはまた、前段での矛盾と同じ壁にぶつかる。さらに、国との関係においては、国の業務のうち、公共事業や産業政策をはじめとする内政を中心に州へ根本的に、いわば地域分割するというのは、一見、日本の経済規模からいって的を得ているように思えるが、まずに州ありきで、そこから連邦政府へと補完業務を移譲していく場合と違って、憲法で役割分担を規定し、国会において度々議論していくということには、潤滑な運営手法を期待しにくい。

 こうした制度論、組織論の議論の停滞に対し、どのようにして日本の地方自治のあり方を考えていくべきであろうか。
 日本の地方自治の歴史を考えれば、明治維新で封建的社会から近代国家へ移項したとはいえても、戦後に至るまで、国家主導、官僚主義的な中央集権体質であったことは異論がないであろう。「明治維新、戦後改革に次ぐ第三の改革」と評価された「地方分権一括法」が制定された次の地方分権改革として、何があるべきであるのか。
 ここでは、現在の「地方分権」の実態を概観するとともに、その矛盾を乗り越えて、新たな「地域主権」という理念を持った国のかたちを、憲法第8章を念頭におきながら考えていきたい。

2.憲法第8章の考察

 まず、憲法第8章について考察していきたい。
戦後改革においては、憲法第8章の制定過程をみると、日本側から地方自治保障が提示された形跡はない。大日本帝国憲法が策定される以前の自由民権運動時に出された様々な私擬憲法においては、住民自治を基調し、自由主義的権力分立原理にもとづく地方分権と民主主義政治の地盤としての地方自治を実現し、もって国民の基本的人権の保障を全うしようとする憲法案があったにもかかわらず、当時の政府が否定したことによって、敗戦後の日本側の意識にも深く地方自治を軽視する思想があったことがいえるであろう。以下の総司令部の文章にもあるように、極端に中央集権というものが日本の大前提になってしまっていたことが伺える。
 「国家という形態、すなわち県の主権、を確立することは考えられぬとしても、改革および再建に関心を持つ人々の考察から、どうしてかかる重要な事項がもれたのか、考えがたいことである。恐らく、これに対する答えは、彼らが中央集権の理念を余りに深く教え込まれていたか、或は、地方自治は国会に委ねることのできる小さな事項に過ぎないと考えられていたか、何れかである。」

 このように、「地方行政が、中央集権的官僚行政の一環となり、地方公共団体が、国政の基本方針を末端まで浸透させるための国家行政の一手段と化した」大日本帝国憲法下に対し、総司令部の構想もあって、憲法第8条は制定されていった。
 総司令部草案には、

 「首都地方、市及町ノ住民ハ彼等ノ財産、事務及政治ヲ処理シ並ニ国会ノ制定スル法律ノ範囲ニ於テ彼等自身ノ憲章ヲ作成スル権利ヲ奪ハレルコト無カルベシ」
という地方自治を憲章によって包括的に保障しようとした条文があったが、自治体一般の条例制定権へと薄められ、「地方自治の本旨」という言葉を加えることによって承認された。
 結果として、日本における自治は、機関委任事務制度と自治行政を脈絡なく縛る個別法との両面において、中央政府から強く統制を受けたままスタートすることとなった。

 日本国憲法 第8章 地方自治は、以下の通りである。第92条で「地方自治の本旨」が謳われ、それを受けて第93条に団体自治、その2項に住民自治としての直接選挙、そして第94条に条例制定権を法律の範囲内で定め、特別法に関する第95条がある。

第92条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。

第93条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
2 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。

第94条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

第95条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。

 さて、憲法の制定過程と条文を踏まえ、国家そのものをさらに考えていくと、極端に言えば、連邦共和国としての国家像と、憲法第8条の意図するところの国家像との相違といえる。
 日本の場合、天皇という存在から、立憲君主制における地方自治保障が憲法で謳われたわけであるが、基本原理としての国民主権、および人権保障を住民が自己の生活の場である地域において、自己統治するものとしての住民自治、そしてそれを地域が国の中央政府から自立した存在として自主的に遂行するという団体自治が要請される。そこには、あくまで中央の統治というものを前提として、随時高めていくという戦後の地方自治が始まったといえる。

 一方で、当時においては共産主義的な民主思想と重なり危険視されたともいえる連邦共和国としての国家像では、その国民主権というものにおいて、地方が、いわゆる地方政府というかたちで、自由主義的に国が留保する権限意外は、主権を持って行政を実施していくというかたちである。

 こうした対比は、イデオロギーの終焉を迎えた今日においては、純粋な人間のあり方と国家のありかたとして、日本の国家像というものを新たに考え直すものとして考察されてきているように思える。国民の象徴としての天皇に対し、日本という国家が、どのように一つのアイデンティティを持ち、それぞれの地域が、それぞれの住民の持つ人間性というものに立脚した政治を形成していくかを考えたとき、古くはジョンロックの社会契約説まで遡って、日本の新たな国家像は考えてみるひつようがある。松下政経塾の塾是にある「新しい人間観に基づく政治」というものも、究極にはこうした日本の新たな国家像を模索するところが大きな意義としてあるともいえよう。

 無論、現在の憲法第8章が、地方自治を保障していないといっているわけではない。時代的経緯として、その保障のされかたが、根本的に住民、国民に立脚したものとして構成されてきたものではないという意味においてである。憲法の解釈そのものでは、現行憲法のもと、国が地方自治を保障し、国民が国民主権の原理に基づいてそれらを運営するということに、異論はないわけであるが、それが、中央集権ありきの状態からすすめられてきた日本の歴史によって、日に日に鬱積した構造矛盾を感じさせられるのである。

 「住民基本条例」や「都市憲章条例」といったものが自治体において制定されてきたことを配慮すると、一方で自治体がそうした時代の流れのなかから大きく発想の転換をはかろうとしていることが認識できうるが、これもまた、その最後に着く「条例」という言葉に、理念と歴史が錯綜していることが感じられないであろうか。

3.地方分権の流れ

 では、その鬱積した構造がどう表れてきているのか、今日の「地方分権」議論に戻って考えていくことで、それらを理解できるであろう。
冒頭で述べた矛盾に重なってくるのであるが、現在言われている「地方分権」には、二つの流れがあると考えられる。しかし、この二つが明確に意識された上で、「三位一体の改革」や「国と地方のあり方」あるいは、「地方自治の拡充」ということが議論されているかというと、意外と曖昧な場合が多いように思える。

 一つは、「国のかたち」の転換という意味での「地方分権」である。これは、「地方分権一括法」とともに1999年の第145回国会で次々と制定されていった国の進路に関わる重大法律とも連関している。国民的合意は未成熟なまま、周辺事態法、新ガイドライン関連法、国旗・国歌法、通信傍受法、住民基本台帳法改正法、あるいは憲法調査会の設置という、平和主義、国家主義、国民主権、人権保障というものに関する国家像そのものを変容させるものが決定されていっている。
 つまりは、こうした流れとして、まず冷戦後の国際問題に機敏に対処するために、中央政府は外交、防衛を中心とした政治に専念し、その他の国内行政は地方に担わせるべしという意味での機能分担論が言われたこと。次に、高度成長が終わって以降の財政赤字と相まって、「政治改革」とともに、日本経済の発展にもかかわらず、国内での矛盾が拡大していることに対する行政改革としての地方分権論である。その矛盾とは、中央集権、官僚主義による行政の肥大化や非効率な面、あるいは国と地方の財政構造において、地方の自主税源率が極めて低い日本の特色といったことなど、挙げればきりがないが、経済の国際化に対応する構造改革、規制緩和・規制改革が時代要求されていることにも繋がっていく。
 これらは、ともに、国の機能をいかに純化するために分権していくか、あるいは日本型企業社会というものをいかに変革していくかという意味において、「上からの分権」といえるものであり、それによっていわゆる「受け皿」としての都道府県や市町村の合併、連合による広域編成というものが始まりとなっている。

 一方、二つ目としては、それとは逆のベクトルを持つ「下からの分権」であり、単純に表現すれば、「補完性の原理」や「住民自治」、「市民社会」といわれるもの、あるいは「地球市民」と呼ぶ人もいるであろう、住民から国家を考えていくというものである。
 「まちづくり」運動や原発・産廃・基地、あるいはダム建設などをめぐる住民運動、住民投票を求める運動などといった高揚があるが、こうした地方自治保障は世界的な潮流として国際的にも保障されようとしている。1980年代の「ヨーロッパ地方自治憲章」にはじまり、「世界地方自治憲章」など、団体自治、住民自治だけでなく、補完性の原理を念頭において、事務配分に関する市町村優先の原則、権限に対応する自主財源の保障、自主課税権の保障といった徹底した地方自治が世界の趨勢となってきている。
 こうした理念や原理に基づいた場合、日本においても、第一に、基礎自治体優先の事務負担、それにおける地域社会にとって根幹的な行政を総合的に移譲すること、第二に、歳入は国が大きく、歳出は地方が多いというゆがんだ財政構造を是正し、自治体財政を確保すること、第三に現行の二層制を維持した上で、広域化とは逆にさらに狭域行政の制度作りを進めていくこと、第四に、自治体が行財政における主体的な公共経営能力を持つこと、第五に、住民が真の分権の担い手として、積極的に意見を表明し、政治行政にも参画していくことが挙げられるであろう。

 そうすると、当然、一つ目は広域化とともに「上からの分権」を国際情勢や国際経済とともに進めていくというスタンスに対し、二つ目は、現状の地方自治体のなかで、基礎自治体をはじめとして、あるいはそれより小さなコミュニティーの形成からはじめて、より「下からの分権」を行わなければならないという相反する視点を同時に持つことになる。
 もちろん、これは、単一国家としてのイギリスやフランスもある程度同様の矛盾を抱えながら地方分権改革をすすめているといえるが、有る程度広域自治制度改革と住民自治を進めていっているのに対し、日本の場合は、依然として二つの論理が混在し、やがては筋道を立てられなくなっていくようにも思える。

4.地方分権の分類と考察

 つまりは、「下からの分権」を現行の市町村でみた場合、もちろん市民からの運動が重要になってくるわけではあるが、現在行われる市町村合併は、これと逆行しているとも言えよう。直接民主主義に近い形は、やはりより小さな基礎自治体でなければ成功しないであろうし、合併特例債で国が合併を進めていくのも、地方財政や地方行政に上からの視点で分権化しているに過ぎない。
 都道府県の場合においては、「地方の時代」という言葉で、多くの都道府県の政治家が国からの権限や税源委譲を訴えるが、それは、基礎自治体へいかに多くの権限を移譲するかということにおいてのみ説得力のあるものであって、国と県との関係は、「上からの分権」に過ぎないことを留意しておくべきであろう。

 これらをよりわかりやすく分類するならば、国と都道府県においては、「権限委譲型の分権」か前段で述べたような「地域主権論」かということ。市町村においては、「上からの分権」か「下からの分権」かということ。そしてその双方において、広域主義か狭域主義かというように分けることができる。
 この分類によって、緒論を分類していくことは、ここでは省略するが、あらゆる道州制論や補完性の原理に基づく自治制度論は、この分類で仕分けすることができるであろう。
 そうすると、どれもそれぞれの理想とする国家像をよそに、その理念や実現過程に相反する矛盾を呈していることが理解できよう。

5.地域主権型国家の展望

 では、新たな時代に対応する地域主権型国家をどう展望するべきであろうか。ここからは私見となるが、これまでの考察を踏まえて抽象的な記述になることを断って、私の持論を述べていきたい。

 まずは「下からの分権」に立脚し、現行制度をもとに考えることからはじめるべきであると考える。市町村合併というよりは、市町村のそれぞれの住民自治を中心に据えた制度や社会を構築することが重要である。その基礎自治体内では、自発的なコミュニティーとしてのガバナンスが発生してもいいし、根本的に、自治体というものの概念を日本人は変えていかなければならない。

 都道府県においては、地域差があるなかにおいては、一概にいえないが、市町村への権限や財源の移譲を進めていく。そのなかで、市町村よりある程度広域として要求される行政が多く認められる。たとえば兵庫県でいう県民局などであるが、これは、県ではなく市町村の広域連携という位置づけで再度構成していくべきであろう。ここまでがまず大前提である。

 都道府県においては、そうした「下からの分権」という視点から市町村への権限委譲をすすめるとともに、別の視点の国家主義的な面で、現在行っている行政において行政改革と業務の効率化、重点化を国家財政の視点とともに行っていくことである。都道府県に関しては、国からの財源の移譲という点において、財政再建という意味からもこれまでの補助金や交付税を自主財源化するというよりは、縮小していくという考えが正しいのではないかと思える。

 そして、最後に、国自体の分権である。ここで、はじめてわたしは「上からの分権」のなかの「地域主権」における広域への分権というものを考えるわけである。つまりは、現在国が行っている国内行政において、地域に分割していくというものである。それは地方支分部局が行っているものを基調とした場合に、統合していけば土台となる事務局もあり、各都道府県からの委員によるいわばEU型の議会を新設でない持ちまわりの議会場で首長を交えて行っていけばいいのではないであろうか。こうした考えは、これまでの研修の実感として考えるものであるが、松下幸之助が「廃県置州」を自ら改めて、「置州簡県」として提言しなおしたものと近い国家構造であるといえよう。

 今後、さらに公共事業業務や社会福祉というものを、そうした視点で考え、さらに具体的な地域主権型国家像を描いていきたいと考えている。こうした考察を踏まえると、日本国憲法第8章の地方自治は、実に柔軟な表現がされていることを認識するとともに、そこに人間の存在というものを踏まえて、国家が補償する地方自治というものの再定義と国家運営における日本の経済規模に即した地域主権の理念を踏まえて改憲するべきといえよう。

参考文献

『松下幸之助発言集』 (PHP)
『私の夢・日本の夢 21世紀の日本』(PHP研究所)松下幸之助 1977年
『公共事業と地方分権』(日本経済評論社)加藤一郎 1998年
『地方自治の憲法学』(晃洋書房) 小林武 2001年
『日本再編計画 -無税国家への道』 (PHP総合研究所)江口克彦 2002年
『分権の光 集権の影』 (日本評論社)木佐茂男 五十嵐敬喜 保母武彦 編著 2003年
『憲法 第三版』 (岩波書店) 芦部信喜 著 2002年
2005年2月 執筆
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