Thesis
地方分権一括法施行から本格的にはじまった日本の地方分権改革、三位一体の改革の議論も進むなか、日本の広域自治制度のあり方が再び問われている。大きな時代の変化に伴う産業構造や行政経営手法の転換等、広い視野で日本を展望したとき、この改革に必要な理念は何か、そしてどのような広域自治制度を描くべきであろうか。
「都道府県」という組織は、住民にどういった行政サービスを行うべきか?
これからの日本において、新たな「道州制」なるものが果たして必要かどうか?
私は、「公共投資のあり方」という基本的な問題意識から発して、高度経済成長時代から大きな変革がなされずに来た日本の既存構造をいかに転換すべきか、ということを常々考えてきた。その既存の構造は、行政的中央集権体質を依然として保持し、行政サービスの維持もしくは増大を前提として肥大化し、急速な少子高齢化にあって、財政負担を将来世代へと安易にも先送りし続けている。これから必然的に行わなければならない増税と、公共分野の削減においては、やはりそれぞれの地域における生産性を高める「地域主権型」の政治が求められ、その大きな手段として、冒頭の二つの問いかけが、大きく議論されている。
自身の生い立ちにはじまり、実際に長崎県発注のダム現場での職務や地方の実情を踏まえても、日本の政治には、やはり根本的なパラダイムシフトが必要であるということを直感してきた。松下政経塾において研修をさせていただいているなか、様々な経歴を持つ方々と議論し、広い視野で物事をみる習慣をつける一方で、海外や国内各地の実際の現場を調査したり、行政の現場を実体験するなどによって、その問題意識に取組むなかでも、ますます日本の政治経済のより一層の繁栄なるものには、「正しく明確な基本理念に基づく政治」の力強さと、そのための「政治を変える変革」が必要であると実感するわけである。
産業育成偏重の規制や公共事業にみられる政官業の癒着構造、補助金をはじめとする中央政府と地方行政における中央集権的構造、そして、市場競争の原理に反した入札談合をはじめとした談合社会。高度成長、人口増加が当たり前だった時代から、グローバル化、成熟社会、人口減少の状況にある日本が、その時代的要請によっても、旧態依然とした構造が完全には破壊されずに残存していく理屈、現実というものを目前にしてきて、既存の成功体験から現状を漫然と維持するのではなく、その未来を展望し、危機や課題を認識した上で、使命を持って変革していく政策、「財政危機の克服と産業構造の転換に必要な革新」と「既得権益の維持や局地的な利益追求といった圧力」との間に、新しい日本の経済的、社会的な再生の道というものをどう描けばいいのか、ということを常に考えてきた。
日本政治経済の現状を概観してみると、そうした日本の構造転換における時代的要請に対して、民間企業においては、リストラや合併、海外移転といった企業努力によって新たな道を模索し、構造不況業種であっても、企業によっては業績の回復や成長を成功させてきている。
政府においては、「小泉改革」といわれる現行の構造改革において、自民党のなかにありながら、既得権益の圧力に対し、「痛み」を覚悟した上で、民営化や地方分権といった改革を迫るものとして進められている。郵政事業、財政投融資、特殊法人に対する「官から民へ」の改革、三位一体の改革にある「国から地方へ」の改革は、それぞれ、その構想の段階から、ある程度の形を得始めているといえるであろう。
ここでは、それらの個々の政策の先にある、日本という国家のガバナンスのあり方、新しい時代に即した地域主権国家日本の国家像というものを考えていきたい。そうしたビジョンがあれば、三位一体の改革で、総務省や地方六団体と、財務省や内閣、族議員や各省庁などの間において、議論が錯綜したまま、「玉虫色」な結果に終わるのではなく、長期的な視野を兼ね備えた戦略的な地方分権政策を実行し、より「生産性の高い政治」が実現できるのではないかとも思う。国と地方を合わせれば700兆円を超え、国債暴落や財政硬直化が危惧されている日本においては、極めて抜本的な制度改革による大きな意識転換、国家経営理念の転換が必要である。しかし、そうした大きな変革には、それだけ「明るい未来」、「明確なビジョン」が用意されていなければ、当然のこと、既存構造から脱した先への不安を乗り越えることが出来ないであろう。
日本という国において、「地域主権」はどうすれば実現されるのか、その代表的な議論の的である「道州制」は、どう展望されるべきなのか。それは、日本の構造改革を主座とするものであり、国の中央集権的構造をどう脱するか、行政サービスの生産性がどう高められるかということを念頭において考えたい。また、地域主権そのもののに関してや、例えば「生活者主権」、「コミュニティー再生」といった現場において実践すべきことに関しては、その重要性は強く認識するものの、現実の「組織」、ここでは主に「広域自治体」をどう変えるべきかといった具体的な組織、制度論と実現に向けた運動論を探求する第一歩として私的見解を述べていきたいと考えている。
私の意見形成においては、主に神奈川県での半年間に及ぶインターン研修が主になっている。研修先は、本庁舎の4階にある企画部の分権・広域連携担当部である。ここでは、松沢神奈川県知事が進める「地域主権の実現」(松沢マニフェストに謳われ、行政計画においては、「地域主権実現に向けた中期方針」として策定された。)に向けた政策の取りまとめ、調査研究、あるいは啓発活動をおこなっている。
道州制研究会や広域自治制度研究会によっては様々な先生方から意見を集め、全国知事会での知事の発言や、八都県市首脳会議(首都圏サミット)では様々な広域連携の部会(現在は、首都機能、地方分権、廃棄物、環境、防災といった分野に関するもの)に参加して神奈川県の意見、政策を取りまとめている。地方分権のホームページや地方分権フォーラムの開催が、啓発活動の主な内容である。当然のこと、この部署には、全国各地から「地域主権」に向けたあらゆる情報が集まるわけであるが、広域自治体という当事者において、(特に神奈川県は、巨大な政令指定都市を二つも抱え、その存在意義が問われている)県の職員に近い立場で研修をすることにより、実に深くその現状分析と課題と展望を行うことが出来たと実感している。従って、このレポートにおいては、松沢知事をはじめ、この部署における担当部長、課長、専任主幹、その他職員の方々には大変お世話になったことに関して、あわせて謝意を述べさせていただきたい。
そうした行政を実体験した研修とあわせて、昨年度から随時実施している、北海道、北東北三県、関西圏、中部圏、四国圏、九州圏のそれぞれに対する調査も含めて、今後の国と地方のあり方についてある程度、現段階の自分のなかにあるものを描いていきたい。
まず、私なりの地域主権時代における日本の広域自治制度を描いていく上での基本的な理念を確認しておきたい。
まずは「地域分割」という理念である。解りやすく言えば、例えば国鉄がJRになる際に地域分割されて分社化されたようなものである。中央集権的構造においては、その組織が巨大であればあるほど、複雑でコントロールが困難であったり、組織運営への参加機会が失われたり、多様性が失われる、政府としてはそれらが、民主主義の低下や政治機能の低下が考えられる。それらを、コントロールが可能な大きさで「地域分割」し、組織運営すれば、そのそれぞれの進取の精神と革新の気概によるさまざまな経営手法が生み出され、さらなる競争によっては、指導者の成長と、その理念による多様な先進性が組織にもたらされる。
国家の中央政府を極めて単純に「地域分割」すると考えると、その分割された地域は、憲法、立法権、財政的自立を持ち、自主自立して運営しながら全体の繁栄に貢献していくということになる。
次に、「戦略的連携」の理念である。人間個人であれ、組織であれ、地域であれ、極端には地球であれ、それぞれの枠内において、それぞれの可能性を最大限に引き出していく運営がなされるのが望ましいい。そして、そこに枠がある限り、競争というものが存在し、その競争によってはお互いを高めるものになるわけであるが、さらに一段階大きな枠を想定して運営すれば、双方をWin-Winの関係にもたらし、ともに、生産性が高まる場合が多い。行政においては、中央省庁の縦割りにおいては「省益あって国益なし」だとか、都道府県のセクショナリズム、市町村のフルセット主義など、非効率な組織運営の代表ともいえるものが挙げられる。そこには、より大きい範囲で調和し、協力していくことを、それぞれが戦略的にも行っていくというように、強く発想転換しなければならない。
つまりは、各地域が、地域で自主自立していくとともに、常にさらに上位の範囲の地域における利益を想定していくことが肝要である。
もちろん、これらは「地方分権」や「広域連携」という言葉でも表されるかも知れないが、より強い意味合いや根本的な意識改革という理念として、これからの日本の中央集権体制の変革によりふさわしい言葉として認識しておきたいと思う。
また、地方自治において、何処にでも出てくる話しであるが、上位の下位における積極的補完(下位が出来ないものは上位がする)と消極的補完(下位が出来るものは上位は決してしない)という「補完性の原理」と住民に最も近い基礎自治体の重要性と住民との政治行政の接近という「近接性の原理」はやはり、これからの日本においても重要な理念であると考えることには変わりはない。
こうした基本的な理念を原則として考え、現在の中央集権から地域主権への転換の必要性としての財政再建に向けた行政経営の革新、成熟社会における政策需要、新規規制の多様化、人口減少局面における制度改革の必要性、グローバル化に伴う産業構造の転換といったものに対処しうる制度設計を考えることが出来ればと思うわけである。
さて、まずは、日本における市町村から広域自治制度の展望を考察してみたい。
住民の生活に身近な「基礎的自治体」としての「市町村」は、その自然発生的な村落としての位置づけから、近代化による都市化に伴って、明治の大合併では、71,314から15,820(明治22年)へ、さらに戦後改革における地方自治の確立が重視された昭和の大合併では、市町村の行政サービスが大幅に増加され、3,427(昭和36年)へと合併された。
現在行われている市町村合併の特例措置においては、規模の拡大と効率化による財政の健全化や行政サービスの充実を目的に、平成17年3月までに、3000の市町村になる予定である。政令指定都市や特例市などの増加、合併市町村への都道府県からの権限移譲は、広域自治制度のあり方にも影響を与える。
基礎自治体は、大都市から都市、農村のそれぞれにおいて、それぞれの生活様式を形作っていくのが現実的であり、国全体としては、多様な生活環境を創造していくべきであると、私は考えている。それは、それぞれの基礎自治体が考える郷土像であって、地域主権においては、この基礎自治体の多様性や近接性の維持が重要であるであろう。従って、サービスの効率化や高度化のために、例えば1000であるとか300というように、国や都道府県が強制的に考えるものでは当然ない。イギリスでは、1960年から度重なる自治体の再編ですでに住民の地方自治体への帰属意識も低下しているということであるが、基礎自治体を国が再編していくことには、やはり無理が生じる。
かつての藩や郡などの地域単位で、現在もなお、地域の文化的繋がりや共通の風土、産業的特色というものは、全国的にみられ、それらにおいて妥当性が高く、広域行政の需要や合併に向けた住民の意志が強ければ、合併するべきだが、そうでない場合は、安易な合併による規模の経済性の追究は、よしとは思えない。
今回の合併において、私が強く疑問に思うのは、やはり、農村における合併と合併特例債である。この制度によって、田舎の町村が集まって広域に範囲だけが広がっただけの新市に、あるはずもない広域交通需要に向けてまた、道路、橋梁と起債が行われるケースが多々見られる。しかし、そうした不安をよそに、国からの合併補助金、県からの合併支援特別交付金が与えられ、合併による経費削減効果とともに財政再建計画も立派に立てられる。
そもそもがそういう制度設計であり、さすがに良く出来ていると感心させられるのだが、兵庫県のある市など、全国に先駆けて合併しながらも立派な新庁舎を建てたりして赤字再建団体寸前になっているところもある。合併せずに自立宣言した長野県の下條村では、起債制限比率が1.7%という事例もあることからも、農村の安易な合併と従来どおりの発展開発志向の行政運営では、財政計画破綻とならないことを願うばかりである。私がかつて生活したことのある岡山の農村の町もかなりの広範囲で合併がされる予定であるが、またあり得ない新設の道路が出来るのかと思うと、ぞっとする。
従って、私は都道府県から市町村への出来る限りの権限移譲はあるべきとするが、都道府県の機能をそれこそ「地域分割」して、いわゆる「廃県置藩」のように基礎自治体を設定することは、極めて不自然であり、現実にもそぐわないと考える。なぜなら、都道府県の機能は、部分的な「地域分割」は可能でも、全体として「地域分割」が望まれるほどの規模ではないことと(小さくなりすぎて不効率である)、現存する市町村の様々な規模の特性は維持するべきであり、それが自治として自然であることがいえる。日本を一層制の300自治体にするという意見も、あまりに小さすぎてその自治体の権限や自治体間の国の調整業務は想像出来ない。
当面は、市町村とその補完機能としての都道府県の役割が基礎自治体として機能を持っていくことが望ましいであろう。
そして、「広域的自治体」であるが、「都道府県」は明治時代より130年続いた最も古い行政の枠組みである。明治維新後、「廃藩置県」において、3府306県となり、明治21年の末、1道3府43県として、現在の都道府県の枠組みになった。
明治22年に制定された明治憲法下において、日本の「都道府県」は、「国の出先機関」という位置づけによって、スタートする。憲法作成上、参考にされた当時ドイツの第二帝国は、ビスマルク宰相の指導のもと、諸侯と条約を結んでいったプロセインの国王をドイツ帝国の皇帝とし、連邦における君主とするものであったが、日本では天皇を君主とする新政府が、「廃藩置県」によって諸侯の封建的身分を奪ってその政権を保っており、中央集権による近代化に向けても、単一国家となった。
その後、広域的自治体としての「都道府県」は、戦後になってから憲法における「地方自治」、公選の首長制といったことによって始めて、「完全自治体」になったわけであるが、その「国の出先機関」としての位置づけからの脱却には時間がかかり、平成12年に地方分権一括法で「機関委任事務の廃止」が実施されるまで、その時代的経緯から抜け出してはいなかったといえる。
現在は、「三位一体の改革」において、補助金の削減と税源の移譲、地方交付税の削減が行われているが、こうした改革がなぜ必要になったのか。フランスやイギリス等の単一国家では、国の歳入が大きく、その国の歳出も大きい。連邦はその逆で、地方の歳入、歳出が大きい。日本は、歳入は単一型で中央に集まり、歳出のそれは連邦型で地方に「ばらまかれる」ことになる。都道府県が「国の出先機関」であるならば、国が責任を持って適切にそれを配分することも考えられたかもしれないが、占領軍の都道府県の完全自治体化に対し、国庫補助負担金でコントロール出来るような「形だけの地方自治体」としたことにより、行政責任は曖昧、財政モラルは低下し、あらゆる地方は不可能な「大都市化」を目指し、「無駄な公共事業」が濫発されていくことになったとも考えられる。地方の財政的自立も問われないまま、地方交付税が過大に役割を果たし、「均衡ある発展」の幻想を目指して国の政策は、現場の実情を顧みない画一的なものになってしまった。補助金の廃止と交付税制度の転換は、極めて重要な改革である。
「都道府県」そのものの課す行政サービスは、産業振興、観光施策や環境保全、防災といった広域的機能、福祉分野や産業基盤、あるいは産業廃棄物や原子力、における広域的連絡調整機能、そして市町村間の行政に対して法的、技術的な先導を行う補完機能が考えられるが、そのそれぞれにおいて、国からの補助金や指導に頼った行政から転換し、それぞれの現場にいかに対応し、さらには先進的な、多様な政策を打ち出し、実行していく存在になれるかが、これから重要になってくると考えられている。
ローカルマニフェストによる地方における政治行政構造の変革が、特に都道府県において活発に議論がされているが、これまでの官僚出身がほとんどの首長と県職員による行政運営、それに対する県議会という構図ではなく、県行政に対し、その運営責任を持つ首長が政策理念と具体的政策を示すことによって、議会内で実務者と首長、議員が協働して議論をし、県全体の政策能力を高めていく、あるいは行政の改革を強力に推進していくということが、これからの時代的要請であると考えられる。
そうした意味においては、「都道府県」の担う行政サービスは、そうした政策発信や行政意識改革を行っていく上で、組織としてより明確な役割分担を考えるべきにもなってくる。
従って、産業振興や観光施策、環境保全、防災といった分野では、より広域的な連携すなわち「戦略的連携」が進められるべきであり、広域連合制度等を活用した広域行政の需要もあると思われるし、基礎自治体の補完という面では、市町村への権限移譲に伴って、その役割が縮小していくことと、小規模な市町村の補完機能においては、より現場に近い県の範囲よりも小さい実質的な生活圏地域における地域政策を策定することによって、県域全体の地域像を計画するとともに、市町村間の連携を促す役割もあると考えられる。
「都道府県」は現段階としては、もちろんのことその行政サービスの役割は大きく、重要な位置であることを認めるわけであるが、以上のような地方分権改革の流れにおいて、今後は「戦略的連携」によって、広域連合が必要な役割と、「地域分割」によって市町村の広域連合と重複する(つまりは不要である)役割が大きくあるであろう。しかし、道州といった単位の地方自治体を設定する場合にも、その他の「都道府県」の役割を全て移譲するというのは、現実的業務から見て極端な意見であり、完全に廃止するというよりは、フランスのような3層制がやはり望ましいと思える。
さて、こうした「都道府県」よりも広域に、「国の地方支分部局」が存在する。「道州制」を考える場合は、ここに最も議論の必要性があると私は考えている。
国であるからして、憲法や法律で定められた地方自治体ではないわけであるが、中央のキャリアが数年おきに中央と地方支分とを行ったりきたりしながら、最終的には幹部のポストを占めていくということ以外は、中央省庁とは採用が違う独立した組織群であり、今日における「国の出先機関」である。規模としては、各省庁によって、区割りに差があるが、北海道、東北、関東、北陸、中部、近畿、中国、四国、九州、沖縄(総合事務局)といった範囲において、その合同庁舎が、それぞれの範囲内で大抵は最大都市に置かれている。
主な出先機関としては、
内閣府の沖縄総合事務局、総務省の行政評価局(約900人)、総合通信局(約1700人)。
法務省の法務局(約1万2100人)、入国管理局。
財務省の財務局(約4800人)、国税局(約5万5000人)。
厚生労働省の地方厚生局(約700人)、労働局(約2万3300人)。
その外局としての社会保険庁の地方社会保険事務局(約1万6200人)。
農林水産省の地方農政局(約1万1000人)、森林管理局(約5000人)、農政事務所(約8800人)。
経済産業省の地方経済産業局(約2200人)。
国土交通省の地方整備局(2万9600人)、地方運輸局(約4700人)が挙げられる。
ここまでくると、住民とはかけ離れていて、この部局の存在やその役割なるものは、ほとんど知らない国民も多いのではないだろうか。議会チェック機能のある地方自治体と違い、住民による監視は難しいといえるであろう。
この殆どの地方支分部局は、昭和22年に設置されているが、遡って観ると、戦前、戦争に向けた府県のセクショナリズムの撤廃と中央統治化を目的に設置された昭和15年の地方連絡協議会、昭和20年の地方総監府設置において、この全国をほぼ8つに割ったブロック行政組織の原型を観ることができる。同年、敗戦において地方総監府は廃止されるが、占領軍の戦後改革における都道府県の完全自治体化とその反動としての機関委任事務の拡大と同様の意味あいで、おそらくは地方支分部局も設置していったと考えられる。その後、朝鮮特需、戦後復興、高度経済成長とこの「国の出先機関」の役割が大いにあったであろうことが考えられる。
平成12年地方分権一括法によって、例えば、それまでの都道府県の機関委任事務だったものが、社会保険事務局として地方支分部局となっている。また、平成13年の省庁再編においては、所属省庁が変更され、国の行政改革が行われた。
現在は、国の「地方分権推進会議」などの議論においても、地方支分部局においてその地方に適した新規施策等が行えるよう、所轄事務の実質的決定権の拡大が検討されている。
こうした地方支分部局において、国の出先機関としてのまま行っていくものが好ましい事務もあれば、一方で、主に国土交通省や経済産業省、農林水産省、厚生労働省の出先機関などは、よりそのブロック地域の特性を取り入れ、分野横断的な視野で施策を行っていくことが重要であると考えられ、「国の出先機関」として運営されていくよりは、自治体への移譲を考えるべきである。実際に、そういった都道府県、道州ブロック単位の地方支分部局と中央省庁との間には、計画行政をみてもかなりの重複した行政があることが考えられ、これらにおいて、中央を「地域分割」したブロック地域での戦略的な政策、行政が行われていくことが、望ましいといえる。
そうすると、これを都道府県に移譲し、広域連合の事務局等で行うのかとなるが、それだけ大きな組織運営、行政となると、やはり道州単位の新たな地方自治体の設置が望ましいと思われる。ここには、先ほどの都道府県における広域連携の役割が逆に移譲されることになる。つまりは、都道府県の議員数や職員数を削減し、新たなブロック単位の議会が設置される。
もちろんのこと、国の建て直しのための強い使命を持った地方自治体であるから、国民の選挙に対する関心も高いであろうし、革新的な首長が、国、地方から人材を集め、先進的な行政運営を行っていく。例えば地方整備局の北海道、東北、関東、北陸、中部、近畿、中国、四国、九州、沖縄といった10ブロックで自治体を構成した場合、それぞれ人口規模や面積、圏内の総生産において大きな差があるが、決してバランスを取っていく必要があるわけでもなく、それぞれの特性を活かしていけばいいのである。
その道州単位の新たな地方自治体には、前半で述べた中央政府の「地域分割」という理念に基づき、抜本的に制度の変革を考えなければならない。
それは、国の運営を内政部分において分割するという意味においては、憲法に立法権の分割を明記するかどうかなど、連邦制を参考にすることが出来る。アメリカのように、政権と治権とを二分権型にする連邦制において、連邦の優位性から集権化が進んでいることなども考えると、ドイツのそれぞれの分野において、立法権や権限を持ち、市民がそれぞれに納税、選挙権を持つ「協調的連邦主義」と言われるような連邦制が参考に出来る。それは、日本の単一型国家においてもこれまでの法令の範囲内の条例というものに対し、特定の分野においては法令を上回れる制度を設定すれば可能になる。
こうした国を地方自治体が行うべき分野において「地域分割」し、国の役割を外交、金融、防衛や研究といった分野へ特化していく道州制、これまで述べた内容は、「置州簡県」に分類されるであろうが、ここで述べた新たな広域自治制度への移行においては、首都圏の八都県市首脳会議や関西圏の関西広域連携協議会、中部圏の自治体における環境、観光、産業基盤といった分野における道州制への行政的取組みの実態、全国知事会での議論、国の審議会等での内容を鑑みてみると、他の道州制の提言案よりは、移行に困難な部分が少ないと考えられるが、市町村、都道府県でのより一層の行政改革と広域連携に加えて、国、都道府県、市町村が一体となって、新たな道州に対するコンセンサスを築きながら、詳細な制度設計を行っていくことが重要であると思われる。
こうした新たな広域自治制度において、例えば産業基盤において、既存空港、港湾の連携政策にどれだけの可能性があるのか、産業政策において、国際的分業がアジアでも進む中、日本の産業転換にむけた重点的な戦略が立てられるのか、あるいは日本の財政危機を克服するような制度改革の可能性がどれだけあるのか、そういう視点での探求の必要性もみえてくる。
今回は、極めて大きな視点でのレポートとなってしまったが、改めて様々な現場を見ていくとともに、大局としての国会等での研修を踏まえて、今後とも地域主権国家日本の実現に努力していきたい。
参考文献
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『道州制・連邦制 これまでの議論・これからの展望』 田村秀著 (ぎょうせい) 2004年
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『中国大活用』 堺屋太一著(NTT出版) 2003年
Thesis
Keizo Maekawa
第24期
まえかわ・けいぞう
前川建設株式会社
Mission
『地域主権型国家日本の実現』