Thesis
危機的な状況にある日本財政を再建していくには、どうすれば良いのであろうか。構造改革、効率化、重点化といった政府の努力も、長期的なデフレ経済や急速な人口減少局面といった日本が直面している大きな時代の流れに際しては、依然として空しく感じられる。そこには、国民意識を大きく変えるような国家経営理念を持った政治というものが問われているのではないだろうか。『無税国家』に心を打たれた一国民として、これからの日本の国家観を考えてみたい。
「無駄な公共事業」という言葉は、私が、松下政経塾に入塾する上での大きな問題意識の一つである。
ちょうど、大学で建設工学を学びながら、自身の進路を案じていた1999年頃、米誌『フォーブス』において、日本の大規模な公共事業の無駄は、非効率な経済政策を招くなど、日本経済の弱体化の一因であり、「日本の納税者だけでなく、世界中の問題である。」という指摘がなされていた。不況の真っ只中にあった日本において、既得権益にしがみつく政治家への批判とともに、ダムや林道、地方空港・港湾、巨大橋梁、高速道路、埋め立て・干拓といった様々な公共事業がテレビに映し出され、その非効率性や環境破壊に疑問が投げかけられていた。
そのころから、「公共投資のあり方」というものに強い関心を持ち、経済や財政に関して調べていくうちに、松下幸之助の『新国土創成論』、そして『無税国家』というものに出会い、大きく心を打たれた。松下政経塾入塾に向けて退職を決意し、小説『私の夢 日本の夢 二十一世紀の日本』の一節を思い起こしながら、自身が担当したダムの堤体右岸掘削現場を眺めたときの光景は、いまでも鮮明に覚えている。後述するが、その一節とは、「国土創成奉仕隊」の一員が、各国の視察団に対して述べた日本の新たな国家観についてである。
そうした志の原点をもとに、政経塾において研修や活動を行っているわけであるが、日本財政の現状を改めて概観すると、その危機的状況は、さらに深刻になってきていることが実感できる。
三位一体をはじめとする構造改革や様々な効率化、重点化といった政府の努力も、それらによって、先が明るく見えてくるものでは依然としてない。急速な少子高齢化によって社会保障費が激増する一方で、国、地方自治体はともに、これまでの公共事業債務で財政運営が硬直化しており、税収の大幅な拡大が見込まれる要素もない。
長期的なデフレ経済や数年後に控える人口減少という時代の流れを乗り越えるためには、構造改革の方向性を追求していくとともに、国家が国民に為すべきことが何であり、国家とは何であるのかという国家観そのものを再考しなければならないといえる。
私は、この財政危機を乗り越えるためには、やはり正しく明確な国家経営理念というものに基づいた政治と、それを支える日本国民の日本という国家にたいする意識の発展が必要であると考えている。
ここでは、そうした考えに基づいて、日本財政の危機的状況を簡略に把握した上で、そのあり方に対して、新たな国家経営理念や国家観というものをどう形成していけばよいのかを私なりに考察していきたい。
日本の財政構造を理解するのは極めて困難であるといわれており、国の一般会計や特別会計、そして地方や様々な法人、組織との関係を具に全てみることは不可能に近い。しかし、だからといって、その事実から逃げるわけにはいかない。私は、一国民として、独学や研修、ヒアリング等を通じて、この日本財政に取り組んできたわけであるが、その危機的状況に対して極めて簡潔に、概略を述べてみることを試みたい。
まず、平成16年度予算の国の一般会計において、税収が45.5兆円あり、其れに対する歳出は、82.1兆円である。その差36.6兆円がどうなるかというと、財政均衡の原則を謳っているはずの財政法4条の但し書きに基づいて、毎年度、特例法が作られ、赤字国債(30.1兆円)と建設国債(6.5兆円)が発行されている。
ここで、政府が目指している「2010年初頭のプライマリーバランスの黒字化」という極めて希望的な目標について考えてみる。プライマリーバランスとは、税収(現45.5兆円)で、歳出のうち国債費17.6兆円を除いた(現64.5兆円)を賄うというものである。
この17.6兆円の国債費とは、「国債の利払い及び償還に要する費用」であるが、実際のところは、半分の8.7兆円は利子や割引料であり、残りの8.6兆円は、60年償還ルールにおいて、前年度国債総額の60分の1を償還していくものである。従って、さらにその国債費のうちの利払い費8.7兆円も税収で消化していかなければ、国債がさらに累積されていくということである。つまり、平成16年度でいうと、45.5兆円の税収で、歳出と利払い費を合わせた73.2兆円を超える「黒字化」をするまで、国債が永遠に増え続けていくことになる。
いわば、約1.6倍の収入を想定して、雪だるま式の借金生活を繰り広げているといえる国の財政であるが、さらには、少子高齢化とともに激増している社会保障費のことを考えなければならない。
特別会計を考えると、話は複雑になってくる。特別会計とは、国民の「受益と負担」を明確にするため、財政法第13条に基づき、保険事業、公共事業(空港・港湾・道路等)、融資事業をはじめとする特定事業や特定財源のあるものに対して一般会計とは区別するものである。しかし、平成16年度予算の特別会計歳出総額は、387.4兆円と一般会計の約5倍近い。重複を除いても約207兆円であり、この特別会計の収入のうち47.0兆円は一般会計からの繰り入れから賄われている。この複雑な状況は、様々な既得権益を生み、「グリーンピア」等の無駄な施設運営や放漫な財政運営の温床となっている。
一般会計にしても、特別会計にしても、財政法の意向をよそに、これまでの国会では、その予算項目だけが流され、計画段階から審議されるなどということは不可能に近いのである。
財政投融資に関しては、ある程度改革が進行し、出口の道路公団と入口の郵政公社の民営化が議論されているところである。法律に従って只ひたすら高速道路を建設するのが道路公団である。かつてヒアリングした時、その職員の方も、実際の現場にどう設計するか、計画概要がどうかは全て国交省の指示により、その事業計画には関与できないということであった。その採算性、計画性というものに対しては、現場を対応する職員内でも大きな疑問があるという。「道路関係四公団民営化関係4法案」によっては、いささかの決定権を得るようになるということであるが、40兆円といわれる債務のなかで、道路建設を実行していくには、国民が多くの財源が投入されることを覚悟しなければならない。霞ヶ関にあるそのビルの一階に列をなす黒塗りのハイヤーは、姿を消すことになるだろうか。
あるいは、民間営利企業となった郵政公社は、今までどおりに日本の国債を買い続けるという判断をすることになるのであろうか。
地方財政に関しても、平成16年度予算では、総体としてみて、歳出84.7兆円に対して、地方税等の収入は34.6兆円である。その差を埋めるのが、総務省が配分決定権を持つ地方交付税(16.5兆円)と同じく許可権を持つ地方債(10兆円)、そして各省庁が決定権を持つ国庫支出金(12.1兆円)といったものである。
国の一般会計にも重くのしかかるこの地方交付税や国庫支出金であるが、国の歳入対歳出が6対4であるのに対し、地方のそれが4対6であることは、戦後のシャウプ勧告が指摘してきたとおり、「行政責任の明確化」の原則が実践されず、国のばら撒き型公共事業と地方のたかり根性を醸成してきた。
今日、各紙上を賑わしている三位一体の改革においては、地方交付税、補助金の削減と税源移譲の額で議論がなされ、補助金や交付税に頼ることの無い自立した地方と国の関係を模索している。歳入は単一国家型、歳出は連邦型であった日本の財政構造が、連邦型になっていくからには、これまで国が統制していた政策、権限をどう地方が責任を持って実践していくか、それにより双方が財政再建をどう実現するかが最も重要だと考えられる。
行政責任が明確でなかったことによる、地方歳出の結果をみると、平成16年度で、経常収支比率(人件費、生活保護費や公債費等、毎年必要な経費の割合)は90パーセントを超えており、財政の硬直化が著しい。
にもかかわらず、経済的事情によっては税収が低下し、団塊世代の職員の退職費をはじめとした人件費、少子高齢化による福祉費の増加や大型事業の元金償還などの公債の嵩上げなど、義務的経費が年々増加していく。事実、多くの地方公共団体が、赤字再建団体への転落の危機にある。
こうした国や地方の閉塞した財政状況に対し、国・地方の長期債務残高は、平成16年度で約719兆円にのぼり、対GDP比は、160%を超えてしまっている。ムーディーズによる日本の国債の格付けでは、依然として「A2」と、低い評価がなされている。
もちろん、日本は世界最大の経常黒字国、債権国であるなど、日本経済のファンダメンタルズは健全であり、新興市場国のものと単純に比較できるものではないのは事実である。また、デフォルトといっても、アルゼンチンのように対外債務に依存しているわけではない。
しかし、日本の場合、その財政赤字を担保しているのが国民の貯蓄にあることを忘れてはならない。日本の国債は、日銀、市中金融機関や郵便貯金、個人等によって消化されているのであり、それらが国債となって、財政赤字を支えている。
スウェーデンが1990年代にデフォルトの危機に直面したときのことをみると、このことが理解しやすい。景気後退と財政赤字の急増によって、国内最大の生命保険会社であるスカンディアが、「信頼できる財政再建計画ができるまで、国債の購入を停止する」と表明したことによって、1994年、長期金利が7.0%から11.4%へと急上昇し、スウェーデン国債は、デフォルトの危機に陥った。その後、政府が増税と社会保険料の引上げ、財政構造改革をすぐさに行い、その危機を脱出できたが、ある民間大手の企業の英断によって、政治が大きく動かされたと言っていいかもしれない。
そのときのスウェーデンの長期債務残高の対GDP比は、約80%であったという。
日本は、いつまでその「国民の受益と負担」を明確にせず、経営理念のない政治と責任の曖昧な行政運営、そして無関心な国民という構図を続けていくことができるのであろうか。政府の財政構造改革が失敗に終わるのが明らかになる時か、あるいは閉塞的な日本の金融機関が新たな行動に出る時か。
「その時」には、これまで先送りし続けてきた巨額の債務が国民生活に対して、どれほどの影響を与えることになるであろうか。日本の場合は、それが国内で済む問題ではなく、もちろんのこと世界中に巨大な経済危機を及ぼすことになることを自覚しなければならない。
小泉首相による三位一体の改革や特別会計の改革、公共投資をはじめとする様々な効率化や重点化の試みは、確かにこれまでにない改革であるといっていいであろうが、様々な抵抗と時代の逆境にあって、2010年のプライマリーバランスの黒字化などは、このままでは実現不可能であるといっていい。こうした状況は、既に政治への責任転換だけで済ませられる問題ではなくなってきていることを意味するように思える。
これまでの日本において、先述した国と地方の関係や国民負担の財政赤字化による「財政錯覚」によって、国民が、「納税者」として、政府のあり方というものを厳しく問われることは無かったのではないか。戦後の右肩上がりの経済成長を前提とした中央集権的な経済及び社会構造を維持し続けながら、バブル崩壊後も既存の経済政策を踏襲し、さらなる窮地に陥った現在、その錯覚から目を覚まし、政治というもの、民主主義というものをはじめとして、国家のあり方を国民意識として考えていく時代が来たといえよう。
『世界はこうして財政を立て直した』によると、先述したスウェーデンがデフォルトの危機を脱することが出来た大きな理由の一つは、国民のプライドであったという。1900年代から100年にわたって「福祉国家」を選択してきた国民として、その選択の信義が問われ、さらなる負担を覚悟した財政再建であったのである。
それ以上に危機的な状況にある日本の財政再建においても、国民全体による意識改革と、国会や地方議会における政治の再建、行政意識の一層の転換を持ってしなければ実現されないであろう。すなわち、「財政再建」というものを国民全体の課題として、実行していかなければならないのである。
限られた財源のなかで、最大限のサービスを創造していくためには、「政治の生産性」が要求されてくる。これまでの利益誘導型政治によって、縦割り行政の中、特定の業界や分野に長けた族議員が、利益の代弁していた時代は、完全に時代遅れである。「無駄な公共事業を福祉や教育に」というありきたりな選挙文句はいつまで通用するか。「無駄であるのは、公共事業だけか?」あるいは、「効率的な政治を行った場合にも、国民負担は今の水準で足りているのか?」という問いをしたい。これからは、横断的な、全体的な視野をもって、行政の経営を行っていく新たな政治と、それを選択し、相応な負担を覚悟し、時には政府を積極的に補完していく市民が必要になってくるのである。
行政組織そのものに対しても、現状の中央集権的な国家というものの分権化、民主化を進めていき、「地域主権的な国家構造」へ、「納税者である国民の持つ力を最大限に発揮する国家」へと転換していかなければならないであろう。
国民の意志に基づいて、財政の配分や税負担のあり方が決定されることを財政民主主義という。日本において、それを確立するためには、財務省や内閣法制局のもと、予算や法案を縦割りに作成していく各省庁が中心となっている構造を解体していくだけでなく、それに対する国会や内閣、さらには司法というものも含めて、国家の統治機構に対する抜本的な民主化、分権化も視野に入れる必要がある。
PHP総合研究所の「無税国家」研究プロジェクトや、実効ある地域主権プロジェクト、地方分権研究会(慶応大学G-SEC)の「ユニット論」等において、そうした研究が進められてきている。五十嵐敬喜氏の『市民の憲法』においても、直接民主主義というものに対して、あるべき国家観の転換を迫っている。私自身も、それらについて研究をしている段階ではあるが、日本の既成概念を大きく疑い、新たな国家像、国民像を描いていかなければならない時代なのではないだろうか。
国家の統治機構全体の民主化、地方分権といったことによる新たな国家像については、次回以降に述べていきたいと考えているが、ここでは、そうしたものの礎ともいえる住民自治というもの、行政と住民というものについて考えてみたい。
現在、加藤秀樹氏が代表を務める「構想日本」のプロジェクトに参加して、公共事業の地方分権について調査しているが、その中で、長野県の栄村(平成16年度人口2638人)の事例研究がある。栄村役場では、市町村合併よりも、栄村が自立、自律していくべきであるという村民の声が圧倒的に多かったことに対して、村役場の職員による企画委員会が原案を作成し、栄村総合振興計画審議会委員、各種団体代表、村民有志といった市民の意見を取り入れて、合併をしなくとも持続可能にする行財政改革計画をとりまとめている。
議員定数の削減から、あらゆる事業費の見直しを行っているが、なかでも象徴的なのが、「道直し事業」や「田直し事業」といった公共事業である。ゼネコンが施工するのではなく、村役場の土木のOBが施工をし、どちらも村民と村役場の直接交渉によって住民ニーズを把握し、職員村民負担と村財政によって国や県の補助金に一切頼らない最低限のコストを実現している。また、福祉においても村外の民間企業へ委託するのではなく、村内でヘルパー養成講座を設定し、その資格によって村内における介護福祉の効率化と雇用の創出を実現している。
こうした「自律」した基礎自治体というものへの取組みは、過疎化の進む小規模な村だからということで片付けるべきではない。市町村合併による効率化を行った都市においても、その財政状況を根本的に立て直すためには、小規模な範囲における本当の自治というものからはじまり、あらゆる政策や制度設計においても民間をはじめとした当事者、あるいは納税者の意見を取り入れていくことの出来る仕組み作りが重要である。
さて、冒頭で述べた小説『私の夢 日本の夢 二十一世紀の日本』の一節について、ここで紹介したい。それは、各国の指導者からなる日本への視察団が、日本で執り行われている施策現場の数々を視察していくなか、「国土創成事業」という壮大な事業の建設現場を訪れた一節である。その各国の指導者の質問に対し、そこで働く「国家奉仕隊員」が、「国家目標」というものについてこのように述べた。
『日本でもかつて軍国主義が強かった時代には、“お国のため”とか“滅私奉公”とかいって、自分の生活なり個々の幸せというものがあまり重視されていませんでしたし、第二次世界大戦後の日本は、どちらかというとその反動で全てが個人本位に考えられ、自他ともの全体の利益というか、国家社会の目標といったことは、すべて後まわしにされる傾向があったようです。
どちらも好ましい姿ではなかったわけですね。そこでこんどは国だけが第一でもなければ個人だけが第一でもない、両方が第一であるという姿をつくろうとしてきたのです。
いわば国家即個人、個人即国家といった、そういうバランスのとれた見方をしようというわけですね。そこで、個々人の人生目標なり生きがいというものに結びつくような国家国民の目標、すなわち“国土創成”という国是がはっきり打ち出されたということです。』
「国土創成事業」とは、70%が山岳森林であり、人口密度が高く住宅環境の乏しい日本に対して、その20%を開発整備し、さらに残土を海に埋め立て、国土を倍増するという大規模土木工事を、200年かけて経済の波と調整しながら行っていくという総国家プロジェクトである。
資金は、毎年約22兆円の国土創成国債によって賄われる。また、この国家事業に携わる国土創成奉仕隊は、国民の中から選ばれるわけであるが、20人に1人の割合で選ばれたその青年が、事業に従事しながら、集団生活、国家への奉仕という精神、技術、体力を養成し、社会のリーダーとして育成されていくのである。
ダム施工に従事したものとして、日本の山岳森林を20%開発整備するというのは、施工方法や環境破壊が、極めて恐ろしい事業であり、山岳信仰といった日本の文化もあることから、やはり進められたものとは思えない。
しかし、今の日本の急速な少子高齢化が、大都市圏をはじめとした劣悪な生活環境にあることは言えるであろうし、高い地価に狭い住宅、子育て、教育ともにかなりの費用がかかっている。東京は出生率が1.0を切ったというニュースも日本中を驚かせたが、大都市において、限度の無い都市型の生活を維持することが、人間本位であるのかどうかも考えなければならないであろう。
現実的な方向性としては、少子高齢化の時代の流れにどう付き合っていくかということになる。現在研修先の神奈川県企画部の「地方分権フォーラム」においては、地域主権に向けた事例研究として、東京大学の大西隆教授に「逆都市化時代の首都圏再生」に関して基調講演を頂く予定である。人口減少局面において、豊かな暮らしを実現する日本国土の未来、都市のありかたはどうあるべきであるのか。大都市と都市、そして農村において、それぞれの地域がそれぞれなりのビジョンを描いていくのは、これからの大きな課題である。
また、人口減少に対しては、移民政策を議論することがよくあるが、今の社会構造や国土構造のまま人口を他国から移民して、豊かな暮らし、充実した子育てを実現できるであろうか。事実、豊田市など、外国人労働者と地域社会の間で衝突がおきているという。日本という国のことをよく理解し、着実な制度設計を整備しない限り、取り返しのつかないことになるであろう。
こうしたことに対し、松下幸之助が28年前にどういうことを考えでいたのか。その塾主が、よく視察に訪れたというオランダの国土は、4分の1が堤防や埋め立て等、人工で作られたものだという。日本の可住な国土面積が今の倍あれば、日本人のくらしはどう変わり、土地を生む政府における政治の生産性はどう高まるのか、そして日本の人口が増加傾向にあれば、アメリカ、EU、そして中国、アジアのなかで、どんな日本文明が築かれていくか、想像すると非常に面白い。そうした夢や使命感があったことを政経塾生はもちろんのこと、日本国民も自覚すべきではないか。
長期的視野において、日本という国が、世界に独立した文化と歴史、経済を持つ文明として、世界に対する貢献を行う存在となるためには、「国家即個人、個人即国家」という国家観と、国民全体の目標としての国是が定まる必要がある。
果たしてその国是となるものは何か、それは国民全体にとって共通の夢となるものであり、政治のリーダーシップによって掲げられ、遂行されるものである。
先述した栄村と同じく、合併に際して自立宣言をした長野県下條村(平成16年度人口4189人)の伊藤村長にお話を伺ったとき、非常に感銘を受けた言葉が二つある。
「行政ではない、財政である。財政の下に行政がある。」
「人間とは、目標を持って、厳しさを乗り越えたときに満足感が出る。」
伊藤村長は、民間中小企業の経営者から村議、村議長を経て村長となられた。バブル崩壊後の10年前から行財政改革を断行しており、10年かけて徹底したコスト意識を行政にもたらした。数百万円程度の公共事業は、村民の公共意識向上も兼ねて資材のみを村が提供し、村民自身で、集落ごとに施工を行う。人口に対する職員数も他市町村よりも極めて少ない。
しかし、職員は使命を持ち、理念のもとにあらゆる兼任をこなしている。その他、子育て支援も充実しながら、歳入が歳出を上回り、積立基金が平成15年度に5億円ほど増えている。これは、合併しない場合に削減される地方交付税に対して、最低ラインを想定してコスト削減できたということである。国が漫然と交付税をばら撒き続ければ、日本に「無税国家」ならぬ「無税都市」、いや「無税村」が誕生するかもしれない。実に皮肉な話である。
こうした経営理念というものは、「人間というもの」に基づくからこそである。ただ、生活のために、保身のために、漫然と職務をこなしていくことに、人間としてのやりがいが得られ、最大限の能力の発揮がなされるか、そうではないであろう。
市町村合併による画一的な効率化に対し、「自立宣言」をしたこの村には、他の市町村とは大きく違うものを感じることができた。
「村即個人、個人即村」ともいえる村民意識の発展と、徹底したコスト意識による「最低限の財源で、最大限のサービスを行う」という村役場経営理念、そして、自立した村、地域を目指すという村全体の目標。これらをもとにした十年の結果、日本全国各地から視察団が来るのである。
小説『私の夢 日本の夢 二十一世紀の日本』も、紹介したように2010年の日本に各国の指導者が視察に来るという設定であるが、果たして、今の日本の制度、政策に他国が真似をしたくなるような理念、哲学があるであろうか。
日本は、精神文化のとても高い国であると私は感じている。日本の行政的中央集権構造を批判する上で、EUの「補完性の原理」が取り沙汰されることもよくあるが、日本においても例えば政経塾の「五誓」にあるような「自主自立」と「感謝協力」が、その原理を呈している。市民、地域はそれぞれ市民の出来る最大限「自主自立」し、それを超える範囲は、地域で「感謝協力」していく、そして地域の「自主自立」、国の「感謝協力」、国の「自主自立」、国連の「感謝協力」というように。「補完性の原理」でいう下位の対象には必要最低限の補完に留めるという消極的補完が「自主自立」に、下位の対象が出来ないことは最大限補完を努力するという積極的補完が「感謝協力」に対応しているといえよう。
さらに、国家目標となる「国是」に関しても、例えば「塾是」には、「人類の繁栄幸福と世界の平和に貢献する」とあるのである。日本において活動するなかで、様々な方々と議論をさせていただくが、こうした理念に対して、異議が出ることはまずない。
日本のそうした文化性、精神性を基にし、些細な政策議論に左右することのない確固たる国家経営理念を掲げる。そして、その先にある国家目標を国民全体で共有していく。これこそ、日本が財政再建を全うし、新たな国家観を描いていく道であると実感する。
【参考文献】
『松下幸之助発言集』(PHP)
『私の夢・日本の夢・二十一世紀の日本』 松下幸之助 著 (PHP文庫)
『市民の憲法』 五十嵐敬喜 著 (早川書房) 2002年
『入門 財政』 橋本恭之 著 (税務経理協会) 2003年
『要説:日本の財政・税制』 井堀利宏 著 2003年
『日本再編計画』「無税国家」研究プロジェクト (PHP総合研究所) 2002年
『世界はこうして財政を立て直した』 林宏明/永久寿夫 編 (PHP研究所) 2001年
『日本の財政を考える』(パンフレット) 財務省 2004年
『平成16年度版 経済財政白書』 内閣府編 2004年
『平成16年度版 地方財政白書(平成14年度決算)』 総務省編 2004年
Thesis
Keizo Maekawa
第24期
まえかわ・けいぞう
前川建設株式会社
Mission
『地域主権型国家日本の実現』