論考

Thesis

日本の国益を考える

1.はじめに

 私の志は、「21世紀日本の外交を、生き残りをかけて戦略的に展開する」ことである。松下政経塾の研修テーマは、「北東アジアスタンダードの構築に向けた日本の取り組み」であり、今後もこのビジョンをさらに深く突き詰めていきたいと考えている。本稿では、その前提として常に念頭に置かねばならない基本的な事項を整理するとともに、今後の活動に続く指針を示しておきたい。まず国家百年の大計を考える上で基本的なこと、「国益」とはどのようなものかを整理したうえで、斉藤隆夫の粛軍演説を紹介しつつ、自分なりの考察をまとめていく。次回稿では、本稿の考察を踏まえた上で、松下幸之助塾主の理念にも触れながら日本の「国力」に関する考察をまとめる予定である。

2.国益について

 本節では国益の定義をめぐって深く考察することはしない。国益の定義は極めて曖昧であり、現在に至る国益論争においても、H・モーゲンソーやC・ライス、S・ハンチントンやT・スミス、A・ジョージやR・コヘイン、H・ナウやH・キッシンジャーなど、それぞれの論争において、「国益」の定義方法が異なっているし、何よりも日本国内で議論されることがこれまでになされてこなかったからだ。これまでの様々な国益論を参考に、今後の日本外交を考えていく上で、私が考える「国益とは何か」という問題を考察してみたい。

 国益の論争は、第二次世界大戦後にアメリカの研究者らによって、現実主義と理想主義をめぐって繰り広げられた。そこで勝利を収めたのはハンス・モーゲンソーである。

 モーゲンソーによれば国益とは、第一次的には一国の物理的・政治的・文化的一体性の保持、および、他国からの脅威に対する自己保存であり、それは恒久的・一般的なものである。第二次的には、圧力団体や政党など、時代の政治的・文化的文脈の中でその都度決定されていくものである。モーゲンソーは、第一次的な国益こそが必要不可欠な国家利益であり、国家の生存に関わるものに限定して外交を展開すれば、秩序と平和は維持できると考えた。モーゲンソーと同様にパワーポリティクスを客観的に把握し、外交を実践してきたH・キッシンジャーは、国益を重視し、加えてイデオロギーの排除を志向した。

 ドナルド・E・ネクタラインによれば、国益とは第一に、自国の安全保障が他国の脅威にさらされることから守るという国家の存立の維持のための国防上の利益である。第二に、一国の貿易ないしはその他の国際的経済活動を通じて、国益を維持・拡大するための経済的利益である。第三に、国際的な環境の安定と平和を維持促進するための国際秩序である。そしてこれら三つの価値は、時代によってその優先順位が変わるのが普通であるという。

 それでは日本の外交を考える上で、日本の国益とはどのようなものだろうか。ネクタラインの三分類に照らして具体的に日本の国益を考えてみると、第一の国防上の利益とは、領土の保全、国民の生命・財産の維持、国家主権の維持、政治的・社会的システムの維持である。第二の経済的利益とは、資源を確保するためのシーレーンの維持、経済活動を潤滑にするための安定した海外市場の確保である。第三の国際秩序に関しては、日本は十分な軍事力をもっていないため、平和な環境を創出するための国際秩序を維持することである。

 日本の基本的な国益は上記の通りであろうが、現在の時代認識を踏まえ、日本の国益とはいかなるもので、その優先順位はどのようになっているのか。日本ではこれまでほとんど国益について議論されてこなかった。戦争体験によって国家主義から連想されるマイナスイメージや歪んだ民主主義教育、市民主義などがその議論を妨げてきた一つの要因であろう。1990年代に冷戦構造が終焉し、国内政治においても55年体制が崩壊し、バブル経済の崩壊とともに経済低成長へと突入し、日本国内が危機的状況に陥ってはじめて国益を若干意識しはじめたといえる。

 日米関係や日中関係、アジア通貨危機後や9.11テロ後の日本の動き、ODAに対する世論の変化、北朝鮮をめぐる強固な姿勢など、まさにモーゲンソーの言う自己保存の国益を日本は意識するようになった。しかしながら、今後の人口減少に伴う経済低成長、年間約30兆円ずつ借金が増えていく日本の厳しい財政状況など、日本の国力が明らかに縮小していく未来を考えると国益に関する議論はまだまだ未熟である。ネクタラインの言う「時代によって、国益の優先順位が変わる」はずの国益が、国内の議論が未熟であるがゆえに日本の国益、ひいては日本の将来像(=ビジョン)があまりにも不明確であり、混沌とした状況になっているように思えてくる。

 私は21世紀の日本の国益を考えるキーワードは、まさに「生き残りをかけたせめぎあい」であると思っている。軍事力という国力の増強に決定的な制約条件がある中で、唯一のパワーであった経済力も不安要因となっている現在、日本は将来を生き残っていくために、常に国益を意識していかなければならない。さらにその国益は国力によって支持されるべきものであるから、日本の将来像は国力の増強を念頭に置かねばならないと考える。国力というと、日本人はすぐに軍事力と連想しがちだが、国力というのは様々な諸要素から構成されており、軍事力だけで成り立つものではないことをここであえて強調しておきたい。筆者の考える国力の増強も軍事力の増強を意味しない。国力については次回稿において検討し、あらためて考察を述べたい。

3.国家百年の大計を考えた斉藤隆夫の粛軍演説

 次回稿で国力を考える前に、国益と国力との関係について少し触れておきたい。「国益は国力によって支持されなければならない」とモーゲンソーの言ったその言葉の重みを改めて認識しなければならないからである。現在の日本では対外関係、国連、人権、国際協力など国益のためには惜しみなく行動しようとする傾向がある。しかしながら国力を見誤って国益を追求するあまり、崩壊の道をたどる危険性もある。その戒めとして1940年2月2日に民政党所属衆議院議員であった斉藤隆夫が行ったいわゆる粛軍演説(反軍演説)を胸にとどめておきたい。(下線部は筆者によるもの)

『人間の慾望には限りがない、民族の慾望にも限りがない。国家の慾望にも限りがない。屈したるものは伸びんとする。伸びたるものはさらに伸びんとする。ここに国家競争が激化するのであります。なおこれを疑う者があるならば、さらに遡って過去数千年の歴史を見ましょう。世界の歴史は全く戦争の歴史である。

 現在世界の歴史から、戦争を取り除いたならば、残る何物があるか。そうしてーたび戦争が起こりましたならば、もはや問題は正邪曲直の争いではない。是非善悪の争いではない。徹頭徹尾力の争いであります。強弱の争いである。強者が弱者を征服する、これが戦争である。正義が不正義を贋懲する、これが戦争という意味でない。先ほど申しました第一次ヨーロッパ戦争に当りましても、ずいぶん正義争いが起こったのであります。ドイツを中心とするところの同盟側、イギリスを中心とするところの連合側、いずれも正義は我に在りと叫んだのでありますが、戦争の結果はどうなったか。正義が勝って不正義が敗けたのでありますか。そうではないのでありましょう。正義や不正義はどこかへ飛んで行って、つまり同盟側の力が尽き果てたからして投げ出したに過ぎないのであります。今回の戦争に当りましても相変らず正義論を闘わしておりますが、この正義論の価値は知るべきのみであります。つまり力の伴わざるところの正義は弾丸なき大砲と同じことである。羊の正義論は狼の前には三文の値打もない。ヨーロッパの現状は幾多の実例を我々の前に示しているのであります。

 かくのごとき事態でありますから、国家競争は道理の競争ではない。正邪曲直の競争でもない。徹頭徹尾力の競争である。世にそうでないと言う者があるならばそれは偽りであります、偽善であります。我々は偽善を排斥する。あくまで偽善を排斥してもって国家競争の真髄を掴まねばならぬ。国家競争の真髄は何であるか。日く生存競争である。優勝劣敗である。適者生存である。適者即ち強者の生存であります。強者が興って弱者が亡びる。過去数千年の歴史はそれである。未来永遠の歴史もまたそれでなくてはならないのであります。

 この歴史上の事実を基礎として、我々が国家競争に向うに当りまして、徹頭徹尾自国本位であらねばならぬ。自国の力を養成し、自国の力を強化する、これより他に国家の向うべき途はないのであります。

 かの欧米のキリスト教国、これをご覧なさい。彼らは内にあっては十字架の前に頭を下げておりますけれども、ひとたび国際問題に直面致しますと、キリストの信条も慈善博愛も一切蹴散らかしてしまって、弱肉強食の修羅道に向って猛進をする。これが即ち人類の歴史であり、奪うことの出来ない現実であるのであります。この現実を無視して、ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、日く国際正義、日く道義外交、日く共存共栄、日く世界の平和、かくのごとき雲を掴むような文字を列べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことかありましたならば現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない。

 私はこの考えをもって近衛声明を静かに検討しているのであります。即ちこれを過去数千年の歴史に照し、またこれを国家競争の現実に照してかの近衛声明なるものが、果して事変を処理するについて最善を尽したるものであるかないか。振古未曽有の犠牲を払いたるの事変を処理するに適当なるものであるかないか。東亜における日本帝国の大基礎を確立し、日支両国の間の禍根を一掃し、もって将来の安全を保持するについて適当なるものであるかないか。これを疑う者は決して私一人ではない。

 いやしくも国家の将来を憂うる者は、必ずや私と感を同じくしているであろうと思う。』
 現在では後半の「聖戦の美名に隠れて」以降の部分がことさらに強調されて有事法制反対を標榜する政党に悪用されているが、この斉藤隆夫の演説の核心は、「国家競争の真髄は何であるか。日く生存競争である。優勝劣敗である。適者生存である。適者即ち強者の生存であります。」と国際政治の本質を述べた上で、当時の日本が直面している最大の課題は、「徹頭徹尾自国本位であらねばならぬ。自国の力を養成し、自国の力を強化する、これより他に国家の向うべき途はないのであります。」と述べている点である。日本の国益と国力を見誤っている政府や軍部に対して、「聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、日く国際正義、日く道義外交、日く共存共栄、日く世界の平和、かくのごとき雲を掴むような文字を列べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことかありましたならば現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない。」と、命を張って警告しているのである。

 斉藤隆夫はその一ヵ月後、「聖戦を冒涜する非国民的な演説だ」と軍部に突き上げられ衆議院の懲罰委員会にかけられた。委員会で収拾はつかず、1940年3月7日に議会で斉藤議員除名動議が出され、議員の3分の1が棄権するなか、賛成大多数(反対7票)で衆議院除名処分となった。その直後、1940年3月25日に議会各派は「聖戦貫徹議員連盟」を立ち上げ、この連盟は同年6月に各政党に解党を進言、10月12日にすべての政党が解党し、「大政翼賛会」が成立した。

 当時、戦争を阻止しようとした人物は少なくない。東条内閣の東郷茂徳外務大臣や軍部の組閣阻止にあって妥協を余儀なくされた広田弘毅元首相など、東京軍事裁判においてA級戦犯の汚名を着せられたものの戦争の阻止に力を尽くしており、このような先人は当時の日本においても少なからず存在した。
しかしながら当時日本の中枢を担っていた多くの人々が、国益と国力を見誤った結果、斉藤隆夫の言う「国家百年の大計を誤るようなことかありましたならば現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことは出来ない」ということが現実のものとなってしまったのである。

 斉藤隆夫は1942年5月、対米開戦後に行われた総選挙、いわゆる翼賛選挙において無所属ながら当選を果たした。終戦直後に斉藤は「我々は戦争に敗けた。敗けたに相違ない。しかし戦争に敗けて、領土を失い軍備を撤廃し賠償を課せられ其の他幾多の制裁を加えらるるとも、是が為に国家は滅ぶものではない。人間の生命は短いが、国家の生命は長い。其の長い間には叩くこともあれば叩かることもある。盛んなこともあれば衰えることもある。衰えたからとて直ちに失望落胆すべきものではない。若し万一、此の敗戦に拠って国民が失望落胆して気力を喪失したる時には、其の時こそ国家の滅ぶる時である。それ故に日本国民は、茲に留意し新たに勇気を取り直して、旧日本に別れを告ぐると同時に、新日本の建設に向って邁進せねばならぬ。是が日本国民に課せられたる大使命であると共に、如何にして此の使命を果たし得るかが今後に残された大問題である。」と新政党の創設に向けて動くなか檄を飛ばしたという。

 このとき斉藤隆夫が言った「今後に残された大問題」は今もなお、新鮮かつ重みを持った言葉として生き続けている。

参考文献

  • Morgenthau, HansJ. “Another Great Debate; The National Interest of the United State, “American Political Science Revew,vol.46,December 1952,pp.961-988.
  • Hntinton,Samuel,”American Ideals versus American Institutions,” Political Science Quartery, vol.97, no.1, spring 1982.
  • George, Alexander, and Robert Keohane,゛The Concept of National Interests: Uses and Limitations,” in George,Presidential Decision-Making in Foreign Policy,217-237.
  • Huntington, “The Erosion of American National Interests,” Foreign Affairs,vol.76,no5,Sept./Oct.1997,pp.28-49.
  • Kissinger, Henry A.,” Reflections on American Diplomacy,”(October 1956),in JamesF.Hoge eds.,American Encounter: The United States and the Making of the Modern World, Council of Foreign Realations,1997,pp.170-186.
  • H・J・モーゲンソー著、平和研究会訳『国際政治学』(福村出版、1986年)
  • J・フランケル著、河合秀和訳『国益―外交と内政の結節点』(福村出版、1970年)
  • 高坂正堯『国際政治―恐怖と希望』(中央公論社、1966年)
  • 花井等『国益と安全保障』(日本経済新聞社、1979年)
  • 花井等『国際外交のすすめ』(中公新書、1986年)
  • 宮崎哲弥、村田晃嗣「この危機を『国益』論議の好機とするために」『中央公論』(中央公論新社、2003年7月号、44-52頁)
  • 斉藤隆夫「支那事変処理に関する質問演説(昭和十五年二月二日、第七十五議会における演説)」Webよりhttp://www.yo.rim.or.jp/~yamma/zenbun.html
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