Thesis
2003年2月から3月にかけて筆者は、中国・西安交通大学を拠点に西安の高新技術特区や重慶の重化学工業地帯を視察してきた。さらに富士通西安の社長や日本外務省重慶駐在官事務所の専門調査員の方など多くの人々のご助力を頂いて、中国西部地域経済の現状と課題を見聞してきた。本稿では、西部地域の経済の現状と課題を現地視察から考察していく。
「西部大開発戦略」という言葉は、1999年6月17日江沢民国家主席(当時)が西安で初めて発表した。その後西部大開発戦略は、党の方針となり、1999年の中国共産党第15期4中全会決議で国家戦略として西部大開発を行うことを決定した。
2000年1月には国務院西部地区開発指導グループが西部地区開発会議を開き、次の五項目に関する基本方針を決定した。
(1) インフラ建設を進める
(2) 生態環境の保護と建設を着実に強化する
(3) 産業構造を積極的に調整し、特色ある経済優勢産業を育成する
(4) 科学技術と教育を発展させ、人材養成を早める
(5) 改革・開放度を拡大する
この五項目は、3月の全国人民代表大会政府活動報告でも踏襲され、国務院西部開発小組が、組長である朱鎔基首相のもと組織された。同年10月の中国共産党第15期5中全会では、「第10次5カ年計画に関する提案」がまとめられ、2001年3月の全国人民代表大会では「10次5カ年計画要綱」が採択され、西部開発政策が具体化された。
西部大開発の理念は、鄧小平の「三歩走」と「二つの大局」という考え方に由来しているという。「三歩走」とは、三段階の発展戦略の呼称で、第一段階が1980年代以降の年間GDPの倍増を目標とする段階、第二段階が1990年代以降に年間GDPをさらに倍増させる段階、第三段階が21世紀以降にさらにGDPを増加させ経済後進国からの脱却を目指すというものである。「二つの大局」とは、中国の沿海部をまず先に発展させ、その結果生じた経済格差については、発展した地域が発展の遅れた地域を支援していくという考え方である。
中国沿海部の経済発展が成功し、世界経済に大きな影響力を持つようになった1999年には、まさに西部大開発戦略を具現化させる絶好の機会だったといえるであろう。
西安の街をタクシーで走るといたるところに「西部大開発、西安大発展」の看板が目に付いた。これだけでなく、新築住宅の販売チラシや建設中の高層ビルの壁面など、一日に何回も「西部大開発、西安大発展」の文字を目の当たりにした。
写真1・・・街中に見られる「西部大開発、西安大発展」の看板。市民に経済発展へのマインドを育成する役割を果たしている。
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(撮影;小野貴樹) |
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(撮影;小野貴樹) |
資料 中国携帯電話加入者数推移 |
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※中国情報局Webサイトhttp://news.searchina.ne.jp/topic/044.htmlより引用 |
西安は中国陝西省の省都であり、中国の行政区で八つの区と県から成る。総人口は670万人で、2000年の西安市のGDPは689億元、前年度比13.1%の成長率である。科学技術産業として、機械、電子、航空技術、国防科学技術など重要な研究開発生産の拠点となっている。さらに、中国西部地域の、交通、通信、情報、金融の最大の拠点となっている。
西安には国家政策として実施されている対外特別開放科学技術特区の一つである「西安高新技術産業開発区」(以下略して、西安高新区と記載)があり、国内外の投資を呼びかけている。西安高新区は1988年5月に創建され、1991年3月に中国国務院から国家級の高新区に指定された。1997年には中国政府から、対アジア太平洋経済合作組織特別開放の高度科学技術特区の一つに指定された。現在、3025余の科学技術企業が存在し、外資企業は430企業に上る。
西安高新区には、「高新区領導小組」を筆頭に、行政管理機構が存在しており、中国西部大開発政策の中心地域として、外資による投資を促進するために様々な施策を設けている。
写真3・・・西安市内にある「ソフトウエアパーク」。富士通のほか、IBMなど世界中のソフトウエア会社が集積している。
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(撮影;小野貴樹) |
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それでは西安に進出している、日本企業の実態はどのようなものであろうか。西安にはIBMなどの外資系企業のほか、三菱電機やNEC、ブラザーなどの日系企業が存在している。そのなかで私は、高新区のサイエンスパークにオフィスを置く富士通西安の社長に取材を試みた。誰の紹介も推薦者もなく、いきなりオフィスの受付に電話してお話を伺いたいとお願いしたところ、富士通西安の方々は快く私を迎えてくれた。
写真4・・・富士通西安の社長と筆者 |
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(撮影;小野貴樹) |
重慶市は中国で最も人口が多い都市で、3097万人の人口を有する。もともと四川省の一都市であったが、長江上流の三峡ダム建設に際して、1997年に中国で四番目の中央直轄都市に格上げされた。西安と並び、中国西部大開発戦略の中心的役割を期待されている都市である。面積は日本の北海道に匹敵するほど広く、農村人口が約7割も存在している。
重慶市経済の特徴は、「大企業」、「全人民所有制企業(国有企業)」、「重工業」の企業が主体をなす「大・全・重」型工業構造であることがいえる。2000年の統計によると、重慶市内の企業総数2040企業のうち、大企業はわずか136企業で、全体の6.7%に過ぎないが、重慶市総生産額の51.9%を生産している。重慶経済の主体をなしているのは、頂点に立つごく少数の大企業なのである。また、重慶市内の企業総数2040企業のうち、931企業が国有および国有持株会社であり、その総生産額は重慶市全体の67.9%に上る。さらに重慶市内の企業総数2040企業のうち、1075企業が重工業であり、総生産額は重慶市全体の65.7%に上る。
さらに重慶市は歴史的に軍需産業が発達した都市であり、近年、軍需品の生産から民需品の生産に移行してきている傾向がある。現在でも武器弾薬製造業の企業数は27企業あり、重慶市全体の独立採算制工業企業の総生産額の構成比では、37.8%でトップの生産額である。注目すべきは、軍需品の生産から民需品の生産に転換する際に、日本企業との合弁によって転換がなされてきている点である。
弾丸や薬きょうを生産してきた「国営嘉陵機械廠」(現、中国嘉陵工業股份有限公司)は本田技研工業株式会社と、ミシンや三輪車、工作機械などを生産してきた「建設機床廠」(現、建設工業有限責任公司)はヤマハ発動機株式会社と、長安機器製造廠(現、長安汽車有限責任公司)はスズキ株式会社とそれぞれ技術提携や合弁を行うことによってオートバイや自動車を生産し、飛躍的な成長を遂げた。上記中国側の三社は、いずれも旧兵器工業部系統の企業であるが、日本企業が中国への進出を希望した際に、中央政府からの紹介によって合弁されてきたという経緯がある。2000年には重慶市内のオートバイ生産台数は、中国全国の19.9%、自動車の生産台数は、中国全国の11.9%にまで成長し、自動車、オートバイの一大生産拠点に変貌を遂げた。
重慶市でも、外資の投資を促進させるための優遇政策がとられている。外資企業は、企業所得税の24%が減免される。そのうち、営業利益が生じた年度から二年目まで企業所得税が免除され、以降五年までは企業所得税の50%減免される。このような税収の優遇のほか、外資に対して土地取得などの優遇措置がとられている。
写真6・・・建設工業有限責任公司とヤマハ発動機株式会社の合弁企業。オートバイを製造している。
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(人物;小野貴樹) |
中国経済発展の影には、深刻な問題も存在する。とりわけ環境問題や失業問題、経済格差などは様々な文献で紹介されているが、西安や重慶を視察してそれらの問題を実体験として触れてきた。
まず写真7をご覧頂きたい。重慶市の空である。正午だというのに、厚い雲に覆われとても正午だとは思えないほどの薄暗い空であった。現地の日本人の方々に聞くと、青い空を見るのは一年のうち、ほんの数回程度だという。重慶市では空気中の硫黄酸化物濃度が日本の主要都市の約25倍にも達し、四日市の最悪期よりもひどい状況である。さらに重慶市の死亡原因のトップは呼吸器疾患であり、市内の小学生の多くがぜん息にかかっているという。
このような状況に対して、日本政府は環境モデル都市事業計画、重慶モノレール建設整備計画を進めている。環境モデル都市事業計画は約77億円の円借款により、重慶市内の大気汚染対策として主要汚染源施設の改良を行い、重慶モノレール計画では約270億円の円借款により、深刻な交通渋滞・大気汚染に対処するためのモノレール建設が行われている。
写真7・・・正午の重慶。厚いスモッグに覆われ薄暗い |
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(撮影;小野貴樹) |
写真8・・・西安郊外農村部の光景。住居の外にゴミが散乱している |
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(撮影;小野貴樹) |
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(撮影;小野貴樹) |
Thesis
Takaki Ono
第23期
おの・たかき
Mission
北東アジアスタンダードの構築に向けた日本の取り組み