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Cover Story
2000年12月

アメリカに学ぶ地方分権
平山喜基/卒塾生

 地方分権がいよいよ動き出した。自治体の独自財源の問題などがクローズアップされている。アメリカ連邦制度は、日本の地方分権、道州制のあり方を、財政面を含めて検討する際に、改めて示唆に富むものである。

 
 今年の3月、全国知事会は、石原東京都知事が打ち出した外形標準課税を全国一律に早期導入することを決議した。さらに、神奈川県など12県は自主課税についても検討を始めた。地方分権、市町村合併論議は、国・地方の財政難とあいまって詰めを迎えている。おりしも、自治体の首長選挙では、かつてない激戦が各地で繰り広げられている。地方分権、地方自治の問題は、民主主義の原則と切っても切れない関係にある。
 そこで、民主主義の先進国・アメリカの地方自治の実状を調べてみた。アメリカは、国の成り立ちや歴史的経緯など日本とはまったく異なるが、特に道州制を念頭において考えた場合、政策の決定プロセス、国と地方の行政の分担、財源の分担など連邦制の理念は大いに参考になる。

アメリカ連邦制の理念

 昨年8月、クリントン米大統領は行政指令13132号に新たに署名した。これは、時の政府がその必要を認めた際に、連邦政府と州政府との関係を契約事項として再確認するために行うものである。これまでにも何人かの歴代大統領が同様の文書にサインしてきた。この2条には、連邦制の原理が箇条書きで挙げられている。それを要約すると以下のようになる。
 連邦制とは、まず、国家的問題や重大問題以外のものは人民に最も近い政府が最も適切に処理できる制度である。さらに、連邦政府は州民によってつくられ、その権限を委託されている。したがって、州が持つことを憲法が明確に禁止しているものを除いて、その他すべての主権は原則として州や人民に留保されている。そして、「一つの政策を全体に適用することは効果的な問題の解決策を生み出すことを妨げる」と表現されているように、連邦政府が上意下達で問題の処理にあたることを禁じている。
 つまり、アメリカの連邦制は、州が主権を大幅に持ち、それぞれの州が抱える問題はそれぞれの州で問題解決にあたり、社会の発展を促すという理念に基づいているのである。その際、連邦政府は、州政府に対し、対等もしくは補完的な役割を担っているに過ぎない。

財政に見る政府間関係

 次に財政面から連邦制度を見てみたい。アメリカと日本の国と地方における歳出割合を比べてみると、アメリカは国と地方の割合がほぼ6対4なのに対して、日本はその逆の3対7である。これだけを見ると、日本のほうが地方に比重が大きく、一見、分権的であるかのように見える。しかし、歳入面から見てみると、アメリカは歳出と同じく国と地方の比は6対4であるのに対し、日本はその比こそアメリカと同じ6対4だが、歳出とは逆の形になっている。
 これは、日本の場合には、国から地方へ多額の財政移転(地方交付税)が行われているということを意味している。そして、この財政移転の多くは、「交付税特会借入」など大蔵省資金運用部からの借金によって賄われている。しかし、それをもってしてもほとんどの地方自治体は収入不足に陥っており、独自に地方債を発行するなどして凌いでいるのが現状である。こうした財源確保のあり方が、日本を、国・地方ともども借金漬けにしている元凶と言える。

 一方、アメリカでは、州政府の財政規律は保たれており、財政赤字に陥っている州はほとんどない。アメリカ州政府の財政は、日本の地方政府が借金体質であるのに対し、その自立の度合いと管理能力の高さが際立っている。日本の地方交付税にあたる各州に対する歳入分与(注)はすでに80年に廃止され、州政府の歳入の50%は税収によるものである。国から地方への財政移転は補助金という形で行われているが、その歳入に占める割合は26%である(日本の場合は36%)。これは、アメリカのGDPの2~3%(日本は5~6%)に相当する。

 補助金には、「個別補助金」と最近日本でも導入され始めた「統括補助金」の二つがある。アメリカの補助金が日本のそれと大きく違う点は、全国的に影響を及ぼすような医療、教育、高速道路などのサービスに支給されていることである(表参照)
 つまり、アメリカの補助金の目的は、それによって政策の質を改善したり、新しい政策のアプローチ方法を示したりと、ナショナルミニマムを達成することにある。議会も、ある目標を達成したり、地方政府の能力向上を図るためにこの制度をうまく利用している。
 他方日本では、補助金の多くは普通建設事業費に当てられている。使途の違いは大きい。また、日本では、補助金を受けて何か事業をやるということは、同時に地方も何割かの負担を負うことを意味している。つまり、補助金を受けることそのものが、地方財政の圧迫を意味し、時にそれは債権の発行という形で、地方の将来までも縛ることになっている。

政治的信頼の確保と責任の所在の明確化

 このように見てくると、アメリカの連邦政府と州政府の関係は極めて良好のように感じられるが、両者の関係がこれまでずっとうまく行ってきたのかといえば、必ずしもそうとばかりいえない。
 中央が地方に委任する「財源付与のない事務事業(Unfunded Mandate)」が、両者の関係を損ねていた時期があったのである。例えば、アメリカでは、増大する医療費が地方の財政を圧迫し、それが州政府の裁量をも制限するということが度々あった。そして、このような問題は単に経済的な損失というだけに止まらず、社会的な損失までも招いていた。

 民主主義にとって政治に対する信頼は基本的な要件であるが、財源付与を伴わない事務事業の委任は、決定者である連邦政府が実施主体である地方へ、その決定を一方的に押し付けるという意思決定過程のために、政治的信頼性を大いに損ねていた。
 さらに、政策決定者である連邦政府が財政負担を負わないということは、その実施に対する責任も負わないということである。それは言い換えれば、地方の問題に対し連邦政府が責任を負わないということである。そこで、連邦議会はこうした問題点を解決するために1995年に、「財源付与のない事務事業委任に関する改正法(Unfunded Reform Act)」を可決した。
 これによると、財源付与のない事務事業委任を伴った連邦法を連邦議会の委員会(例えば、交通インフラ委員会など)が提出する場合、委員会はまず議会予算局に経費の見積もりを依頼する。その結果、法案が州政府あるいは地方自治体に5000万ドル以上(現在は2億ドル)の財政負担を強いると算定されると、連邦議会は、財源を提供するか、またはその法案を提出することが妥当かどうかの投票を行わなければならない。これは、連邦政府が地方に財政的に十分な配慮をしなければならないことを示しており、同時に州および地方自治体に権力を返すものと理解されている。

 以上、アメリカの連邦制度は理念的にも、財政的にも地方に重きをおいていることが分かる。これはまさに、クリントン大統領の行政指令13132号第2条で表明されている「連邦制は国家的な問題や重大な問題以外のものは、人民に最も近い政府が最も適切に処理できる」という信念を貫徹するものである。この信念は、アメリカ政治では民主主義の理念として徹底されている。

 先の大統領選挙でも、共和党のブッシュ候補がこの理念に則って、相続税の廃止、所得税の10%削減などの減税を訴えた。

「国民のニーズは様々であり、政府がそれを導くべきではない。国民のニーズは国民がそれぞれのお金を自分の必要に応じて使うことによって満たすことで保証されるべきである」。

地方分権論議に必要なこと

 日本の地方分権議論は、4月の地方分権一括法の施行によって、国と地方は対等な立場でこれからの政策を打ち出していくという方向付けがなされた。しかし、地方には、そのインパクトがあまり感じられないという声が多い。その原因は、財源の委譲が不十分なことにある。
 とはいえ、地方分権の流れそのものは本格化しつつある。6月の総選挙で、民主党は道州制の実現を公約として載せた。自民党でも、この夏から「道州制を実現する会」が、2001年初めまでに「道州制特別調査会」(仮称)を設置し、政府に道州制審議会の設置を求め、2年で答申を得ようと動き始めている。これは都道府県制を改め、より広いブロックを単位とした「道州制」の2008年度末導入を念頭においたもので、当面の目標は2001年参院選の党の公約とすることである。新聞報道によると、自民党のこうした動きは、先の衆院選で民主党が道州制を公約としたことに対抗するためのもので、主に行政コスト削減に取り組む姿勢を国民にアピールするのが狙いだという。来年の参議院選挙では、道州制へ向けた政策論争が熱く行われそうな勢いである。
 しかし、国の根幹を抜本的に改革する重要な案件であるにもかかわらず、国民の関心は高いとは言えない。道州制の理念について、これから国民的合意を形成する必要がある。
 日本が今後、さらなる分権を進めていく上で、これまでの歴史、文化、民族性に照らして独自の理念を構築し、国民の合意を得る努力は不可欠である。そして、政府間の役割分担を明確にし、現在、日本の中央・地方政府が膨大な借金を抱える元となった補助金制度など、その財政構造を変えなければならない。それを抜きに改革を行えば、歪んだ政府間関係はさらに責任の帰属をあいまいにし、借金による財政コストと、政治に対する信頼の喪失を増幅するという悪循環を招きかねない。

 米大統領行政指令13132号には、画一的な政策を否定する言葉として「一つの政策で全てのことに対応する(One-Size-Fits-All Approach)」という表現がある。日本の公共事業は、全国総合開発計画に基づいて策定されると、あとは閣議決定だけで進められる極めて画一的なものである。今年8月に、自民・公明・保守の与党3党は、島根県の中海・本庄工区干拓事業など24の中止すべき公共事業を公表したが、中央・地方を総動員し、財政赤字で国全体を覆い尽くす日本の「一つの政策で全てのことに対応する」やり方は、もうここで終わりにしたいものだ。

(注) 「歳入分与」は、日本の交付税と同じように連邦基準により交付され、使用目的は限定されず、地方政府が独自の裁量で使用することができた。その結果、分与資金は、社会サービス、医療ではなく、警察、消防、病院、高速道路などに使われた。
 使途がこのように振り分けられていたのは、資金額が大きくなかったことも一因であるが、最大の理由は連邦政府からの歳入補助が途切れることを懸念してである。補助金を福祉政策や医療政策など州や自治体の主要政策に当てていて、連邦からの歳入補助が途切れた場合、財政の硬直化はいうまでもなく、補助の打ち切りによって不足する分を、他に振り分けた予算からもってこなければならないという問題が生じる。
 80年に、州政府はレーガン政権によって拠出の対象から外され、87年には制度そのものが消滅した。その理由は連邦政府が既に大きな債務を背負っており、これ以上借金を増やすような「借金分与」はやめるべきであるという論調が強まったからである。

2000年12月 執筆
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