論考

Thesis

はじめの一歩の前に

先月の月例報告でも報告したように、急遽、葛飾区にて、最小単位の区議会議員として、自分の政治家としての第一歩を始めることにした。 選挙が、目前の11月11日に迫っていることもあり、8月は、その準備と卒塾の準備に明け暮れながら、以前からの計画と約束を果たすために台湾を一週間ほど訪れた。在塾中3度目の訪問になる。今まで多くの影響を受けてきたその地で、ゆっくりと気持ちの整理をするのも良いと考えた。
久しぶりに台湾を離れ、旧友達と再会を楽しみながら、外からの視点でもう一度、自分の現状をみつめつつ、卒塾に向けた自分の想いを綴ってみた。

私がやりたいこと

 松下政経塾の門をくぐり塾生になったのが、約2年と4ヶ月前。当時の文書を見ると、自分の問題意識は、資本主義社会における「公」の概念の確立、そんなことを書いていた。選挙に出るために、松下政経塾を卒塾することを決意する過程で様々なことを考えた。自分は、何をしたいのか、どのようにそれを成し遂げようとしているのか。間違いなく私の人生の一つの分岐点となる決断を下した今、その結論に至った松下政経塾での2年4ヶ月の活動の総括を兼ねて、今の自分の思想を記しておきたい。

 実際、今の自分の心境を考えると、選挙に出ると言う決断は、自分の理想の社会実現のための合理的な選択、というよりも、自分なりの、自分という人間の性格や個人的な価値観、思い入れと言った情緒的な要素に負うところが大きいと感じている。「自分は、一体何を自分の人生の中で達成したいのか?」どんな社会を創りたいのか、という問いの前に、自分はどう生きたいのか、何を成し遂げたいのか?という私的な感情が立ちふさがる。

 今年の一月から、参議院選挙の候補者について地域研究を行ってきた。
終盤には、長い参議院選挙を経て、候補者は体力の限界を迎えていた。特に、本選期間が17日と参議院選挙は非常に長い上、今夏前半までの異常な暑さは、候補者の体力を奪った。体力の限界に達して候補者が語っていたこと。彼の技術者の父親が、幾つかの有用な開発を行っても、口下手だった故に評価されず冷遇されていたこと。通産官僚として多くの企業に関りながら感じたこと。日本という社会が、一生懸命頑張る人を正当に評価できず、口先だけの人間、肩書きだけの人間ばかりが得をする社会になってしまっている、という憤り。一生懸命、国家官僚として政策提言しても、それを自分達の私利私欲のために台無しにしていく政治家達への憤り。それに対して、彼の高校、大学時代からの素晴らしい友人関係、組織を越えた人々との交流。幾つかの社会貢献活動で出会った人々とのネットワークの素晴らしさ。組織から個人個人を大切にするネットワーク中心の社会への移行を説く彼の思想の根源、彼の心の底にある本当の問題意識だけが、体力の限界に達しても彼の精神を支えていたように思う。そしてそんな言葉だからこそ、時には人の心を打つことも出来たと思う。

 約半年間、候補者に付き添って、政治家の孤独、というものを強く感じた。7月の月例報告でも述べたが、政治家ほど、孤独で、周りの人々の意見に左右されるものはない。自分も政治家として、極限状態に達した時、それでも自分を支え、かつ人々の心を揺さぶるような言葉を生み出すものを自分の中にしっかりと作り上げなければならない、と正直に思った。

 敢えて語弊を恐れずに言うと、私がやりたいこと、それは、日本人を覚醒させたい、ということに尽きるのだと思う。右翼みたいな言い方だが、他に良い言い方が見つからない。
私は、政治とは、二つの意味で、「教育」だと考えている。かのキッシンジャーは、「偉大な政治家は、現在直面している新たな危機と、国民との経験とのギャップを埋める教育者でなければならない」と言っている。国民を、教え諭すのが、政治家の一つの仕事であることは間違いないだろう。もう一つは、国民の本来備わっている力やポテンシャルを引き出す、という意味での教育だ。educationのそもそもの意味は、ラテン語の「産婆」にあったというのは有名な話だ。私は政治家として当然両方の仕事を果たしていきたい、と考えているが、自分が本質的に求めているのは、後者の意味での政治なのだと思う。

 私は、もっと日本人であることにプライドを持って生きたい。そして、日本人もしくは日本の社会というものは、僕にはもっともっと今以上に素晴らしいものであるハズだという確信がある。90年以降の長期不況の中で、多くの人々が自信を失い、多くの悲観論が世を覆っている。曰く、日本の復活はありえない、日本の集団主義的文化は、2次産業中心の経済では有効だが、3次産業中心の、個人の発想・アイディアが問われる経済には向かない、など、あまりに長い不況の中で自分達の可能性を否定する意見ばかりが目に付く。構造改革の議論においても、改革派は、痛みに耐えればどのようにこの国が良くなるのか、ということを国民に示すことが出来ていないし、反改革派は、現状こそが日本らしいのであって、敢えて他の国々を真似する必要はない、と言った老人ボケした懐古趣味的な論調に終始し、この国を覆う現在の閉塞感に目を向けようとしない。

 私は、いわゆる「日本的」なるものを疑っている。戦後の日本を支えたと言われる、集団協調主義、高い貯蓄率、清貧の思想、個人よりも集団を重んじる精神など、日本の戦後の経済成長を支えたと説明される、いわゆる日本人の美徳に対して、私は、疑問を感じるとともに、居心地の悪いものを感じている。

 住友銀行を辞めて政経塾に入るとき、恥ずかしい話だが、いろいろと悩んだ。その時、一つ自分で思ったのが銀行を辞めて自由な時間を与えてもらえれば、本をもっと良く読める、ということだった。そんなことを考えた割には、結局いろいろとバタバタと動き回って、じっくりと本を読むことも出来なかったが、その中でも素晴らしいと思える何冊もの本に出会った。特に、マイケル・E・ポーター 竹内弘高共著「日本の競争戦略」(ダイヤモンド社)と、森嶋通夫著「なぜ日本は没落するか」(岩波書店)の二冊からは、今まで考えていた、いわゆる「日本の成功」に関して、まさに「目から鱗が落ちる」と言えるほど大きな影響を受けた。ポーター氏と竹内氏を中心にする日米の多くの研究者により構成されるグループは、大規模な実証研究の結果、日本の経済的成功を幾つかの視点から分析している。まず、日本企業の優れているところ、競争力のあるところとして、経営戦略を、(1)他の競合企業とも同等の物を、他よりも如何に安く、高品質のものを造るか、という生産プロセスの効率化、と(2)他の競合企業が真似のできない、独自のオリジナルな発想で利益を上げる、独自の戦略性、の二点に分けて分析している。大まかに言って、日本企業の成功は、(1)の分野に集中し、(2)の分野は少ない、という結論を出している。 また、別の観点として、戦後の日本の経済成功を演出したと言われる、通産省主導の日本の産業政策が本当に有効に活用していたのか、という点を検証し、多くの事例を検証した結果、いわゆる通産省主導の計画経済的な産業政策は、FAXなど幾つかの事例を例外ととしてほとんど成功していないどころか、悪影響の方が多かったのではないか、という結論を下している。逆に、通産省が無視、もしくは反対していた分野こそが成功しているという指摘もしている。 日本企業の成功は、大まかに言って、70年代以前に集中している。80年代以降日本で成功した新規の産業は、アニメーションとゲームソフト業界の二つしかないと言われるが、その双方とも、通産省の政策とは全く無関係で、かつ先述の経営戦術の観点で分けると、日本では希少な②の分野の成功例でありながら、あまり重要なものとは認知されず低く評価されている。

 結局の所、これらをまとめると、所謂日本の強みとされた、通産省の集団主義的政策の有効性が否定され、かつこれからの日本経済もしくは日本企業が、(1)生産プロセスの効率化、ではなく、②独自戦略を重視せねばならないという結論が導かれるハズなのだが、現在の構造改革論にしても、結局は、人員削減やコスト削減、債権処理など経営上のコスト削減など、無駄を無くして効率化を図ると言う(1)の分野の話ばかりで、(2)独自の戦略を企業が持つための政策、というものが出てこない。そういう意味で、日本の構造改革論は、生産プロセスの効率化だけでは立ち行かなくなった世界経済の中で、更なる効率化だけでこの難局を乗り越えよう、という、根性論的で、日露戦争時の203高地での失敗を愚かに繰り返そうとしているように感じる。川勝平太氏は、江戸時代の日本の高度消費社会を現代社会に対峙させつつ、いわゆる、戦後言われている、「日本的」なるものを相対化しようとしているが、アニメーションやテレビゲームなどは、かつて世界一の識字率を誇り、西洋社会とは異なる高度な、出版業等を中心にした消費社会を生み出した江戸期の日本のDNAを感じる、真に日本的なるものの典型であると考える。決して軽んじられるべきものではない。

 また前述の森嶋通夫氏は、その著作である「日本はなぜ没落するか」の中で、その時代の中心で活躍する人々と、その人たちが教育を受けていた時期とのギャップに着目した分析を行っている。彼の分析を簡潔にまとめると、戦後の経済の成功というものは、70年代までで終わっており、かつ70年代までの成功を演出した人々というのはほとんどが戦前に教育を受け、戦前の空気の中で育ったわけであり、いわゆる日本の戦後の成功を疑い、特に戦後の教育政策を再検証する必要があると述べている。

 いきなり話が飛ぶ感があるが、私は、自分の二人の祖父を尊敬している。 一人は、母方の祖父で名を三郎と言う。7人兄弟の三男として生まれたので三郎というらしいが、私は、一郎さん始め他の祖父の兄弟に会ったことがない。他の兄弟の祖父の両親は、祖父がまだ幼い頃、ブラジルに移住してしまったらしい。幼い祖父は何故か日本を離れることを嫌がり、一人だけ親戚の家に置いていかれてしまった。親戚の家で冷遇された祖父は、中学校・高校と一番の成績だったにも関らず大学にいかせてもらえず、せっかく就職した会社でも2度も徴兵を受けたせいで上手くいかず、結局2度目の徴兵から帰ってから就職した新聞社ではかなり出世したが、最後は社内の派閥抗争に巻き込まれ関連会社の役員として出向させられた。今聞けば不幸な話のように聞こえるが、祖父の世代にはどれもよくあった話であり特に祖父から愚痴らしきものを聞いたことはない。ただ祖父は、そんな厳しい世を渡ってきたものとして、私の母を含む二人の子供の教育には厳しかった。二人の子供には、しっかりと勉強し、どんな社会でも生きていけるように、手に職をつけることを求めた。その結果二人とも、大阪大学の理学部・工学部を出ている。 もう一人、父方の祖父は、ある意味、母方の祖父とは対極の人生を送っている。比較的裕福で、第一高等学校の理系の学生だった祖父は、徴兵を免除され戦争には行っていない。大学卒業後も研究者として大学に残ったが、私の父がまだ学生であった際、あまり英語が出来なかったにも関らず渡米し、数年間、海外の大学で研究活動を行っている。そんな父は、よく私達孫には理系に進学することを薦めていた。私を含め不勉強な孫ばかりで、ほとんど理系に進む者はいなかったのだが。最後は東大の名誉教授まで務めた祖父だったが、普段は温和で簡単な話しかしなかったが、時折、理系の研究を大切にしなければ国は滅びる、と言っていた。

 彼らに共通している点。彼らは、戦前の、文明の遅れた日本を知っていたし、敗戦という経験から、自分達が安住している秩序が、実は如何に不安定で、いつ壊れてしまうかもしれないものである、ということを知っていたということだと思う。日本で食べていくことが難しかったり、チャンスが見つけられないなら、遠く世界の裏側まで行くこともあることを知っていたし、進んだ最先端の知識を得るには、英語が出来なくとも、海外に出なければならない、ということも知っていた。

 戦争前後に作られた多くのいわゆる日本の特質、高い貯蓄率やそれを支える倹約の精神、島国にこもって終身雇用に安住するという安定志向、そんなものが嘘だということを良く知っていたのだと私は思う。彼らから見れば、会社を解雇されただけで自分の全てのプライドと自信を失ってしまい役に立たなくなる会社人間や、自分達が海外に出ることもなく、かつ海外からの流入も少ない今の閉鎖的な島国根性が日本人だとも思わないのではないか、と思う。戦後の成功神話の中で重視される、日本の集団主義的な経営手法や産業政策を始めとする政策、終身雇用、年功序列、高い貯蓄率など、その多くが、単に戦争前後に作られた一時的なもので、日本人の本質とは異なるということを良く知っていたのでないか。

「江戸っ子は宵越しの金は持たない」という言葉がある。この言葉の意味は、江戸っ子というのは、自分の腕に自信があるので、その日その日でお金を使い果たしても、翌日はまた自分の腕でお金を稼げばよいので、余分なお金は必要ない」という意味が込められているという。ここには終身雇用も、高貯蓄率も、清貧の思想もない。

 モノ作り中心、規模の経済の論理が中心の工業社会が終わり、知識集約型の、個人個人の独自の発想・アイディアが重視される情報社会が来ている。また、いわゆるグローバリゼーションにより、国境を越えてビジネスチャンスが拡大しており、さながら大航海時代とも言える時代が来ている。 しかし、長期の不況下で自信を失ってしまった日本人は、それらの変化をネガティブにしか受け入れようとしない。集団主義でチームワークが強みの日本人には、情報社会というのは向いていない、また、島国の日本には、異文化との交流が苦手で、グローバリゼーションには適応できない、などなど。挙句は、かつて百年以上も前に、フランスで出現した重農主義者達のように、「モノ作り」に無根拠に固執して、知識集約型産業を蔑視する考えや、グローバリゼーションは、米国の陰謀だ、というような一切の変化を受け入れない頑迷な保守主義が台頭しているように感じる。

 私は、日本人はもっと自信を持つべきだと思う。
 江戸時代には、西洋の文明とは一線を画し、科学的な進歩よりも、文化的かつ自然の豊かさな重視する高度な消費社会を実現していた私達の国日本。当時から世界一の識字率を誇り、職人・商人達は独自の技術も持ち、すでに情報社会にも、グローバリゼーションにも対応していた。我々の先祖は、南方から、そして北方の大陸から渡ってきたのであり、様々な民族の血と知恵を融合し、濃密なコミュニケーション文化を平和裏に熟成してきた。江戸期以前、16世紀までは、世界経済の中心を担ったアジアの豊穣な海洋国家群の一翼を担い、アジア中に進出して、日本の発展を促した。

 私達は、堅苦しい、集団主義や倹約主義、貯蓄主義、終身雇用、純血主義、そんなものに固執せずとも、他にも多くの日本人としての強みがある。 私は、そんな日本人の可能性を、底力を引き出す政治がしたい。

 方法は二つ。(1)外部からのショックで覚醒を促すか、(2)内部から覚醒を促すか。
 振り返ると、私の政経塾の前半の研究・活動は、(1)のアプローチの模索であり、後半は、(2)のアプローチの模索であったと総括できると思う。

 まず、(1)の方法論に関して。
 欧州統合という大きな外交的・国家的目標を掲げ、「欧州の中の自国」というビジョンを示して、自国の変革を促した欧州の政治家達。市場統合により、自国の構造改革を進めるというある種の荒業で欧州の復活を成し遂げた政治家達の手法。
 現在の主流の学者達の考えでは、経済政策等政策によって経済成長を伸ばすことは難しいとされている。長期的な国家の発展・経済成長を演出する要因は、逆に社会学的な部分によるとされる。
 現在の平成不況が始まった際、平成不況を称して、「芥川龍之介不況」と呼ばれていた。不況の原因が特定できず、ただ漠然とした不安感の下で停滞していく状況を、漠然とした存在の不安に喘ぐ芥川の姿に重ねたものらしい。
 平成不況は、その多くの部分が金融政策を始めとする政策にあると私は考えている一人だが、政策の失敗が与えたダメージは、経済分析の対象になる部分ばかりではなく、社会学の分析対象になる、人々の精神のあり方にまで及んでいると考える。デフレスパイラルは、物価や資産価値の下落を通じて、人々の心理を萎縮させる。人々の心理の萎縮は、消費の停滞として表れ、消費の停滞が生産の削減、雇用の悪化、そして雇用の不安が更なる消費の悪化を招き、物価の下落につながるという悪循環に陥る。この状態に対して政策は全くの無力ではないにしろ、あまり有効な策を持ち得ない。財政に頼らず、(逆に財政再建は着実に進めつつ)、大幅な金融緩和を行えば、構造改革への人々や市場の期待を裏切らずに、デフレスパイラルを止めることが可能かもしれない。しかし、その際重要なのは、インフレにもデフレにもならない、金融緩和のラインを着実に探る、ということではなく、国民に、政府は断固としてデフレを認めず、かつ人々の萎縮した精神を解き放って向かうべき方向性・ビジョンを大胆に示すことではないか、と考える。インフレを抑制するためには、お金の量を管理するよりなにより、お金が流れていく先をしっかりと確保することが重要だと考える。
 政府のプレッシャーによる小出しの金融緩和では全く意味がないし、かつ金融の緩和策だけでは、国民の精神的な萎縮を解き放つことは出来ない。私ならば、現在シンガポールと進行中のFTA交渉を前倒しで進め即時締結を打ち出すと共に、アジア諸国並びに米国とのFTA締結を打ち出し、世界の中で生きて行くという日本の国家としての意志を示すだろう。財・サービスの交流だけではなく、金融や人の自由な交流も認め、多くの気概のある日本人が海外を目指すことを奨励すると共に、多くの優秀な外国人を日本に受け入れるように努めるだろう。また、独自の発想やアイディアを持った企業家を育てるために、教育ビックバンを行う。画一的な文部省ピラミッドを解体し、コミュニティスクールという形で、民営化、並びに教育の場に地域の様々な知恵を注ぎ込むだろう。

 次に(2)の方法論に関して。
 マクロな部分から、もしくは外部からの衝撃・リーダーシップで社会を変革する手法とともに、もう一つ考えられるのが、内部から、ミクロな部分から、人々の覚醒を促す方法だ。
 昨年、あるNPO主催のイベントで、鈴木 寛という慶応大学の助教授と知合った。彼は、通産省の国家官僚だったが、マクロな政策の限界と非効率を感じ、教育やNPOなどで、社会を内部から変えていく、という方法論を選択している。彼の参議院選挙を手伝って、彼の側で彼の思想を学び、大きな影響を受けた。また、彼は、東京選挙区の民主党候補として出馬していたので、彼の選挙は、いわば民主党東京の選挙であり、民主党の他の国会議員のことなどもよく知ることができた。詳細は、7月の月例報告で触れたので割愛するが、彼らがあまりに弱く、基盤の無い政治をしているのか、ということもわかった。自分は、そういう政治家とは違う政治家にならなければならないと考え、まずは、政経塾を出てからの第一歩を最小単位の行政単位である市区町村議員から始めることにした。「地域から日本を変える」という政経塾の骨太の思想を自分なりに追求していきたい。先日、あるテレビで中田宏塾員が、「政治家の思想や政策は、政治家のなり方で決まる」という旨の発言をしていた。理想の地域作りを多くの仲間を作りながら進めていく過程で、自分なりの政治思想・政治基盤を確固たるものにしていきたい。

 私は、現在、東京の下町、葛飾区に拠点を置いて、政治家としての第一歩を始めようとしている。選挙まで時間のない、苦しい状況ではあるが、多くの仲間が駆けつけてくれ私を支えてくれている。
 多くの応援団の中でも、特に財政的に私を応援してくれている二人がいる。二人とも同年代なのであるが、彼らの内の一人は、特殊技術のアニメーション作成を請け負う会社の社長であり、もう一人は、日本人ながら高校卒業後、すぐに台湾に渡り、現在は台湾で二つの飲食店のオーナーを務めつつ、一つの貿易会社の経営にも参画すると同時に、上海で船会社の経営にも参画している。僕は、こんな象徴的な二人が支えてくれている中、政治家としての第一歩を始められることを、非常に幸運であると同時に非常に名誉なことだと考えている。21世紀の日本は、彼らのような人々が担っていくことになると考えている。だからこそ、彼らと共に、そして精神的には、彼らのために、政治をやっていくことが出来ることを誇りに思う。

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鈴木烈の論考

Thesis

Retsu Suzuki

鈴木烈

第20期

鈴木 烈

すずき・れつ

八千代投資株式会社代表取締役/株式会社一個人出版代表取締役

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