Thesis
憲法改正論に問われているのは、日本という国をどう定義するか、どうすべきかという「国家論」である。その際、国家をいかなる存在として認識するかという「国家観」は「国家論」の前提となる。国民と国家を自己と他者として捉える二元論を超えた、成熟した「国家観」への収斂こそが現在の日本にとっての根本課題である。
1947年5月3日の日本国憲法施行から数えて57回目の憲法記念日を迎えた。新聞各紙では独自の憲法改正試案をはじめとした多くの特集が組まれ、テレビ番組においても討論の場面などが多く見られた。また、様々な立場での集会も各地で開催されている。衆参両院においては憲法調査会設置後4年が経過し、各政党の見解も来年以降に提出されてくる見込みである。半世紀以上にわたって議論のあった憲法改正への取組がいよいよ現実味を帯びてきているのが現下の状況であろう。
本論では、まず、徐々に収斂されてきた議論を類型化しつつ、この半世紀にわたる憲法論議を概観する。憲法改正を論じるにあたり、その議論の全体像と歴史を 踏まえることは必須であろう。その上で、憲法9条・平和主義を題材に、憲法論議に表出するある「国家観」を克服すべき憲法改正への大きな課題として論じたい。もちろん、しばしば指摘されるように憲法改正論は憲法9条のみの議論ではないし、ましてや「知的アクロバット」を駆使する条文解釈論でもない。憲法改正論に問われているのは、日本という国をどう定義するか、どうすべきかという「国家論」に他ならない。国家をいかなる存在として認識するかという「国家 観」は「国家論」の前提であり、「国家観」の収斂こそが現在の日本にとっての根本課題であると考える。最後に、憲法改正を通じてその根本課題を乗り越えていく方向性を探り、本論のまとめとする。
憲法改正をめぐる議論は非常に広範囲にわたる。上に記載した論述を行うにあたって用いる中心的な論題は、やはり憲法9条を中心とする「平和主義」としたい。憲法改正論は9条のみの議論ではない。しかし、議論されてきた年月・回数・必要性ゆえに、相対的に最も議論が成熟し、かつ広範に認知されている論題は9条を中心とした「平和主義」であろう。また、世論調査等における国民の憲法改正をめぐる関心度においても、圧倒的比率を占めており、9条論議を棚上げしての憲法論議も憲法改正も現実的でない。以上の観点から、9条論議を主に取り上げる議論として位置付けることとしたい。
特定の条文や論点に限定しない条件において、憲法改正すべきか否かの問いに対するスタンスを大きく区分すると賛否それぞれ2つずつに区分できる。賛成派は、「押しつけ解消論」と「時代変化対応論」、反対派は「解釈運用論」と「平和憲法至上論」である。反対派の両論は主に平和主義・憲法9条を念頭に置いた反対論であり、後段にて触れたい。ここでは、憲法改正全般の歴史的経緯も踏まえつつ、賛成派のそれぞれのスタンスについて概観しつつ論ずる。
まず、「押しつけ解消論」であるが、これは現憲法がアメリカもしくはGHQにより半強制されたものであることを論拠に自主的な憲法を制定すべきとするスタンスである。「押しつけ」という感情的表現はともかく、「強要」の要素がなかったかと言えば、あったと言うことができるだろう。日本側が1946年2月8日に提出した「松本委員会私案」に対し、2月13日にGHQ側から私案の拒否とGHQ草案の手交があった。GHQ草案は、「松本委員会私案」が毎日新聞に掲載された2月1日以降(2月3日にマッカーサーから民生局に指示があったとされる)、突貫作業で作られたものである。組織構造上はGHQの監督権があった連合国の調整機関、極東委員会と、GHQ・アメリカとの主導権争いも背景にあったことはよく知られるとおりである。この過程において、GHQ案受け入れが天皇制護持の条件であることが示唆された。占領下にあった日本がGHQ案を突っぱねることは本質的に不可能であり、GHQ草案提示以降の作業はせいぜい条件闘争に過ぎない。そういう意味では、「押しつけ」の事実そのものに大きな異議はない。
しかし、押しつけだから改正すべきであるとの論理は、その言葉自体がそうであるように、非常に感覚・感情的である。本当は強要の有無そのものが問題ではなくて、強要があったがゆえに日本人自身が自国のあり方を自己定義していないことが問題なのではなかろうか。それも、他人の言いなりで良いのかという後ろ向きの感情論でなく、民主主義国家としての妥当性、憲法における国民主権との整合性という観点から論じられるべき主張であろうと思う。
もちろんこのスタンスからの論調全てが感情論であるわけではない。代表例は、外国製ゆえに日本固有の歴史・文化の考慮が欠如しているという点であろう。国家はその歴史・文化と切り離された存在ではありえない。その観点からすれば、前文などに一定の叙述を加えることは一案となるであろう。
次に、「時代変化対応論」である。「押しつけ解消論」がある意味では憲法制定と同時に発生し、今に至る歴史を持っているのに対し、「時代変化対応論」は比較的新しいスタンスである。環境権やプライバシー権など、憲法制定当時に概念すらなかった権利を追加すべきといった論や、冷戦後の安全保障展開を踏まえた9条改正論、地方分権論を踏まえた地方自治の再定義、など雑多かつ多くの論点が含まれる。共通点は、基本的な問題意識の出発点が、憲法制定時・制定過程ではなく、現在・現状にある点にある。
つい最近まで政治の場における憲法改正論はタブーであった。大臣が会見で改正論を述べたことにより、憲法99条の憲法尊重義務に反するとして、辞任に追いこまれた事例は少なくない。タブーがタブーでなくなった背景には、現在・現状をもとにして憲法を論ずることにより、憲法論議が観念的な神学論争でなくなったという側面があるだろう。その意味で、「時代変化対応論」が憲法論議全体に寄与した効果は非常に大きかったと考える。
しかし、問題点もある。個々の論点が各論であるために、憲法改正にて究極的に論じられるべき総論としての「国家像」が忘れられがちになるという点である。9条論議にしても、地方分権論にしても国家のあり方を定義する非常に重要な点であることに違いはないが、それは国家像の断片に過ぎない。更に言えば、「時代変化対応論」は全般を通じて、理念として国家をどう捉えるかという点についての本質的な課題を内包しているように思われる。憲法改正論議はいかなる国家であるべきかを論ずる国家論であり、「国家観」は国家論を構成する改正論議の各論をつなぐ柱である。次節では、憲法9条・平和主義論議を題材に、この点について論じることとしたい。
9条・平和主議論には、半世紀にわたる伝統的議論と、冷戦終結・湾岸戦争を契機に現れた議論の2つの流れがある。前者の議論は、自国防衛を想定した平和と軍事力の関係性を論じる議論である。軍事力を抜きにした平和は現実的にありえないとする立場から9条改正を主張する改憲論と、日本が率先して戦争・軍事力を放棄・縮小することにより戦争の種を消去すべきとの護憲論に大別できるだろう。冷戦後に生じたもう一つの議論は、国際安全保障の領域への日本の関わり方をめぐる議論である。代表論には、世界第二位の経済規模を持つ国として応分の責任負担が必須であり、その為に自衛隊をも活用する人的責任負担が必要であるとする立場から、制約となる「自衛権」などの改正を求める立場がある。もっとも、これに対しては、NGOなど軍事力以外で可能な人的負担はいくらでもあるとし、自衛隊を海外へ出すことに反対する護憲論の立場もある。
伝統的議論における改憲論と護憲論、何が両者を分かってきたのか。改めて強調するまでもないが、ここに存在したのは、平和と軍事力の関係性をどう捉えるかの相違であった。そもそもの立脚点が全く異なる為、延々と繰り返された議論は結局収斂しなかった。しかし、この伝統的議論について言えば、ここ10年程の流れのなかで、ほぼ決着したように思われる。第二次大戦時の経験をもとに軍事力の無意味さ・無力さ・非合理性を帰納的に導き、軍事力の排除を平和という理想から演繹的に主張する護憲論は年を追うごとに世論の支持を失っている。護憲論の焦点は、自衛隊そのものの違憲性から自衛権を明記するか解釈可能かなどのややテクニカルな解釈運用論に移行したと考えられる。一方、改憲論においても、いわゆる第二項改正論がクローズアップされている。第一項、即ち侵略戦争の放棄については、維持すべしとの見解が多い。第二項改正の具体的内容には、自衛権の明記や「前項の目的を達するため」の表現及び文脈調整など様々な見解があるものの、大きな対立点ではないと考えられる。
では、9条改正論は実現直前まで収斂してきたといえるのか。私はまだ大きな問題が背後に隠れていると考えている。それが、「国家観」の問題である。ここで私が問題とする国家観は、国家と国民を対立的二元論で捉える国家観についてである。この場合、国家と国民の関係性は、間に明確な一線を有する自己と他者であり、国民は他者である国家に猜疑心をもって対峙する。この国家観からは、我々自身がいかなる国家、いかなる日本を創造していくかという総合的な国家論は生み出されにくい。国家は他者が組織し運営していくものであって、対峙する国民はそこに発生する利害に対して個別に反応することとなる。国家が勝手に動いていくことをいかにして防ぐかという受動的な反応はあるとしても、国民が主体的に創造・選択して国家を形作ろうとする意思が存在しないため、「国家論」の成熟が見込めないのである。
「対立的二元論」は改憲論・護憲論双方に存在する。最も分かりやすい表現は「歯止め」という表現だろう。悪さをするかもしれない国家に対してその可能性を排除すべく強力なタガをはめようとする発想である。解釈によって現状維持可能とする護憲論においては、「現行条文ですらこれだけの自衛隊を整備・保持することができたのだから、それを緩和したらどこまで進んでしまうか分からない」として歯止め論が強調される。改憲論においても、いわゆる国際協力条項を第三項として挿入すべきとの論において、「国連合意下のPKOなどはともかく、単独もしくは米軍共同の軍事力行使に歯止めをかけるべき」として現行条文はそのまま残すべきとの主張がなされる。これらの発想には、我々自身が政治によりいかに主体的に軍事力を制御していくかとの観点が欠けており、政治権力・官僚による執行権を憲法を使っていかに制約するかという発想に彩られる。
憲法による政治権力の制約そのものを否定するわけではない。マグナ・カルタは英国の特権階級がジョン王に認めさせた絶対王政の政治権力を制約する憲法の根源であった。憲法が自由の基礎法であり最高法規であるとともに、制限規範であることは誰も否定しないであろう。しかし、この時代は民主主義には遠く及ばない時代であった。この時代であればこそ、権力を自己と対峙する他者として捉える発想は妥当性を持つが、現在の日本が近代民主主義国家であることに何の疑念もない。「歯止め」は憲法に求めるだけでなく、我々自身と我々全員が営む政治に求めるべきではないだろうか。我々自身が軍事力を適切に制御する意思と具体 的制度を持つべきことが、少なくとも歯止め論と同じレベルで認識されなければならない。今から200年以上も前に、「人民の人民による人民のための…」という一節があったことを、今改めて思い返すべきである。
憲法改正は「国家論」である。「対立的二元論」という国家観に基づく限り、新たな国家像は現在と本質的には変わらない。新たな人権が挿入され、地方分権が再定義され、そして9条が更新されたとしても、そこにある日本という国家は流れの中で現状を追認した国家に過ぎない。まさに、あってはならないとされる現状追認型の憲法改正に終わってしまうと考えられるのである。
国家あっての国民か、国民あっての国家かという命題がある。私はこの二者択一そのものがナンセンスだと考えている。国民なくして国家は成り立たないし、国家なくして国民は成り立たない。どちらの要素を重視すべきかは、時と場合に応じて変化せざるを得ず、国家と国民はその適度なバランスの下に機能するのである。
現在の日本、そして日本に欠けるのはこのバランス感覚ではないか。国家と国民を二元論で捉える発想の源泉は、お上という言葉があるように、日本に伝統的に 存在した構図でもある。また、戦前から戦中にかけての国家主義への反動もある。国民それぞれの思いはともかく、国家・国民が一元化してことにあたった経験とその結果が、対極に位置する二元論を生じさせたのだろう。
今日に至るまでそれが継続してきた「責任者」を教育やマスコミに求めるのはたやすい。それぞれに改善点があることも事実だろう。しかし、その議論だけをし ても、結局は我々自身の問題を抜きにして「他人」に原因を求める二元論のスタンスの域を大きく出るものではない。教育やマスコミへの過度の責任追及はスケープゴート探しにしかならないと考える。
私は憲法改正が、我々自身の問題、バランス感覚の欠如を解消していく一つのプロセスになると考えている。憲法改正とその先にある国家像をめぐる議論が高まれば高まるほど、いや応なく一人一人が日本のあり方を考えるようになる。そして最後には可決・否決を問わず、国民投票というかたちで一人一人が国家のあり方に判断を求められるのである。一般に、具体論を詰めれば詰めるほど、抽象的直感論では議論が成り立たないことに気づく。憲法改正にしてもしかりで、議論 の高まりに応じて、日本・国・国家という存在を自らのものとして認識し、そこに内部から作用する自分自身を意識することに結実することを想定するものである。
二元的国家観は見方を変えれば、「公」概念の空白とも理解できる。個としての国民と全体としての国家が交差する部分が「公」であるが、二元論においては国民と国家をせいぜい接するまでにしか許さない。しかし、感覚的・直感的に「公」を無視する傾向があるにしても、日本人は実は「公」に渇望しているのではないだろうか。新撰組がNHKで放映されて人気を集めるように、江戸時代から明治維新にかけての我々自身による「公」の創造をどこかうらやましく思う感情があるように思うのである。憲法改正への道筋が、二元的国家観を克服し、日本の国家像を正面から論ずる道筋であると考え、私自身もそのための議論を高めるよ う取り組んでいくつもりである。
[参考文献]
『憲法』 芦辺信喜 岩波書店 2002年
『「憲法9条」国民投票』 今井一 集英社新書 2004年
『安全保障』 田中明彦 読売新聞社 1997年
『「市民」とは誰か』 佐伯啓志 PHP新書 1997年
『国家の役割とはなにか』 櫻田淳 ちくま新書 2004年
読売新聞 2004年5月3日版
朝日新聞 2004年5月3日版
毎日新聞 2004年5月3日版
産経新聞 2004年5月3日版
東京新聞 2004年5月3日版
Thesis
Yosuke Kamiyama
第24期
かみやま・ようすけ
神山洋介事務所代表