Thesis
「大国」は、我々の自尊心をくすぐり、我々の鬱屈を取り払う魅力的な言葉である。しかし、それは往々にして情緒のレベルの問題である場合が多い。感情論を廃した日本像追及のために、新たなステップを探る。
「アメリカは陰に陽にいろいろやってくれている。日本は全然じゃないか。」
今でもこの言葉が耳の奥に残る。これは、台湾にて、ある政府関係者から投げかけられた言葉である。
私は10月下旬、台湾を「感じる」べく台北に渡った。台湾における脅威感、日本や中国の認識、台湾の人々の考え方、ある意味では台湾そのものを感じようとした。政策や事実関係、歴史などは文章を読めばそれなりに理解はできる。しかし、その文字に潜む本当の感覚、思い、意識はなかなか実感できない。安全保障という究極にリアルでありながら、多くの部分を人や組織の心理という目に見えない部分に依存する領域を扱う限り、現地、当事者の持つ本当の感覚や思いを皮膚感覚として感じ取ることは必須である。
一度や二度現地に赴いて話をしたからといって、「皮膚感覚を得た」と広言できるほど単純でないが、ゼロとイチは全く違うとの思いで赴いた台湾であった。中国と韓国については、昨年度に訪れており、少なくとも「イチ」にはなっている。東アジアの安全保障を考える際に、当面のイシューが朝鮮半島と台湾海峡にあることは常識であり、今回については、その意味で欠けていた台湾を「イチ」にする意味合いがあった。
「アメリカは陰に陽にいろいろやってくれている。日本は全然じゃないか。」
やはり台湾でもそうか、と私は感じた。中国、韓国、そして今回の台湾。文脈や表現が異なるものの、その背景にある共通した認識パターンを私は改めて感じ取った。それは、日本という国をどう見るかという日本観である。もう少し踏み込んで言えば、大国日本観とでも言おうか。
当然ながらこの言葉は、台湾にとっての唯一最大の脅威である中国を念頭に置いた言葉である。周知のように、アメリカは「台湾関係法」を国内法として持ち、台湾への防御的武器の提供などを通じて実質的に台湾の防衛政策を援助している。「陰に陽にいろいろ…」とは政策実務担当者や軍関係者間の人的交流とそれに伴う情報を含めた意思の疎通などを指す。ちなみに今回、訪台した際には12月に投票が行われる立法院(国会に相当)選挙の前哨戦が始まっており、テレビや新聞も論点の一つとして、アメリカからのMD(missile defense、ミサイル防衛)導入とディーゼル潜水艦購入予算の是非が大きくとりあげられていた。前者については、6,800億台湾元(約2兆円)を支出し、日本も来年度より実戦配備しようとしている地対空ミサイル(PAC-3)などの導入を図ろうという内容である。対岸に数百発の地対地ミサイルを配備している中国に対する台湾の防衛に関して、アメリカは死活的に重要な援助を行っている。日本ももうちょっとなんとかやってくれよ、というのが素直な意図だっただろうか。
ただ、その言葉の背景に先に述べた大国としての日本のイメージが見え隠れする。大国でないと述べたいのではない。経済大国であることに議論の余地はないし、日本を形容する○○大国というキャッチフレーズは多く存在する。一般論からすれば大国である。軍事面においても、突出するアメリカに次ぐ防衛予算を持ち、陸海空にて最新鋭の技術水準を備え、隊員の練度も相対的に高いとされる。しかし、対外的なパワーポリティクスの基礎としての軍事力を、政策的にも純軍事的にも半世紀以上にわたって放棄してきた日本は、軍事、安全保障において究極的に大国たりえない。パワープロジェクション(対外的戦力照射)能力はないし、憲法などによる厳しい法の制約を持ち、なによりもそれを許す国民世論はない。少なくとも、軍事・安全保障において大国でない日本にとって、アメリカと同じ大国の土俵で対比されることは身分不相応であろう。外交領域においても、軍事・安全保障の問題と関連する限り外交力の基盤は軍事・安全保障にわけで、同様に大国としての日本を語ることが困難である。しかし、その現実と裏腹に、日本は往々にして大国である前提で語られる場合があり、今回もそれに直面したことになる。
「やはり台湾でも…」と感じたのは、中国でも韓国でも似たような経験があったからである。文脈は全く異なる。例えば中国では、日本の大国イメージが軍事大国復活の懸念として会話の中に現れる。予備知識としてそれを知っていた段階では半信半疑であった。政治的レトリックとして用いられる言葉ではあっても、まさか心底そう思っているわけではないだろうと考えていたのである。が、いざ目の前で軍事大国化への懸念が語られると、さすがにショックを受けた。かなりの程度、信念に基づいて大国日本を語る傾向があるように感じるのである。往々にしてそこで語られる軍事大国日本に実体はない。半世紀以上前の日本のイメージに基づく観念上の軍事大国か、もしくは防衛予算の7割以上が糧食費と人件費で正面装備費には2割程度しか配分できないことを無視した、5兆円という数字上の軍事大国がほとんどであろう。
ただ、問題は、軍事大国日本を語るロジックの弱さにあるのではなく、現実に大国日本を前提として議論がなされてしまうという実態にある。再度繰り返しになるが、日本は大国でなく小国なのだからおかしい、と述べたいのではない。昨今流行の経済連携を語るEPA・FTAをめぐる議論の領域においては紛れもなく日本は大国である。日本の政策判断がアジアをはじめとした世界各国の国内経済、それら相互の経済に大きく作用することは疑いないだろう。しかし、そのことと軍事・安全保障の領域で大国であるか否かは次元の異なる話である。大国日本が強調されると、それが軍事でも経済でも文化でも…、とあらゆる領域で大国であるように見られる傾向があるのではないか。そしてそのことが、「日本ももっと何とかして欲しい」であったり、「軍事大国」という軍事・安全保障上の大国としての日本を作り出し、日本を巡る二国間関係、国際関係の議論を変に複雑化させているのではないか。
さて、このあたりまで話を進めてくると、大国とは何かを定義する必要に迫られる。ポール・ケネディによる『大国の興亡』には以下のようなくだりがある。
-歴史的な記録が示唆しているように、個々の大国の経済の上昇および下降と重要な軍事大国(あるいは世界の帝国)としての盛衰のあいだにも、長い目で見ると非常に明白な関係がある。
大国であることの基礎条件として、少なくとも経済力と軍事力が必要であることを示唆しているものと考えられる。大国を一般的に定義しようとすれば、国際政治において相対的に大きく作用する力を持つ国家ということになろう。そういう意味では、日本は主に経済面を中心に大国であると理解できる。しかし、軍事面においては明らかに大国ではない。ここまで論じてきたなかでの私の大国の定義は以下のとおりである。即ち、大国とは国際秩序構築・維持に関して、根源的なパワーポリティクスの次元において、単独もしくは先導的アクターとして振舞うことができる国家であると考える。そして、そうしたアクターとして振舞うための、前提としての経済力、それを基盤とした物理的強制力としての軍事力、さらにその用い方としてのグローバルな戦略を兼ね備えた国家、これを大国と考える。根源的な意味での大国にとっては、経済力と軍事力の双方を保持していることが必要条件なのである。
一部には、そうした古典的な思考枠組を時代錯誤と捉える論調もある。たしかに、冷戦後の欧州の展開をみれば、協調的安全保障という趨勢が高まって、力と力の相互作用を基調とした関係から脱している部分もある。しかし、それは欧州という一部のかつ内部限定の話である。大統領選をめぐって親ロシア地域と親欧州地域に分裂の様相を呈しているウクライナを見ても、EUとロシアがそれぞれ調停に入っており、その根底に大きな国際秩序をめぐる力学が働いていることは明らかである。さらに言えば、日本周辺の地域は、田中明彦氏の「3つの圏域」論をひくまでもなく古典的な力の力学が明確に残存しており、東アジアの国際秩序の底流に依然としてパワーポリティクスの側面を強く残している。アナーキーを中核とする伝統的世界観が依然として底流を流れることには、全く議論の余地が無い。
こうした状況下に存在する「大国日本観」の弊害は何か?大国視のその先には、期待と警戒の両面がある。この期待と警戒が過度に大きくなったとき、実体のない大国日本に対しては必要以上に大きな失望と恐怖が生ずる。これこそが大国日本観によって日本にもたらされる弊害であり、損失に結実するものだろう。仮に中台紛争が発火した場合、今の日本はどんなスタンスをとるだろうか。日米同盟、周辺事態法、自由主義…、様々な観点から台湾に肩入れすることがあるかもしれないが、それにしてもある程度以上の肩入れは困難であろう。しかし、大国日本観を前提とした「期待」から導かれる台湾の日本への態度は、「期待」に反する「必要以上の失望」になりかねない。また、中国との関係においても、大国日本観に基づく「警戒」が「必要以上の恐怖」に結びつくように思う。つまり、「期待」と「警戒」が大国日本観を媒介として、「期待に反する失望」と「警戒の先にある恐怖」の増幅へとつながることを懸念するのである。例示を述べるのはここまでにするが、議論の前提に日米中ロを「四大国」を置く傾向がある韓国においても類似の想定が可能であろうと思う。
外交関係において、全てのアクターに良い顔はできない。一つのアクションは多くの場合、それぞれの立場から肯定、否定の両面で評価されることが常識である。従って、先に挙げた事例で、どちらに対しても失点が発生することを問題にしているのではない。得点が増幅されるならいざ知らず、失点が増幅してしまいかねない今の日本、日本像について問題意識を抱くのである。
なぜこうした状況にあるのか。確実に言えることは、何か一つの原因があってではなく、文化や歴史、教育や国民性、国内国際を問わず各国の置かれた状況など無数の要素が積み重なって発生している現象であることである。従って、この課題の克服も一朝一夕に進むものではない。それぞれの国家における国、企業などの組織、個人が絡み合うなかで、年月をかけてギャップを埋めていく以外にはない。更に言えば、日本とそれぞれの国の間に見え隠れする日本観の認識ギャップという問題は、外から内に対するものだけではない。実は我々日本人自身が内包している課題であろうと考える。外から内に向かう認識ギャップの一因も、我々自身が内から外に向けて発信する日本像のギャップによってもたらされている部分があるのではなかろうか。ここまでの議論、そしてここからの議論はつまるところ日本という国のグランドデザインの問題である。
国内問題と国際問題の本質的な相違は、主語の数にある。国内問題は、「我々」を主語として「どうするべきか」を論ずる。金利なり、気候変動なり国家が完全に制御できない変数はあるものの、それを受けた行動の主体が「我々」であるという意味で主語は1つである。一方、国際問題はたとえ「我々」が「こうしよう」と思っても、そこには必ず他の国という「相手」がいる。その関係性は相互のやりとりからしか生まれないため、主語は必然的に複数となる。切り口は主権の及ぶ範囲の違いであり、外交、安全保障などの問題を語る複雑性はここに発生する。我々が「こうありたい」、と願うだけでは全くの独りよがりで実現可能性が無く、かと言って「こうなってほしい」と思われるから「そうなる」と決めてはならないことは言うまでもない。我々が「こうありたい」と願い、かつ「そうあってほしい」と思われること、理想に過ぎないかもしれないが、ゴールはここにある。
外から見た日本観が実態と乖離した部分があることを先に述べた。ここでは、外から内だけでなく、内なる日本像、我々自身に内在する対外的日本像にも乖離が大きいことを述べたい。日本のビジョン不在を問題視する声は大きい。憲法改正も論議される今という時代は遅ればせながら日本が日本としてどうありたいかというビジョン模索の時期である。日本は戦後という時代のなかで自ら国家における力の体系から目をそらせてきた。そして、日本は、冷戦という時代の中で国際秩序における自らの位置づけを考えずに済む環境を手にした。我々自身が構築しなければならない内なる日本像をめぐる議論の出発点は、そうした時代が変わった今から約15年前にさかのぼる。
1999年に端を発して翌年に始まった湾岸戦争、そして同時並行的に進んでいた冷戦の終結。これが今に至る議論の出発点にある。前者は戦後日本の限界を示し、後者は冷戦下の日本を終わらせた。右と左の原理闘争は時代遅れとなり、日本像をめぐる議論が新たな次元において始まったターニングポイントになったのである。それを象徴する言葉が、今なお語られる「日本改造計画」で主張された「普通の国」論である。
-「普通の国」とは何か。二つの要件がある。一つは、国際社会において当然とされていることを、当然のこととして自らの責任で行うことである。(中略)もう一つの要件は、豊かで安定した国民生活を築こうと努力している国々に対し、また、地球環境保護のような人類共通の課題について、自ら最大限の協力をすることである。
これが前掲書から引用した「普通の国」の定義部分である。ここには右か左かの原理論はない。実体として国際社会に浮かぶ日本を我々がいかに運営していくかという現実主義に基づいた観点のみがある。それまでの日本における対立の次元は、よく知られるように右と左のイデオロギー対立であった。イデオロギーという観念、言い方を変えれば国際政治における抽象的非暴力論である平和主義という観念論争の次元から、現実という次元へと変わっていき、体外を意識した内なる日本像をめぐる議論が開始されたがこの時期なのである。
今なお、日本像をめぐる議論の次元はここにある。「普通の国」という用語は、もはや著者自身の手を離れて、一般名詞化したかのごとく、多くの場で用いられる。そして、著者の手を離れてしまったがゆえに、「普通の国」論は時としてその意味を変えることになった。
「普通の国」が生み出された背景には、湾岸戦争時の日本を外からみて形容するいくつかの言葉がある。いわく、一国平和主義、キャッシュディスペンサー(CD)、「too little, too late」・・・。「普通の国」はこうした言葉に正対して、日本像を表そうとしたアンチテーゼであった。従って、議論のベースには、常に外との関係性を落ち着いて見極める視点が存在する。本文中にも、「日本国内でしか通用しないことを言い立てたりしない」や、「冷静に考え」であったり、「軍国主義化、軍事大国化などとは全く別次元」との表現が並ぶ。これだけ防波堤を張った意図からしても、落ち着いて見極める視点が吹っ飛び、曲解される可能性があったことが容易に想像できる。湾岸シンドロームという洪水が溜まりきったダムでは、これまで閉鎖のみであった排水口を部分的にではあっても開放した場合、シンドロームの水圧は排水口の調節バルブを狂わせかねない。「普通の国」が個人と国家の自立と責任を前提にしている以上、「普通の国」が過度に感情的・感覚的な軍事論を成り立たせてしまいかねない、その可能性は確信犯的に提示されたものであったろうと考える。しかし、そしてやはり、「普通の国」以降の10年の中で、現実として、「普通の国」が独り歩きした部分があることは事実である。
「日本改造計画」とほぼ機を一にして出版された「小さくともキラリと光る国・日本」という著書がある。ここには、「普通の国」が切り開いた新たな次元、観念論でなく現実論という新たな議論の次元に乗った上で、一人歩きする「普通の国」への警戒感が明確に出現する。
- 一時はPKO参加の是非で国内の世論は二分された感もあったが、カンボジアだけでも世界の四十カ国がPKOに参加していることを考えると、やはり現状の人的貢献(カンボジアへのPKO派遣、筆者注)はこれからも続けていかなければならないと考える。PKO活動によって国際貢献に対する国民の関心は大いに高まった。若い世代にボランティアで世界に貢献しようという姿勢を持つ人が多くなったことは、たいへん意義あることだと思う。同時に、日本も世界各国並みに軍事的貢献を行っていくべきだという積極的な主張が少しずつ増えてきている。なかには、憲法も思い切って変えようという意見、あるいは変えないまでも解釈だけでかなりの軍事的貢献ができるという主張もある、だが、しかし -。
前半部には、観念論でなく現実論の次元での議論がなされる。しかし、後半部には、現実論の次元をもたらした「普通の国」から屈折して派生する軍事への否定的見解が続く。長くなるのでこれ以上の引用は避けるが、否定的見解のなかで述べられているのは、軍事的貢献以外で日本が貢献できる道が多くあるという表現に込められた感覚的な軍事回避論と軍事躊躇論である。厳密な論理として軍事不要を論じることはできておらず、根底に流れるものは情緒である。
私はここに、湾岸戦争から今に至る、日本像をめぐる議論構造の原型を見る。すなわち、イデオロギーの観念闘争を第一世代として、それに続く、情緒の現実論闘争(第二世代)の原型である。「普通の国」論で意図された、「日本国内でしか通用しないことを言い立てたりしない」、「冷静に考える」、「軍国主義化、軍事大国化などとは全く別次元」、との防波堤が覆され、防波堤の向こう側での議論が特に昨今高まっているように感じるのである。
私は、9条は改めるべきだし、自衛隊をめぐるROE(交戦規定)不備などの基本的欠陥を一刻も早く解消し、集団的自衛権是認は当然のこと、米軍基地再編に絡めば極東条項も修正の余地があると考える人間である。しかし、それでも、この頃の一部世論や一部評論に表れる勇ましい防衛論議の底流にある情緒的な日本像の議論に違和感を覚える。北朝鮮や中国をめぐる勇ましい議論のどこに、「日本国内でしか通用しないことを言い立てたりしない」、「冷静に考える」、「軍国主義化、軍事大国化などとは全く別次元」の前提があるだろうか。要は、どこまで他国との相互関係を踏まえた判断があるだろうか。勇ましい防衛論議の底流にある情緒的な日本像の議論からは、私は一切その配慮を感じることができない。
「大国」。情緒的な日本像の背後に存在するのは「大国」という言葉である。ここで言う大国は世界のメインプレイヤーになりたいという意味での抽象的な大国である。「大国」は、我々の自尊心をくすぐり、我々の鬱屈を取り払う魅力的な言葉である。ただし、それはあくまでも我々の情緒のレベルまでに過ぎない。情緒を現実に適合させようとするのは、まさに冷静さを欠いた判断であり誤りである。「普通の国」論は現実論闘争という新しい次元を切り開いた。しかし、その次元において約10年間繰り広げられた議論は、情緒的大国観と情緒的大国警戒感の2つに分化・乖離し、その収束方向が見出せない限界に達しているように見える。根底に流れる意識が情緒である限り、我々自身に内在する対外的日本像は、「大国か非大国か」かの情緒論でしかなく、いつまでたっても抜け出すことができない。我々は今、「普通の国」論が切り開いた第二世代の議論から、次の次元(第三世代)の議論へと段階を進めなければならない。
第二世代の現実論闘争の限界はどこにあったのか。私は、それが、過去から今に至る中である程度現実として発生した問題の解消に主眼があった点にあると考える。国家安全保障に直結する自衛権などの問題、国際安全保障に関わる法の制約を解消しようとするとき、過去の問題を解消する手段ではあるはずのものが、過去の問題を解消するという目的に転化してしまったのではないか。それによって、擬似の目的の先に情緒から自然発生的に出現する大国日本観と、それを情緒的に恐れる警戒観とに収束してしまったように思うのである。
だとすれば、第二世代を超えた第三世代の議論は、手段の先の目的を踏まえた議論をしなければならない。過去の問題を解消する手段を、未来の目的を達成する手段として再認識する必要があるのである。独善的にならないという第二世代の前提を引き継いだ上で、我々は世界の中の日本として何を今後も獲得していきたいのか、何を実現していきたいのか、という目的を定め、その手段として安全保障や外交を位置づけ、具体的政策論議を進めなければならない。当然、そこに情緒的大国観に基づく軍事力行使の観点があってはならないし、一方で軍事力への情緒的忌避感もあってはならない。その時、大国か否かというレベルの日本像がもし重要であれば、自己認識と客観認識から、後からの結果として生み出されるのである。そして、第二世代から第三世代に議論の次元を上げることができたとき、はじめに述べた「外からの大国日本観」も収束に向かい、増幅も矮小化もない、あるがままの日本を認知させることにつながっていく。
情緒の第二世代から目標の第三世代への議論次元の移行はまだ明確には見られない。イラク戦争、北朝鮮問題、尖閣諸島問題などで現れる言説は、大国として振舞えない日本に対する日本人としての不満や怒りややりきれなさに彩られている。この袋小路から抜け出す一つの道が、「東アジア共同体」の議論にあると私は考えている。今回の論述の中心課題ではないため詳述は避けるが、ゆっくりとではあるが確実に地域秩序が変動しようとしているなかで、日本が、日本人が実体としてどのような役割を担おうとするのか、また担いうるのか、という観点から前に向かって議論を進めていくべきである。我々自身及び関係国との間で、抽象論を廃した具体的な役割、機能を論ずる中で、第二世代的な「大国か非大国か」の情緒は徐々に収束に向かっていくに違いない。日本像をめぐる議論が第三世代へと完全に移行したとき、それが日本にとって、ようやく戦後の終わりであり、冷戦の終わりなのかもしれない。
【参考文献】
松下政経塾編 「松下政経塾国際政治講座」 PHP研究所 2004年3月
ポール・ケネディ 「大国の興亡(上)(下)」 草思社 1993年3月
添谷芳秀、田所昌幸編 「日本の東アジア構想」 慶応大学出版会 2004年2月
平和・安全保障研究所編 「アジアの安全保障2004-2005」 朝雲新聞社 2004年10月
天児慧 「中国とどう付き合うか」 NHKブックス 2003年10月
小沢一郎 「日本改造計画」 講談社 1993年5月
武村正義 「小さくともキラリと光る国 日本」 光文社 1994年1月
Thesis
Yosuke Kamiyama
第24期
かみやま・ようすけ
神山洋介事務所代表