論考

Thesis

災害対策における発想の転換を  -新たな日本社会への原理を求めて-

私たちは、自然災害とどう向き合い、命と生活をどう守っていくべきなのだろうか。本稿では、地震という自然災害を中心に具体的事例をひきつつ、今後の日本が注力すべき災害対策を論じ、同時に災害対策のみに特化しない大きな視点から日本という国が向かっていくべき方向性に触れていく。

1.はじめに

6,000人を超える人命を奪った阪神・淡路大震災から10年が経過した。その間、昨年の中越地震を代表格として、日本各地が地震、水害、土砂災害など様々な災害に見舞われ続けている。改めて言うまでもなく、日本という国は、今後もこの自然災害とは切っても切り離せない。4つのプレートの上に立つ国土、それゆえの急峻な地形、夏になれば台風の通り道。有史以来、日本人は自然災害と戦い続け、そしてそれは今後も続いていく。高度に発展した現代の都市社会。自給自足の農村社会と比較して、都市社会が災害に対して脆弱であることは、論より証拠をまたない。私たちは、自然災害とどう向き合い、命と生活をどう守っていくべきなのだろうか。このことを突き詰めていくと、こと自然災害のみならず、現代日本が抱える問題とそれに対処するための大きな視座に行き着く。それは、日本社会に受け継がれ続けてきた経験や慣習の蓄積を活かしつつ、社会変動や環境変化を既知のものとして新たな社会像を創造をしていこうとする視座である。本稿では、地震という自然災害を中心に具体的事例をひきつつ、今後の日本が注力すべき災害対策を論じ、同時に災害対策のみに特化しない大きな視点から日本という国が向かっていくべき方向性に触れていく。

2.コミュニティ防災の意義

 神戸の海沿い、整然と整備された区画のなかに「人と防災未来センター・防災未来館」はある。当時を記念する各種資料や、その経験を活かすための研究活動が行われている施設である。私が現地を訪れたのが平日だったせいか見学者はまばらで、入口付近にある慰霊モニュメントが目に付く。そこには、犠牲となった全ての方の名簿が納められているとあった。周囲を見回すが、整然とならぶ復興住宅という名のマンション群からは10年前を想像できない。あまりにも整然と整備された状態からこそ、破壊しつくされた当時の状況を類推すべきなのだろうか。

 震災後に神戸市がまとめた調査などによれば、亡くなった方の8割は自宅でということであり、また、その死因分析によれば、同じく8割は圧死・窒息死であった。つまり、阪神・淡路大震災で命を落とした大部分は、自宅がつぶれて亡くなったということになる。更に、大半の方が発災から15分の間に絶命したとの調査結果もある。現代という時代において、特に都市において特に意識されるべきことは、いかに自宅で死なないかということに尽きるといえよう。

 最も直接的な対応策は、住宅の耐震(制震・免震)化にある。ただし、結論からすれば、そのコスト、所要年月、徹底度の観点から、この政策的手段のみで問題は解決しない。耐震工事の要否を判定する検査に対して各行政が補助を出して促進を図っているものの、結局は工事費そのものの個人負担を前に足踏みをせざるを得ないのが現状である。工法によって差異はあるというものの、現実的には100万円から300万円という金額がかかってしまう。一部、静岡や横浜などの自治体を除いて、工事費への大幅な補助ができる自治体はまれであり、膨大な財政負担による耐震工事の促進は非現実的オプションだろう。耐震工事の早期進捗による犠牲者抑制は論理的に可能であっても現実的には相当の時間を要するだろう。これに対する、別の政策オプションも存在するが、論旨とずれるため、詳述は避ける。

 こうした事実を踏まえたとき、展示にあった神戸市の「消防活動の記録」が被災現場のよりリアルな実態を目に浮かばせる。1月17日、神戸市の消防用電話回線118本は、終日受信状態だったという。一日の受電数は6,000件超。58件の火災発生と無数の生き埋め発生通報に対し、到底対処し得ない人員が懸命に対処したものの、当日に救出できたのは600名だった。119番通報してもつながらない、仮につながっても救助に行ける人員はいない、行こうにも倒壊した住宅等で市内交通は麻痺状態、なんとか移動しても途中で被災者から「今すぐ助けて!」と引っ張りだこ…。平時に我々が考えている「誰かが助けてくれる」の行政という誰かは、災害時には当てにできないのだ。既述のとおり、耐震工事の促進にも限界がある。では、どうすればいいのか。ここが議論の出発点である。

 災害対策を担う主体として常識的に用いられるのは、自助と共助と公助である。簡単に言い換えれば家族と近所と行政ということになるだろう。公助が機能不全に陥ることを前提とすれば、この問題の解は自助と共助にしかない。既に多くの場で語られている「地域での対応」や「コミュニティ防災」の必要性はこした論理的必然性からもたらされる議論である。行政という誰かに依存せず、特に発生から数日間の応急対応において、我々自身の手によって命と生活を守るために何をどうすべきなのか。この点にこそ、これからの災害対策を語る主題が存在する。

3.組織原理としての「地縁」と「下部」の限界

 新たな方向性を論ずるにあたって、まずは自助・共助を担保する既存対応がいかなるものかについて触れておく必要があるだろう。予め断っておくと、地域ごとの自助・共助を担保する枠組について、現在の日本全体を包括できるほどの一般モデルは存在しない。具体的な枠組は、机上論でなく、結局は地域ごとの様々な条件に依存する。自然環境、地形、周辺との地理関係、人口、年齢構成、慣習、歴史…。それは、過疎の要素を抱える中山間地から人口過密の都心部まで、そもそも日本における各地域を一般化し得ないという当たり前の事実に基づいている。従って、以下全ての記述において、それは100%全国各地に当てはまるものではない。もっとも、そういった実体としての枠組でなく、部分的な構成要素としては例示ができないこともない。その一つが、自主防災組織であろう。そして、節題にあるとおり、私の自主防災組織の認識は、その組織原理が「地縁」であり、また行政との上下関係における「下部」として位置づけられてきてしまったがゆえに、今後のコミュニティ防災における役割は大きいといえども限界ありという見解である。

 自主防災組織は自治会・町内会を基盤とした住民による実働組織として知られる。全国平均で言えば組織率は60%とされ、東海地震をはじめとする地震多発地帯として知られる関東から東海にかけての地域では、各県ごとに見ても、80%を超えほぼ100%に近い組織率に達している場合もある。日常生活に即してみれば、公園や公民館などの片隅に自主防災組織名が標記された倉庫を思い浮かべられるだろうか。実際の災害時には、倉庫の資器材を使っての救助(補助)、避難所への誘導、避難所の運営、復旧計画に関する住民意思集約など様々な役割を負う場合が多い。それゆえ、あらゆる災害が発生した後の報道、その後の議会における討論にては、必ずといっていいほど自主防災組織の重要性が語られ、また「組織率の更なる向上」や「組織活動の活性化」が定型句として論じられる。

 特に被災後の応急対応において、自己あるいは地域内での完結性が求められる原則からすれば、自治会という地縁を組織原理とする団体を基盤として自主防災組織が津々浦々に設置されていることは非常に合理的である。事実、阪神・淡路大震災をはじめとする各事例からは、自主防災組織の能動的かつ迅速な活動が当該地域の被害を食い止め、相対的に活動が緩慢であった地域との被害格差が大きかったことは数多く指摘されている。しかし、今一度、冷静に考えてみたい。自主防災組織はどれほど有効なのだろうか、有効であり続けるのだろうか。

 昨年発生した新潟における中越地震は、都市型災害の阪神・淡路大震災との比較という視点を提供した。そうした議論の一つに、発生直後から復興期に至るまで、新潟県内各地域の自助・共助が相対的にうまく機能したことを述べ、その論拠を被災地に多く残る昔ながらの地域コミュニティを挙げたものが少なくなかった。一方、その自主防災組織の組織率はと見れば、新潟県全県平均で22%ほど(平成15年)である。これは、自主防災組織の有無や組織率の高低とローカルコミュニティにおける自己完結力の大小が直結していないことの代表的な例示であろうと考える。組織率うんぬんは実は無意味であり、実体としての地域コミュニティがどれだけ機能できるかが勝負なのだ。

 これに対して、「自主防災組織は結局自治会の上塗りなのだから、自治会の力の大小がその自己完結力に繋がっているという意味で自主防災組織重視は間違っていない」という指摘をよく受ける。これは全くそのとおりで、もう少し一般化して言えば、地縁組織の凝集力が災害への対応力に大きく作用するのは疑いのない事実である。ただ、時間軸と日本における多様な地域性を意識したとき、地縁に大きく期待する立場がどれほど現実性を持てるだろうか。伝統的な地縁組織は、家族形態やライフスタイルの変質に伴って弱体化し続けている。自治会未加入という人は決して珍しくなく、また加入していたとして、その活動に積極的に寄与している人数は現実として非常に限られている。その背景には、慣習や伝統の尊重だけでは合意し得ない現代日本人の生き方や考え方の変質があると見て間違いなかろう。良し悪しでなく、現実としてその流れが逆流するようには思えない。こう考えたとき、特に自治体行政にて強く意識されている「自主防災組織を中核とするコミュニティ防災」という組織モデルの発展性(存在意義ではない)にまず疑問を抱く。これが、「地縁」組織としての限界である。

 「地縁」組織としての限界という観点に加えて、自主防災組織の母体である自治会・町内会の自治体における位置付けという観点から付言しておきたい。日常生活において、自治会・町内会は「以外に」広く機能している場合が多い。身近な例で言えば、消えてしまった街灯や回覧板の処理、ゴミ回収等のルール設定に始まり、基礎自治体における全住民を対象とした施策展開においては基礎基盤として機能しているといってよい。一部、戦時中の隣組を念頭に、こうした自治会・町内会の存在意義を否定する見解もあるが、私はそうした立場はとらない。しかし、こうした側面ゆえに、行政の受け皿、下部組織といった批判は常にあり、また実態としても「自治」に値する意思決定を行っているとは言い難い場合が多い。日常的に上下関係のなかで機能するがゆえに、災害時の自律的な意思決定にも限界があるとも言わざるを得ないだろう。

 もちろん、例外が多くあることは認識している。私がこれまで触れた事例のなかでも、行政の手を借りずに、要援護者(災害弱者)の名簿を何年もかけて整備し、また毎年情報メンテナンスを欠かさず、プライバシー情報の管理に最新の注意を払って災害時の使用法を検討し、どこの誰がどの地区の誰を確認しに行き、どうやってその結果を集約し…、という見事な共助を自治会単位で実践していた例もあった。そして、そこにはいざという時のことを真剣に考え、目立たずともコツコツと努力を積み重ねる人とそれを支える人のつながりがあった、そこに産まれたノウハウと明確な意思があった。しかし、そうした現状や新たな可能性を重々認識しつつも、「地縁」の意味の移り変わりや日常的な「下部」構造が生み出してきてしまった慣習などを考慮したとき、やはり、全般的には自主防災組織一辺倒からの脱却を図ることが今後への近道であろうと思う。くどいようではあるが、自治会なり自主防災組織に携わる特定の人の問題を指摘したいのではなく、問題の本質は避けがたい社会構造そのものにあることを再度強調しておきたい。

4.神奈川県小田原市での取り組み

 ここまで一般論を中心に議論を進めてきたが、「これまでの問題」と「これからの方向性」をつなぐ事例として、また新たなモデルの一部分として、私が携わっている 神奈川県小田原市での取り組みに触れることとする。小田原という場所は、南関東地震、東海地震、神奈川県西部地震、神縄・国府津-松田断層帯地震と、この世界でも名だたる大地震のハイリスク地域である。ちなみに、神奈川県発表の被害想定によれば、南関東地震における小田原での死亡者は2,600人で、人口が20倍近くある横浜市とほぼ同数であり、死亡率は阪神・淡路大震災を凌ぐ。こうした地域ゆえに、地震への関心は高く、また地震対策・災害対策へのニーズも高い。

 私が活動に参加している団体は小田原に拠点を置く災害ボランティア団体である。一般に災害ボランティアというと、被災地に全国各地から駆けつける災害ボランティアをイメージしやすく、実際、その派遣母体として活動している災害ボランティア団体も存在するが、我々の一義的な意図はそこにはない。我々のターゲットは、我々が住む地域で起こり、我々自身が被災者となりうる災害であり、なかんずく地震が最大の相手である。

 災害時の行動の主眼にあるのが、災害ボランティアセンターのマネジメントである。昨年の中越地震の際も、長岡や小千谷など各被災地に行政区域ごとの災害ボランティアセンターが立ち上げられ、被災住宅の片付けから子どもの世話など様々なニーズを集約し、各地から訪れるボランティアにその仕事を振り分ける(マッチング)機能を負った。我々の団体が担おうとする中心的機能も、まさにそこにある。

 そうした各地でのセンター運営から発せられる反省点の一つに、センター運営における地元人員の必要性がある。中越地震においても、またその前に三条市などを中心に発生した水害においても、初期のセンター立ち上げ・運営は、外部から現地入りした有識ボランティアの手によるところが大きかった。経験者の知恵が活用された点がスムーズな立ち上げ・運営に資した側面があった一方で、その土地の地理・文化・慣習・人口構成などに不案内であることが、具体的な実務のなかで少なからずマイナス作用を及ぼしたという。我々の取組はこうした点も踏まえての、地元密着型災害ボランティアという位置付けである。この観点から、我々は地域性に沿った形でのセンター運営マニュアルを既に整備し、資器材の確保、使用帳票の校正、実際の運営訓練を継続的に進め、マネジメント能力を向上させ続けてきた。

 さて、その災害ボランティアセンター運営に関しては、神奈川県との協定を締結済であり、共有マニュアルを整備するとともに、日常の会合や訓練の場として、県施設の提供を受けている。ただし、神奈川県との協定目的に限定すると、上に記したセンター運営の内容とは若干異なる。我々が担うのが災害ボランティアセンター運営であること自体は変わりなく、県はその運営に資する情報や資器材の提供を行うことが協定の骨子であるが、県との協定上明記されているのは、各地から集まるボランティアに関する広域調整である。これは、小田原という地域にボランティアが集まりすぎた場合、またその逆の場合を想定して、近隣地域との人数調整を行うことを意味している。この機能は、我々の想定するセンター運営の一部であり、あくまでもメインは先に述べたニーズ集約とボランティアそれぞれへのマッチングであるが、県というそもそも広域調整を主眼とする組織と連携が深いことが、全国的にもまれな機能を事前準備している要因であろう。我々は一般に言う人員調整機能に加えて、広域調整機能も持ったセンター運営を意図しているのだ。このこと自体はプラスこそあれマイナスはないのだが、実はこの「連携」という言葉の周辺にこそ、我々が抱える課題が多くある。

 第一の課題は、「市」との連携が不足していることである。原因をたどれば、災害対応における自助・共助・公助へのウェイトのおき方、行政観・市民観などの違いに始まり、過去にさかのぼる蓄積や、表面的な地域防災計画上の問題などの各種多様な積み重ねがあるわけだが、ここでは詳述を避けたい。ただ、この問題が行き着くのは、発災時の窓口二元化(我々のセンターと市運営のセンター)である、それによって被災者ニーズの集約、ボランティア窓口の分散をもたらしてしまう。人員調整機能の混乱もさることながら、被災地物資の管理責任を負う市との疎遠な協力関係が、被災者向けの物資の仕分け・管理・搬出・搬入・配布に大きな影響をもたらす可能性は高い。阪神・淡路にしろ、中越にしろ、そうした物資を実際に動かした膨大なマンパワーはボランティアに依ったのである。

 第二の課題は、「その他団体」との連携の薄さである。具体的には、自治会(自主防災組織)、社会福祉協議会、消防団などであろうか。私が各被災地で得た実感からしても、こうした地に根を張った組織との連携は災害時には不可欠になる。どの家のどの部屋に歩けないおばあちゃんがいて人工透析が必要、あそこに行けば土嚢は大量にある、どの人が重機を動かせる…。被災現場で必要とされる細かくかつ具体的なニーズは、一覧表でもネット検索でもなく、人伝えの情報によって満たされる。自治会(に深く関わる方)はそうした点に優位性を持ち、各避難所の運営に関しても中核を担うことになる。社会福祉協議会はいわゆる災害弱者となる方を常日ごろからケアするなかで、専門的対処法とボランティアマネジメントというノウハウをも持つ。消防団にしても、特に救助関連においては一般ボランティアではカバーし得ない。これら課題に関しては、「あとはやるだけ」という要素が強く、防災訓練などの様々な場を通じて少しずつ前進を図っているところである。ただし、この点にも、実は行政による「お墨付き」の強弱という問題が多少なりとも影響していることは否めない。

 それ以外にも、マニュアルの継続的レベルアップ、我々自身のスキルアップ、人員増など細かい課題はあるが、それらは個別課題として深く触れないこととする。こうして課題ばかりを並べると、なんとも脆弱な体制を思い浮かべるかもしれないが、事が起こる前からセンター運営をはじめとする機能を準備している団体は多くはない。一般市民、行政、自衛隊までを巻き込みつつ、定期的訓練を実施していることは、ここに挙げた課題解消と、現実に我々が機能しなくてはならないときには大きな資産となるだろう。

 そうはいっても結局、現在の活動における最大の課題は「連携」強化に行き着くことになる。これは、具体的な被災現場を歩き、そこで汗をかき、そうして得られた皮膚感覚を、我々が住む場所に照らし合わせ、議論と訓練を重ねた結果得られた共通認識であった。各地での蓄積、小田原での実例など、以上を踏まえ、どういったモデルがふさわしいのかを以下記述することとする。

5.災害対応組織のモデルへ

 円卓会議が必要だと思っている。諮問会議ではない。唐突であるが、ここまで述べた本質的課題と、具体的課題を念頭に置いた、発展と創造の糸口として、である。円卓会議は各行政単位。組織原理としての「地縁」の限界を説いた部分があったが、地震をはじめとして災害は地域で起こり、その範囲内における一定の自己完結性が求められる。災害対策基本法上も、また有効な実態としても、支援物資の拠点は市区町村の役所となり、またそうすべきである。それゆえ、円卓会議も各行政単位とすべきである。ただし、最近の市町村合併等による広大面積を有する基礎自治体を想定した場合は、地域的一体性を考慮したもう一段狭い範囲であっても良い。

 参加主体は、当該地域に関わる市民による団体と行政機関と半行政機関。具体的には、自治会(自主防災組織)、社会福祉協議会、学校、地元企業、市担当部局、県出張先、警察、自衛隊、消防、消防団、民生委員、各種NPO、市民活動団体、宗教団体、労働組合、災害ボランティア団体など、そして一般市民である。

 現状は、災害時に実際に関わる全主体が一同に会す場がない。いざとなればそれぞれの連携が不可欠になるというのに、である。部分的な連携関係を構築することはできる。しかし、個々の取組のみからは、部分と部分が繋がり、全体をなすまでに途方もない時間がかかる。それでは間に合わない。「行政は行政で」、「民間は民間で」、「行政とこの団体で」…、全くのナンセンスである。

 市町村が既にやっているのではという疑念はあるだろう。確かに、ある意味それは事実である。しかし、それは権限とセクション単位という行政論理に基づく、上下構造に基づくものである。行政内は日常の論理に基づくそれでいいだろう。そもそも、そうあるべき組織として、非常時にも連絡・調整・指示・要請が円滑に流れるように行政防災無線を張り巡らし、そのための防災訓練を毎年繰り返し、庁舎の耐震化をしてきているのだから。しかし、始めに触れたように、災害時、特に発災当初の行政に市民生活のレベルまでを細かくケアする余裕はない。

 上下構造の最大の欠点は、「上」の判断と意思決定が止まった瞬間に、「下」の動きまでが止まってしまうことである。この状態を回避しなければならないとすれば、その上下構造そのものを変える以外にはない。上下構造を蜘蛛の巣構造に変え、そこに意思決定の覚悟と必要性とそのためのシステムを発生させるのだ。円卓会議はそのための場であり、基本装置である。蜘蛛の巣は、常時、どこかが破けた状態で災害後を経過する。しかし、そこに「意思決定するという意思」がある限り、破れていても必ず機能する。同時に、機能するために破れていない部分全てが意思と行動を糾合する必要に迫られる。蜘蛛の巣外に頼れないとすれば、破けていない部分だけで「なんとか」する以外にはないが、蜘蛛の巣がなければ、それすらできない。「上」の判断と行動は既に制約されているのだ。

 円卓会議で議論し、決定すべきは、時間経過に応じた各主体の具体的な役割分担である。地震発生から長い復興までの道のりにおける「to do」は、蓄積されてきた多くの事例から明らかである。地震発生30秒。全ての人は身の安全を確保しなければならない。一人でも多くの人が救助「する」側にまわるために。5分後。一般市民は、怪我人の応急処置、医療機関か広域避難所への搬送、倒壊家屋からの救出活動に従事しなければならない。それは身内か近所の人か。自主防災組織の中核メンバーは、鍵を持って資器材倉庫を開けに行き、一部はどこに資器材を優先配分するべきかを考えつつ周囲を駆け回る。消防団員は、近くで発生した火災を認め、近隣の団員とともに消火資材を取りに消防団事務所へ急ぐ。市役所では、全域の被害状況を調べるための人員体制を整え始め、各種出張先や都道府県などと連絡を取り始める。半日後、民生委員や社会福祉協議会職員は、独居老人などの安否確認に向かい、学校では校長先生と自治会長が避難所運営委員会の立ち上げを協議する。自衛隊は現地の情報収集を継続しつつ、被災地に向け出発する。2日後、市と県が場所と資材を融通し、市とボランティア数団体と社会福祉協議会の数名でボランティアセンター設立を協議。地元企業や商店から、当面必要な消耗品などの提供を受ける。4日後、避難所での慢性的な人員不足が自治会長経由で市に連絡が入り、センターからボランティア人員派遣を開始、同時に市役所での物資管理にも…。

 具体的な事柄を書ききることは到底できないが、こうした具体的かつ現実的な状況を一つ一つ蜘蛛の巣に取り込んでいく過程で、徐々に各主体の役割分担ができていく。当然、実際の災害に際しては、事前想定と異なる部分はあるだろう。しかし、こうした事前の想定と各主体間の暗黙の合意が、具体的対処行動の即時性と効率性、そして何よりも意思決定能力を持つ蜘蛛の巣を生み出すに違いない。これこそが、80%の人が自宅で押しつぶされて亡くなってしまうことに始まる「現実」を乗り越える道である。

 円卓会議が必要だと思っている。そして、現実の日本社会を網羅的に考えたとき、多くの場合、それは市区町村のイニシアチブを必要とする。「いざとなったとき、役所ができることは限られます。だから、あらゆる人たちで、一緒になって具体的に何をすべきか今から決めましょう、集まってください」、が欲しい。「自助・共助が大事です。自主防災組織に積極的になってください」の掛け声だけでは十年一日の域を決して出ないだろう。

6.日本における災害対策の課題

 取り立てて行政だけを攻め立てる意図はない。ましてや自主防災組織を揶揄するつもりもなければ、ボランティア組織をその代替と捉えているわけでもない。災害対策における根本的な発想、暗黙の上下関係に基づく行政主導、を問題にし、蜘蛛の巣への脱皮を主張しているのだ。

 体系的組織は上下関係の中でこそ有効に機能する。軍事組織はまさにその代表例だろう。しかし、全てをその論理で組み立てるのは間違いだ。これまではそれで良かったのかもしれない。ゼロから一定レベルまでの段階は、そうした上下関係と上の主動という要素は、「上」の質さえ伴えば有効に機能する。そして、世界的にも評価の高い日本の「防災」を踏まえる限り、有効に機能してきたことも事実であろう。しかし、今求められているのは、更なる高次の災害対策である。スマトラ島やパキスタンに求められているハードへの投資で済むレベルではない。そして、その高次の災害対策は、既存の発想を超えさえすれば、膨大なコストをかけることもなく、現実として迫っていくことのできるレベルなのである。

 そのレベルに達したとき、高度に発達した都市社会ながら、一方で色濃く残す伝統的な地縁や慣習を有効活用しつつ、また別の原理原則に従って人生を生きる人々をも内部化した、新たな日本型の災害対策モデルが出現する。もっともそれは、文中で繰り返し述べたように、日本国内においても単一化できるような単純なものでなく、それぞれの地域性を踏まえつつ大なり小なり差異を持つものとなろう。

 しかし、それで構わないし、そうあるべきなのだ。戦争と同様、災害という究極の場は、ありとあらゆる虚飾がはがれ、ありのままの姿がそこに現れる。だとすれば、東京都心部と北海道の町とで、同じ発想としくみが機能するはずがない。それぞれの地域にはそれなりの絵があってよく、今求められているのは、その絵をその場所の構成員自身の手によって描くということに他ならない。

 現状を踏まえると、根本的な発想の転換が行われているとは言い難い。総務省は社会福祉協議会を各自治体における災害ボランティアセンター運営の主体として育てることを打ち出し、各協議会に運営マニュアルの作成を指示している。被災地におけるセンターの必要性を認識した点は評価すべきだが、それを全国一律の発想と地域性を考慮せずに上から下へ流す手法に時代錯誤を感じざるを得ない。仮に小田原市の社会福祉協議会がそれを持ったとき、小田原という地域においては社会福祉協議会(独自マニュアル具備)、災害ボランティア団体(独自マニュアル具備)、小田原市(独自ボランティア人員確保)という状態に陥ることとなる。

 また、一昨年成立し、現在は都道府県レベルで具体的計画が練られている国民保護法も、実は個人の視点からすれば災害であり、目立たないながら非常に重要な課題である。しかし、そのモデル計画にて、武力攻撃事態という軍事的侵攻の要素を強調しすぎた余り、必然的に「上下関係における行政主導」の域を出ることができていないことは既に公表された一部自治体の国民保護計画からも明らかである。現場から発生し、現場対応次第でその後の拡散に大きく影響する生物兵器・化学剤などによるテロなどに対しては、現状ではあまり機能することはできないだろう。

 災害対策における具体的な政策オプションとして検討すべき余地は確かに多くある。文頭にて触れた耐震化促進などもその一つである。しかし、日本における災害対策の本質的課題は、そうした個別の政策オプションの根底に据えるべき発想の転換である。言葉としてそれを言う行政は増えてきたが、特に未だ災害に至らずの地域にて、その体現を遠いものとして感じることが多いのが正直な実感である。

7.おわりに

 災害対策、特に個人レベルに焦点をあてた災害対策を論じるにあたって、汎用論になりにくいもどかしさを常に感じている。その原因は既に述べたとおりであり、やむをえないのだが、こうした文章や講演、議論の場において抽象論を回避できず、「伝えにくさ」を越えられないジレンマを抱える。せめて、具体的な一時例をと思いつつ活動を続けているが、それも一朝一夕に実現できるようなものではない。既に多くの場で身をもって感じているとろであるが、本論の内容にも多くのコメントがありうるだろう。個別具体的な場の状況を網羅しようとすればするほど、主張の内容は無味乾燥な抽象論へと陥っていく。従って、確認までの主張としては、具体論はともかく、「上下関係における行政主導」という既存発想の限界を指摘するにとどめておきたい。

 本論では、ミクロな災害対策という視点から「上下関係における行政主導」の問題を指摘したわけだが、これは災害対策のみにとどまらない、現代における普遍的な課題であると考えている。別レポートにて何度も論じているように、誰かがやってくれた時代は終わりを告げた。人口は減少し、爆発的な経済発展はなく、財政赤字を垂れ流す日本において、これからは自らが何をするかの時代に入っていく。それは、話題に上っている、財政問題しかり、社会保障しかり、身近な福祉問題しかり、ひるがえって国家単位の安全保障問題しかりである。こうした新たな時代を身をもって実感し、またその時代を生きていく術を体得していく意味でも、災害にどう立ち向かうのかという課題に我々自身が正対する意義は極めて大きい。

以上

【参考文献】

消防庁編 『平成16年度版消防白書』 ぎょうせい 2004年12月
内閣府編 『平成16年版防災白書』 国立印刷局 2004年8月
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林春男 『率先市民主義』 晃洋書房 2001年4月
渥美公秀 『ボランティアの知』 大阪大学出版会 2001年2月
柏木宏監修 『災害ボランティアとNPO』 朝日新聞社 1995年11月
貝原俊民 『大地からの警告』 ぎょうせい 2005年1月
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岩下文広 『国民保護計画をつくる』 ぎょうせい 2004年11月
国民保護法制運用研究会編 『有事から住民を守る』 東京法令出版 2004年3月
山崎丈夫 『地域コミュニティ論』 自治体研究社 2003年4月
今井照編 『自治体政策のイノベーション』 ぎょうせい 2004年2月
神野直彦・澤井安勇編 『ソーシャル・ガバナンス』 東洋経済新報社 2004年2月
三条市災害ボランティアセンター編 『2004 7.13三条市災害ボランティアセンター活動報告書』 2005年3月

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神山洋介の論考

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Yosuke Kamiyama

神山洋介

第24期

神山 洋介

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