松下政経塾 The Matsushita Institute of
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1999年4月

塾生レポート

日本の外交と安全保障を考える ~日中関係について~
矢板明夫/卒塾生

 
 中国で日中関係を議論する国際会議に出させて頂いた。中国の学者は日中関係を語るとき、頻りに「歴史問題」と「台湾問題」を持ち出す、日本の学者もそれに釣られて同じことを言う。しかし、私はこれを聞いて不思議に思った。「歴史問題」は分かるが、「台湾問題」はどういうことなのか。
 良く考えてみれば、このようなおかしな話はない。日中国交回復してから27年間、日本はずっと台湾に対して厳しい自主規制を敷いてきたことは周知の事実である。日本政府は政治的にも、外交的にも完全に台湾の存在を無視した政策を取ってきた。(これこそ日本の外交の問題だが)。なのに、中国の日本に対する態度は厳しい。もし日中間に「台湾問題」が存在するなら、李登輝氏の訪問を許可した米国、戦闘機を台湾に売ったフランス、台北と姉妹都市(ソウル)を持つ韓国はどうなる。なぜ中国はこれらの国に対して日本ほど強く言わないのか。中国政府の外交カードだけではないような気がする。
 答えは簡単、日中間には根本的な誤解と不信感があるからである。「台湾問題」はその不信感を噴出すひとつの切り口に過ぎない、私はそう思った。中国学者が非難しているのは「日米安保のガイドラインの見直しで日本は台湾海峡を周辺事態からはずさなかったこと」だが、言葉の奥に、「日本の台湾支配を絶対許さない。」というニュアンスがあった。どうやら多くの中国人には、今回の日本の法整備は「日本の台湾に対する野心だ」として映ったらしい。
 日本人は誰一人「もう一度台湾を植民地として支配しよう。」なんて考えていない、日本では常識のようなことだが、中国人には全く伝わってないようだ。中国のマスコミの反日報道は確かにひどい、その影響は大きいと思うが。しかし、国民の根底にある対日不信感はマスコミだけの影響ではないような気がする。同じくして、日本の中の対中国不信感も最近台頭してきているような気がする。外交の場で、国益を主張するためのぶつかり合いは仕方ないが、こうのような不信感と誤解によって生じた両国の対立は実に寂しい。
 日中関係の歴史をもう一度整理し直して、私は何かを発見したような気がした。
 日中間は今まで三つの条約を結んだことがある、1972年の「日中共同声明」、1978年の「日中平和友好条約」と昨年1998年の「日中共同宣言」。
 時代順を追って、私は「政治の時代」「経済の時代」と「混迷の時代」に分かれられるのではないかと思う。まずは、1970年代の日中関係は政治の時代である。世界のパワーゲームの中に日本と中国が手を結んだ。中国は米ソととも対立していたので、一日も早く国際社会での孤立から脱出したかった、一方、日本も早く中国と国交を回復して、戦争を終結したかった。だから、1970年代の「日中友好」は政治家達のパワーゲームのためのスローガンに過ぎなかった。1980年は経済の時代であった。日本資本のアジア進出と中国の改革開放路線が上手くマッチしたので、日中両国の経済界は大活躍した。「日中友好」は今度経済交流の合言葉となった。日中貿易額も年々増え、日本はあっという間に中国の最大貿易相手国となった。そして、1990年代、政治も経済も落ち着いてきたので、お互いに利用し合う度合いは少なくなった、そこで、先送りしてきた問題(特に歴史問題)は一気に浮上し、何がある度に、両国の非難合戦が始まり、日中関係も混迷の時代に突入した。
 つまり、日中両国の関係は便宜上の付き合いと利用し会うに過ぎなく、真剣に両国関係についてあまり考えていなかったようだ。このことこそ、今の日中不信感の原点である。

 私は思うに、本当の友好関係とは、政治交流でもなければ、経済交流でもない。文化交流と民間交流であると思う。歴史上、日中間の交流はもっとも大大的にやったのは「朱印船貿易」と「勘合貿易」であるかもしれないが、しかし、その利益は子孫に及ばなかった。「日中友好」が謳われていた時代、「両国友誼」の記として、何がある度に「遣唐使」と「鑑真」の名前が出されてきた。我々は祖先の貯金を食いつぶしているような気がする。
 これからの日中関係のために、我々は新しい文化交流と民間交流は始めなければならない。「隗より始めよ」ではないが、私は「黒沢映画祭」を絶対成功させたいと考えている。

1999年4月 執筆
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