論考

Thesis

台湾海峡波高し

国民党から民進党へ。3月18日に行われた台湾総統選挙は、半世紀に及んだ国民党の台湾支配に終わりを告げた。人々は「変化」を選んだ。「台湾独立」を掲げる民進党の勝利をどう受け止め、日本はどのような対応をとればよいのか。

逆効果となった中国の牽制

 「台湾の同胞は衝動的に行動しないで欲しい! 独立志向の候補に警戒を強めて欲しい! 台湾人民が賢明な選択をすることを信じている。そうしないと台湾住民はひどく後悔することになる!」
 今年3月15日、台湾の総統選挙を3日後に控え、中国の朱鎔基首相は、中国全国人民代表大会の閉幕後の記者会見でこのように述べた。名指しこそしなかったものの、民進党の陳水扁候補の当選を警戒しての発言ということは明らかだった。この恫喝ともいえる発言はたちまち世界中を駆け巡り、人々の関心を台湾総統選挙へ向けさせた。同時に、これが穏健、開明というイメージを持つ朱氏の発言だったことも国際社会を驚かせた。

 朱鎔基発言の約1カ月前、中国は『台湾白書』を発行し、「台湾が中国との話し合いに応じなければ、武力行使の可能性も……」とその意思を初めて言明した。台湾の総統選挙に影響を与えようとする意図は明らかである。また、ほぼ同時期、NHKの取材に応じた中国の対台湾弁公室の幹部は、「陳水扁氏の当選は台湾海峡の安定にとって望ましくない。台湾独立は即戦争につながる」と明言し、台湾総統選挙に対する苛立ちを覗かせた。 しかし、中国の様々な脅しも空しく、台湾の住民は「変化」を望んだ。3月18日に行われた総統選挙で、野党民進党の陳水扁氏が39%の票を獲得し、前台湾省省長、無所属の宋楚瑜氏(得票率37%)を押さえ当選した。李登輝氏の後継者、国民党の連戦氏の得票率は23%だった。選挙前の新聞アンケートが三つ巴と表していたにもかかわらず、連戦氏と陳水扁氏に大差がついたことは、投票直前に連氏の票が陳氏へ大量に流れたことを意味する。中国の陳氏当選妨害工作は完全な裏目に出た。前回総統選挙のミサイル演習に続き、台湾総統選挙に干渉しようとした中国の試みは失敗に終わった。
 「この勝利は民進党の勝利ではない。台湾人民の勝利だ」。当選が確定した後、陳水扁氏は、台北市内の中央選対本部前を埋めた数万人の大観衆を前に高らかに勝利宣言した。この発言は選挙で戦ったライバルたちに対するものだけではない。中国に対する勝利宣言でもあった。
 そして、この瞬間から北東アジアの重要問題「台湾問題」は、それまでと完全に違う性格ものになった。中国と台湾の対立は、国民党と共産党のイデオロギー対立による内戦の延長から、地域間の住民帰属意識の問題へと変化した。中国のいう「台湾問題は完全な内政問題」という言葉の辻褄が合わなくなり、台湾を一方的に飲み込む中国の統一シナリオは益々実現しにくくなった。

無視される「交渉の前提」

 陳水扁氏の台湾総統当選は、中国に大きな衝撃を与えた。それは米国も同様だろう。あまり反応は見せていないが、陳氏の当選は米国にとっても予想外だったようだ。ここ数年、米国の対台湾問題の態度は少しずつ変化していた。とくに、前回の総統選挙の台湾海峡危機以来、米国の外交政策は対中協調路線へ傾き、台湾寄りから中国寄りへとシフトし始めた。98年1月、ペリー前国防長官は台湾を訪れ、「中国は無条件で対話の再開を考えている」と台湾側に伝え、米国として初めて対中国平和交渉のテーブルにつくよう台湾に促した。同じ年の4月、ナイ前国防次長はワシントンポスト紙に、台湾が独立しない前提で国際活動空間拡大に米国は協力すべき、と論文を発表した。台湾独立反対というメッセージがはっきりと打ち出された。さらに同年6月、クリントン大統領は訪中し、対台湾「三つのノー」を初めて承諾した。この一連の動きは、中国政府の台湾への呼び掛けと呼応して、交渉を拒否する台湾に「平和交渉の早期実現」という圧力をかけ続けた。その結果、台湾が会談を引き延ばしているという印象を国際社会に与え、次第に台湾を国際社会から孤立させた。
 こうした流れは、台湾を中国の一省とみなす中国政府と、対等な立場を主張する台湾との「交渉の前提」の違いをまったく無視していた。やむを得ず、99年7月、李登輝総統は中国との関係を「特殊な国と国の関係」と定義し、いわゆる「二国論」を打ち出した。この二国論は、李登輝氏の対中国平和交渉の条件であり、米国に対するメッセージだった。しかし、この発言を受けた米国政府は李登輝総統を問題製造者と見なし、台湾を非難した。米国の動きは、台湾から見れば裏切り行為に映り、逆に台湾の中の民族自尊心を高める結果となった。
 総統選挙の有力候補者3人の内、陳水扁氏だけが米国留学経験がない。他を頼らず、台湾の自立、自決を一番訴えたのも彼である。陳氏の当選は台湾人の国際社会に対する一種の決意表明だろう。テレビに写し出された、陳候補を支持する台湾生まれ台湾育ちの若者たちの熱狂ぶりには、目を見張るものがあった。彼らが担う明日の台湾は、決して北京やワシントンの思惑通りにはいかないだろう。

些細なことと見誤るな

 今回の新総統の誕生は、中華社会4千年の歴史の中で初めての平和的な政権交代である。中国の将来の民主化にも良い影響を与えるに違いない。日本にとっても歓迎すべきことだが、一つ懸念がある。台湾海峡の緊張が高まり、北東アジアの情勢がより流動的になったことである。かつて台湾国民党独裁政府の時代、中国との均衡を維持するには、軍事バランスがすべてだった。米国は台湾関係法に従って両岸の軍事バランスに気を配りながら、台湾に武器を輸出すれば平和が保てた。しかし今や軍事バランス以外にも台湾海峡の安定に影を落とす要素がいつくも出てきた。国際社会、特に米国の出方はその行方を大きく左右する。

 歴史の中のいくつかの例が思い出される。1950年1月12日、アチソン米国務長官は、ワシントンで「西太平洋における米国の防衛線はアリューシャン、日本、沖縄、フィリピンを結ぶ線である」と演説し、台湾、韓国を防衛線から外した。後にこの演説が、朝鮮戦争を引き起こした原因の一つと言われることになった。
 1990年7月25日、イラクのフセイン大統領は、グラスピー米国大使にクウェート侵攻の意図はないと言明した。大使はワシントンからの訓令に従い、アラブ間の葛藤に米国は意見を表明しないと述べた。ブッシュ大統領もイラクとのよりよい関係を望んでいると伝えた。その数カ月後、イラクはクウェートを侵攻した。
 さらに95年11月、中国は台湾近海で軍事演習を実施した。この時、米国は「中国軍が台湾に武力行使する兆候は一切ない」(クリストファー国務長官)と静観していた。そして、その翌月、湾岸に向かう米軍の空母ニミッツは悪天候のため通常と違う台湾海峡を通過するコースを選んだ。米国は中国を刺激することを恐れ、公表しなかった。ところが台湾のマスコミがスクープした。「ニミッツの台湾海峡通過は中国の軍事演習に対する牽制ではないか」。米国はすぐに「ニミッツは悪天候のため台湾海峡を選んだにすぎない。中国の軍事演習とは関係ない」と釈明した。これを文字通りに受け止めた中国は、「米国は台湾問題に無関心」と読み、翌年3月、台湾総統選挙の際、大規模なミサイル軍事演習を展開した。慌てた米国国防総省は空母二隻を投入し、何とか無事選挙を成功させた。

 以上の例からも分かるように、些細なきっかけでも問題勃発の可能性は高くなった。国際社会はより慎重に台湾問題を扱わなければならない。そして、日本が当面すべきことは、すでに流動化し始めた中台関係の安静化に努めることだ。選挙で興奮している台湾民衆には冷静になるように、中国には台湾人民の選択を尊重し、現実認識するように働きかける。米国と連携して、台湾とも中国とも広く接触し、平和の仲介者的な役割を積極的に引き受けることである。

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矢板明夫の論考

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Akio Yaita

矢板明夫

第18期

矢板 明夫

やいた・あきお

産経新聞 台北支局長

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