論考

Thesis

「李登輝総統の発言」をめぐって

「王様は裸だ!」
 台湾の李登輝総統の「中国と台湾の関係は特殊な国と国の関係である。」という発言を聞いて思い出される言葉である。1999年7月9日、この李総統の一言で、三年半沈静した両岸関係に一気に緊張が走った。台湾の外交部、国防部、中国、米国、そして、全世界がこの突然の発言にびっくり仰天し、慌ててその対応に追われるようになった。

 李総統の言ったことはすでに広く国際社会のコンセンサスであった。しかし、江沢民国家主席はもちろんのこと、クリントン大統領も、小渕首相も、かつて誰も言えなかった。この発言を受けて、世界は騒然となった。

 李総統の真意は何か。台湾のマスコミによる分析は主に以下三つである。

1.総統任期は残り僅かとなり、国内求心力を高めるパフォーマンスだという説
2.台湾独立派に近い陳水扁前台北市長を後継者に指名するメッセージだという説
3.米中関係の悪化の隙を狙って、台湾の国際空間を広げようとしている説。
 どの説もそれなりの説得力を持っていて、これからの成り行きが注目される。

 李総統は最近の著書「台湾の主張」(1999年5月、遠流出版社刊)の中に、「引退前に台湾の存在を確かなものにするために法制面でしっかりした解釈を打ち出したい。」と言っている。台湾の国民大会が憲法改正を議論しているこの時機、総統としての最後の大仕事「中国と台湾関係の定位をはっきりさせ」たかったのではないかという予測もある。

 しかし、李総統の支払う付けは大きくなりそうだ。新聞のアンケート(世界日報、7月21日)によると、李登輝の支持率は1988年総統就任以来最低の52%を記録した。台湾の対米関係の一時的な悪化、そして、ようやく再開された対中両岸民間会談への打撃も必至である。また、台湾海峡に緊張が高まったことにより、シンガポールで開かれるアセアン外相会議で、各国は次々と懸念を表明し、すでに北朝鮮問題を抱える北東アジアの情勢も一気に流動的な様相を呈してきた。

 台湾海峡は1979年米中国交樹立して以来、ずっと「緊張の中の安定状態」が続いている。台湾、中国、アメリカという三つのファクターが、「台湾独立、武力行使武力介入」というお互いのもつ「戦略カード」を曖昧にしてきた。建前と本音が交錯し、互いに牽制し合うことによって、台湾海峡の安定を保ってきた。

 1996年3月、台湾での初めての総統選挙によって、この連動関係が一挙に動き出し、いわゆる「台湾海峡危機」をつくった。今回の李総統の発言もまた、同じようにこの緊張バランスを崩すものとなった。幸い、中国は書面での抗議に留まり、福建省での軍事演習を含む挑発的な動きを抑えている。アメリカもまたスタンレー・ロス国務次官補を特使として北京に派遣し、かなり冷静な態度を取った。このように、今のところ最悪な事態は免れたかに見える。

 しかし、懸念は残った。これで台湾の世論が独立の方向に傾き、次世代指導者がもっと刺激的な発言をしたとき、中国を含む国際社会はどう対応すべきか。また、この李登輝発言を口実に、中国政権内部の強硬派と軍部が台頭するような動きがあったら、台湾のみならず周辺諸国にとってもマイナスなことだ。2000年3月に2度目の総統選挙が行われるが、4年前のように中国によるミサイル演習が繰り返される可能性もある。

 台湾有力紙連合報の7月22日のアンケートによると、57%の台湾企業は「李総統の発言は時機不当」としている。米国も日本もヨーロッパも、国際社会からこの発言を積極的に支持する声は聞こえない。しかし、李総統がこの不人気な発言を撤回する気配はない。彼は一体、いかなるメッセージを発したかったのだろうか。

 李総統発言とほぼ同じ時期に、台湾はパブアニューギニアとの国交樹立をめぐる騒ぎに揺れていた。騒動はオーストラリアの新聞が7月3日、パプアニューギニアのスケート総理の秘密訪台をスクープしたことに始まる、7月5日、台北で両国外相の文書調印が発表された。これを受けて、直ちに中国政府はパプアニューギニア政府に対して威嚇とも言える強烈な抗議を申し入れた。そして、パプアニューギニアの元宗主国であるオーストアリアを通じて圧力をかけ、経済、政治のあらゆる手段を行使して、パプアニューギニアと台湾の国交樹立を妨害し始めた。7月7日、パプアニューギニアのスケート総理は辞任し、台湾との国交も白紙に戻された。さらに、注目されるのは、今回オーストラリア政府は安全保障という視点から自国周辺情勢が流動化することを警戒していた。パプアニューギニアに対して再三にわたり警告を発し、経済制裁も辞さない構えをみせていた。

 李総統の発言はこの外交騒動と関連している報道は出ていない、しかし、確実に言えることは、台湾の外交は、もうすでに国際社会にアピールするカードを使い果たしていることである。かつて有効だった「反共」という旗印は冷戦の崩壊と共に色あせ、近年の実務外交に使っていた「民主主義」カードも最近通用しなくなった。クリントン大統領は昨年、上海で「対台湾、三不政策」を声明し、台湾を追い詰めた。日本も台湾に対して無関心の態度を取りつづけてきた。小渕首相は今回李総統の発言を受けて「日中共同声明、日中平和条約、日中共同宣言によって日本の立場は明らかです」としか言えなかった。国際社会は中国という仲間を受け入れると同時に、台湾というかつての仲間をいとにも簡単に捨て去ったのである。

 各国政府もマスコミも「中国と台湾の関係は特殊な国と国の関係である」というこの事実をこれまで無視してきた、まるであの裸の王様を取り巻き媚びへつらう家来達のようにである。この無責任さが、李登輝総統を追い詰めてしまったと私は考えている。

 「王様は裸だ!」
 国際社会はこの危険な賭けともいえる台湾総統・李登輝のやむにやまれぬ声に、道義的な責任を感じながら、耳傾けなければならないのではないか。

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Akio Yaita

矢板明夫

第18期

矢板 明夫

やいた・あきお

産経新聞 台北支局長

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