Thesis
1999年12月20日、アジアに残った最後の植民地マカオが中国に返還された。マカオ返還は97年の香港返還とどのように意味が違うのだろうか。またマカオ返還行事を大々的に催した中国政府の意図は何か。さらに台湾統一への影響は?
盛り上がりは今一つ
「今夜、天安門広場でマスゲームと踊りがあるよ、見に行かない?」「いや、遠慮するよ」。昨年の12月19日夜、友人にマカオ返還祝賀式典の見学を誘われたが辞退した。何しろ氷点下マイナス15度。寒すぎる。それにもう一つ、戒厳令がある。最近、北京では大きな行事がある度に街に警察官があふれ、至る所で交通規制と検問が行われる。だから外出することは考えただけでも億劫になる。1997年から数えると、鄧小平氏の葬儀、第15回共産党党大会、第8回全国人民代表大会、香港返還、建国50周年、そして今回のマカオ返還と、戒厳令が敷かれたのは思いつくだけでも6回だ。ただ今回のマカオ返還はいつもと少し違っていた。政府主催の記念式典は派手に行われたが盛り上がりは今一つだった。テレビでみる江沢民国家主席の笑顔以外、マカオの返還を心から喜んでいる市民の姿はほとんど見かけなかった。
マカオの総面積は18平方㎞、人口は43万人。中国の地図で探したら、なかなか見つからない小さな小さなまちである。また、世界の金融センターである香港と違って、中国人にはほとんど馴染みがない。マスコミで報道されるマカオは、ギャンブルに風俗産業、それにマフィアと良いイメージが一つもない。しかも、香港と同じく厳しい出入規制が敷かれ、一般市民が自由に行き来することはできない。つまり、普通の中国の人々にとってマカオ返還は自分の生活とまったく関係ない。それなのになぜ祝わなければならないのか、そう感じても当然だろう。「労民傷財だ!(国民を労した上、国家財政が傷む)」。戒厳令で商売をじゃまされたタクシーの運転手は、マカオ返還に伴う一連の記念行事を厳しく非難する。「マカオが帰ってくることはいいことだが、ここまで祝賀行事をやる必要はまったくない」。彼の意見は多くの中国人の考えを代表している。中国は今、国有企業改革によって大きな失業問題を抱えている。デフレも深刻になりつつある。改革開放以来初めての不景気に喘ぐ人々にとっては、お祭り騒ぎでマカオを暖かく迎え入れるどころではないのだろう。
実は余裕がないのは国民だけではない。マカオは中国政府にとっても、経済面で重い荷物になりそうだ。マカオの税収は賭博産業に依存しているが、ここ数年アジア経済危機とカジノ利権をめぐる暴力団抗争で観光客は減少している。1996年からマカオの経済成長率はマイナスに転じ、昨年はマイナス4%まで落ちた。年々高まる失業率も好転する兆しは見えない。加えて、最近香港や台湾の議会でカジノの合法化が議論され始めたことや、香港の観光客船のカジノ構想、建設中の香港ディズニーランドなど、マカオから観光客を奪う懸念材料にことかかない。
中国政府はマカオで新しい産業を創出するとしているが、周辺の広東省との賃金格差を考えれば不可能に近い。しかもマカオでは医療、教育など社会保障制度が完備されているため、毎年莫大な政府支出が必要である。中国政府がどのようにこの困難を乗り越え、マカオの経済を再生させるか注目される。「返還後のマカオの繁栄が台湾に向けた統一のメッセージとなる」、と中国政府は意気込む。しかし、これは裏返せばマカオの経済低迷が続けば台湾との統一にマイナス効果をもたらすということになる。台湾との統一を今後の最大目標としている中国政府にとっては実に厳しい試練である。
1997年7月、香港が返還された直後に発生したアジア金融危機の中で、中国政府は一生懸命に香港の経済を支えた。しかし、香港の経済が返還前と比べて悪くなったことは間違いない。国際金融センターとしての自由な個性もじわじわと広がる中国の影の下で、つややかな輝きを失ってきた。何よりも自由な香港のイメージが崩れたことが手痛い。多くの観光客(特に日本から)が台湾と韓国へ流れた。理由は「社会主義中国の一部」というイメージを嫌ったからだ、と新聞のアンケート調査は報じる。マカオは、中国の統治や共産党一党支配を当然とする価値観に正面から反対する政治勢力がない。それだけに返還後は中国化が急速に進むだろう。
民族主義の高揚と台湾統一
もちろん、マカオ返還は中国政府にとってプラス面もある。最大のメリットは民族主義の高揚であろう。ポルトガルがマカオを植民地にしたのは、大航海時代の1557年だとされている。マカオは欧米諸国のアジアにおける最初の植民地の一つであり、最後の植民地でもある。中国にとって、外国の支配という歴史上の汚点を消すことは民族の悲願であり、「マカオ返還」の意義は大きい。
しかし私は、江沢民国家主席がマカオ返還を必要以上に大きくアピールし、民族主義を再三強調したのには別の理由があると考える。それは1949年の建国以来、最大の挑戦である国有企業改革に取り組むに当たり、マカオ返還を政権の求心力を高める手段に利用しようとしているということだ。江沢民は、自らを中国の第三世代指導者と自称している。しかし前の世代と比べて、彼の政権基盤はあまりにも脆い。第一世代の指導者である毛沢東の時代、政権の求心力は共産主義の理想と指導者のカリスマ性にあった。第二世代の指導者である鄧小平の時代になると、文化大革命の失敗によって共産主義の理想は大分失われたが、経済の高度成長があった。国民の間で、中国共産党について行けば生活は豊かになる、という確信があった。しかし、第三世代の指導者である江沢民の時代には、共産主義の理想もなければ経済の高度成長もない。江沢民は自分の政権基盤を民族主義に置こうとして、事ある毎に大きな式典を催す。これは今までにない手法だが、あまり頻繁に使いすぎて効果が薄れている。
一方で、マカオは台湾と緊密な関係があり、その返還は中台間に新しいルートが出来たことも意味する。現在台湾では約2万人のマカオ人が就労している。これはマカオの全就労人口の10%弱を占める。また、マカオ空港の利用者の実に75%が台湾人である。アジア金融危機以来、ほとんどの国からマカオへの訪問客は減少したが、台湾からの旅客は99年1月から7月の間、毎月6万人を超え、年間で100万人を超えるのではないかとも言われている。さらにマカオと中国の新しい航空協定によると、台湾からきた飛行機はマカオで一旦着陸すれば、乗り換えることなく中国本土に飛び立つことができる。これは香港の時に比べても前進している。
中国政府は、マカオに対し香港と同様、50年間の「一国二制度」を適用し、特別行政区として従来の政治・経済制度を保つと宣言している。そしてマカオの返還を、香港返還と併せ「一国二制度による平和統一」の誇るべき歴史的成果として内外に強調した。全国人民代表大会の李鵬常務委員長は「香港、マカオでの平和統一、一国二制度は必ず台湾に大きな影響を及ぼす」と断言している。一方、台湾民進党のリーダーで、総統候補でもある陳水扁は、「香港とマカオでは一国二制度は通用するかもしれないが、台湾は事情が違うから通用しない」とコメントしている。日本のマスコミの多くも彼の意見に同調して、マカオの返還モデルは台湾と無関係だと主張している。
しかし、元をただせば「一国二制度」という構想は1970年代に鄧小平が台湾問題を解決するモデルとして提案したものである。たまたま香港とマカオのケースでもこれが採用されたが、中国は本気で台湾問題もこのモデルで解決しようとしている。香港返還の時と違って、今回、台湾からの来賓を招待しなかったのは、李登輝総統の両国論発言に対する抗議であり、一種の決意表明と受け取れる。台湾問題の解決に向けて、これからの攻防がいよいよ本格化されていくことが予想される。
Thesis
Akio Yaita
第18期
やいた・あきお
産経新聞 台北支局長