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2022年11月

塾生レポート

四つの悪しき現代病とその超克のための形而上学的価値の創造力 〜ドイツ・フランス・イスラエル・アラブでの研修をヒントに〜
水上裕貴/松下政経塾第42期生

 

 我が国日本は世界第三位の経済大国である。また、治安が良く、街も綺麗で、交通機関も時間に正確。このような国は全世界見渡してもどこにもない。日本は紛うことなき豊かで恵まれた国である。
 しかし一方で、問題も数多くある。自殺率が高いこと[1]や、若者の自己肯定感が低いこと[2]、さらには他者への寛容さが低いこと[3]、他者への関心が低いこと[4]、そしてインターネット上での誹謗中傷の書き込み数が増大していること[5]などが挙げられる。そう考えると実際は、豊かなのは物質的のみであって、精神的には非常に貧しいのではなかろうか。そして、その背景には道徳感・倫理観の欠如や、自己同一性の喪失、他者の道具化などによる精神的困窮があるのではないだろうか。
 このように経済大国である我が国において、精神的困窮という問題が深刻になりつつあるのは、ひとつには戦後における生き方に原因があると考えられる。それは、モノやカネをより多く所有して便利で快適な生活を営む物質的生のみを追求し、「本当によい生き方は何か」といった、哲学することによる精神的生の追求を怠ったためである。
 その結果社会は、資本第一や、物質中心、効率優先、さらには競争重視などに囚われてしまい、四つの悪しき現代病としての「イズム」に取り込まれてしまった。そのイズムとは、「リアリズム」「エゴイズム」「ニヒリズム」「ペシミズム」に他ならない。
 リアリズムとは、現実主義のことである。現実に即したことを最重要視し、理想的な考え方を排斥する立場。徹底的に無駄を排除し、役に立つ技術や方法しか評価されないとする。全てを道具として扱い、目的遂行のために手段を問わない結果重視の考え方であり、そのため失敗が許されない土壌ができてしまったと言える。
 エゴイズムとは、利己主義のことである。自己の利益のみを重視し、他者の不利益や損害を全く考慮しない立場。自分の思いのままに、自分勝手に生きるのが良いと考えるに至ってしまったと言える。
 ニヒリズムとは、虚無主義のことである。全ての事象の根底に虚無を見出し、なにものも真には存在することはなく、また認識もできないとする立場。人生に意味はなく、信じられるものも価値のあるものも何もないと考えるに至ってしまったと言える。
 ペシミズムとは、厭世主義のことである。この世は悪と悲惨に満ちており、生きている限り人はこれを根絶することはできないとする立場。人生は失うものばかりで苦しいことしかないため、生きるに値しないと考えるに至ってしまったと言える。
 これら四つが、私が問題視している悪しき現代病である。では、この現代病を乗り越えてゆくためにはどうすれば良いのだろうか。私は、ドイツ・フランス・イスラエル・アラブでの研修を経て、その解は、「形而上学的価値」にあるのではないかと考えるに至った。
 では、この形而上学的価値とは一体何か。これはすなわち、非日常的ないしは非現実的領域を想定することによって、苦しい現実を相対化させてくれたり、領域を感受することで多幸感を感じ、日常に戻った際に頑張る糧となってくれたりすることである。この価値を実現させることを契機に、人それぞれが実存としての人生を問い、人生の意味を充実させてゆき、現代病を乗り越えることに繋がるというわけである。
 以下、事例をいくつか紹介した上で、この形而上学的価値について見ていくこととする。
 フランスのパリにあるサン・ジェルマン・デ・プレ教会にてヒアリングを行った際に、礼拝者から幾つか興味深い話を耳にした。一人は60代位の女性。毎日この教会へ足を運び祈っているという。何のために通っているのかと聞くと、「神聖なこの雰囲気を味わうためよ。神との会話を感じること、それが私の至福の瞬間なの。教会に来ないとそれは味わえないわ。」と幸せそうに語っていた。もう一人は20代の男性。頻繁に通っているというわけではなく敬虔な教徒ではないという。そんな彼も「苦しい時にはここに来て祈るんだ。そうすると、日常を忘れられてホッとする。心が安らぐんだ。」と言っていた。
 また、ドイツのフランクフルトにあるニコライ教会でも同じような話を聞いた。20代の男性が「僕は正直、神を信じているわけではない。ただし、大切な結婚式は教会で挙げたいと思うよ。この雰囲気が大好きで、僕にとって特別なんだよね。そういう若者はドイツ人には多いと思うよ。」と言っていたのである。すなわち、教会を日常から切り離された特別な場と捉え、そこに赴くことで精神的満足感を得るというわけである。
 この風潮は、キリスト教のみならず、イスラーム及びユダヤ教にも存在し得ると思われる。
 アラブのドバイにあるジュメイラ・モスクにてヒアリングを行ったところ、イマーム(宗教指導者)は「モスクは礼拝者の心の支えになっています。建物の様々な工夫が、サラート(礼拝)を集中しより深く行うことができるようにさせています。また、信仰者ではなくとも日常とは違った空気を感じてもらいたいです。そういうわけで、ここは信じる人そうでない人関係なく、誰にとっても特別な場所なのです。」と語っていた。
 また、イスラエルにてユダヤ人の50代位の女性に話を伺った際にも「私は無神論者だけれど、シナゴーグは美しくて居心地の良い場所だと思うわ。それに、シナゴーグの幾何学模様やメノーラー(燭台)、ダビデ星には創造力を掻き立てられるの。シナゴーグは身近にあるけれど、身近であって身近でないような存在だわ。」と言っていた。
 以上のヒアリングから分かることは、教会やモスク、シナゴーグといった礼拝所は、信仰者にはもちろんのこと、非信仰者にとっても非日常的空間となっており、それぞれが価値を感じているということである。
 似た事例は、美術館にも存在した。パリのルーヴル美術館にて40代位の女性は興奮しながらこう語ってくれた。「私は時折ここに来て美術鑑賞をしているのだけれど、それが私の生き甲斐なの。ここにいる時だけは日常の苦しみを忘れさせてくれるの。美術作品にはそんな、私たちを別世界に飛ばしてくれる特別な力があると思うの。」と。
   このように、欧州及び中東諸国では、礼拝所や美術館が非日常的で非現実的な領域として多幸感を提供している。そしてそれらが「形而上学的価値」を生み出す場として機能しているのである。
 では、我が国日本ではどうだろうか。私は大きく二つの場が同等の役割を果たしていると考えている。それは「神社仏閣」と「テーマパーク[6]」である。いずれも非日常性を含んでおり、特に前者は神や仏といった高次の存在を想像するという意味合いにて、後者はテーマの世界観に入り込むという意味合いにて、形而上学的価値を生み出す場と言えるだろう。
 ただし、この場に赴くだけでは、それはただの現実逃避に他ならない。現代病を緩和させる手段にはなっているだろうが、根本解決にはなっていない。
 ではどうすればよいのだろうか。答えは、自身が「場」を創ることである。換言すれば、これまで気付かなかった場に、個人がそれぞれ場として焦点を当ててゆくことである。それはさほど難しいことではなく、ほんの些細なことをするだけでよい。例えば、近くの公園に足を運ぶでもよし。あるいは帰り道にある喫茶店に立ち寄るでもよし。そんないつもとは異なった一歩が、日常の中に隠れている非日常を見つける手助けをしてくれる。これが場を創るということである。
 そしてその場にて、あるモノや情景、状態に対して、個人的価値観に基づいて価値を付け加えてゆく。そうすることで、その人特有の共有不可能な主観的価値が生まれる。その主観的価値が増えてゆくことによって、人生の意味が充足していくというわけである。
 そのような視点変更の力、価値創造の力こそが真の現代病克服の鍵となるに違いない。



[1]OECD43か国中7位、G7中1位(世界保険帰還資料2021年)より
[2]「自分自身に満足している」アメリカ86.0%、イギリス83.1%、韓国71.5%、日本45.8%、「自分には長所がある」アメリカ93.1%、イギリス89.6%、韓国75.0%、日本68.9%(内閣府意識調査資料2013年)
[3]世界幸福度ランキング156か国中148位(World Happiness Report 2022)
[4]世界人助け指数114か国中114位(World Giving index 2021)
[5]2010年から2019年で4倍(違法・有害情報相談センター)
[6]特定のテーマ(異文化、物語、時代、映画)を基に演出された観光施設を指す。例えば有名なところでは、東京ディズニーランド・シー、ユニバーサルスタジオジャパンなどがこれに該当する。
2022年11月 執筆
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