論考

Thesis

“経営の神様”が大切にしたこと
−教育によって「人間観をもつこと」から「幸福観をもつこと」へ−

 ”経営の神様”とも称される松下幸之助塾主(以下、塾主)は、経営理念として「人間観をもつこと」を最も大切にした。この理念の実践経営における最大の効用とはずばり人材育成としての「教育」である。教育によって「人間観をもつこと(天命の自覚)」が「幸福観をもつこと(天分の発揮)」となる。これこそが、塾主が思い描いた経営理念の実践における活用の形に他ならない。

1. 経営について

 ”経営の神様”とも称される松下幸之助塾主は経営を以下のように捉えていた。
 「経営は人間が行うものである。経営の衝にあたる経営者自身も人間であるし、従業員も人間、顧客やあらゆる関係先もすべて人間である。つまり、経営というものは、人間が相寄って、人間の幸せのために行う活動だといえる。(『実践経営哲学』,1978)」

 すなわち塾主の考える経営[i]とは、人間の幸せのための活動全般という、かなり射程の広い意味合いであると言える。ではこの経営について一体何を大切にすればよいのか。塾主は以下のように考えていた。

 「異質なものではないね、経営という言葉でいう以上は。考えるべきことは、やはり日本の国の経営者であれば、まず日本を知るということ。(中略)人間には天与の特質、性格というものがある。それを認識するところから始まらないといかんね、個人経営は。国もまたしかりやな。そういう感じがする。(PHP研究会抄録「人生の経営」,1966)」

 したがって経営を行う上では、「人間を知ること」「国を知ること」の二つが最も大切なのである[ii]。これはすなわち「人間観をもつこと」という経営理念を持つことに他ならない。次章以降では、これらについて詳しく考察してゆくこととする。

2. 人間を知ること -新しい人間観について-

 塾主は1972年5月に、「新しい人間観の提唱」を発表している[iii]。これは一言で表すならば「人間は万物の王者である」との考え方である。詳述すれば、生成発展[iv]という宇宙における自然の理法[v]に従って、万物の本質を生かし、物的及び心的双方における繁栄を生み出すという天与の本質[vi]を持っている、との考え方である。この判定はなにものも否定することができなく[vii]、この物心一如の真の繁栄によって平和と幸福が実現されるのである。これこそが塾主の追い求めたPHP(Peace and Happiness through Prosperity)理念に他ならない。
 このPHP理念に関して、その実現過程を視覚化したものとして以下のような図がある[viii]

図 1(出典:PHP研究所研究本部資料)

 この図でも理解される通り、PHPを実現させるためには、まずは宇宙根源の力によって創造された人間を理解すること、すなわち新しい人間観を受容することが必要なのである。そうすることによって真の文化国家が形成され、繁栄を通じた真の平和と幸福がもたらされるのである。

3. 国を知ること -真なる伝統精神について-

 塾主は、日本の特徴を「歴史」「気候風土」の二本の柱で捉えていた[ix]
 歴史に関しては、二千年間一貫して発展してきたこと、ほぼ一国一民族一言語であること、天皇家を中心としてきたことの三つが要素として挙げられている。第一の要素は、日本が国家として長きに渡り主権を保ち、発展の歩みを続けてきた国であるという意味である。第二の要素は、日本が国民のおおよそが日本語を使用し、同民族と見做している国であるという意味である。第三の要素は、日本が建国以降、天皇制が連綿として絶えることなく続いてきた国であるという意味である。塾主は、これら三つの要素により日本国民は、考え方及び感じ方の傾向が同質となったため、事を運ぶ際には法律で規制するよりも話し合いを行なった方がよいのだと考えた。すなわち、日本においては法治よりも徳治が好ましいというわけである[x]。「国望・国徳国家」や「精神大国」という塾主の理想の起首も此処にあると言えよう[xi]
 気候風土に関しては、第一に島国であり山国であるため多彩な景観に満ちていること、第二に北国の平静さと南国の明朗さが同居していること、第三に四季による季節の移り変わりがあることが挙げられる。これら三つの要素により日本国民は、自然や変化、多様性に関して非常に繊細で敏感であると考えることができる。
 以上が塾主の考える日本についてである。これらを踏まえ塾主は、国民性を形成する伝統精神として日本人は三つのもの[xii]を持っていると考えた。それは、「衆知を集める」「主座を保つ」「和を貴ぶ」である。
 衆知を集めるとは、あらゆる知恵を取り入れそれを生かしてゆくということである。これは、高天原の八百万の神々の共同生活から来ているとされる。『古事記』及び『日本書紀』によるとこの神々は、常に衆議によって物事を行なっていた。八百万の神々は日本の神々であり、日本人の祖先と考えられる。したがって、日本人にはこの「衆知を集める」という精神が備わっているというわけである。
 主座を保つとは、自主性や主体性を持って教えを受け入れ尊び生かしてゆくということである。これは、「王は十善、神は九善」という言葉から来ているとされる。仏神よりも天皇の徳の方が高いという意味である。日本はこれまで数多の宗教を取り入れてきたが、代々の天皇は何れの宗教をも国教とはしなかった。つまり、一切の仏神を尊びつつも、その僕になることはなかったのである。したがって、日本人にはこの「主座を保つ」という精神が備わっているというわけである。
 和を貴ぶとは、平和を愛好し互いに仲良くするということである。これは、二千年間において戦争の経験を持つことが少なかったという歴史的事実から来ているとされる。日本が行った戦争は十指に満たなく、欧州諸国や中国に比べると圧倒的に少ない[xiii]。それは、一つには日本が四方を海に囲まれた島国であるため、戦争を行うためには船に乗り海を渡らなければならないという莫大な労力がかかるからであろう。ただそれだけではなくむしろどの国よりも平和を愛する精神があるからだと塾主は考えた。したがって、日本人にはこの「和を貴ぶ」という精神が備わっているというわけである。

4. 「人間観をもつこと」の実践経営における最大の効用

 塾主が最も大切にした経営理念である「人間観をもつこと」の内実について、これまで考察してきたわけであるが、ではこの理念を塾主は実際の経営にてどのように生かしていたのだろうか。その解答を得るためには、以下に引用した、1980年3月に塾主が『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』にて挙げたものの一つである「作為的な人材育成は成功しない」の中の一節が鍵になると筆者は考察した。

 「経営者にこの店なり会社なりをこういう目的のために経営していくのだという使命観があって、その使命観にもとづいてものを言うということが人を育てる源泉になるのではないかと思います。人間というものは、やはり、自分のやっていることの意義や価値をよく知ったときに、ほんとうにそれに打ちこむことができ、他人にも好ましい影響を与えることができるのだと思うのです。(『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』,1980)」

 すなわち、「人間観をもつこと」の実践経営における最大の効用とは、ずばり「使命観」を呼び起こし、その使命観に従って人材育成としての「教育」を行うことにある。経営者が人間観をもつこと、すなわち天命を自覚し、それに従って使命観を持ち実践してゆくことが、労働者を教え育てることの大元となり、千差万別、万差億別たる人間の特色を見出し、それぞれの天分を生かすこととなるというわけである。したがって、人間及び国を知り天命を自覚することが、経営者としての使命観を呼び起こし、自他の個性、すなわち経営者及びその部下の天分を生かすための教育の素地を作り、その教育が最終的には幸福に導かれてゆくというわけである。つまり「人間観をもつこと(天命の自覚)」が「使命観」に繋がり、使命観をもった上で教育を行うことが最終的には「幸福観をもつこと(天分の発揮)」にまで自他を引き上げてくれるというわけである[xiv]。これこそが、塾主が思い描いた経営理念の実践における活用の形に他ならない。

5. 引用・参考文献

A・J・トインビー『日本の活路』,国際PHP研究所,1974年。

PHP研究所研究本部資料

PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室『松下幸之助発言集37』,PHP研究所,1992年。
 −『松下幸之助発言集38』,PHP研究所,1992年。
 −『松下幸之助発言集43』,PHP研究所,1993年。
 −『松下幸之助発言集44』,PHP研究所,1993年。
松下幸之助『道をひらく』,PHP研究所,1968年。
 −『実践経営哲学』,PHP研究所,1978年。
 −『経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』,PHP研究所,1980年。
 −『私の行き方考え方』,PHP研究所,1986年。
 −『君に志はあるか』,PHP研究所,1995年。
 −『リーダーを志す君へ』,PHP研究所,1995年。
 −『リーダーになる人に知っておいてほしいこと』,PHP研究所,2009。
 −『実践経営哲学/経営のコツここなりと気づいた価値は百万両』,PHP研究所,2014年。
 −『商売心得帖・経営心得帖』,PHP研究所,2014年。
 −『人間を考える』,PHP研究所,2015年。
 −『日本と日本人について』, PHP研究所, 2015年。

[i] 塾主は経営を、「個人の経営」「企業の経営」「国家の経営」の三つの分類している。『実践経営哲学』pp.25-26。

[ii] この二つが同等に重要な理由を筆者は、相補関係にあるからだと解釈している。すなわち、人間を知ることと、国を知ることが独立に存在しているわけではなく、人間を知ることが国を知ることと結びつき、また国を知ることが人間を知ることにも結びつく。どちらが先であり重要との順位はないものであると解釈する。

[iii] 新しい人間観の他に塾主は、古い人間観として「人間は神に救われるものである」を挙げている。また「”万物の霊長”として、強く偉大なものとする見方」「卑小な存在だとする見方」「神と動物の中間に位するものである」が他の人間観として挙げられる。これらを筆者はそれぞれアリストレテス、A・ショーペンハウアー、B・パスカルの人間観だと解釈した。

[iv] 生成発展とは、衰退、消滅を含めて新しいものが生まれることを指す。特に人間の場合は、衣食住をはじめとして、自らの生活が物心ともに、より豊かで快適なものとなることを指す。これを実現させるところに経営の使命があると考えられる。

[v] 自然の理法を塾主は、あらゆる文脈にて使用している。したがってこの言葉の射程は一様に捉えることはできないが、筆者はこれを「生成発展」「共存共栄」「当然のことを当然にやること」等の包括概念だと理解している。

[vi] 塾主は、物的法則と心的法則とを想定しているが、前者を因果律、後者を感謝の心と説明している。「心的法則の柱は感謝の心」。

[vii] 万物の王者と聞くと、幾許か不遜に聞こえるかもしれない。しかし、塾主はそのことを懸念していたと共に、決して恣意的で傲慢な意として使用していたわけではない。ここで言われる王者とは、一方では全てを支配し活用する権能を有するが、他方では慈しみと公正な心を持って一切を生かしてゆく責務を負うという意味である。『実践経営哲学』pp.35-36。

[viii] この図表は、PHP研究が再開されて間もない1962年頃に作成されたものに、佐藤悌二郎氏が若干手を加えられたものである。©️PHP研究所。

[ix] 詳細は『日本と日本人について』第一章「日本の歴史と気候風土」を参照のこと。

[x] 塾主は、政治の理想の姿として、漢の高祖が宣言した「法三章(「人を殺したものは死罪。人を傷つけたもの、物を盗んだものはその程度によって罰する」)」で秩序が保たれ栄えるような国徳国家を念頭においており、それこそが真の文化国家であり先進国だと考えていた。

[xi] 塾主は、日本は元来、天皇家の祖先の思想として皆の幸せを中心に考えた所謂徳の政治から出発しているのではないかと考えていた。『日本と日本人について』p42。

[xii] この三つの他には、報恩の念に厚い、きめ細やかな心配り、自然や美を愛する心、礼節を重んじる、勤勉である、などを塾主は挙げている。

[xiii] 日本が行った戦争として塾主は、倭・高句麗戦争、文禄・慶長の役、日清戦争・日露戦争、第一次・第二次世界大戦を挙げている。『日本と日本人について』p109。

[xiv] 人間の天命とは「自然の理に従って、万物を支配する(「PHPのことば その三八」「人間の天命」,1951)」ことである。天分とは、「人それぞれに異なって与えられている素質(「PHPのことば その四二」「楽土の意義」,1952)」である。使命とは、「三十億の人間に与えられた使命というものは、人間として共通やけれども、その共通の使命の中の個々の使命というものは、みな違うわけや(「PHPのことば その四六」「人権の意義」,1953)」との文を根拠に、天命と天分を含んだ概念であると筆者は解釈する。

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水上裕貴の論考

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Yuki Mizukami

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