論考

Thesis

コウノスケ・コード
−PHP完全実現のための鍵としての「新しい人間観」-

 松下幸之助塾主が提唱する「新しい人間観」とはPHP(Peace and Happiness through Prosperity)を完全に実現させるための鍵である。これはPHPの理念である。新しい人間観を完全に理解することが、すなわち松下政経塾を真に理解すること、そして松下幸之助本人を真に理解することだと言えよう。つまり新しい人間観とは、最も深淵で肝要な、塾主の真意、奥義なのである。

1. 「新しい人間観」とは

 松下幸之助塾主が提唱する「新しい人間観」とは一体何だろうか。この言葉の真意を理解することは容易ではないが、本論にて筆者なりの考察を提示したいと思う。端的に言うとそれはPHP(Peace and Happiness through Prosperity)を完全に実現させるための鍵である。その真意を説明するため、まずは、古い人間観とは何か、この疑問に答えるところから始めることとする。
 1970年8月5日、塾主は以下のように発言している。

 「今までは、ここまでの人間観というのがなかったわけやな。人間は罪深いものやとか弱いものやとかいうことで、救われるということを欲していた。つまり、人間というものは神に救われるものである、という人間観を与えていたわけやな。(PHP研究会抄録「”新しい人間観”への疑問に答える」,1970)」

 ここから古い人間観とは、人間が受動的に救われることを欲しているという考え方[i]だと言えよう。
 これに対し、新しい人間観については、1973年8月18日、以下のように発言している。

 「”新しい人間観の提唱”は人間が王者であるという提唱ですわな。(PHP研究会抄録「”新しい人間道”をつくりたい」,1973)」
 すなわち新しい人間観とは、人間が万物の王者であるという考え方だと言える。ここでいう万物の王者とは、万物を支配する力、付言するならば万物に与えられている本質を見出しそれを生かし活用する力を持つ、万物の物的と心的いずれの性質をも活用することができ、その決定は否定されない、という意味である。そしてこの力を発現させることにより、物心一如の真の繁栄、平和、幸福すなわちPHPが生み出されるというわけである。ではこの力を発現させ、万物の王者として相応しい行動を取るためには一体どうすればよいか。その鍵は「素直」と「衆知[ii]」にある。すなわち、「”素直”な心で”衆知”を集めること」、そしてその結果、天知を獲得し、その知を実践してゆくこと。これこそが万物の王者としての振る舞いなのである。
 以上が新しい人間観の概要であるが、この人間観には二つの側面があると筆者は考察する。それが「生成発展」と「対立と調和」である[iii]。発展とは、ミクロ的には万物の本質が生かされること、マクロ的には各分野[iv]が進歩することを指す。対立と調和とは、ミクロ的には万物の本質が活用されること、マクロ的には進歩した各分野を政治分野が和合すること[v]を指す。すなわち万物の王者としての人間は、「生成発展」と「対立と調和」との二つの力を適切に用いる必要があるというわけである。

2. 「新しい人間道」とは

 ただし新しい人間観とはあくまで理念であるため、塾主は次にこの理念を発現する過程としての実践方法を示した。これがすなわち「新しい人間道」である。この人間道は、「容認」「処遇」「礼」の三つの柱から成る[vi]
 容認とは、全てを在るが儘に受け止めること、万人万物を否定排除しないこと[vii]である。この世は様々な人や物から成立しているわけだが、それらが長短相補いつつ各々の特質を発揮してこそ、豊かな生成発展が生まれる。ただし、容認するのみでは不十分である。在るが儘に容認したものをどのように処置してゆくかが重要になってくるのである。これが次の「処遇」に繋がる。
 処遇とは、万人万物の使命や特質を正しく生かすことである。そうすることで自他共存、調和共栄の道が開けてくる。したがって、この処遇をいかに適切に行うかというところに王者たる人間の真の価値が現れてくるのである。この容認及び処遇の二つが人間道としての基本要素であるが、人間道を支えるものとしてはもう一つ「礼」が挙げられる。
 礼とは、万物に感謝することであり、容認及び処遇を円滑に働かせる潤滑油の役割を果たす。
 以上が人間道における三つの柱であるが、これら三つの関係性としては、「礼」により実践のための下地を作り、「容認」により一切を在るが儘に受け止めその対応策を考え、「処遇」により万人万物の使命、特質を生かす、となる。そしてこれらを行なった結果、万人万物の共存共栄の姿が共同生活の各面に自ずと生み出される、共同生活全体の発展と向上が日に新たに創生されるというわけである。ここで重要なのが、「社会」ではなく「共同生活」という単語が使用されている点である。これを筆者は、塾主がより人と人との繋がりを意識していたからだと見た。なぜなら、塾主ほど人との関係性を大切にした人物はいないからである。それは、塾主の「人間大事」との言葉に如実に表れている。この言葉は、お互いの人間性を肯定、尊重し合うところから、真の喜び、満足感、幸福が生まれるとの考え方であり、それを塾主は徹底したのである。したがって、塾主は「共同生活」という単語を敢えて用いることにより、読者に人との繋がりを意識させるとの意図があったのではなかろうか。
 加えて塾主は、物質・精神の両面において均衡が取れている状態である、真の文化国家を想定した。この文化国家の基準はこれまで見てきた人間道から導き出されるわけだが、その基準とは「自由」「秩序」「生成発展」である。
 自由とは、その国に広い自由が存在し、人々の自由な考え、活動が許されていること。これは、その国家に存在する全てのものを在るが儘に容認することである。故に人間道の要素としては「容認」と関係すると言えよう。ただしこの自由は我儘勝手という意味ではなく、あくまで共同生活の枠内での自由という意味である。したがってここに第二の基準としての「秩序」が導き出される。
 秩序とは、各人の自由を真の自由たらしめるために必要な社会的秩序のこと。全てが自由ならば共同生活が混乱し破壊されてしまうため、秩序を持って生かし合うことが必要だというわけである。この全てを生かし合うとは、処遇することに他ならない。故に人間道の要素としては「処遇」と関係すると言えよう。これら二つが文化国家の基準としての基本要素であるが、もう一つ欠かせない要素が「生成発展」である。
 生成発展とは、非常に解釈が難しいが、絶えず創造と進歩が行われている状態のことである。これは高次的という性質、人間道の要素としては「礼」と関係すると筆者は解釈した[viii]
 西洋は、霊魂不滅に端を発する直線思考である。ここには、天命[ix]はあるが天分[x]はない。キリスト教やヘーゲル、マルクスなどに代表される進歩史観及び啓蒙思想としての発想を参考にした、進歩の流れにそぐわない弱者及び悪者としての個人は排除されてゆくという調和のないイメージである。
 東洋は、輪廻転生に端を発する円環思考である。ここには、天分はあるが天命はない。仏教やニーチェ、ショーペンハウアーなどに代表される調和感及び永劫回帰としての発想を参考にした、和を以つがそこに進歩発展はないというペシミズムの如きイメージである[xi]
 これらを踏まえ、生成発展は、西洋と東洋との統合としての発想であるため形は歪な螺旋階段である。歪な、という箇所にこの生成発展の肝がある。これは個々の天分を全て拾い上げ、ミクロで見ると時には後退することもあるが、マクロで見ると進歩しており天命の実現に向け発展してゆくというイメージである。

3. 「新しい人間観」と松下幸之助

 以上が新しい人間観及び新しい人間道[xii]であるが、新しい人間観と松下幸之助を結びつけて考察すると、松下幸之助とは、「新しい人間観を自らの人生において探究し実践した人物」だと言えないだろうか。

図 1(出典:PHP研究所研究本部資料)

 これは、「PHP実現の仕組み」として1946年11月に発表された図であるが、筆者はこれを「素直な心で衆知を集めること」という万物の王者としての振る舞いの実践方法を示している図であると解釈した。ただしここには一点足りないものがある。それは「理念」である。塾主本人が述べていることだが、当初PHPには理念がなかった[xiii]。したがってその理念として提唱されたものが他でもない「新しい人間観」なのである。これこそが筆者が「新しい人間観」をPHP完全実現のための鍵と定義した所以である。そしてこの理念に従い、PHP完全実現に向けて誰よりも実践を大切にし、万物の王者として生きようとした人物こそが松下幸之助と言えるのではないだろうか。

4. 「新しい人間観」と松下政経塾

 また、新しい人間観と松下政経塾を結びつけて考察すると、松下政経塾とは、「新しい人間観を国家規模にて適用せんとする真のリーダーを育成する場所」だとは言えないだろうか。

図3

 これは松下政経塾における塾是塾訓である。謂わば塾の理念であるが、太字部分が本論において、新しい人間観と直接的に関係した箇所である。一目瞭然だが、全行において太字となっている。したがって新しい人間観を完全に理解することが、すなわち松下政経塾を真に理解すること、そして松下幸之助本人を真に理解することだと言えよう。つまり新しい人間観とは、最も深淵で肝要な、塾主の真意、奥義なのである。政経塾との関係性に関しては、塾生として引き続き考察してゆく所存である。

5. 引用・参考文献

江頭理江「Adventures of Huckleberry Finnにおける「流れ」と「円環」」『福岡教育大学紀要 第一分冊 文学編』61巻, 2012年, 1-8頁。

財団法人松下政経塾『「新しい人間観」について』,松下政経塾,1981年。

田中正人『哲学用語図鑑』, プレジデント社, 2015年。

PHP研究所研究本部資料

PHP総合研究所研究本部「松下幸之助発言集」編纂室『松下幸之助発言集37』,PHP研究所,1992年。
−『松下幸之助発言集38』,PHP研究所,1992年。
−『松下幸之助発言集43』,PHP研究所,1993年。
−『松下幸之助発言集44』,PHP研究所,1993年。

松下幸之助『道をひらく』,PHP研究所,1968年。
−『私の行き方考え方』,PHP研究所,1986年。
−『君に志はあるか』,PHP研究所,1995年。
−『リーダーを志す君へ』,PHP研究所,1995年。
−『リーダーになる人に知っておいてほしいこと』,PHP研究所,2009。
−『人間を考える』,PHP研究所,2015年。

山口昭男『岩波 哲学・思想事典』,岩波書店,1998年。

[i] 塾主はPHPを宗教団体ではないと言う一方で、信仰心を重要視している。したがって宗教か否かの違いは信仰の有無にはないことが分かる。では差異は一体どこにあるのか。筆者は、受動性と能動性との違いにより判断していたのではないかと考察する。「信仰のあり方」。

[ii] 衆知とは、万物一切の知恵に基づくことであり、判断力を高め是非善悪を明らかにする裁判官の役割を果たすものである。塾主は、知恵を、下から「個人知」「衆知(第一段階)」「衆知(第二段階)」「英知」「天知」という順で序列付けしている。個人知とは、個々の知恵及び知識のことである。衆知とは、第一段階では人間大衆の知恵を、第二段階ではそれに加えて人間以外の万物の動作を加えた万人万物一切の知恵を指す。英知とは、私欲のない、人間の最高の知恵のことである。天知とは、神の知恵、真理に基づく知恵のことである。「知恵には四つの種類がある」。

[iii] 塾主は、文化国家に欠かせない要素として「自由」「秩序」「繁栄」を挙げているが、これら三つの要素と人間観の二つの側面との関係性としては、「自由」及び「秩序」が「対立と調和」と、「繁栄」が「発展」と対応している。前者は、「自由」を土台に「対立と調和」が促され、結果「秩序」が生まれるとの解釈にて、後者は、「繁栄」と「発展」は同義で扱われているとの解釈にてそれぞれが関係している。

[iv] 分野の例として塾主は、政治、宗教、経済活動、教育、科学、学問、道徳、芸術、思想等を挙げている。『人間を考える』pp.102-106。

[v]塾主は、各分野の中でも特に政治分野を特別視していたと見ることができる。『人間を考える』p105。

[vi] 「礼」と同様の性質としてここに「衆知」が入るとも解釈できる。

[vii] 塾主は、青酸カリを例にとり、適所にて用いるという意味で悪の存在でさえもありのままに容認する必要があることを解いた。『人間を考える』p153。

[viii]生成発展には、他二つの基準である自由及び秩序を検討するという、高次的役割が附されていると筆者は読解した。この構造は容認及び処遇における礼の構造に通ずるところがある。したがって生成発展と礼を関係づけた。『人間を考える』pp.212-213。

[ix]人間における天命とは、万物を支配するという本質を発揮しPHPが実現されることを指すと捉えた。『人間を考える』p64,66-67。

[x]人間における天分とは、個人として持っている天与の特質、個性のことを指すと捉えた。『人間を考える』p140。

[xi] 西洋が直線的、東洋が円環的との分類はリチャード・E・ニスベット『木を見る西洋人、森を見る東洋人』を参考にした。

[xii] この人間道の理念と同様の考えに立ち生きた人物として塾主は、聖徳太子と豊臣秀吉の名を挙げている。聖徳太子は外来の優れた思想である仏教や儒教を容認し日本的に咀嚼し憲法に盛り込んだという点が、豊臣秀吉は織田信長に仕える際に長所も欠点も全てを容認しつつ臣下として適切な態度を取ったという点が、人間道の理念に当てはまるという。『人間を考える』pp.192-197。

[xiii] PHPには理念がなかったと書いた根拠は、『「新しい人間観」について』p7に求めた。

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