論考

Thesis

“幸福”の正体見たり枯れ尾花
〜インド・リシケシュでの国際会議「Youth20」に参加して〜

 私は「幸福」という言葉が嫌いだ。厳密に言うと、「幸福」が聖杯伝説よろしく、あたかもどこかに隠されているかのように探し求めるとの発想が嫌いだ。それは、地獄は何となしにその内実が想像つくものの、片や天国は容易には想像つかないとの感覚に似ている。すなわち、不幸は想像に難くないが、幸福は難い。想像できたというあなた、その想像は果たして、真なる普遍的な幸福であろうか。継続していく中でその幸福感は同程度に持続し続けるものであろうか。単なる刹那的な体験ではなかろうか。
 松下幸之助塾主は、「PHP」を人生のテーマに掲げていた。PHPとは“Peace and Happiness through Prosperity”の頭文字をとったもので、“繁栄によって平和と幸福を”との意味を持つ言葉である。塾主が掲げたこのテーマを、探究することはある意味、我々政経塾生の使命でもある。だが、どうも私はこの、幸福が目的であり終着点であるかのような考え方に違和感を覚えている。その違和感とは一体何なのか。この疑問に解を与える端緒が、インド・リシケシュにて開催された国際会議「Youth20」への参加と参加するにあたって過ごしたインドでの日々にあった。
 5月4日と5日の二日間、ヨガの聖地としても知られるインド北部の街リシケシュにて国際会議「Youth20」が開催され、私はそこに日本人代表として参加してきた。「Youth20」とは、G20各国等の40歳以下の若者代表が提言や政策対話を行うグループであり、本会議では「Health, Well-being, Sports」がテーマであった。プログラムとしては、ヨガ、ワークショップ、パネルディスカッション、リサイタル、ダンスパフォーマンス、文化交流などが行われた。コンテンツの一つ一つは密度が濃く、学びが多かった。特に、「幸福は身体性と深く結びつく」との帰結には、プログラムでの実体験を踏まえて深く納得した。だが、そんな中でも最も学び深かったことは、インド人のメンタリティを知ったことにある。
 「Youth20」は国際会議である。世界各国から錚々たる面々が集結している。したがってスケジュール表は詳細に作成され、分刻みでプログラムが組まれている。そんな中、あろうことか開始時刻となっても何も始まらない。数分後、ようやく人が動き始めた。準備が始められたのである。結局、実際にプログラムが始まったのは1時間後。初っ端から時間が押してしまったのである。しかも、アナウンスさえなかった。日本ではあり得ない光景であった。
 また、この国際会議以外でも、インドの日常は驚きの連続であった。まず、日々の暮らしにルールがない。交通ルールは有って無いようなものである。車線は守られず、信号も守られていない。牛や犬はそこら中を闊歩しており、クラクションの音が飛び交う。また、商品の値段も特に決まっていない。日本人だと分かると数倍の値段を吹っ掛けてくるため、厳しい表情と言動にての交渉が毎日勃発した。極端な場合だと1/10まで金額が下がることがあった。バスや電車では座席が決まっているはずであるが、決まっていないようなものであった。何を言われようとそこに居座りさえすれば、本来座るべき人は観念して他の席を探すようになる。加えて基本的に交通機関は遅れる。数十分遅れなどまだ良い方で、数時間遅れがざらにある。さらに、インド人は知らないことでも、あたかも知っているかのように振る舞う。行き先を伝え、どの電車に乗れば良いのか聞くと、この電車だと指をさして教えてくれる。しかし、確認のため他の人に同様の質問をすると、あら不思議、別の電車を指さすではないか。分からないとは決して言わず、とりあえず適当にでも答えるのである。
 そんな多くの経験から私が感じたことは、インド人は、(良くも悪くも)着飾らない、執着がない、考え過ぎない、といったメンタリティを持っているということである。そして自身が何よりも「まあいいか」と諦念にも似た受容の心を学んだ。そうでないと想定通りには全くいかないインドでの生活はやっていけなかったのである。特に私はスマートフォンのSIMカードを換えずに入国したため、スマートフォンが使えなかった。したがって自身で調べることができず、現地の人に聞いて生きていくしかなかった。そうであったからこそ、このような学びがあったのだと思われる。
 ここから、どう幸福と結びつくのか。幸福の鍵は自由にある。まず、私の目にはインド人はあまりにも自由に映った。自分の思いのままに生きる。それがこのようなカオスな空間を生み出したのだと思われる。そして何よりもそこにいる私自身が大きな自由を感じて生活していた。人の目を気にすることも全くなければ、言いたいことや思ったことを全て口にする。感情をそのまま表現する。そのように自由を多分に享受していたのである。また、「まあいいか」の心、これが自由と結びついていると考えられる。この心は、まず他者を許容するものである。そして、そのように他者を許容する自己をも許容することでもある。この許容範囲の拡大がすなわち、自由の範囲であるというわけである。さらに、そのような大きな自由を噛み締められていたことが非常に重要であった。日本ではこうはなかなか生きられない。だからこそ、その自由感覚が真新しく、大いなる価値を感じることができたのであろう。
 哲学者であり教育学者である苫野一徳先生は、昨年の松下政経塾塾生向け教育講義にて、「幸福とは、満たされた自由の有り難さの味わい」だと教えてくれた。まさに、この感覚を私はインドにて得たのである。
 すなわち幸福とは「幽霊の正体見たり枯れ尾花」よろしく、自己内の思い込みなのである。どこまでいっても個人的感性なのであって、プラトンのイデア論のように、どこかに有るものではないのである。したがって、目的や終着点として目指すものでは決してない。むしろ求めてしまってはどんどん離れていってしまう。そんな「主観的価値認識状態」、これが私なりの幸福の帰結であり、常常感じていた違和感の正体である。
 「“幸福”の正体見たり枯れ尾花」。幸福を味わうための食材はそこら中に散らかっていて、その食材を調理する器具も我々はもう所持しているのであって、あとは、煮て焼いて炒めて蒸して揚げて和えて茹でて、そしてただただ食するだけなのかもしれない。

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水上裕貴の論考

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Yuki Mizukami

水上裕貴

第42期生

水上 裕貴

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