論考

Thesis

政治改革に向かう中国

社会主義と資本主義という全く異なる社会体制を、共産党一党支配という政治体制でいかにうまく使いこなし、公平で効率的な社会を構築するか。建国から50年を迎え、13億の人民を有する中国の新たな挑戦が始まった。

■ 羊頭狗肉

 「羊頭狗肉」という言葉がある。羊の頭を看板に出しながら実際には犬の肉を売ることから、見かけが立派で実質がこれに伴わないことをいう。出典は中国の『晏子春秋』だが、最近、中国ではこの言葉が違う意味で使われることがある。理由は知らないが、今や中国では食用犬はめっきり減って、羊の肉よりも高い。「羊頭狗肉」をやるお店が本当にあるとすれば、赤字覚悟でやらなければならない。これに伴って、「羊頭狗肉」の意味も変化した。単に外見と中身が違うことを指すようになり、時には中身のほうが外見より立派な場合にも使われるようになった。
 先日中国の友人に「羊頭狗肉と同じ意味の最新の中国語を知っているか」と尋ねられた。しばらく考えて「知らない」と答えると、「中国の特色ある社会主義」だと言われた。中国人のユーモアセンスに改めて感心した。確かに、現在中国政府が取り込んでいる経済政策をみると、国有企業の株式化や中小企業の自由化、土地売買の規制緩和など、どれもいわゆる社会主義の考えからはほど遠いものばかりである。
 こうした姿を中国自身「社会主義市場経済」と表現しているが、日本のマスコミの多くは、改革開放の経済政策は市場経済だが、政治体制は共産党支配の社会主義と解釈し、読者に社会主義は政治の概念という印象を与えている。しかしこれは明らかな間違いである。社会主義とは「生産手段の社会的所有を土台とする社会体制、およびその実現を目指す思想運動」(『広辞苑』岩波書店)であり、社会主義と一党独裁の政治体制とは直接関係はない。したがって、中国が昨年、全国人民代表大会(全人代)で打ち出した国有企業改革の株式化、自由化、民営化といった政策も、生産手段公有制を謳う社会主義体制の実現とはかけ離れた方向へ向うものだということがわかる。さらに、中国では近年、社会保障制度、医療保険制度の不備などから様々な問題が噴出している。加えて膨大な数の失業者と拡大する貧富の差など、その実体はどこを見ても日本以上に資本主義である。
 それでは中国は一体なぜ社会主義という旗印にこだわり続けるのか。「中国の特色ある社会主義」とは何か?
 私はこのように考える。「中国の特色ある社会主義」とは中国社会を安定させるための麻薬であり、社会主義の実現という壮大な実験に失敗した中国共産党の言い訳だと。さらに、改革開放を進める現執行部が保守勢力の逆襲をかわすためのカムフラージュだと。「中国の特色ある社会主義」とは、まさに「羊頭狗肉」にほかならない。

■ 黒い猫、白い猫

 「黒い猫でも、白い猫でも、ねずみを取るのはよい猫だ」。
 こう言ったのは、現在中国が歩む改革解放路線の道をつけた鄧小平である。大変な実用主義者だった彼は、経済発展に役立つなら資本主義だろうが社会主義的だろうが、手段を選ばなかった。しかし、中国のような政治の国では、彼のような考えは受け入れられにくい。どんなに素晴らしい政策でも少しでも資本主義的なところがあれば、決して実行してはならなかった。毛沢東時代、鄧は実用主義者と言う理由で度々失脚した。

 1999年の中国の経済白書によると、今年の経済成長率を7%維持できれば、700万人の雇用を作り出すことができるという。これで失業問題はいくらか改善されるという。ところが、同じ白書の別な箇所には、今年新しい労働人口は800万人増えるとあり、今現在、中国には570万人の失業者がいて、さらに今年300~600人の失業者が出るだろうと記されている。ざっと計算してもこれだけで1千万人の失業者を抱えることになる。しかし、米国の学者の分析によるとこのデータは甘すぎ、中国の失業者は一億人を下らないという。
 今年5月、中国の新聞『南方週末』にこんな記事が載っていた。中国の失業率は、農村部の余剰労働人口も入れて欧米流に計算すると32%に達するという。この数字にどれほど信頼がおけるかわからないが、中国が深刻な失業問題を抱えていることは間違いない。
 毎年10%近い経済成長率を維持しながら、このように失業率が高いというのは珍しい。これは朱鎔基首相が取り組む国有企業改革の当然の結果でもある。

 朱鎔基が取り込んでいる三大改革(国有企業改革、金融システム改革、行政改革)とは、かつて中国経済発展の原動力となってきた各種の仕組みが、今は中国経済の足かせとなっている、これをなんとかしようという話である。国有企業改革は国有企業を株式化して、民間の力で健全化を図る試みである。金融システム改革は、国有企業問題を先送りするために生じた不良債権問題の解決である。行政改革は、国有企業の自主経営を妨害してきた煩雑な行政機関の廃止およびスリム化である。
 97年のある金融改革問題シンポジウムで、朱鎔基は次のように述べた。「中国の目下最大の問題は国有企業問題だ。財政収入の財源は国有企業にあり、そこで1億1千万人が働いているのに、3分の1の国有企業は給料を払えずにいる」。
 この国有企業問題の根は、中国の建国時にまで遡らなければならない。米英に一刻も早く追い付き追い越したい中国は、重工業に重点をおき、多くの国有重工業企業を設立した。しかし、これによって産業バランスが崩れ、皮肉にもそれが中国経済の足を引っ張る一因となった。

 また、公平性と効率性を理想とし、社会主義計画経済という生産方式を取り入れた。しかし、この方法は人間の本能を無視した机上の空論で、国民の労働意欲を削ぐ、スタートから大きな計算違いを含んだ独善的なものだった。
 78年になって、鄧小平がようやく改革開放政策を採り、計画経済から市場経済へと切り替えられ、国民窮乏化政策から民生重視へと転換が図られた。改革政策はまず農村から着手された。生産請負制や単独経営が公認され、瞬く間に全国に広がった。さらに集団農業のもとに覆い隠されてきた過剰労働力の存在が明らかになり、その余剰労働力を活用して郷鎮企業が生まれ、農村発展の新方向を築いた。また外資の導入も可能となった。
 しかし、その一方で計画経済の下に守られてきた重工業を中心とする国有企業は、郷鎮企業と外資企業との熾烈な競争に巻きこまれ、多くが赤字経営となった。このような状況から脱するには民営化が効果的だと考えられたが、中国政府は問題の先送りをした。その一方で、国の経済成長に合わせて国有企業の従業員の賃金等は引き揚げた。計画経済から市場経済へと移行する80年代の半ば、国有企業の財源は国家財政による補填から銀行融資へと切り替えられ、金融機関は年々多額の不良債権を抱えることとなった。この国有企業を支える金融システムが今限界に来ている。

 事態がここまで放置された原因は、天安門事件以来、共産党内部で計画経済を主張する保守派と市場経済を主張する改革派が対立していることにある。進んで市場経済を導入した鄧小平にも、「私営、民営」という言葉には抵抗があったようだが、ことここに至っては計画経済に戻ることは不可能だ。今や、この問題を迅速かつ上手く解決しなければ、大混乱を招くことは誰の目にも明らかである。
 朱鎔基の改革案は、国有企業の社会負担を軽減させることと株式上場による民営化である。または、合併・倒産による競争原理の導入である。これは紛れもなく資本主義路線への大幅な前進である。ついに中国の憲法に「私営経済」という言葉が登場した。江沢民氏も講演で「経済発展のためには資本主義手法の導入も必要だ」と明言した。「白い猫、黒い猫論」は完成されたのである。

■ 政治改革

 1979年に鄧小平が始めた改革開放政策は、単に中国に市場経済を導入するというだけでなく、長い間中国社会が繋がれていた伝統的社会経済体制と、社会主義の集権的経済体制からの解放の試みでもあった(岡部達味『中国近代化の政治経済学』PHP研究所)。しかしそれを成し遂げることはできなかった。執行部はそれまでの経済政策の失敗を「長期にわたる左寄りの重大な過ちと毛沢東氏晩年の責任、そして、中国の社会主義の歴史が浅く経験が足りなかったことにある」と括り、構造的な欠陥には目をつむってしまったのだ。この総括が鄧の本心とは考えられない。なぜ、「社会主義集権的経済体制の必然の結果」と認められなかったのか。それは共産党一党支配体制の根幹を揺るがしかねなかったからである。黒猫でも白猫でも構わないと言いながら、国有企業の民営化を行わなかったのも同じ理由からだと推測する。
 大企業の私有・民営化を認めれば、中国共産党は末端組織の崩壊と自らの正当性の喪失という2大打撃を受けることになる。中央に始まり全国各地方に及ぶピラミッド型の支配網を持つ共産党は、すべての職場と住民区に党支部を設立している。国有企業は単なる生産の場ではなく、そこに働く労働者の住宅、結婚、老後など生活のすべてを管理下に置いてきた。民営化によって経済原理が最優先され、福利厚生が合理化されれば、末端党員、非党員に対する党の影響力が低下することは明白である。今年起きた法輪功に対する大量検挙は、中国共産党が国外で考えられているほど人民をコントロールしていないことの象徴と言える。

 さらに中国共産党は無産階級の味方を標榜してきた。ところが民営化を認めれば当然、資本家が誕生する。民営化を進めた以上、党は彼らの利益も守らねばならない。本来の社会主義とは矛盾するものとなってしまう。
 「朱鎔基の国有企業改革は死をも厭わない決断だ」と香港の評論家は言っている。彼を決断させたのは、中国経済のためであると同時に、共産党政権維持のためでもあると私は考える。毛沢東時代は共産主義の理念と毛のカリスマ性で政権を維持できた。しかし、その後の共産党政権維持は、鄧小平が採った経済政策のおかげである。つまり高度経済成長である。図は改革開放が実行に移された1979年以降の中国のGDPの実質成長率だが、中国の成長の凄じさが伺える。朱鎔基もこの高い成長を維持しなければ、たちまち求心力を失うことになる。そのためにはどのような犠牲があろうと改革を断行せねばならない。
 改革開放下で中国は、政治改革を後回しにすることによって旧ソ連や東欧諸国のような混乱を避け、経済のソフトランディングを成功させた。しかし次の段階に移るには、政治改革は避けて通れない。ここ数年、共産党幹部の汚職犯罪は増加の一途にある。97年の第15回共産党大会で、規律委員会出身の尉建行氏が政治局常務委員に抜擢され、共産党の反腐敗の決意を示すものと受け止められた。しかし腐敗はもはや一党員のモラルや罰則で対応できるようなレベルではなく、構造上の問題にまで発展している。経済的に力を持ち始めた個人事業主や民営企業家は、現在の政治システムでは利益代表を全人代などに送ることができない。自分もしくは企業の利益を守るためには、行政官僚に賄賂を贈る以外に「政治参加」できないのが現状だ。
 また、党が度々犯してきた経済政策の失敗はすべて、政治が民主化されていないことと関係がある。共産党の決めたことはすべて正しい、異論を申し立てるとすぐに反党分子や反社会主義分子として弾圧される。政治改革こそ、これからの中国経済にとって過ちを犯さないための最低限の保障である。
 政治改革の必要性は、党幹部も当然認識している。問題は改革のスピードである。中国人の友人は、「民主化が必要なことは多くの人がわかっている。でもダイエットと同じで、一気にやろうとすると体全体に悪影響が出てしまう」と言う。まったくその通りだろう。実際、中国でも農村部ではすでに普通選挙が行われており、村長選挙で共産党が推薦した候補が落選する、という事態も続出している。毛沢東時代には考えられなかったことである。
 経済発展から中間層と呼ばれる階層の形成、そして政治の民主化という道筋は、すでに韓国と台湾で実証されている。50歳の中国もまたこの道をたどり、法治国家、民主化への道を歩き始めたのだ。激しい勢いで政治改革の即時実行を迫る社会情勢の中にあって、中国共産党にはもはや後戻りする道は残されていない。(文中敬称略)

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矢板明夫の論考

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Akio Yaita

矢板明夫

第18期

矢板 明夫

やいた・あきお

産経新聞 台北支局長

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