松下政経塾 The Matsushita Institute of
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Report
1998年8月

塾報

「日中友好」を死語にするな
矢板明夫/卒塾生

 日本語学習者の減少、「日本研究所」の名称変更、変わらぬ日本批判。「日中友好」は曲がり角にある。「相互利用」時代は終わった。今こそ新しい関係、徹底した話し合いによる「相互理解」への転機の時である。

 
●下火になった日本語学習熱

 北京を訪れると必ず顔を出すところがある。土曜日の夜、あちこちの公園に現れる外国語学習たちの集まりだ。公園ごとに学ぶ言葉は異なるが、どこの公園でも中国語の使用は禁止され、みんな自分の学ぶ外国語でコミュニケーションをとろうと必死だ。その光景は、若さとやる気、そして真剣さに溢れている。しかしそんな中でちょっと寂しい公園もある。日本語学習をする公園だ。人が集まらないので多くの会が閉鎖され、参加者の年齢も他言語に比べ高い。「日本語の時代はもう終わりでしょう」。閑散とした様子に参加者の一人がつぶやいた。
 昨年末から約1カ月間、私は中国社会科学院日本研究所の特別研究員として北京に滞在した。社会科学院は中国政府最大のシンクタンクであり、その下にある日本研究所は長年の実績を誇る日本研究の権威機関である。しかし、北京に着いて聞かされたのは、「日本研究所はアジア太平洋研究所と合併し、名前を『中国社会科学院アジア太平洋日本研究所』に変更しました」ということだった。日本はもはや中国にとって重要な国ではなくなったのか……。
 しかし、日本の存在感が影を潜めたわけではない。書店には日本関係の本が山と積んである。日本の社会、法律を紹介するものや松下幸之助の経営哲学など様々である。しかしなんといっても多いのは第2次世界大戦関連本だ。『太陽帝国の落日』、『東条英機の狂気』、『山本五十六の賭け』といったタイトルがずらりと並ぶ。そして、その脇には必ず日本の軍国化を批判、または警戒するような書物が置かれている。ベストセラー『私の知る鬼子兵』(「鬼子兵」は旧日本軍を罵る言葉)の表紙には、軍服姿で靖国神社に参る老人たちの姿が写しだされ、行間からは「好戦民族ニッポン」を訴える著者の意図が感じられる。

●相互利用関係の終焉

 滞在中、何回か学術会議に参加した。中国の学術シンポジウムは極めて政治色が強く、学者は歴史問題、領土問題、外交問題等に関しては、常に政府と同じ意見でなければならない。会議では建設的で客観的な発言もあるが、やはり日本を批判する意見が続いた。私からみれば杞憂にしかすぎないもの、明らかに事実を曲解しているものも少なくない。数年前までよく中国で耳にした「中日友好」という言葉は、今回とうとう聞くことが出来なかった。
 中国の日本研究機構、地方の研究機関は、予算について国際交流基金など日本の多くの政府・民間団体から支援を受けている。一方中国側は、日本人研究者の中国での調査研究の便宜を図る。日本側は資金提供、中国側は情報提供という構図が長年続いた。しかしこの関係が崩れ始めている。日本側は不況による資金不足で従来のような支援ができなくなったし、中国側はこれまでのような情報提供をしなくなったのである。両国間の学術交流は行き詰まりつつある。日中関係は「友好」という名の下に、ただ利用し合っていただけの「相互利用」関係だったようだ。なぜそうなってしまったのか、その理由は4つ考えられる。

 まず双方とも解決しなければならない問題を先送りしてきた。例えば靖国神社の参拝問題。これは文化の違いから生じた誤解だ。日本には死者を尊ぶ文化がある。しかし中国には「蓋棺論定」(棺に蓋をして論が定まる)という諺があるように、人は死ぬとすぐにその功罪を判定される。あの毛沢東でさえ、7分の功、3分の罪と言われている。そして、中国では死者を参拝するという行為は、死者の生前を肯定しその遺志を受け継ぐ意志の現れとみなされる。だから、靖国神社へ参拝は軍国主義の復活ではないかと考える。そこで日本の政治家は、行為の意味を正しく説明し、理解を求めることが必要なのに誰一人それを行ってこなかった。このことを中国外交部の幹部に説明したら、「なるほど」と納得してくれた。靖国神社問題に限らず、たくさんの「歴史問題」はこのような誤解と対話不足から生じている。

 次に国際化の実績を急ぎすぎたため、日本に留学した学生たちの充分なケアができなかった点がある。中国で「反日」と言われる書物を見ると、その著者はほとんど日本留学経験者である。先に紹介した『私の知る鬼子兵』の著者もそうだし、『ノーといえる中国』の日本部分の担当者もそうである。彼らに限らず日本に留学した者たちは6割以上が日本嫌いになって帰ってくるという中国の新聞での統計がある。1983年に中曽根内閣が打ち出した外国留学生10万人受け入れ計画は、不十分な受け入れ態勢と、異文化や外国人に不慣れな日本人の理解不足で、結果として多くの外国人留学生を日本嫌いにした。また、数の拡大を追求は、留学生の質の低下、不法就労や犯罪を招き、両国民の信頼関係に軋みを生じた。

 3つめは対中外交と対米外交のバランスを著しく欠いてしまったことだ。日本の対米一辺倒外交に対し、中国は強い不信感を抱いている。ある大学教授は中国人の目に映る日本の印象をこう語る。「2年前、中国の核実験に対して円借款を凍結するほど激しく抗議して、『平和を愛する国ニッポン』を世界中にアピールした。にもかかわらず、アメリカの核実験には何も言わない。また、アメリカはイラクを爆撃し人を殺そうとしているのに日本はそれを支持する。全く信用の出来ない国だ」。

 問題の4つ目は、対中国外交において独自性を発揮してこなかった点だ。台湾問題を担当する共産党幹部に、「台湾問題の平和解決における日本の果たすべき役割は何か」と聞くと、「日本は下手に動かないほうが良い。日本は軍事大国でもなければ、政治大国でもない。今まで経済大国だったけれども、これからはそうではなくなるかもしれない。日本は自分のことに専念した方が良い」という返事が返ってきた。つまり日本はこの問題に口を出すなと言っているのである。確かに日本は日中友好を最優先課題にして、対中国外交において何の独自性も発揮してこなかった。このことは日本の中国における外交上の地位を低下させ、日本の謙譲は順従だと受け取られてきた。

●相互理解への第一歩

 最近、中国の新聞では日本批判が盛んだ。駐米斎藤大使の南京事件発言、最近作られた東條英機に関する映画、そして外務省高官のガイドライン発言など、日本はますます叩き易くなってきた。5月には「日本の軍国主義が復活した」と、久しぶりに中国の複数の大手新聞が日本を取り上げた。
 こうした事態を日中両国の心ある関係者たちは憂えている。しかし視点を変えれば、今こそ関係を見直し再構築する大きなチャンスかもしれない。日本のあいまいな外交態度は、効果的な時期もあったがもはや通用しない。冷戦の終結とともに「相互利用」の時代は終わった。これからは本音と本音をぶつけ、徹底した話し合いによる「相互理解」による「日中友好」の新時代を始めなければならない。

 中国は政治の国である。日本研究の大家と呼ばれる人々、例えば孫平化、蕭向前、劉徳有などは皆、政官界の人でもあった。日本も松村謙三をはじめ、田中角栄、宇都宮徳馬など、これまで日中交流の仕事の多くは政治家によってなされてきた。しかしこうした世代は少なくなり声も小さくなった。中国側には日本の世論が変わったように映る。

 中国には親日の世代は育っていない。この問題をどのように解決していくかが、これからの日中関係にとって一番の課題だ。なにがあろうとも付き合っていかねばならない隣国である。「中国脅威論」を唱えることも大事かもしれないが、今一度足元を見つめ直して「日中関係」を考え直す必要がある。「日中友好」を死語にしてはならない。

1998年8月 執筆
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