論考

Thesis

歴史観

我が家に初めて電子レンジがやってきた。翌年にはビデオ、そしてテレビゲーム、パソコンと年々目に見えて新しい道具が増え、生活に入り込んでいった。日々新しく変わりゆく 物との生活から幸福を感じ取っていた。戦後とは、そういう時代だった。

駆り立てるもの

 当時二十万円もする豪華な品物に、親戚一同がやってきて、ごはんを温める様子をかたずをのんで見守っていた。翌年にはビデオ、そしてテレビゲーム、パソコンと年々目に見えて新しい生活用品が増えていった。子供ながらに来年が来ることを心待ちしていた。未来は明るかった。

 思うに、明治の頃の日本人も同じような気持ちだったのではないだろうか。それまで木と紙でできていた建造物は、大理石やレンガで頑丈に建てられ、牛馬に代って鉄道が走り、カレーやパン、ケーキなどの食べ物が現れ、スタイリッシュな洋服が取りいれられ、髪形も大きく変わっていった。「文明開化」という言葉の中に、自由・平等、産業化といった近代化への喜びが言い表されているのではないかと私は感じる。その喜びこそが、成長への精神的な基盤となっていったのだと思う。

混迷する世界

 九十年代に入り、バブル崩壊によって日本は「失われた十年」と言われる低迷期に突入した。その間、アメリカのITなどの技術革新による巻き返し、EU統合に見られる国際関係の変貌やBRICsの台頭など、近代化の波が世界的規模で押し寄せている。世界は分業化が広がり、高度に依存し合い、そして競争し合っている。このような世界情勢に飲み込まれまいと、日本のみならず、世界の各国は必死になって努力している。しかし、人類はこれまでのやり方のまま進み続けることで本当にいいのだろうか? 冷静に考えてみるならば、我々はこの急速なグローバル化によって世界規模で起きている様々な問題を看過できない状況に来ているのではないだろうか。

 中国を例に挙げるなら、ここには急速な近代化のひずみが随所に表れている。上海など大都市では、大気汚染がひどい。大量の森林伐採によって水の涵養力が低下し、黄河は一年間のうち半分の期間、水が流れないといった危機的な状況にある。食料も海外から大量に輸入し始めている。

 仮にすべての国が中国と同様に発展をしたならば、資源や食糧、エネルギーはどこから調達できるのだろうか? 理論的には公平な競争により、リカードが唱えるように比較優位な製品やサービスにそれぞれが特化していくのであろうが、実際にはどの国も利益率の高いものに生産を集中してしまうだろう。現に世界では南北問題は深刻で、競争どころか不均衡は益々拡大化している。人々の日常の生活のみならず、環境面でも砂漠化、地球温暖化などその問題は深刻さは増すばかりだ。活力や欲求をそぎ落とすとなく、人類のたゆまぬ発展と幸福を求めていくために新しい方向性を見出さなければならない時に来ていると私は考える。

豊かだった江戸時代

 経済学者の川勝平太氏は「わが国は、広くアジアやヨーロッパに諸国と国際的交流を深めるなかで、室町時代やら戦国時代にかけて、つまり鎖国に至るまでに、それまで輸入に頼っていた国際商品の国産化に成功したとみられるのである。」1)と当時の日本の産業振興の様態を分析している。それを裏付ける証言として1690~92に滞日したドイツ人ケンペルは、鎖国当時の日本について、「この民は、習俗、道徳、技芸、立居振舞いの点でどの世界のどの国民にも立ちまさり、国内交易は繁栄し、肥沃な田畠に恵まれ、頑健強壮な肉体と豪胆な気象を持ち、生活必需品はありあまるほどに豊富であり、(中略)国民の幸福がより良く実現している時代をば遂に見出すことは出来ないだろう」2)と述べている。産業のみならず、江戸時代には元禄文化、化政文化などが花開いて、人間の幸福観という視点でとらえるなら、物心一如ともいうべき繁栄がもたらされた時代だったと言えるのではないだろうか。

日本人の自然観

 かつて日本人は自然をいつくしみ、日々の生活の中に取り込んでいた。アメリカの社会学者フローレンス・クラックホーンは、「ヨーロッパの文化が人間は自然を克服すべきものとして育まれてきたのに対し、人間は自然に屈服すべきものとして育まれてきた文化をメキシコの農業文化に求め、両者の中間的存在、すなわち自然と人間との調和に築かれた文化として、日本の文化を位置づけている」3)と分析している。日本人は、自然を糧を得るだけの存在として見ていただけれはなく、自然と調和し文化を育み、生活を豊かにしていくという独特の自然観を持っていた。日本文化の特徴は、その特異な自然観にあると言えるのではないだろうか。

 日本は降雨量が多く、比較的水に恵まれた地域である。しかし、国土の大半が斜面であるため洪水が起きやすく、せっかく降り注いだ水はあっという間に海に流れ出てしまうという問題を抱えていた。大陸から入ってきた稲作を導入するためには、限られた面積しかない平野部に、流れの早い水脈をいかにして溜め置くかという工夫を施さなければなければならなかった。それについて評論家の富山和子氏は、「豊かな水と土壌を約束してくれたのが国土七割の森林であった。それほどの面積を森林として育て守ることで、土地の生産力が保証されたともいえる。」4)と述べている。これは森林が持つ水の涵養機能について指摘しているものである。国内の森林の約半数が人工林で占められていることと考え合わせれば、日本の国土は自然の力を生かそうとする無数の人の手によって形成されてきたと言える。

 このような自然条件を克服するために、日本のリーダーには治水に関わってきた人が多い。たとえば武田信玄の信玄堤は有名である。甲府盆地を洪水から防ぎ、それを用水とする目的でつくられたもので、川の上流に大きな石を置いて、次第に水流の勢いを弱め、弱めた流れを最後の堤で受け止めるという仕組みである。自然に逆らうことなく、理をわきまえてつくられている。そのような自然の理を生かした治水事業は、江戸時代、熊沢蕃山や川村瑞賢、野中兼山などによって全国各地で取り組まれていた。

 こういった自然観はまた、米という独特の作物によって、より強化されていったと考えられる。アダム・スミスが「米田はもっとも肥沃な穀物畑よりもはるかに多量の食物を生産する。(中略)したがってその耕作にはより多くの労働が必要であるにしても、その全ての労働を維持したのちに残る余剰は、はるかに大きい。」5)と指摘している。このような稲作作業の形態とその見返りとして得られた豊かな生産性から、五穀豊穣を祝う自然観、生命観が形成されていったことがうかがえる。

日本の精神性

 ところで、なぜ日本だけが19世紀末に東アジアで唯一、近代化に成功したのだろうか。これについて、経済学者の森嶋通夫氏は二つの点を挙げている「ひとつは、日本が先進西欧との技術差をどう克服したのかという論点である。もうひとつは、日本人の「心情」が日本の近代化にどのように関わったかという論点である」6)。森嶋氏はなぜこのような点に関心を持ったかというと、近代西洋に興隆した資本主義の担い手が「資本主義の精神という独自のエートスをもっており、その形成に「プロテスタンティズムの倫理」が決定的役割を果たしたとマックス・ウェーバーが唱えていることが念頭にあったからである。つまり、日本の近代化の成功の裏には、プロテスタンティズムの倫理に代わりうる精神的要因があったに違いないと考えている。これについて川勝氏はその要因を「勤勉革命」7)にあると考えている。氏によると、西洋では資本集約型の産業革命が起きた。同時期に日本では、労働集約的な生産力向上の「勤勉革命」が起きたというのである。ここで言う「勤勉革命」とは、同時期に西洋で起きた産業革命(Industrial《産業》Revolution)に対して、日本で起きた労働集約によって生産力を向上させたことを、勤勉革命(Industrious《勤勉》Revolution)という言葉に掛けたものであり、経済学者・速水融氏が名づけたものである。

 ここで、日本の精神性とは自然観に裏付けられた勤勉性であると私は定義づけてみたい。

 近代化を下支えしたであろうこのような日本の精神性は、しかし、明治期をピークに失われていくことになるのである。明治期における河川の堤防技術導入について、オランダ人技師デレーケは、「自国の技術遺産も自然条件も顧みることなく、それら先進国から目先の技術だけもぎ取って直輸入しようとしたのは、むしろ日本人の側だった」8)と述べている。武田信玄や熊沢蕃山などの自然と人との調和の中で発揮される技術とは程遠く、単にコンクリートという頑丈で無機質な力で自然をねじ伏せようとしたたものであった。

 日本の精神性を大切にすることよりも、西洋の技術を導入することこそが近代化なのだと思いこみ、皆が疑うことなく邁進していったのであろう。近代という圧倒的な力の前に、日本人はこれまでの培ってきた文化など、古臭くて意味のないものだと放り投げてしまったのではないか。近代を受け入れるということは西洋文化を受け入れるということに等しい。西洋文化の自然観は日本のそれとは対極的であり、人間にとって自然は恐怖の対象でありおどろおどろしいものであるがゆえに、克服し、征服すべきものであった。つまり、近代を受け入れるということは、日本人がそれまで培ってきた自然観を捨て去り、西洋の自然観を受け入れるということに他ならなかった。

 哲学者の梅原猛氏が、「日本人の精神の糧が、明治以来ほとんど教育から姿を消してしまっていることを注意せざるを得ません」9)と指摘する通り、その時点から日本の精神性は、自然観が欠落してしまったことで、その基盤を大きく崩してしまったので、このことが現在様々に噴出している問題の根にあるのではないかと私は感じるのである。

新たなる時代へ

 人間の本質には二面性がある。欲に流されて、自他共に破滅に追い込んでしまうという面。そして、自然の理を見極め、宇宙のあらゆるものを生成発展に導いていくという面。近代化がもたらしたものには功罪両面があるが、総じて見れば破滅に追い込んでしまうという面が強かったと言えよう。それを改善するためには新たなる智慧がどうしても必要となってくる。

 たとえば「近世日本は260余りの国(藩)が『すみ分け』ており、理念としての『自足』をもっていました。現在世界には180余りの国がありますが、それらの『すみ分け』は(中略)諸民族の課題であり、『自足』を地球規模で再構築すべき時期に来ています」。10)という川勝氏の見解は重要であり、貴重な提案を含んでいると私は思う。そしてまた、「日本は、そういう課題にこたえるべき過去の精神伝統を持っているのではないか。聖徳太子は『和を以て貴しとなす』と言った。この和を中心に日本の国家を立てる。そういう時代が来ているのではないか」11)と梅原氏が訴えている点にも注目したい。つまり、この混迷する時代にあってこそ、日本人としての自覚に立ち返ることが必要なのだと思う。そしてそのことによって、結果的に人類に貢献することができるのではないか。これまで培ってきた日本の精神性が、人類に役に立つ時が今こそ来ていると感じるのである。

 日本の精神性を育むためには、体験が必要である。汗をかき、自然に向き合いながら糧を得るという体験が。その中から、人と人とが尊重しあい、協力しなければならないことを知ることができる。それはさらに、人間という存在そのものへの尊厳へとつながり、また、自然に対する畏敬の念へとつながっていく。このような自覚こそが出発点となって、人間に精神性や知性、理性が備わっていくことになる。哲学者の和辻哲郎は、「風土の現象が人間の自己了解の仕方」12)と述べている。自然との関わりを生活から切り離すことなく生き、学んでいくという姿勢こそが、人間の本性の理にかなった方法ではなかろうか。かつて日本人がそうしてきたように、森林保全や稲作を通して自然と人が調和し、人と人とが協力しあうことで恵みをいただくという実感が必要なのである。

 我々は歴史の中に生きている。我々が生きているということは、社会になんらかの影響を及ぼす。他に生きる人々の思想や価値判断に影響を及ぼしていく。そんな小さな影響が積み重なって歴史は築かれていき、時代が動いていくのではないだろうか。おそらく三十余年前の大人たちは、電子レンジの思い出が少年の心の中の深い記憶に残っていくとは思いもよらなかったことだろう。次世代を担う今の子供たちが大人になったとき、その精神性の基盤は一体何になっていくのか?DSかパソコンか、それとも携帯電話なのだろうか?過去を批判するだけではなく、同じ人間の営みと捉え、そこから学びとり、責任と自覚を持って行動しなければならない。なぜならば我々の日々の営みの蓄積こそが歴史そのものであるからである。

<参考文献>

1)『文明の海洋史観』p32 川勝平太 中公叢書1997年
2)『鎖国の思想』p100 小堀桂一郎 中公新書
3)『水と緑と土』p6 富山和子 中公新書1974年
4)『日本人と米』p184 富山和子 中公新書1993年
5)『国富論(一)』p280 アダム・スミス 岩波文庫
6)『日本文明と近代西洋』p3 川勝平太 NHKブックス1991年
7)『富国有徳論』p84,85 川勝平太  中公文庫2000年
8)『水と緑と土』p93,94 富山和子 中公新書1974年
9)『日本文化論』p42,43 梅原猛 講談社学術文庫1976年
10)『富国有徳論』p117,118 川勝平太  中公文庫2000年
11)『日本文化論』p60 梅原猛 講談社学術文庫1976年
12)『風土』p17 和辻哲郎 岩波文庫1935年

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寺岡勝治の論考

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Shoji Teraoka

寺岡勝治

第28期

寺岡 勝治

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一般社団法人学而会 代表理事

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