論考

Thesis

繁栄と貧困

ルターの宗教改革以降、「現世は神の加護の証しがゆえに、与えられた天職を全うすることによって救われる」という教義に基づき、経済活動が活発化していった。やがてデカルトなどの近代思想が受け入れられ、経済活動は神の手からも離れ出し、技術革新が加速化し、現在、世界中に近代文明としての繁栄がもたらされた。

 しかし、松下幸之助は、自身が松下電器産業という世界的企業の創設者であり、まさに繁栄の象徴的人物でありながら「今の繁栄は真の繁栄ではない」と訴え、我が国の真の繁栄を望み、松下政経塾を創設した。したがって我々松下政経塾生は、真の繁栄とは何か?これを明確に定義付けできるかどうかが日本の国家としての方向性を見出す大きな指標となっていくと考える。

<貧困は構造問題である>

 まず考えたいのが繁栄の裏には、必ず貧困あるいは資源の枯渇や環境破壊といった問題が付きまとうということである。資源の枯渇や環境破壊は分かりやすいかもしれないが、貧困がどうしてつながるかは説明が必要かもしれない。

 貧困とは、簡単にいえば経済的に恵まれていない状態である。しかし、それがどういう理由によって貧困に陥っているかということが重要である。もしかするとその人の努力不足であったり、怠けものであったりといったことが理由として挙げられるかもしれない。この個人的努力の問題は後に述べることとして、社会的構造問題をまず、考えてみたい。

 たとえば、経済的な利益を得ようとするならば、安く仕入れて高く売るということである。あるいは安い労働力を使って高く売ると言ってもいい。この会社なり個人の利益は、元々安く仕入れてくれたお得意様や安い労働力を提供してくれた労働者が受け取ってもよかった分である。また高く買った人の財産の一部である。つまり、全体で見た場合、富があるところからなくなり、ある所へ集中したと考えられる。おそらく規模を大きくして考えてみても基本はそう違わない。

 現在、格差や非正規雇用の問題が叫ばれるようになっていたが、サブプライムローンから端を発した金融危機以前の日本は「平成の好景気」と呼ばれ、戦後のイザナギ景気を凌いだと言われていた。しかし、そんな好景気など一般の庶民にはなく、むしろ労働環境は厳しさを増し、ますます困窮してきている状態である。昔と違って、中国の台頭により、各段に安い商品が手に入る状況となったからいいものの、これから中国経済がさらに発展し、物価が上昇したり、食品安全問題が解消されない状況が続けば、まさに困窮状態に陥る人が溢れ出てい来るに違いない。

 簡単に言うと今、繁栄と言っているものの実態とは、経済的富の合理的収奪だと見て間違いなさそうである。では、省エネや精密部品などの技術革新はどう見るのか?と問われればメーカーの独自開発商品はむしろ少なく、下請け企業の技術であったり、そういった企業や個人からの技術移転であったりする場合がほとんどであり、プラモデルのように部品を集めてきて組み立てるだけの工場と化しているという噂話も聞いたことがある。経済成長を誇る企業の実態はこのようなところが少なからずあるというのが実態ではなかろうか。

 経済学者のアマルティア・センは『貧困と飢饉』の中で飢饉がおこるのは食糧不足から起きるのではなく、食糧を手に入れ消費する能力や資格(=権原)が失われてしまった結果である」と指摘し、貧困が構造的に生み出されているということを指摘している。食糧は手に入れられないという状況は死に直結する、まさに死活問題である。にもかかわらず、食糧自体の総量は需要を満たしていても、いざ飢饉が襲ってきたであるとか、治安悪化により経済封鎖をするだとか、戦争が起きそうだということで、物価が跳ね上がったり、通常のルートで入手できなくなったりすることが引き金となるというのである。いや、好景気の最中であっても起きるという事実をセンは唱えている。

<見えざる手の時代、福祉国家から新自由主義へ>

 近代に入り、活発になった利益は個人を潤すだけでなく、教会への寄付という形にも一部なっていた。寄付は教会の維持管理にも充てられたであろうが、慈善活動に充てられた。今で言う社会福祉である。つまり、しっかり儲けて、しっかり寄付をすることによって、ある種、免罪符的な意味合いがあったのではないかと思われる。

 アダムスミスの『国富論』は近代への経済発展の助力となったことは間違いないだろう。しかし、見えざる手は現れることなく、貧富の差は拡大し、経済恐慌は定期的に繰り返される。そして世界恐慌前後から、拡大しすぎた貧富の差を解消するために社会福祉や労働という形で集中した富を大衆に再分配するようになっていった。教会への寄付によって行われていた免罪行為が税という社会システムに置き換わっていったという風に捉えられなくもない。

 所得再分配システムが免罪行為だったかどうかは、確証を得ているわけではない。しかし、先日興味深いテレビ討論を見た。とあるコメンテーターが「私は政治のことを知らないが、人の金を集めて、また金を戻すっていうことが政治の仕事なのか?おかしいと思う」と言っていた。それに対して、とある政治家や識者は「それが政治だ」と答えていた。その問答を聞いていて、一般的な政治というものは、再分配によって社会を安定的に発展させていくということが使命だと思う。しかし、コメンテーターが言わんとする真意に、なるほどと思う点もある。再分配は高納税者たちにとって、免罪行為という面がかろうじてあるという程度であって、あまり効果のいい投資とは見做しえないだろう。逆に再分配の利益を受ける側にとっては、免罪行為のやましさを逆手にとって「当然」と考えたり、あさましくなったりして、発展の原動力としての意欲を引き出すどころか、かえって働いたり創造したりする動機付けが乏しくなっているというのも現状として見られる事実である。もしこれに、何か意味があるとするならば、経済的繁栄という合理的搾取をした人々から免罪行為を強制して、さらに借金をしてまでたくさんのお金を大衆にバラマキ、票を獲得してきた政治自身が、形を変えた「合理的搾取」として君臨していたと考えられても仕方がないであろう。塾主、松下幸之助は、「政治を正さなければならない」と考えられたのはこのあたりにあったのではないだろうか。

 イギリス病などと言われたものの原因は、このようなことが原因であっただろうし、サッチャーリズムと言われるハイエクの新自由主義への改革の原動力となっていったのであろうと思われる。小さな政府への移行は、第二の合理的搾取システムを壊したが、経済発展と言う合理的搾取システムの手綱であった「政治」も手放しつつあり、日本では中曽根康弘元総理の改革から始まり、小泉純一郎元総理に受け継がれた。改革以降、経済的搾取は功利的に堂々と行われるようになってきている。

 このように振り返ってみると、信頼を失墜させてしまった日本の政治の責任は大きいし、この信頼と経済的搾取システムの手綱を取り戻すには、これから何十年という歳月を必要とするかもしれない。

<貧困、そして不況>

 経済的繁栄がもたらす負の側面を、「格差」だけに求めるのは短絡的だと感じている。繁栄とは、常に盤石な土台のような下支えなくしてはありえないのではないかと思う。たとえば、ITや金融も一時期は桁違いの資金が流入し、世界を支配していた。しかし、あっという間に今は資源産出国が強くなっている。もちろんこれとて、資源を活かせる技術力がなければ宝の持ち腐れで終わってしまう。つまり、天気図の気圧配置のように、局所的にどこの地方が高気圧となり、晴れる。また別のところでは気圧が低くなり、雨となるのを繰り返しになるだけだろう。情報化時代により、その波は大きく、移動は高速化しているというのが現在の世界経済なのであろう。それがどのようなことになるかは、定かではないが、総体としてどのようになるか考えてみたい。

 とにかく氷山、あるいはピラミッド型で世界のある限られた人間だけが地表に顔が出せ、頂点に君臨することができる。グローバル化はそのメンツが上の方で変わるということであろう。その他ほぼ永久に水面下。いずれ窒息して、下支えする役割さえ果たし得なくなるだろう。アマルティア・センの分析のように、彼らの多くが食べることすらままならない状態に追いやられて行くからである。それは混乱や発展の停滞を意味し、安い労働力や安い資源は入手できなくなってしまう。その結果、生産は高コストになるか滞り、利益は減少する。経済のみならず人間の活動自体が縮小され、混乱し、不満が鬱積する。フランス革命のようなことがまた再来するのか。いや、それはすでに起きている。世界の各地で。我々は気が付いていないふりをしているだけなのかもしれない。

 誰かが上に登ろうとすると、必ず誰かは死にたくないので上に這い上がろうとする。上にいる人の足を引っ張ってまで。さながら現在の経済的発展とは、蜘蛛の糸を登るカンダタのようである。いつか切れる糸、いつか崩れるピラミッドの頂点に登ることを考えることはかえって危険であろう。

 約60年前に終戦を迎えた我が国が、何故、世界戦争に突入していったか?行かざるを得なかったか?というのはこの点にあるのではないかと思う。食べるものや着るもの、乗っている物はかつてとは比べ物にならないが、しかし、起きようとしている事態の本質は何ら変わることなく、また繰り返されようとしている。

 いかにグローバル化社会で勝ち組として生き残るか?という観点でしか日本の将来像を描けていない。そういった気圧配置の予想をそろそろ辞める時期にきているのではないだろうか。

<個人レベルの問題>

 繁栄や創造をもたらすための要素の一つに、引き継がれてきた遺産があげられると私は思う。それは、家族という小さい単位にとどまらず、地域や民族、場合によっては国家というレベルにおいて遺産があるかどうかであろう。そしてその遺産の中身とは、土地や財産と言ったものも含まれるが、文化というものが非常に大きいと感じている。文化とは何か?という定義は様々なされているとは思うが、私はここで、生きる知恵の総体としたい。

 私は以前、宮崎県の山間にある諸塚村というところを訪れた。諸塚村では「諸塚方式」と呼ばれる集落ごとの自治組織がある。昔の互助システムである。戦後、GHQのトップダウン方式による公民館の設置と社会教育システムを拒否するため東京まで出向き、直談判し、本当に自分たちに必要な活動を継承してきたという。生活道として、また林道として必要な路網が山林内に張り巡らせている。これは道普請であり、自助、共助が未だに生きているのである。そのおかげで諸塚村は、主な産業が林業ということだが、この何十年来の木材価格の下落の影響を受け、危機的状況にあった。しかし、路網整備のおかげで機械搬入が容易となり、効率化が図られ、ここ数年利益を出しているのである。もちろん路網だけが原因ではなく、地域が一丸となって現状を打開するための知恵と汗を出し合ったからである。この村の発展の百年来の歴史を聞くと、何を残すべきなのか何を変えていかなければならないのかという判断をその時々に応じて行うリーダーが存在しており、それに賛同し、協力してきた人々がいたということが重要だったと感じた。企画課長は「この村は、人づくりを第一に考えてやってきた」と最後に語ってくださった。

 貧困の原因を、個人の努力に起因するかどうかという問題だが、私の個人的見解だが、一個人の努力以上に、その人間が生まれ育った文化的側面や歴史、成功例など諸々の環境によって大きく影響するということである。一見、努力をしていない、本人の言動が粗雑であるといった面が損をしているという風に見えても、家庭環境やその周辺地域の文化によってそのような言動が染み付いてしまっているということがよくある。私は定時制高校で勤務していたことがある。世間一般に指摘されるように「親」あるいは「家庭」の問題は大きいと思う。家庭訪問などをすると、その生徒の成育環境が一目でわかるが同情せざるを得ないケースが多い。今まで「なんていい加減なやつなんだ!」と腹が立つばかりだったところが、「よく、頑張って学校来てるよな」という風に思ってしまう。こう言ってしまうと、やっぱり家庭教育をしっかりしなければという発想になりがちだが、現実はそう簡単ではない。大体、自信を持ってうちの子はしっかり育てましたと胸を張って言える人がどれだけいるのか?ということに加え、現実的に生きることで精一杯の家庭において、文化的なものをどれだけ教育できるかは難しい。

 したがって、学校というところがなぜ存在するのか?というと、どんな環境に生まれ出ても、社会に適応できる習慣や言動、文化や知識を身につけることができるためであるということである。私はその役割を痛切に感じた一人である。しかし、現実は、家庭の文化力や経済力が高い生徒ほど効率的に学習でき、その後の教育環境や社会的チャンスが開かれているというのが現実である。とりわけ、義務教育段階での個々人の能力的資質をしっかり高めるという方策を国策として行わない限り、努力のなさを一個人レベルに全て還元するのは、機会の平等という観点から言っても、本質的に国家が繁栄するか否かといった大局観から言ってもナンセンスである。現在、ある地位にいる人たちにだけ繁栄への可能性が開かれ、所得の再分配は、ほとんど上昇への可能性を断たれた下層社会の人々への免罪行為にしかなっていかないのである。不満が溜まるから、してやっている。そんなみえみえの偽善なんていらない。彼らが抱く政治不信の本音の部分である。

<なにを継承すべきか>

 グローバル化にどう対応していくべきか?という命題はなにも21世紀から始まったものではない。古くは15世紀頃に繰り広げられてきた大航海時代からある。日本に鉄砲が伝えられ、キリスト教が伝えられた時から、どう対処すべきか?ということが問題視され続けてきた。

 経済学者の川勝平太氏は『日本文明と近代西洋-「鎖国」再考-』の中で、「インドや中国などのアジア物産への対抗として、西洋は近代化が進み、日本は鎖国政策を取るようになった」と分析している。ここでいう「鎖国」政策とは、海外との交易をしないというこれまでの見解とは異なっている。いわゆる鎖国と言われた時代にあっても、外国との交易は活発に行われていた。事実、日本は江戸時代、綿や絹、砂糖、茶などを輸入に頼りすぎてしまったがために、国内の貨幣がアジアに相当量流出してしまい、新井白石がこの問題に対して杞憂していた。西洋は鉄砲伝来以前からインドへの物産依存に悩んでいた。この問題にどのように対応したかというと、経済学者速水融氏の分析によると、西洋では資本集約的で機械を導入した「産業革命 industrial revolution」が起き、日本では人力の労働集約的な「勤勉革命 industrious revolution」が起きたとしている。江戸時代以前、日本人は勤勉という民族性があったわけではないということが指摘されている。江戸時代のこの時期、幕府の学問奨励政策があったということもさることながら、このようなアジアへ向けての交易が盛んになり、農地拡大政策がとられ、増産に成功。これが農家の生活水準を引き上げたようである。その成功のポイントが小さな土地に労働集約させ、勤勉・協力によって生産性を向上させたことにあるということなのである。

 この勤勉・協力は近代化以降においても、日本の繁栄の基底となっている。戦後の復興においても、何もない状態から目覚ましい復興を遂げた要因は、西洋的観点から言えば確かに何もなかったのであろうが、何もなかったからではなく、勤勉と協力という人間力の遺産を受け継いでいたからなのではないだろうかと思うのである。

 今現在の繁栄がなぜなされているか?なぜ貧困に陥ってしまうのかは、現在の我々の努力もさることながら、世代間における文化の継承がなされていたかどうかというのが私の考える繁栄のための要素である。日本の繁栄は、縄文時代から始まり、江戸時代に醸成されていった文化の継承のおかげではなかろうか。繁栄の結果、貧困がもたらされてしまうというパラドックスに対して免罪行為をするという発想から切り換えて、繁栄の利益を世代間への転換、継承へと差し向けていくべきではないだろうか。今生きている人間だけで完結するという発想からから脱却しなければならない。我々は文化という遺産を数多く残してくれた先代に感謝の意を表しつつ、それを元手に糧を得つつ、新たなものを創造し、それらを次世代に継承していくという発想に切り替えなければならないのではないだろうか。この発想自体、日本人が大切にしてきた思想そのものの写しだと思う。特に高尚な哲学者が説いたものではなく、一庶民のおじいちゃん、おばあちゃんが、子や孫に説いていた「当り前」の思想が実は、深く、かつ真意が含まれている思想だったということなのである。

<人づくりこそ>

 日々貧困の生活で、「こんなはずではなかった」と自らの不甲斐なさを感じる人は非常に多いだろう。もしかすると繁栄という代名詞を受けた人々の中にも、心の奥底ではそういった後悔の念というものを抱いているのかもしれない。しかし、それは一個人と言う人生観において完結してしまうと結局、幸福観を得ることは難しい。たとえどんなに幸福な人生を送れたとしても、あの世に持っていけるものはほとんどない。また、どんなに不幸な人生だったとしても、あの世まで追い立てられるものはない。だとすると私は、何が残せるのか?何を継承させることができるのか?ということが非常に大切なことになっていくと思うのである。

 どんなに自らが貧困に陥ってきたとしても、自分の子どもや孫が、感謝の心を持ち、社会に貢献し、自立して生きて行けたとすれば、その子や孫の中に自分自身が生き続けていけるのではないだろうか。逆にどんなに自らの栄華を謳歌したとしても、受け継がせた子どもたちがただそれを当たり前として受け取り、ただやみくもに消費してしまう現状に直面した時、人間というものの本性やあり方そのものに疑問を感じるのではないだろうか?この発想自体日本的だと思うが、私自身はこれこそが幸福感だと信じている、少なからずこのような幸福感を抱く日本人はいるのではないだろうか。

 しかし、今、我々は一体、次世代に何を継承できたというのであろうか?と振り返ってみたときに、おそらく大切な物は何一つ継承できていなかったと感じている人は多いのではないだろうか?

 私は昭和46年生まれである。人を育てる仕事につき、10年が経過した頃、古くなって捨てられてしまった物を拾い集めることを始め出すようになった。それは日本の伝統文化というものである。どんな最新型の教育方法論よりも、「靴を揃える」「襟を正す」「掃除をする」「あいさつをする」「規則正しい生活をする」「感謝の心」「おもてなしの心」・・・といった日本人がかつて大切にしてきた当たり前の心構えや生活習慣がどれほど人間をつくっていくことに役立つかということを肌身で感じたからである。それまで私は「理解」こそが絶対で、「理解」が得られない方法はやるべきではないと考えていた。しかし、人間が理解できることには限界がある。それなりに年功を重ねなければわからないことがある。いや、その方が多いくらいである。しかし、そういったことの方が実は英語や数学以上に価値があり、伝承すべき本質なのだと感じはじめている。だからといって、高尚なものではなく、先に挙げたようなありふれたことなのである。たわいもないがゆえに見落とされ、たわいもないがゆえに捨てられてしまう。そういう骨董品を「価値あるもの」として掘り返し、堂々と次世代に見せつけ、継承していくことが今、必要なのではないだろうか。

<松下幸之助の思い>

 松下幸之助は「学校教育の半分は、道徳教育に充てるべきだ」と述べておられた。それは先に挙げたような、年功を重ねないと分かり得ない価値ある日本の伝統文化が捨てられていく現実に憤りを感じておられたからではないだろうか。

 戦後、日本はアメリカをはじめとする西洋の圧倒的な経済的繁栄を目の当たりに突き付けられた。心や質などという世代間という目に見えない「タテ」繋がりの価値観から、現世ご利益的な量を寄せ集める繁栄へとその価値を変えてきた。しかし、量的寄せ集めである経済的繁栄は今、2008年に起きた金融危機を見るにつけ、わずか数週間で音を立てて崩れ去っている。日本がこの危機に際して、世界に経済支援をするという声明を首相が公言している。その根拠となっているのが1400兆円と言われる個人資産である。「何かのために」と思って勤勉に蓄えてきた一人ひとりの心の思いの集積である。この資産が流動化しないと経済評論家などは揶揄するが、決して暮らしぶりがいいとは言えない状況の中で必死な思いで貯めてきたお金を託せる人が次世代にも世界にも見た限りいないからではないだろうか。世界の経済危機に際してこの金が、生きたものとなるのか?

 それでも松下幸之助は国内外に多くの寄付をし、また思想的にも多くの書籍を残し続けた。私は幸いにも松下政経塾でいろいろなことを学ぶ機会を得ることができたが、しかし、一番思うのは、松下幸之助という人間は最後まで諦めなかった。信じ続けていたということが最も大切な学びであると感じている。

 本物はすぐそばにある。受け継ぐ立場の我々は、今は分からない価値あるものを素直な心で受け入れるという態度から出発していきたいと思う。真の繁栄とは、受け継いだものの写像である。我々が脱出できない困難にぶち当たっている現状は、我々自身の傲慢さから出ているのかもしれない。こういった心の謙虚さを持つことから、次なる道が拓かれていくのではないだろうか。

<参考文献>

・『貧困と飢饉』 アマルティア・セン著 岩波書店 2000年
・『貧困の克服』 アマルティア・セン著 集英社新書 2002年
・『貧困と学力』 岩川直樹・伊田広行共著 明石書店 2007年
・『日本文明と近代西洋-「鎖国」再考』 川勝平太著 NHKブックス 1991年
・『人口から読む日本の歴史』 鬼頭宏 講談社学術文庫 2000年
・『都市の理論』 藤田弘夫著 中公新書 1993年
・『リーダーを志す君へ』 松下幸之助 PHP文庫 1995年
・『遺論 繁栄の哲学』 松下幸之助 PHP研究所 1999年
・『第4次諸塚村総合計画』 諸塚村 2001年
・『機械と神』 リン・ホワイト みすずライブラリー 1999年

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寺岡勝治の論考

Thesis

Shoji Teraoka

寺岡勝治

第28期

寺岡 勝治

てらおか・しょうじ

一般社団法人学而会 代表理事

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