論考

Thesis

独立自尊 ~21世紀の日本に問われる気品~

明治維新という、近代日本における第一の開国と呼ばれる時代において、啓蒙家・思想家として偉大なる功績を残したといえる福沢諭吉。福沢の思想の源流である「独立自尊」を解き明かすことによって、グローバリゼーションのもとに第三の開国ともいえる現在の日本が置かれている混迷した現状を打開するヒントを見つけてみたい。

1.はじめに

歴史観レポートとして、明治維新を取り上げるにあたり、題材としたのが福沢諭吉である。近代日本に多大なる影響を与えたこの啓蒙家・思想家を私ごときが今更ながらに評論することは甚だ僭越ではあるものの、慶應義塾という学び舎にて高校生という多感な時代に福翁自伝を1年間かけて精読させられた私にとっては、福沢諭吉の評論はどうしても外すことができない。

福沢自身が幼少期に感じていた地域社会、伝統文化への違和感、不調和感、非同化感、そしてそれゆえに身に付けた平衡感覚、リアリスティックな視点。こうした感性が私自身にも多大な影響を与えたことは否定できない。思えば私が大学卒業後、順調であった企業人生活を捨て、不安定な起業人生活へと進んだことは、福沢から学んだ社会へのリアリスティックな洞察がそうさせたものであり、硬直化した日本社会へのいわばアンチテーゼであったのかもしれない。そしてその日本社会へのアンチテーゼはまさに私が政治を志す原点となっているともいえよう。福沢と同じ時代に生きた高杉晋作の辞世の句、おもしろきこともなき世をおもしろく、これこそが現在の日本社会に対する私の姿勢である。そうした意味で、福沢を論じることを通して明治維新の持つ意義を考えることは、私自身の現在の日本への捉えかたを改めて考えるうえで大きな意味を持つ。そのような視点で本レポートを書き進めていきたい。

2.福沢諭吉という人物

福沢諭吉という人物については、多くの評論があるため、ここでは私は取り上げる内容に大きく影響してくる福沢像に限定して記述してみたい。

福沢が頻繁に使用する言葉にこのようなものがある。
「一身にして二生を経るが如く一人にして両身あるが如し」。
これは近代日本人が受け入れなくてはならない宿命であると福沢は説く。その意味は東洋と西洋、伝統と近代という二つの生を一つの身で同時に生きていかなければならないということである。これは近代日本人を評しての言葉であるが、その裏には福沢の生きてきた世界観から導かれた言葉であるということがいえるだろう。

生まれの地、中津での生活において、周囲に馴染めなかった経験、そして門閥制度は親の敵とまでいったほどの硬直した階級制度への嫌悪感。当時の日本人として数少ない諸外国に渡った経験、そしてそこで受けた衝撃。日本に帰国してからの攘夷論との軋轢。こうした混乱期での複雑な体験から福沢の思想は組み立てられていった。しかしそれは決して独善的なものではなく、社会的良識、常識に沿った、現在にも通用するバランス感覚溢れた思想であったといえよう。

そしてこうしたいわば平衡に生きた人物であるからこそ、何事もとらわれのない批評的視点から見ることができる合理的な近代精神を養うことができたのであろう。まただからこそ周囲にある旧式の常識、社会的規範の幻想性を見破ることができたのであるともいえよう。その平衡感覚ゆえにそれぞれ異なる領域の長所、短所を的確に判断できた。その感受性と精神が福沢の啓蒙家・思想家としての真骨頂であったのである。

その福沢の活躍に対して、後世では福沢が道徳を軽んじ、知識を重んじたという評価もあるが、実際の福沢は道徳というものを大切にしたのである。

こうした議論は「文明論之概略」にて以下のように語られていることから発生しているといえよう。

徳義は一人の行状にて其効能の及ぶ所狭く、智恵は人に伝わること速にして其及ぶ所広し、徳義の事は開闢の初により既に定めて進歩す可らず、知恵の働は日に進て際限あることなし、徳義は有形の術を以って人に教ゆ可らず、之を得るとは否とは人々の工夫に在り、智恵は之に反して人の智恵を糺すに試験の法あり、徳義は頓に進退することあり、智恵は一度び之を得て失ふことなし、・・・

これを読めば、確かに智恵が徳義より重要であると言っている。しかしここで福沢が指す徳義とはこの時代における封建的な思考体系であり、その硬直した思考体系から人々を解放することがまずは文明開化の第一歩と考えたのであろう。福沢の道徳観を考えるうえで、慶應義塾社中の修身要項についてここで参照してみたい。

凡そ日本国に生々する臣民は、男女老少を問わず、万世一系の帝室を奉戴して其恩徳を仰がざるものある可らず。此一事は満天下何人も疑を容れざる所なり。而して今日の男女が今日の社会に処する道を如何す可きやとふに、古来道教の教一にして足らずといえども、徳教は人文の進歩と共に変化するの約束にして、日新文明の社会には自から其社会に適するの教なきを得ず。即ち修身処世の法を新にする必要ある所以なり。

  1. 人は人たるの品位を進め智徳を研きますます其光輝を発揚するを以て本文と為さざる可らず。吾党の男女は独立自尊の主義を以て修身処世の要領と為し、之を服膺して人たるの本分を全うす可きものなり。
  2. 心身の独立を全うし自ら其身を尊重して人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と言ふ。
  3. 自ら労して自ら食ふは人生独立の本源なり。独立自尊の人は自労自活の人たらざる可らず。
    以下29まで続く

ここで繰り返し述べられている「独立自尊」こそが慶應義塾社中の修身要項の基調となり、福沢の教えとなっている。この要領には忠孝の教えがなく、しかも道徳は時代と共に変化するものだとした点で、一部の思想家より教育勅語に背馳するという指摘を受け、激しい批判にさらされたことは事実である。しかしながら福沢の意図したところは反国家的な思想ではないことはいうまでもない。さらに続けて福沢の教えを参照することで、その意図を探ってみたい。

3.慶應義塾の教え

慶應義塾は単に一所の学塾として自ら甘んずるを得ず。
其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の 本旨を明にして、之を口に言ふのみにあらず、窮行実践以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり。

これが「慶應義塾の目的」と題された、福澤諭吉が慶應義塾創設にあたって記した思いである。気品、智徳といった言葉が目に付くであろう。
福澤がその教育の成果として強調したのが「気品」であるということである。もちろんその「気品」とは外見や言葉遣いのだけのことではなく、「我がネーションのデスチニー」を担っていくという強烈な当事者意識から自然と湧き出てくる人格の高潔さ、人物としての大きさである。

そして社会の先導者として社会が直面する課題を進んで発見し、その解決に率先してコミットしてゆくという姿勢を重視している。それをさらに詳しく示す文章が以下のものである。

期せずして来るの難には、よく堪ゆれども、自ら難を期して未来の愉快を求る者なし。

これは慶應義塾でいう「敢為の精神」(敢えて為す精神)、一般的にはフロンティア・スピリットと呼ばれるものであり、先導者たるものに必要な資質としている。この先導者という言葉は、今でいうリーダーということであろう。

私的な思い出で大変恐縮であるが、思えば高校時代の体育教諭に繰り返し教えられたものである。
「慶應義塾に学んだ者は社会のリーダーにならなくてはならない。リーダーとして高い気位を持たなくてはいけない」
その当時は、「毎度毎度同じことばかり繰り返して、しつこいな」くらいにしか感じていなかった。しかしながら実はこの繰り返しが私の内部にそうした教えを刷り込んでいく効果があったのであろう。常にそうした選択を重ね、気が付けば21世紀の指導者を目指す者の集合である松下政経塾に籍を置いている。そういえばこの「慶應義塾に学んだ者は社会のリーダーにならなくてはならない」という言葉は松下政経塾の願書にも記した記憶がある。しっかりと刷り込まれているという意味では教育というのは恐ろしいものである。

とりもなおせば、福沢が慶應義塾を創設した狙いの通りになっているのかもしれないともいえることは、その教えの偉大さを示しているものと考えられるであろう。

4.独立自尊が実現する未来

一身独立して一国独立す。そして、立国は私なり、公に非ざるなり。

この辺りは福沢の教えでも有名なものであり、昨今の政治家の演説等にも多く使われるフレーズでもある。石原都知事も好んで使っておられたと記憶する。しかしながらこの教えについて万人に正確な意味が理解されているかはやや怪しいところもあるといえるのではなかろうか。ここでもう一度その意味を確認してみたい。

明治維新の時代において、欧米列強に日本が伍していくためには、まずは日本の独立を保つことであり、かつその独立とは政府が専制的に進めることでは維持できず、それよりも一人一人の日本人が独立自尊の気風によって学問をすすめ、殖産に励むことが必要であると福沢は説いたのである。一国の独立とは公が達成するものではない、一人一人の国民こその問題であるということなのだ。

まず「学問のすすめ」の中での論を追ってみると、第一に「独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず」としている。依存心の強い国民では国家は保てない、自分自身の運命と国家の運命を同様に考えられる国民でなければ国家を真に想うことはできないというものである。第二には「内に居て独立の地位を得ざる者は、外に在って外国人に接するときもまた独立の権義を伸ぶること能わず」としている。しっかりと日本人として独立した人間でなければ、外国人との交渉はうまくいかない、それはその人間個人の問題ではなく、国家としての日本の損害でもあるということである。第三は「独立の気力なき者は、人に依頼して悪事をなすことあり」というものである。自分に力を持たないものは、他人に媚びて事を成そうとする、これは悪事にほかならないとしている、以上三点から、福沢は個人の独立という気力こそが国家の独立の基礎となると論じている。

続いて「文明論之概略」では人民の気風についてこのように論じている。
文明を目指すには、内面的、精神的な部分から取り組まなくてはならない。外見的な文明としては衣服、飲食、器械、住居、政令、軍隊などがあるが、内面的、文化的な精神とは人民の気風であるとしている。そしてその求められる気風こそが「独立自尊」なのだと説く。この「独立自尊」とは一体どういうことなのであろうか。

「独立自尊」とは己の魂の尊厳を自覚する、志を掲げるということなのである。世間、社会、体制、常識、そうしたものよりもはるかに価値があるものが人間一人一人の中にはあり、それを目覚めさせることこそが日本人にとって必要なことである。そしてそれは現代でも変わっていない。むしろこの現代こそに必要なことなのである。

ではなぜ日本人はその目覚め、覚醒がないままに明治維新から現在までに至ったのか、言い換えるならば真の自由ということについて考えてこなかったのか、歴史的な視点にて考えてみたい。

江戸時代を通しての三百年の鎖国を経て、日本社会が極めて閉鎖的な社会となっていたところに突然の黒船来襲、文明開化へと進んでいった。その明治維新という時代の刺激というのは想像に絶するところであったに違いない。これまでの共同体を維持しつつも西欧の近代文明に追従し、富国強兵を図っていくということは護るものを持ちながらも社会を開いていくという極めて微妙な平衡感覚が求められるところであったのだろう。その混乱を支えるものとしての思想として福沢は「独立自尊」を打ち出したのである。しかしこの「独立自尊」は当時の人々に浸透したのであろうか。残念ながらその後の大正、昭和へと続いた国家社会主義的な動きを見れば、決して浸透したとはいえないだろう。いやむしろ明治時代の混乱がそのままに続き、全体主義に流れるままに第二次世界大戦へと突入していったといっても過言ではあるまい。いうなれば日本人の精神の混乱、これは明治時代に発生して、大戦が終わって六十年以上経つ現在においても解決していないのではなかろうか。

いまだに日本社会に残るもたれあいの構造、官重視の発想、そして国家を支える共同体としての美徳の欠如。国民の誰もが抱える空虚感は、決して戦後的なものだけではなく、むしろ明治維新において変わらなければならなかった部分、世界の中の日本人としての気概、誇りの欠如からゆえに発生しているものである。

そしてその欠如が、このグローバリゼーションのもとに第三の開国ともいえる現在の日本に問われているものなのである。では一体日本人の美徳、気概、誇りとはなんであるのであろうか。それを武士道に求める人もあるであろう。教育勅語に求める人もあるであろう、もしくは憲法改正に望みを持つ人もあるであろう。私は「独立自尊」こそが現在の日本を救うと考えている。個人の解放といえば使い古された言葉のように聞こえる、天分の発見とでもいうのであろうか、自分を知るとでもいうのであろうか。松下幸之助塾主の「道」という詩にもあるように、その人にはその人の道がある、天与の尊い道がある、それぞれに違う個性がいかに多元的に協同し、協調し、競争していけるか。今の日本に必要な思考体系こそが「独立自尊」であり、そしてそれを支える社会システムを作っていくことこそが私が政治で行いたいことなのである。

ここでいう個人の独立とはけっして個人のわがままや勝手を許すことではない。そして国家の秩序を否定することでもない。古くなった秩序、硬直化した制度が人々の生き生きとした活動を阻害していることが問題点なのである。「独立自尊」を以って個人を生かし、社会を創る、それが福沢の目指したものなのであり、私自身も目指すところなのである。「独立自尊」という気風、気品こそが新しい時代の社会ルール、社会的価値となりえることを私は主張し続けていきたい。そしてその気風、気品こそがグローバリゼーションの中で日本が日本という固有の国家として存在し続け、かつ世界に対して貢献することができるためのエッセンスなのである。

最後に再び福沢の言葉を用いる。

世に為政の人物なきにあらず、唯良政の下に立つべき良民乏しきのみ。(中略)此国にして此政あり、彼国にして彼政あり、国の貧弱は必ずしも政体の致す所にあらず、其罪多くは国民の不徳にあり。政を美にせんとするには先ず人民の風俗を美にせざるべからず。風俗を美にせんとするには人の智識聞見を博くし心を脩め身を慎むの義を知らしめざるべからず。

良民が増え、良政が行われ、あるべき日本となっていくことを目指して、政を美にせんと志し、日々研鑽に励んでいくことを福沢先生に誓って筆を置くこととする。

以上。

<参考文献>

福沢諭吉 「福翁自伝」 講談社文庫 1971年7月
加藤寛 「福沢諭吉の精神」 PHP新書  1997年3月
大嶋仁 「福沢諭吉のすすめ」 新潮選書 1998年11月
北岡伸一 「独立自尊」 講談社 2002年4月
西部邁 「福沢諭吉」 文藝春秋 1999年12月
西川俊作 松崎欣一 「福沢諭吉論の百年」 慶應義塾大学出版会 1999年6月
丸山眞男 「福沢諭吉の哲学」 岩波文庫 2001年6月
坂本多加雄 「新しい福沢諭吉」 講談社現代新書 1997年11月
平山洋 「福沢諭吉の真実」 文春新書 2004年6月

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高松智之の論考

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Satoshi Takamatsu

高松智之

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