Thesis
これからの日本における国家と地域の関係性を語るうえで外すことができない地方分権から道州制への流れ。北海道道州制特区推進法案が国会に提出されるまでの経緯を追いながら、改革とは、そして地方分権の意義、政治の役割について考えた。
道州制、明治4年の廃藩置県以降からこれまで続いてきたこれまでのくにのかたちを大きく転換するこの制度については松下政経塾の創設者である松下幸之助をはじめとして、政経塾の中では常々議論がなされてきた。中央集権から地方分権へという流れは今や時代の潮流となっており、小泉内閣による三位一体改革と地方行財政改革の中で、大きく舵が切られるのも間近といった様相を呈している。
そしてこの道州制に真っ先に名乗りを挙げたのは、私が現在個別実践活動を行っている現場、北海道であった。北海道はまさに「道」そのものであり、平成12年から道州制に関する検討をはじめてきた。これまでに「分権型社会のモデル構想」、「道州制プログラム」などを策定し、北海道としての取り組みをアピールしてきた経緯がある。
さらに、抽象的な議論だけではなく、道州制のメリットを住民に具体的に実感してもらうために、道州制の意義の定着を狙って、「道州制の先行実施」なる3つの取り組みを行ってきた。1つ目には道州制特区の申請によって国から、道や市町村への権限移譲・規制緩和等の取り組みを行う。2つ目には道内分権として道から、市町村への権限移譲の取り組みを行う。3つ目には道州制北海道モデル事業として地方の裁量を増した公共事業補助金を活用した社会資本整備の取り組みである。
こうしたこれまでの努力と、行財政改革を目指す政府の意向があいまって、平成17年10月、自由民主党道州制調査会北海道検討小委員会中間報告において、「北海道道州制特区推進法を次期国会に提出する」とされたことから、その議論は慌しさを増していった。道、市町村、内閣府、自由民主党道州制調査会、関係者全てを巻き込んでの激しいせめぎあいが行われてきたことは報道でも伝えられている通りである。
最終的には紆余曲折の後に平成18年4月上旬、北海道道州制特区推進法案(仮称)の政府素案はまとめられ、政府は平成18年5月上旬にも法案を国会に提出する予定である。ではそこで論議となった問題点は何であったのか、そしてそれは本当に解決されたのか。当初の狙い通りの将来像が描き出せたのであろうか。
道州制、そして地方行財政という大きな論点であるため、やや消化不良になるかもしれないが、北海道の事例に絞り込むことでできるだけ硬質な姿勢で検証を進めていきたい。またそこで私がなにを考えたか、率直に伝えてみたい。
本レポート執筆時点(平成18年5月3日)では法案は可決が見込まれる前提で論を進めていく。
では北海道における道州制の論議の行方を論じる前に、その前提となっている地方行財政をめぐる動きについて、簡単に振り返ってみよう。
平成12年4月に施行された地方分権一括法、これはまさに地方分権改革の一里塚となった。地方分権一括法では、国と地方自治体、都道府県と市町村は対等・協力の関係であると位置づけられ、国による地方行政への関与の制限、国から地方への権限委譲などが定められた。合わせて三位一体の改革によって地方に対する国の関与を縮小の方向とし、地方自身の権限と責任を拡大するものとなった。国と地方の役割分担については補完性の原理、いわゆる公共の決定は個人により近いレベルで優先して行われるべきであるという考えから基礎自治体優先の原則をこれまで以上に実現していくことが必要とされ、市町村に対して積極的な事務委譲が進められている。
また国の関与については機関委任事務を廃止し、関与のルールとして、法定主義の原則、一般法主義の原則、公正・透明の原則、手続きルール、係争処理制度の関与に関する一連の規定を定めてきた。これによって自治体政策の自由な活動領域は広がり、住民の期待と要求を実現する態勢は整ってきたといえよう。
そしてなにより自主・自立的な自治体政策の実現に向けて、財源の確保が必要とされることはいうまでもない。国庫補助負担金を廃止し、国税の一部を地方に移して地方自治体の財源にすることで受益と負担の対応を明確化する、これによって地方分権方の行政システムの確立を狙ったのが三位一体の改革である。国庫補助負担金の廃止・削減、地方交付税の改革、税源の委譲、この3つを一体的に行うこと、これを三位一体と呼ぶ。
三位一体の改革については平成14年6月に基本方針2002なる名称で閣議決定し、政府として初めて三位一体で改革を進めることを決めた。その後4兆円を目処に補助金の廃止・削減を目指す、これによって税源移譲を進めていくこととした。合わせて歳出の見直しによる交付税総額の抑制、財源保障機能の縮小などの量的縮減を行うことで地方財政の健全化を図ろうとした。
三位一体改革の意義は国庫補助負担金の廃止・縮減を行い、地方へ税源移譲を進めること、及び地方の自主財源を拡充することで自由度、裁量度の拡大が図られ、地方が元気になるということである。それに加え、地方の借入金残高が平成18年度末で204兆円という現状において地方財政の健全化を目指す時代の要請であったともいえよう。
こうした地方行財政改革の進行の一環として並行して進んできたのが市町村合併である。
平成11年7月にはこれを踏まえ、「市町村の合併の特例に関する法律」が改正され、市町村合併特例法の期限である平成17年3月までの円滑な市町村合併の実現に向け、交付金事業が創設された。この効果もあって平成11年3月31日には3232あった市町村数も平成18年4月には1820となった。これがいわゆる平成の大合併である。この市町村合併による首長等、市町村議会議員等が約21000人減少し、給料・報酬が約1200億円減少すると推計されている。また最近では小泉首相自ら地方自治体首長の退職金問題に言及するなど、地方行財政改革への流れは止まることのないものになっているといえよう。
こうした地方行財政改革、市町村合併の進展によって自然を浮き上がってくるのが道州制の論議である。県を越える広域課題の増大、国から地方へという大きな流れのなかで、平成18年2月に地方制度調査会は道州制答申を発表し、基本的な制度設計を示すとともに、具体的に3つの道州制区域例を提示し、国民的な論議が幅広く行われることを期待するとした。
以上が国全体で行われてきた地方行財政をめぐる改革のポイントであり、道州制への移行への流れを示すものである。ではこれらをもとに、北海道で進められてきた北海道道州制特区の論議を振り返ってみよう。
はじめに記したとおり、北海道では早くから道州制への検討をはじめ、このところの地方分権の流れに乗って動きを進めてきた。北海道道州制特区構想の実現も2005年の衆議院議員選挙での自民党のマニフェストにまで盛り込まれ、小泉純一郎首相自身も施政方針演説の中で「北海道が道州制に向けた先行的取り組みとなることを支援していく」と宣言した経緯がある。これによって自民党道州制調査会の北海道道州制特区小委員会も議論を加速させていった。
しかしこれだけ盛り上がった北海道道州制特区も、いざ関連法案をつくる段に至っては予想以上の紛糾があった。とりわけ北海道の中から、法案への不信感を訴える声が続出したのだ。平成18年3月、内閣府から北海道道州制特別区域推進法案の基本的考え方(検討素案)が示されたが、そこで問題になったのは地方制度調査会の答申案を踏まえ、これまで北海道の開発を担ってきた国土交通省の出先機関である北海道開発局の廃止が打ち出され、さらに北海道にとっての生命線ともいうべき北海道特例の将来的な廃止が盛り込まれていたからである。
北海道はこの素案に対して迅速に反論を行った。大きな論点となったのは以下の2点である。1点目は財源措置の問題である。北海道はこれまで北海道特例とよばれる公共事業の国の補助率をかさ上げする制度が存在した。しかし今回の素案ではこの北海道特例に相当する財政措置については5年後から段階的に縮小することとして、最終的には他の都道府県レベルを検討するとなっていた。すでに破綻寸前の危機的財政にある北海道にとってこれは死亡宣告にも近いものであるといえよう。2点目は北海道開発局の扱いである。
北海道開発局の廃止によって、国土交通省の職員、すなわち国家公務員を北海道の職員として受け入れることになるからである。公務員総人件費改革の流れの中で小泉首相が盛んに北海道開発局の人員削減について発言しているように、この人員削減は避けられない。外務省よりも人員が多いとはどうしてだ、というのが小泉首相の論拠である。これが的確かどうかは別として、現状の財政難で既に急激に職員削減を進めている北海道に、北海道開発局職員を受け入れる余裕はないというのが現実である。
まとめると、北海道特例の維持、開発局の職員の扱い、この2点が論点となったのである。その理由として大きなものは現在の北海道が置かれた経済状況である。近年からの公共事業削減の流れの中で、公共事業依存型の経済構造から脱け出せていない北海道経済は壊滅的な打撃を受けていた。また北海道の財政状況も危機的状況である。官民ともに痛みきったところにこれ以上の負担はかなわない、というのが正直なところであっただろう。
これらの報道がなされているとき、私が北海道内での報道を見る限り、内閣府の素案は到底受け入れられないという雰囲気であった。また別件で同じタイミングに道庁、北海道開発局にも出入りをしていたが、どうにも浮き足立っている様子が伝わってくるものであった。
続いて自民党が平成18年3月中に帯広・北見・旭川・札幌で開催した道州制特区構想をテーマにしたタウンミーティングの中でも地元首長や財界関係者からは特区構想導入に否定的な意見が続出した。内閣府からは道州制特区担当の桜田義孝内閣府副大臣が参加したが、北海道民の攻勢にたじろぐ場面もあったと言われる。やはり北海道で暮らす人々の根本には基盤整備が圧倒的に本州より遅れているという意識があり、現状の地域経済の疲弊も道州制への移行を踏みとどまらせるものがあるのであろう。
北海道内選出の国会議員も総じて国の公共事業の補助率を北海道だけ優遇する北海道特例の財政措置の取り扱いをめぐって内閣府に異論を唱えた。武部勤幹事長のみが、行政改革、分権改革、公務員制度改革につながる一歩として内閣府案を後押ししてきた。
こうした押し引きが続いたが、自民党は平成18年4月12日の道州制調査会にて、内閣府がまとめた北海道道州制特区推進法案の素案を了承した。調整が難航していた直轄事業の補助金をめぐっては全額を交付金化し、当初の案に盛り込まれていた北海道特例分を縮小・廃止する記述も見送り、北海道側の要望に沿う形になった。
もう一つの懸案であった北海道開発局の問題については、国から北海道に権限移譲される事業として、北海道開発のために必要と指定された直轄事業の権限移譲に伴い開発局職員を原則北海道が受け入れの方向で調整が進むこととなった。
この結果を考えれば、北海道にとっては生命線である北海道特例を残したことで何とか格好がつき、政府側としては開発局人員削減が進むことで一つの成果を遂げることができるという意味では、政治的決着であったといえるであろう。ただ、本当に重要なことはこの北海道道州制特区推進法が施行されたときに、本当に道州制が目指したもの、地方分権と行財政改革が達成されるのか、という点である。これについて次の章にて考えてみよう。
道州制に対して出てくる一般的な意見としては以下のようなものがある。
自分たちのことは自分たちで決めようという考えの下で行う市町村合併、道州制と、国家財政の厳しさから、リストラの意味を持って押し付けられる市町村合併、道州制では性質が異なる。国にはカネがないから、自分たちで賄え、といった押し付けではなく、今の国、都道府県、市町村という構造の中で何が不都合であるのかという論議なくしては理想像を描くことはできない。行財政改革によって地方の自由度は高まることとなったが、改革を急ぐあまり、国庫補助負担金の削減が前面に出過ぎ、本来の理念が失われる改革となっては本末転倒であり、また各省庁の地方への単なる負担転嫁に終わってはならないことは勿論である。真に公平で効率的な地方行財政を確立していくためには、国と地方の役割分担を明確化し、再確認していくことが必要であろう。
こうした意見はまさにそのとおりである。そしてこれまで見てきた地方行財政改革の進行、道州制への流れ、それ自体には何ら間違っているところはないと考える。
しかしそれが北海道道州制特区推進法という一つの形を作り出したとき、やや理想形からぼやけたものになった感は否めない。真の行財政改革を実現するのであれば北海道特例は当初案通り、最終的には他都道府県と同様のレベルにならなくてはならないはずである。
直近はどんなに苦しくとも、分権確立、真の自主自立を目指して血を流す覚悟は必要であろう。
しかし現実の政治はそうは動かない。とりわけ私は、政府側主張、北海道側主張、どちらも理解できる部分があり、一方的にどちらかに決めることができないジレンマに陥っていた。あちらを立てればこちらが立たず。現実の政策論を優先するのか、実際の住民の意思を優先するのか。将来の理想を語るべきなのか、目の前の苦しみを和らげるべきなのか。悩みは尽きない。
改革、この御旗の元に小泉首相は様々な政治課題の解決に立ち向かってきた。この行財政改革もその一環である。低迷する日本経済を立て直しながら、逼迫する国家財政を健全化の方向に導く。それが広義の構造改革の目的であり、いわゆる改革である。この改革、それは果たして創造的破壊であるのか、制度全体、国家自体への信頼の崩壊を導く序曲となる破壊であるのか。それは未来の歴史家が判定することとなろう。政治家とは歴史という名の法廷で裁かれる被告人であるといったのは、かの中曽根康弘大勲位であるが、まさに改革の結果は将来の国民が陪審員となり、過去の政治家は判決を下されるのである。
仮にこれからの道州制のモデルになるべき北海道道州制特区が失敗の烙印を押されることとなれば、今後全国的な道州制の導入に向けた議論に水を差すばかりか、地方行財政改革の行方に当面混乱を及ぼすことは間違いない。そうなったとき、このくにのかたちはどうなってしまうのだろうか。本来の道州制の意義を強調するための成功モデルを目指すのであれば、北海道が最初のテストケースになるべきではなかったのではないだろうか。現実に北海道の疲弊を体感するものにとってはそんな思いに駆られてしまうのである。
困難は努力と工夫で乗り越えられる、それは正論であり、私自身もそう思う。だが、今の北海道にはそれは酷なのではなかろうか。改革という御旗と、現実の困難と、その狭間で私自身の思いも揺れ動く。
決して改革を否定するわけではない、守旧派なのかと問われればそうではないと自信を持って答えるが、では改革断行かといえば、そこまでの意気込みもない。それは決して中途半端というわけでもなく、なにか、もうすこしやさしく、温かい手法はないものなのか。昨今の格差社会の議論でも同様のことを感じるが、これは私が未熟であるということなのであろうか。小泉首相の断固とした改革姿勢が、これまでではできなかったことを実現してきたことも事実であり、それは否定されるものではない。むしろ賞賛されるべき実績である。しかし私の中のもやもやは一向に解決しない。私の悩みに正解はないのであろうが、自分なりにこれに対する答えを在塾中に出していきたい、少なくとも政治の場に立つまでには。
地方の地盤沈下が進む中、地方分権、道州制への議論はこれまで以上にスピードアップして推し進められるべきものである。
各地方が自主独立し、より住みやすい、暮らしやすい地方を目指し競争を始めたときに、必要となるのは経営感覚を保持した首長であり、つぶさに渡る点までをも地域の課題と必要な政策を理解した議員である。表題で掲げた地方分権がもたらす意義、それはつまるところ政治が変わる、政治家が変わるということであろう。
そして結果的に政治の役割が、戦後からの経済成長の中での利益配分の分配役であり調整役であった時代がもう終わったことを示すことになる。これからは現実を見据え、実現可能な将来像を描き、明確に有権者に説明責任を果たし、その実現を公約するとともに、ときには不利益を被ることをも理解を促し、相応の負担を依頼していくことが必要となる。それはまさに政治が権力による恫喝、利益の誘導である時代から大きく転換し、目指す価値のために住民を説得していく時代に移り変わろうとしているといえるのである。
かつて勝海舟は「政治家の秘訣は、何もない。ただただ 正心誠意、の四字ばかりだ」と言った。政治家は選挙のときだけ頭を下げるといわれるものだが、これからはそうではない、常に頭を下げ続けなくてはならない、誠意を持って、ひたすらに説得、説得のために。そうした意味で、これからの政治家の仕事は一層厳しさが増すことは間違いない。
もちろんのこと、これまでの時代でも相応に厳しかったことはいうまでもない。しかし、複雑化した時代の中で万人の納得を頂ける策を推し進めるためには、真にリーダーシップを備えた高潔なる政治家像が求められる。そしてその任を担うことができる人材を輩出しようとしたのが松下政経塾であるならば、やはり我々松下政経塾生の任はあまりにも重い、と考える。その任を背負う覚悟を持って、松下政経塾での最終学年を迎えたい。
<参考文献>
北川正恭+縣公一郎+総合研究開発機構 「政策研究のメソトロジー 戦略と実践」
法律文化社 2005年9月
北海道新聞研究所「主役交代」 北海道新聞研究所 2004年6月
櫻田淳 「国家の役割とは何か」 ちくま新書 2004年3月
総務省HP
北海道新聞HP
Thesis
Satoshi Takamatsu
第25期
たかまつ・さとし
衆議院議員/東京28区/立憲民主党