論考

Thesis

文化・芸術的視点から日本のアイデンティティを考える

知識人によるアイデンティティ議論の限界

 冷戦と高度経済成長の終焉により、日本はアイデンティティクライシスに陥ってしまっている。そのため、ここ最近、「日本のアイデンティティとは何か」という議論がにわかに盛んになってきた。
 しかし、にわかに盛んになっているとはいえ、現在活発に議論しているのは知識人と称される人々に限られているような気がする。ただ内容を見ると、川勝平太氏など一部独特の議論を提示している人もいるものの、30年前に高坂正堯教授が提示した「海洋国家日本の構想」の域を越えるものは出ていないといってもいい。なのに知識人は大手を振ってあたかも全てを見通したような議論を展開しているが、結局彼らは「論理的に矛盾がないこと」を一番の守るべき鉄則としているので、誰かの議論の引用に引用を重ねるあまり、論理的ではあるものの全く堂堂巡りのつまらない議論で終わっている。よって知識人志向のない巷の普通の人からすると全く面白くも何ともないので、どんどんアイデンティティ議論が知識人の専売特許のようになってしまってきている。
 知識人の思考回路である「論理性の追及」は、一見大切なようだが、論理性を追及するあまり、どんどんうしろ向きになってしまう傾向があるが、あまりうしろ向きになってしまったら急に今度は詭弁に走る。論理的に矛盾がないから、一旦実行されたあとうまくいかなくなっても責任をとらない。そのときはまた最高の論理的な言い訳を展開する。

アーティストよ立ち上がれ!

 こんなことばかりをしていたらどんどんつまらない国家になってしまう。多少、論理的に整合性が取れてなくても、例えば英国が大航海時代に海賊に海を渡らせ、大英帝国を築いたような、相手の予想を越える破天荒さが国家のアイデンティティを議論するときは必要ではないだろうか。私は知識人だけでなく、もっとアーティストが国家のアイデンティティの議論に積極的に参加するような社会になってほしいと強く願う。もっと破天荒で、もっと楽しくて、相手の国から、「この国、いいなあ」と思ってもらえることこそ、核兵器を持つことよりも抑止力になると思う。

実際機能しているアイルランド

 実際、アイルランドでは文化・芸術を国家の戦略として位置付け、担当大臣も置いて振興している。アイルランドの最も誇りとするアイリッシュダンスをモチーフとしたエンターテイメント「リバーダンス」を私はワシントンと東京で見る機会を得たが、どちらの会場でも国境を超えて観客を興奮の渦に巻き込んだ。しかも全体からオーラのようにアイリッシュのアイデンティティがひしひしと感じられ、これを見た人の心にはしっかりとアイルランドが刻まれたに違いない。私も自分が出演、もしくはプロデュースしたものも含めても、この「リバーダンス」は今まで私が経験した舞台芸術の中で最高のものと断言できる。アイルランドは地下資源も殆ど産出できず、また土地も痩せているため、作物もジャガイモくらいしか期待できない。そのような過酷な条件の中で、ヨーロッパの中で確固たるアイデンティティを維持できているということから、文化・芸術は、地下資源や農作物にも勝るとも劣らない国家の大切に守るべき財産であるといえよう。
 アイデンティティを世界にアピールする際、「自分が」「自分達が」と、如何に自分たちの文化が素晴らしいかを他にアピールすることばかりに気がとらわれていたら世界に共感してはもらえない。地球的視点を持たなければいけないのである。先に示した「リバーダンス」もそうだったが、異質なものを均質化せず、異質なまま受け入れるという地球的視点が必要になってくる。アメリカのように、自分たちの文化が普遍的だといって他に押し付ける独り善がりな考えは、地球的視点でも、グローバルスタンダードでも何でもない。

世界にアピールする日本のアイデンティティ

 日本も素晴らしい潜在的文化・芸術的センスを持っている国である。例えば、長野オリンピックの開会式、閉会式のイベントは今までのオリンピックとは異なる、画期的な視点を生み出したといえる。今までのオリンピックはその国の威厳を誇示するような内容だけに終始していたように思う。その中、今回の長野オリンピックは欽ちゃんの「わたしたちのふるさとは地球です」という言葉にも象徴されていたように、地球的視点で展開した初めてのアトラクションだったといえる。
 なかでも最高だったのは、小澤征爾の「世界をベートーベンの第9で結ぶ」企画である。これは長野のメイン会場で指揮する小澤征爾の映像を日本の最先端の技術でタイムラグが起こらないように発信して世界各地に陣取る合唱団を結んで第9の4楽章を演奏するというものであるが、私が感激したのは南アフリカ共和国の合唱団である。南アフリカは最近までアパルトヘイト政策のため、黒人と白人がひとつの合唱団に一緒になることはおろか、同じ歌を歌うこともなかった。それが、今回、黒人と白人が入り混じって整列しただけでなく、4楽章のコーダの部分(一番最後の盛り上がる部分)の際、白人も一緒になって、左右にステップを踏みながら歌い上げたのである。この歌い方は、ゴスペル等、黒人霊歌を想像していただければ納得できると思うが、黒人の文化そのものである。第9に限らず、西洋発のクラシックの合唱曲を歌うときは行儀よく直立不動(多少の左右のゆれはいい)というのが不文律であった。その西洋の不文律を日本人指揮者小澤征爾が世界を結ぶという大目標を達成するため、初めて破ったのである。歌い終わった後、白人達さえも「歌ってこんなに楽しいものだったんだ!!」といわんばかりの感極まった笑顔をしていたのが今でも脳裏に焼き付いて忘れられない。
 「第9の演奏」一見ここに日本の文化はないような気がする。しかし日本の伝統芸能をただ見せただけでは、自分達がグローバルスタンダードだと勘違いしている人達にメッセージが受け入れられるわけがない。オリエンタルな、非日常な、自分達とは異質な、変なものとしてしか映らない。だったら彼らの音楽で、彼らの言葉で、彼らの土俵の中で、日本人の心を表現すればいいのである。この視点は文化・芸術に携わっていれば、文献など読まなくても容易に考え付く。「和をもって尊しとする」聖徳太子以来培ってきた日本人の知恵を文化・芸術をもって、今混沌へ向かっている世界にアピールすることが私の使命のような気がする。

今後の予定

 今後2年弱、ロンドンを活動の拠点にし、文化・芸術的センスによる国家のアイデンティティの創造を研究していく。まず、6月21,22日にロンドンのロイヤル・フェスティバル・ホールとウエストミンスターホールで行われる冨田勲と瀬戸内寂聴の「千年文化 源氏物語」のプロデュースに私も参加することが決まった。日本のアイデンティティを世界に如何に受け入れられるようアピールするか、現場で学び取ってくる。世界第一級のイベントプロデュースの手法にも触れられるのが楽しみである。次に当初から予定していたMTVにて、ポピュラーミュージック興国論を展開しようと考えている。また、ロンドンはデザインを重視する傾向があるといえる。例えば、世界の地下鉄マップの中で、ロンドンのそれがデザイン的に一番洗練されている。騎士時代の紋章の歴史がマーク、デザインに対する高い意識を生んでいるのかもしれない。そこで、ポピュラーミュージックの次はデザイン興国論についても考えを巡らせてみたい。その後、アイルランドの現状を視察して来たいと思っている。
 まだ日本のアイデンティティとは何かここで断言はできないが、イギリス、アイルランドが国としてどのようにアイデンティティ創造に取り組んでいるかしっかりと見て来ることにより、何らかの発想のヒントと体現する手法を学んで来たい。

以上

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島川崇の論考

Thesis

Takashi Shimakawa

島川崇

第19期

島川 崇

しまかわ・たかし

神奈川大学国際日本学部国際文化交流学科観光文化コース教授/日本国際観光学会会長

Mission

観光政策(サステナブル・ツーリズム、インバウンド振興

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