Thesis
10月月例報告のあらすじ
私は今年の6月、冨田勲作曲「源氏物語交響絵巻」ロンドン公演のプロデュースに参加した。今回の目玉は、オーケストラのバックに世界最新鋭のハイビジョンで撮影した、京都を中心とする日本の美しい四季の風景の映像を曲とコラボレートして映し出すという凝った演出である。この美しい日本の四季の情景に、観客だけでなく、演奏者も、裏方も魅了された。
ホールはNon-Japaneseが約8割を占めた。演奏会終了後、ホール中央のオペレーションセンターにいた私は数多くのNon-Japaneseから質問を浴びた。「この映像は日本のどこで撮ったのか、どこに行ったら見られるのか」殆どが、今度自分自身の眼で見てみたいと言う気持ちから生まれる質問であった。
しかしながら、ここロンドンでどの旅行会社を廻ってみても、日本へのパッケージ旅行の商品は殆ど陳列されていないのが現状である。折角、今まで日本のことなど興味を持っていなかった人が日本についてもっと触れてみたいと思っても、その受入態勢が全く整っていない。旅行に来て、実際自分自身の眼で観、耳で聴き、肌で触れて初めて日本への想いが再認識されるのである。外国人の日本への旅行(インバウンド)客を増やすことが如何に国益に合致したことか、もっと国家としてインバウンド振興を行うことが重要であることを強く感じ、昨年10月からノースロンドン大学MBA観光学専攻課程で観光学を学び始めた。
現在、日本はアメリカに次いで世界第2位の観光大国として位置付けられているが、これはひとえに海外への日本人旅行者数によるもので、アウトバウンドに対してインバウンドの数字は4分の1という世界でも類を見ないいびつな構造となっている。
なぜ伸びないか、有識者は口をそろえて、円高の影響で日本の物価の高さが敬遠されていることと、日本における英語が通じない現状を唱える。しかしまず、円高の影響であるが、もしも円高が主たる原因ならば、一昨年起こった円安の状況下においては多少のゆり戻しがあってしかるべきである。しかし、平成9年と10年を比較して見ると平成9年は422万人であったのに対して、平成10年は411万人と逆に減少しているのである。当局は韓国、タイ等を襲った通貨危機が原因で減少したと発表しているが、韓国以外の国に販路を広げていないことが逆に証明されたと私は読み取る。ヨーロッパ、アメリカ等世界のマーケットに日本観光が全く浸透していないことを逆に露呈していることを当局は認め、対策を早急に講じなければ、また最近円高傾向にあるので、ますますこのいびつさは広がっていくことになる。
また、円高による日本の物価の高値感という面も主たる原因とはいいがたい。何しろ世界で一番インバウンドを受け入れている国は、旅行者にとって世界で一番物価が高い国のひとつとして知られているフランスなのである。ヨーロッパは言うに及ばず、発展途上国のリゾート地を見てみても、アジアのリゾートはそれなりに割安感はあるが、欧米人のデスティネーション、例えば、地中海の島々、カリブの島々など、完璧にツーリスト価格と現地価格は異なり、旅行者がデスティネーションで割安感を感じることは不可能であるのが現状である。
また、英語が通じないという面も、同じ英語が通じない韓国は日本よりインバウンドは多く受け入れている。
それでもなぜ相も変わらずこの円高、英語の2点を有識者が口をそろえて主張するのか。私はここでこの2点は真の問題点を隠蔽している隠れ蓑に過ぎないと断言したい。この2点はいわば、一朝一夕ではどうしようもない問題である。ここにはどうしようもない問題点を提示することで、インバウンドを振興するというポーズだけは取って、実のところはインバウンドを振興したくない「本音」が見え隠れする。この「本音」と日本の観光業界の問題点は密接に関係している。ここでは日本の観光業界の問題点を列挙してみることにする。
行政の取り組み方の問題点
まず一つ目に、行政側の取り組みの問題である。日本には観光省(庁)というものが存在しないので、運輸省が観光を管轄している。ただ、運輸省は名前の通り、運輸(トランスポーテーション)の方がメインであり、観光を扱うのは、運輸政策局の中の観光部という部署になる。しかし、ここは国内、国際全ての観光を扱っているので、インバウンド観光振興に全責任を負っている部署はない。トータルで観光を振興すれば目的は達成できるのである。すなわち、省庁間の利害関係の対立があったとき、観光は後回しにされるのである。例えば、アウトバウンドに偏った日本の観光業の現状は貿易黒字を縮小する効果を持つ。そのため、省庁間の利害関係という見地からすれば、このいびつな構造は逆に歓迎されるべきことなのである。
そして、先ほど、国としての取り組みの例としてウエルカムプラン21について触れたが、これも訪日外国人観光客を地方に誘導するということが明言されており、日本の地域振興の為にインバウンドを利用しているのである。外国人にとってやはり魅力なのは首都圏、関西圏である。本当にインバウンドを振興するなら、まず、首都圏、関西圏に触れてもらい、次にリピーターになった時に地方圏を訪れてもらうのが、顧客の立場に立ったマーケティングではなかろうか。全くはじめて英国を訪れる人にロンドンに立ち寄らず、ヨークとマンチェスターを見せて帰すようなものである。方法論としては、まず、顧客の意向を満足させるために、首都圏、関西圏のツアーを大々的に振興する。そして、訪れて興味を持ってもらった人に、地方圏のよさを伝えて、自ら興味を持ってもらえるよう、環境を整えるのである。それで次に一度地方に来てもらえれば、リピーターとなりうるのである。この戦略がうまく機能しているのが英国のインバウンドである。まず、ロンドンに来てもらい、気に入ってもらったら、コッツウォルズ、グラスゴーなど地方圏に誘導している。最初から地方へ誘導するのではなく、まず顧客の意向を汲み、次に顧客が自発的に選択する環境を整えなければならない。
そういった発想になるためにも、観光庁もしくはそれに準ずるインバウンド振興に責任を持って統括する部署を是非作るべきだと思う。
観光学界の問題点
次に、本稿でも、学識経験者、有識者という言葉を用いたが、果たして日本の観光学界に本当に世界レベルの有識者、学識経験者が存在するとは言いがたい。日本中で観光学部を擁する大学は立教大学をはじめ札幌国際大学、大阪明浄大学しか存在しない。
私もこちらで観光学を学び始めて、日本についての記述はテキストにも頻繁に出てくるのだが、往々にして誤解されている場合が多いことに驚いた。観光学のテキストとして最も利用されているもののひとつにPoon, Aが著した “Tourism, Technology and Competitive Strategies”があるが、彼女は日本の観光業界の特徴を電化製品、自動車と同じという前提で述べている。参考文献一覧を見てみると、日本の著者が書いた工業に関しての著作は入っているのだが、こと日本の観光に関する文献はJTBが出した統計一覧だけしか用いていない。他のテキストもほぼ同じ状況である。理由は簡単である。英語でかかれた日本人による日本の観光業の現状についての本がないからである。
もっと驚愕したのは、殆どのテキストが、世界に広がるセックスツーリズムは日本だけの問題の如く扱っているのである。確かに日本人も全くないわけではないが、バンコクでセックスツーリズムの研究を行っているO’Gradyによると、アジア地区だけでもセックスツーリストの逮捕者の国別構成を見るとアメリカが1位、ドイツが2位、オーストラリアが3位、イギリスが4位、フランスが5位、日本は6位である。これが、日本人の知らない間に各国が自国に都合のいい資料で文献を著し、日本人だけの問題にされているのである。このため、日本人が関与していないカリブ、アフリカでのセックスツーリズムの実態が蔑ろされているという世界的な問題も発生してきている。英語で表現できる世界レベルの日本人ツーリズム研究者を早急に輩出し、世界に正しい情報を発信することは日本の国益だけでなく、世界の利益につながるのである。この点は1月の月例報告で詳しく述べる予定である。
旅行業界の問題点
3番目に、これが一番大きな問題だが、この、有識者といわれる人たちは、殆どJTBからの情報を鵜呑みにしている。海外においては旅行会社の取扱高のなかでは中小手の占める割合は非常に多いのだが、日本だけは例外で大手旅行会社が多数を占める。その中でも最大手の旅行会社であるJTBの取扱高は他社を大きく引き離している。そのため、日本において旅行業界は他の旅行会社もホテル・旅館も航空会社もすべてJTBの顔色を窺いながら業務を遂行しているのが現状の姿である。日本の観光業界が世界の潮流から遅れをとっている原因の一つはここにある。
リーディングカンパニーというのは業界全体の発展を念頭に置いて、ときには自社にとって短期的な視点では不利になろうとも、長期的に業界発展に寄与することならば多少の我慢は止むなしとしなければならない。その意味では松下電器が折角取得した特許を業界全体の発展を考えて他社に対しても無償提供したことはまさにリーディングカンパニーとして賞賛に値する行為といえる。その積み重ねで日本の家電産業は世界に誇れる規模へと成長できたのではなかろうか。しかし、旅行業界では業界の発展よりもJTBが自社の利益向上を優先する傾向が顕著である。普通であれば、それに対して、学問分野が警鐘を鳴らしたり、行政が指導を行ったりするのでエイティブでやりがいのある分野であると思うのだが。
まとめ
インターネット時代になって、情報を得るにはインターネットで十分ではないか、ヴァーチャル観光の時代になるのではないかという意見もある。しかし、私は実際にロンドンに滞在し、インターネットから主に日本の情報を得て分かったのだが、物事が立体的に見えないのである。ある意味、情報提供者の恣意的な意図に左右されやすい。今後、超覇権国が世界に発信する影響力のある情報を握ってくるなかで、世界に対して日本の正しい情報をアピールするために世界に日本ファンを増やす必要がある。即ち、超覇権国からどんなに恣意的な情報が流れても、日本はそんな国ではないと言える現地の人が世界各国にいれば、国益に多大な貢献が出来るのである。そのためにもインバウンド振興はまさに急務であると主張したい。そして、一部の国からの受け入れに偏ることなく、世界各国からあまねく歓迎する環境を整えるべきである。そのためには観光だけではなく、留学生の受け入れも同じ観点で考えたほうがよい。私は、従来から存在する観光の経済的側面からの振興策よりも、国家のアイデンティティアピールという側面でのインバウンド振興を今後も研究し、積極的に主張していきたい。
<参考文献> | ・Burns, P. M. Holden, A (1995) Tourism A New Perspective, Prentice Hall,Hertfordshire
・Holden, P et al (1983) Tourism prostitution Development Documentation,The Ecumenical Coalition on Third World Tourism, Bangkok ・Nash, D (1996) Anthropology of Tourism, Elsevier Science Ltd, Oxford ・O’Grady, R (1992) The Child and the Tourist, ECPAT, Bangkok ・Poon, A (1993) Tourism, Technology and Competitive Strategies, CAB International, Oxon ・総理府編「観光白書」(http://www.sorifu.go.jp/whitepaper/index.html) |
Thesis
Takashi Shimakawa
第19期
しまかわ・たかし
神奈川大学国際日本学部国際文化交流学科観光文化コース教授/日本国際観光学会会長
Mission
観光政策(サステナブル・ツーリズム、インバウンド振興