松下政経塾 The Matsushita Institute of
Government and Management

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2001年10月

塾生レポート

政治的エコロジー
原田大/卒塾生

 

1.政治的エコロジーとは

 政治的エコロジーとは、どのようなものであろうか。現在までエコロジーのことが語られる際、その多くは自然科学的言語(工学、農学など)と経済学的言語で語られてきた。では、政治学的にエコロジーを語ると、どうなるのであろうか。

 政治的エコロジーを語る上でのキーワードは、「環境」「持続可能性」、「資源の希少性」「市民の自発性」、である。これらのキーワードの背後に隠されている価値観に目をむけ、解決に向けて歩んでゆくのが政治的エコロジー運動である。

「環境」とは何であろうか?「環境」という言葉の意味は、自分の周囲、あるいはその状況である。よって、環境に配慮した政治というのは、自分を取り囲むすべてのものに配慮した政治ということになる。野生生物保護やオゾン層保護は、その一部でしかない。真の政治的エコロジーはより広く、自分自身、自分を取り巻く友人たち、社会、生態系、地球そのものに対する配慮を含む。さらには空間的広がりだけではなく、先祖や子孫という時間的な広がりに対する配慮も含まれてくる。「環境配慮型」という価値観は、こうしたすべての利害関係者に対して配慮する価値観である。

「持続可能性」とはどういうことであろうか。ここで一つ参考になるのは、1987年の世界環境開発委員会(ブルントラント委員会)で言われたことである。この会議では、「人類は、将来世代が彼らの必要を満たす能力を犠牲にすることなく、現在の必要を満たすことを保証するために、開発を持続的なものにする能力を持っている」ことがうたわれた。つまり、未来も現在も含めてすべての人のニーズを満たせる社会が、持続可能な社会だというのである。政治的エコロジーとは、社会を構成して生きるという意味で元来政治的な生物である人類にとって、よりよく生きるための運動である。

「資源の希少性」がどのように絡んでくるのであろうか?人類は、地球の生産力の限界とこれまで常に戦ってきた。狩猟・採集民はある土地の生産性の限界がくると他の場所に移るという形で、食料の希少性と戦ってきた。農業・牧畜を始めるようになると、定住してよりアグレッシブな形で地球の限界に挑戦してきた。そして産業革命を経た現在、人類は食料を始め、淡水、工業原料、石油などのエネルギー源などの希少性に対する問題に直面している。さらにこうした直接的な生産資源の危機のみならず、廃棄物問題や温暖化問題に代表されるような、地球の「ゴミ」処理能力の限界という新たなる危機にも直面している。政治的エコロジーとは、このような希少性に基づくゼロサムゲーム型社会に対する挑戦である。

「市民の自発性」も重要である。モンテスキューもいったように、専制政治における原理が力だとすれば、民主政治における原理は徳なのである。徳に基づく社会といのはすなわち、自発的な責任ある市民のネットワークによる、自主的制限や行動規範に支えられた社会である。政治的エコロジーは、旧来型の力に基づく政治システムが引き起こした環境問題に取り組んでいくために、新しい手段を採用しなくてはならない。この手段において政治的エコロジーが最も重視するのが、「市民の自発性」なのである。

 政治的エコロジーとは、環境に配慮し、持続可能な社会を目指して、資源の希少性に基づく社会からの転換を、市民の自発性に依拠して進めていく運動だといえる。つまり、これまでの社会システムに対する、新しい民主主義の挑戦である。

2.政治的エコロジーへの取り組み方

 政治的エコロジーを実現するに政治はどのような取り組みをすればよいのだろうか。「環境」「持続可能性」「資源の希少性」「市民の自発性」の4つのキーワードに沿って考えて見たい。

「環境」に配慮すると、企業活動、政治運動の行動原理は新しいものとなる。企業経営は株主=シェアホルダーのみに目を向けた経営から、従業員、取引先、工場やオフィスの周辺のコミュニティなど、企業活動によって影響を受ける人、あるいは自然のすべてに目を向けた経営になる。こうしたすべての利害関係者=ステークホルダーに目を向けたほうが長期的に見て利益になることに、いくつかの先進的な企業は気づき始めている。政治運動も、既成勢力、「抵抗勢力」に対する反発と批判から、まずは現在のシステムと両立できる代替システムの創造へと向かっていく。これは市民の活動が、大企業や官僚機構に対する抵抗、反対のみに偏りがちであった「市民運動」から、公共的役割を積極的に担っていこうとする創造的な「NGO活動」へと変化しつつあることからもわかる。

「持続可能性」を考える際には、3つのレヴェルで考える必要がある。まず第一に資金的な持続可能性であり、次に組織の持続可能性であり、さらに活動内容の持続可能性である。この3つを同時に満たすことが必要である。このうちのいくつかが欠けている事によりうまくいかない活動の例を挙げてみよう。理念は崇高だけれども、活動資金がなく組織内もばらばらなNGOの活動は持続可能ではないし、資金的にも組織的にも十分過ぎるほど持続可能性を持っているが、活動内容がそもそも持続的ではない特殊法人、行政組織なども持続可能ではない。

「資源の希少性」に基づく経済社会からの脱却には、希少性に基づかない既存の社会経済システムを再評価したり、新しい社会経済システムを創っていけばよい。例えば地域的コミュニティ、宗教的コミュニティ、家族というコミュニティなどにおける助け合いなどは、希少性に基づく「表」の経済システムとは別物であるし、この中には金銭タームで表されないたくさんの価値が含まれ、交換されている。こうした「裏」の社会経済システムの再評価、あるいはコミュニティ通貨などを利用した再創造といった活動は、「表」の経済システムとも両立するものであるし、双方の良いところをとってゆけばよい。

「市民の自発性」に基づく社会を考えていくと、政治あるいは政府の役割が明らかになってくる。政府の取れる手法には3種類ある。第1に規制であり、第2に教育であり、第3にメカニズムの設計である。市民の自発性を引き出すためには、規制で強力に社会を縛って統制していく政府から、市民が自発的に動いてもきちんと機能するような、活動の土俵としてのメカニズムを創造していく政府へと脱皮することになる。そして前提となる市民の徳を高めるために、教育啓発活動が重要になってくる。官僚による規制の運営から政治によるメカニズムの創造、公共的=政治的活動に対する教育啓発活動の重要性という観点から、政治の役割はますます大きくなっているといえる。

2001年10月 執筆
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