論考

Thesis

世界遺産

旅先で名所を訪れると、そこが世界遺産に指定されていることが多くなってきた。長い歴史が作り上げた人類の遺産、素直に感嘆の念が湧きあがってくる。しかしそこは人の世、世界遺産を取り巻く状況に、別の驚きも覚える。例えばインドのタージマハル。昨年の一時期、入場料はインド人の入場料20ルピーに対し、外国人は20ドルだった。ちなみに、20ルピーは約50円、20ドルは約2400円である。世界遺産の指定後、インド政府は国内の史跡の入場料を引き上げた。もっとも、さすがに引き上げ過ぎたということで、現在は引き下げられたらしい。それから、ヴェトナムのハロン湾。海の桂林、ヴェトナムの松島とも言われる景勝の地であるが、世界遺産をセールスポイントに加えて観光開発が進み、沿岸部はホテルの建設ラッシュである。日本の旅行会社の店先をみても、「世界遺産ツアー」といったようなパンフレットがずらっと並んでいる。

 世界遺産の制度が生み出されたきっかけは、エジプトのアスワンハイダム建設であった。アスワンハイダム建設により古代神殿が水没の危機にさらされたとき、ユネスコが世界に呼びかけて4200万ドルの資金と国際的な技術支援を受け、神殿を移築したのである。その後国際会議が開かれ、開発から人類の「遺産」を守るための国際協力・援助の仕組みとして考えられたのが世界遺産条約である。1972年に採択されたこの条約の正式名称は、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(Convention for the Protection of the World Cultural and Natural Heritage)。わが国では1992年に国会承認を経て、発効している。

 世界遺産は、大きく分けて文化遺産、自然遺産、複合遺産の3種類に分類される。文化遺産となるのは、すぐれた普遍的価値を持つ建築物や遺跡などである。自然遺産となるのは、すぐれた価値を持つ地形や生物、景観などを有する地域である。複合遺産となるのは、文化と自然両方の要素を兼ね備えているものである。2002年6月現在、125カ国にわたり全部で730件の世界遺産が登録されているが、そのうち文化遺産が563件、自然遺産が144件、複合遺産が23件である(*1)。

 危機に瀕している世界遺産もある。ユネスコでは、730件の世界遺産のうち、2001年12月現在で31件を「危機にさらられている世界遺産リスト」に掲載している。世界遺産が危機にさらされている要因には、自然災害、老朽化など避けがたい要因もあるにはある。しかし、危機の要因の多くは自然破壊・密猟、都市化、地域紛争・内戦といった人間の活動が関わるものである。

 冒頭に挙げた、世界遺産指定を利用した、入場料の引き上げ、地域開発なども、人間の活動である。これらの世界遺産は人間社会と切り離されたところにではなく、人間活動の中にある。それゆえ、世界遺産とどう付き合うかを、周囲の人間は考える。観光資源として利用しようとする動きも一つの動きである。また、どこかの誰かが勝手に決めた世界遺産という指定を無視し、開墾したり都市開発したりするのも一つの動きである。ここで難しいのは、世界遺産の保護という活動もまた、人間の様々な動きの中の一つということである。

「手付かずの自然」という言葉もあるように、人間が余計な手出しをしなければ、大切なものは守られるという発想は、日本人の中でそう特殊なものではないだろう。しかし、文化遺産にしろ、自然遺産にしろ、保護活動を続けていくにはそれなりにコストもかかるのである。世界遺産条約では、締約国が自国内の世界遺産を保護する義務を規定すると同時に、世界遺産を保護するための国際協力についても定められている(*2)。世界遺産を保護するためには、むしろ積極的に人間が関わっていく必要があるケースも多いのである。保護に必要なコストを考えると、観光開発によって破壊の危機にある世界遺産を保護するために、逆説的ではあるが観光収入を充てるといった方法をとることもあるのだ。

「手をつけない」「何もしない」といった方法で守れるものは、人間の活動が地球の隅々にまで進み、グローバル市場経済がその活動範囲をどんどん拡大している状況では、実はそんなに多くはない。現に、多くの世界遺産が農業開発、都市化、地域紛争・内戦といった人間活動の拡大に巻き込まれて危機に瀕している。恵まれた環境にあるものは、観光資源として活用され、あるいは地域住民の日常生活の中に定着したりして結果的に保護される。しかし、経済的に保護のコストが十分でない世界遺産も多い。また、例えばハロン湾のように、経済的理由から、あまり美しくない観光開発が進み、本来の価値を減じてしまうのもいいことではない。世界遺産のように経済的価値よりもその自然・文化的価値が尊重されるべき物の場合、経済社会と、自然や文化を媒介する新たな仕組みが必要である。ここで「新たな」といったのは、現在よりもより自然や文化に寄った仕組みが必要だからである。「資金」援助などをベースにした保護・協力の仕組みは、その現在の経済社会システムを利用することが前提となっているため、どうしても経済的尺度が重視され、経済的価値の尊重に傾いてしまう傾向がある。

 地域通貨、フェアトレードなど、経済的価値を尊重しながらもより自然や文化などを尊重する仕組みが、現在様々なところで行われている。こうした動きは、現在の市場経済システムを越えるものになるのか、あるいは現在の市場経済システムをいい方向により進化させるのか。経済発展はしたけれど、幸福になったとは言い切れずに迷走している日本人にとって、自然の美しさ、文化の豊かさといったものをより重視するような社会システムを考えることが、本当の幸せにつながる一つの道である。

(*1)日本ユネスコ協会連盟の世界遺産ウェブサイト
    http://www.unesco.jp/contents/isan/
(*2)保護義務については、締約国の保護・最善を尽くす義務(第4条)、保護に協力することが国際社会全体の義務(第6条)。国際協力については、「世界遺産基金」を設立(第15条、第16条)、「世界遺産委員会」による調査・研究、専門家派遣、研修、機材供与、資金協力等の国際援助(第22条)。

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原田大の論考

Thesis

Dai Harada

松下政経塾 本館

第21期

原田 大

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