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歴史観
2004年6月

塾生レポート

ペリー来日以来の沖縄の運命
上里直司/卒塾生

 世界的規模で行われている米軍基地の再編は、当然米国の世界戦略と一貫している。日本がこの米国の世界戦略と向き合うことになったのも、そもそもペリー来航以来である。その後、日本は米国の世界戦略に左右されることになるが、同時に沖縄の運命をも決定づけている。今月の月例報告では、ペリー来航と沖縄の運命について論じてみる。

 
 このところ在日米軍基地の再編記事が沖縄の地元紙を賑わせている。というのもこの再編によって返還合意されて7年も経つ普天間基地が動きそうな気配があるからだ。来月7月には、普天間基地を抱える宜野湾市の伊波洋一市長が訪米し、世界規模での米軍再編の機に乗じ、米国政府やシンクタンクなどで、一刻も早い基地返還を訴える予定だ。本来なら日本政府を通して交渉すべき問題であるが、宜野湾市長は直接交渉によって米国の世界戦略に何らかの影響を与えようとしている。

 これまでも米国の世界戦略は日本の進路を左右してきた。日米の思惑はときには一致し、ときにはぶつかりあった歴史がある。そもそも日本が米国の世界戦略と向き合うこととなったのは、150年前のペリー来航以来である。圧倒的な軍事力を背景に開国を迫ったペリーの手法は、形を変えながら、今もなお米国の世界戦略の展開していく際の手法となっている。

 さて、今度の米軍再編においても、ペリー来航以来の一貫した米国の外交スタンスが感じられる。それは、日本本土と沖縄を分離して捉え、日本本土には市場の拡大を要求し、沖縄にはそれを強要する軍事力を配置することを目的としているということだ。とりわけ沖縄は、日本本土ににらみをきかすだけでなく、中国大陸をも視野にいれることができる、軍事拠点に最適な地理的条件を備えている。沖縄が米国にとって、市場としての経済的メリットが見出せないことを考えると、軍事基地として磨耗するまで使用しようとするスタンスは変わらないだろう。

 米国にとって、沖縄は世界戦略の一部かもしれないが、沖縄にとってみれば広大な米軍基地は地域の発展を阻害するものである。よってペリー以来の一貫した米国の沖縄へのスタンスが続く限り、沖縄における真の平和と繁栄の実現は困難なことである。

 今回のレポートではペリー来航の目的を改めて問い直し、歴史的意義とその後の影響について論じてみる。

ペリーはなぜ日本にきたのか

 1853年6月、ペリーが率いるアメリカ東インド艦隊の軍艦4隻が最初の寄港地、那覇をあとにして浦賀沖の姿を見せた。江戸幕府だけでなく、市民をも震撼させたあの黒船の来航である。ペリーの来日の目的は、大雑把な言い方をするとアメリカの新たな市場開拓であったと言えよう。19世紀になるとアメリカは、北太平洋で操業していた捕鯨船や中国貿易船の寄港地として日本に注目するようになった。しかし、ただの燃料補給や寄港程度の要求ではないことは、一連の条約締結の流れをみるとよく分かる。来日前から、日本市場とその先の中国市場をどのように開拓していくかに着目していたのではないだろうか。

 ペリーの日本に開国を迫り、(1)合衆国船舶が必要とする燃料と食糧の提供、(2)難破船や乗組員の救助、(3)下田・函館の開港、(4)合衆国に対して最恵国待遇を与えることを要求した。これらの取り決めが1854年に日米和親条約として締結され、その後1858年には、自由貿易や領事裁判権(治外法権)・協定関税制などを含んだ日米修好通商条約へと連なっていく。この一連の流れを見るとペリーが捕鯨船や貿易船の単なる燃料補給地として日本を見ていることではないことがよくわかる。この条約は米国のみならず、オランダ、イギリス、フランス、ロシアなどとも結んだ。彼ら欧米列強からすると、一方的な有利な条約となり、日本からするとこれら条約は日本が自主的に改正することができない不平等条約であった。この不平等条約の改正こそ、後に明治政府の最重要課題となっていく。

 余談であるが、このような不平等条約の締結は欧米列強にとって一方的に利益を吸い取る植民地化の第一歩である。このような不平等条約を締結しながら欧米列強の植民地とならなかったのは、幕末史の奇跡であり、また、明治の先人たちの努力の賜物であろう。ペリー来航は江戸幕府の鎖国から開国させ、直接的、間接的に幕府崩壊への道筋をつけた。その結果、近代日本の夜明けを迎える端緒を開いたこととして評価されるが、決して明るい側面だけではない。実は先人たちの努力なくしてはこの国の未来はなかったのかもしれない。私たちは幕末における攘夷運動や外国人を狙ったテロ行為を狂信的な行動としてとらえてしまいがちだが、決してそれだけではない。私はテロ行為を肯定するわけではないが、圧倒的な軍事力を背景にし、不平等条約を締結させ、あわよくば植民地化しようとする人々に対して抵抗する手段だったのではないだろうか。2004年のイラクで発生している外国人の拉致、殺害そしてテロ行為の背景に、圧倒的な軍事力と一方的な占領の構造が分かると、当時の日本の攘夷行動を理解できるのではないだろうか。

ペリーはなぜ琉球にきたのか

 さて、ペリーの来日については、市場開拓の側面があることは前述した。一方、ペリーの来琉は市場開拓を強要するために必要な軍事基地を置くことに目的があった。

 1853年5月、ペリーは日本との交渉を前にして、琉球王国に寄航した。アメリカは琉球が日本の支配下にあることを把握しており、日本との交渉が決裂に終われば占領することも選択肢にいれていた。そのせいか、沖縄本島周辺の地図や海図を作成したが、実際は占領にいたらなかった。ただ、この地図は、1945年4月の沖縄戦における米軍上陸の際に実際に利用されるなど、占領目的は90年以上も時間へだてて実現された。

 来琉したペリーの開国要求を琉球王府はのらりくらりと対応し、なかなか確実な答えを与えなかった。業を煮やしたペリーは滞在10日目にして、王府の抵抗を押し切って総勢200人余の兵隊を率いて首里城を訪問する。日本や清のように、ある程度の国力のある国とはまだ交渉するが、琉球のような小国に対しては何の躊躇もなく軍事力を行使する米国の行動には今も何ら変わらないところである。

 結局、ペリーは日本との条約締結に成功させたあと、1854年に琉米修交条約を結んだ。条約の内容については日米のものとさほど変わらないものだが、ペリーのそもそもの目的が占領や軍事力の配置というものであるため、条約そのものには重きを置いていなかったと考えられる。

 余談であるが、この後、軍事力を背景にして琉球を占領し、琉球王国を解体したのは、米国ではなく、日本の明治政府であった。その後、日本は、戦略なのかそうでないのかわからないが、台湾出兵、日清戦争へと続く、中国での市場開拓を進めていった。もしペリーが琉球を占領したならば同じような道筋をたどって中国へ進出していったであろう。1945年の沖縄上陸と米軍の占領。1949年の中国の内戦、そして蒋介石政権への支持と台湾へのテコ入れ。そしてニクソン訪中といった米国の中国進出の経過は全く同じではないにせよ、沖縄の占領が中国への足がかりの一歩となっている点はぴったりと重なっている。このことは、米国と日本といった大国の戦略に翻弄されるのが琉球の運命であることを示唆しているのだろうか。

アメリカの世界戦略とは

 ペリーの来航によって日本は、多くの困難を抱えることとなったが、結果的には近代日本の成立を加速させた。また、その後の明治政府やその後の日本の政府のあり方にも大きな影響を与えているといえよう。しかし、そのことはペリーが望んでいたのかどうかは分からない。むしろ中国の市場開拓に重きを置いていたならば、近代化を目指す日本が、国力を増すために、中国の市場開拓を進めてきたことはペリーや当時の米国が想定していなかったのではないだろうか。

 アメリカの戦略をみると、世界規模で自国の経済利益を追求していこうとする意思がむき出しになっていることが分かる。アメリカがこの150年間を追求してきた市場は、アジアにおいては日本ではなく、中国なのであろう。実際、日本の頭越しにニクソン大統領が訪中した1972年以来、米国は中国の市場開拓を着実に進めてきた。ようやく利益追求の道筋ができてきたと言える。そして、現在では、インドや石油産出地である中近東を市場として視野に入れた戦略的外交が行われている。

 市場開拓の対象がシフトした現在、米国では、不要になった軍事拠点を除き、必要とされる地域へと再配備する動きが進められている。韓国では、ソウル市内にある基地の返還と移転と着実に実行されている。そして、イラン政権への介入、アフガンでのタリバンへの軍事援助、湾岸戦争など一連の米国の軍事行動の先にあるものが見えてくる。

沖縄の運命

 ただ、当分の間、アメリカの中国の市場開拓は止むことはないだろうし、中国の周辺地域にある不安定要因、特に台湾問題を解決するのにも時間がかかりそうである。よって、この地域における軍事的重要性は維持され、沖縄の米軍基地の全面撤去や大胆な整理縮小の可能性は低くなる。そうなると、沖縄県民が半永久的に基地とともに暮らすことを余儀なくされる。

 しかし、沖縄の未来を考えるとき、広大な基地の存在を認めることはできない。これ以上、不条理な事故や事件と隣り合わせのまま生きていくことを黙認できない。沖縄の平和や繁栄を実現しようとするならば、どうしても、この米国の自国の利益を追求する世界戦略を乗り越える必要がある。それには、他の小国、地域、人々がそうであったように、軍事的な抵抗をしなければならないのだろうか。私は、道は決してそれだけではないと思う。

 圧倒的な軍事力にどのように立ち向かうのか、圧倒的な経済力にどのように向き合うのか、いまだ答えは得られない。歴史を振り返るとペリー来航以来150年間、人類は幾度となく戦争を経験してきた。イラクを初めとする世界各地で今なお戦火が飛んでいる。人類の戦争を乗り越える意思と努力が平和な世界を作っていく覚悟が必要かと思う。
2004年6月 執筆
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