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国家観
2004年5月

塾生レポート

多文化共生と子どもたちの環境
上里直司/卒塾生

 5月22日、平壌で開かれた日朝首脳会談で、拉致被害者の家族5人の即時来日が決まった。首相の再訪朝には厳しい意見が噴出したが、離れ離れとなっていた家族がともに暮らせるということができたのは成果の一つといえよう。今後、拉致被害者と家族が日本で生活する上でどのように環境を整えるかが課題である。本稿では、多文化、多民族が共生する社会の中、とりわけ子どもたちの教育環境づくりについて述べていく。

 

はじめに

「拉致家族5人帰国」、5月23日の全国新聞の紙面には大きな見出しが踊った。

 5月22日に行われた日朝首脳会談では、一昨年に帰国した拉致被害者の家族5人が「来日」することが決まった。再び家族がともに暮らせるということは、非常に喜ばしい。ただ、日本で生まれ育った拉致被害者と違ってその家族が日本でくらすには、言葉や文化の問題など多くの困難を乗り越えなければならないだろう。よって、新聞記事に踊った「帰国」という表現に象徴されるような、安易な日本社会への同化や順化を押し進めることは避けなければならない。どのような経緯で身に付けた文化や価値観であれ、彼らの持つ文化はできる限り尊重されるべきである。日本人となる、ならないというのは、あくまで彼らの心の問題であり、国家や社会が強要できることではない。

 日本社会が、異文化を持つ彼らをいかに受け入れていくかは、多文化、多民族との共生と交流を目指す中で、社会全体が問われていると言えよう。多文化との共生をはかる上で、日本社会にはまだまだ課題が山積している。とりわけ教育現場においては、異文化を身につけた子どもたちへ手厚い支援が必要であるにもかかわらず、その対策が十分になされているとは言い難い。

 全ての子どもは、教育を受ける権利がある。その権利を擁護する上でも、教育現場における多文化共生への配慮は必要である。また、異文化を持つなど、集団の中で少数に属する人々を受け入れ、共生できることこそ、真に豊かな社会であり、人類の繁栄、平和がもたらされるものではないだろうか。

 今回のレポートでは、拉致被害者家族への教育上の支援について述べるとともに、日本社会に欠くことのできない多文化共生の理念について考えてみたい。

福井県による拉致被害者家族への支援

 今回来日した拉致被害者家族5人の年齢は、16才~22才で、一人を除き大学生か大学終了程度の学歴を持っている。中でも福井県で生活していく、家族3人の教育支援策について述べて生きたい。彼ら3人は1人が16才であるが、対象としてはややずれているだろう。ただ、受け入れにあたっての必要な支援は、定住外国人の子弟の抱える課題と共通しているため、あえてとりあげてみた。

 今回、福井県小浜市で生活することになる3人の受け入れを、福井県、小浜市が取り組んでいる。福井県では、昨年8月、カウンセラーを含めて検討した、子どもたちの受け入れプログラムをすでに策定している。北朝鮮で育った子どもたちの思想矯正などは盛りこまず、時期的に段階を踏まえた支援策であるようだ。

 今、その具体的な支援内容は、一家の住む福井県小浜市にキャンパスがある福井県立大が学内に委員会を設けて協議している。県立大学では、小浜キャンパスにて日本語や日本文化などの「予備教育」を行い、朝鮮語を話せる教員の配置、個別カリキュラムの編成、そして学生によるマンツーマンで相談に乗る「学生チューター制度」の活用などを検討している。また、同大学は子供たちが入学を希望すれば、特別枠で希望学部へ受け入れることをすでに決定している。さらに小浜市においては、子どもたちの生活全般をサポートする生活相談員を一人配置することを決めている。

 実施についてはこれからなので、引き続き注目していきたいが、3人の子どもたちのため、福井県、小浜市が全面的に支援態勢を作ろうとしている姿勢は評価したい。

 今回の福井県での取り組みは、両親の拉致という特殊な事情によって、北朝鮮で生まれ育った家族を受け入れるという特殊なことであるが、わずか3人のために真摯に取り組む自治体の姿を見ると、「やればできるのではないか」と思わせる。

 既得文化を尊重しながら、日本語や日本社会で生活する上で必要な基礎的知識を学習する機会を与える。そして、個々に応じて必要なカリキュラムを組み、そのための教員を配置するのみならず、心理的葛藤を受け止めるカウンセラーを用意するなどの手厚い人的配置を行う。もちろん、学生同士で支えあうシステムも作られる。このような学習面、精神面、生活面でのサポートを自治体が保証していこうとするのだ。

 今回、3人のために用意されたこれらの取り組みは、実は、異文化を持ちながら日本で生活をする全ての児童に必要なことであることを私達は忘れてはならない。

 情報や物流が国境を越えて行き来する世の中では、人の移動もまた従来では考えられないほど活発になっており、日本にも様々な文化的背景を持つ人々が居を構えている。2001年末の外国人登録者数は177万、人口の1.4%となり、毎年増加する傾向がある。その中には日本人を親や祖父母に持つ、ニューカマーと呼ばれる人々や、定住外国人の子弟なども含まれる。また、人種的には日本人でも外国で育ち異文化を身に付けた子ども達、ダブルの子ども達など多種多様な事情を持つ子ども達が数多く存在している。私たちが想定している、日本で生まれ育った日本人という概念は変容しつつあり、その変化に合わせた社会を作る必要がある。

多文化共生の意義

 異文化を身につけた子どもたちのための教育環境の整備が大切であることは、昨年6月の私の月例報告で述べた通りである。すなわち、彼らのニーズや実情に合わせた教育は、彼らが日本社会に適応するために必要であるし、また、他の社会で適応するためにも欠くことのできないものである。その機会を逃すと、結果として、どの社会にも適応できず、社会の底辺層として定着する恐れがある。そうした構造が社会に定着することで、治安の悪化などの不安を常に抱えることが懸念される。

 しかし、このようなマイナス面を強調するだけでは、ものごとの一面を捉えたに過ぎないと言える。異文化を持つ人々との共生は社会にむしろ好ましい影響を及ぼすものとして、積極的にプラスの要素を生かす思考へと転換する必要がある。

 社会が子ども自身の持つ文化的背景を尊重し、かつ、適切な教育機会を与える必要があるということは、日本も批准している子どもの権利条約でも保障されている。多様な文化的背景を持つ子ども達が存在する以上、多民族・多文化共生のための教育は必須なのである。

 人道主義的な観点から必要であるだけではない。社会に根強く残る差別を取り除き、人類の平和を実現するためには、多文化共生社会を担う人材を育成する必要性があることを併せて強調したい。多様性を受け入れること、とりわけ教育の場でそれを実現することは国家にとって有益なことである。多様な人材を受け入れ、多様な輩出することは、国家の持つ人的資源を豊かにしていく。その豊かな人的資源が、新しい文化や知識を生み出す触媒となっていくであろう。物質的な豊かさをある程度享受している日本社会にとって、精神的や文化的な豊かさを増すことで、さらなる繁栄を謳歌できるのではないだろうか。

多文化共生社会への課題

 このように多文化共生教育は、これからの社会にとって必要不可欠なものであるが、現実には、一部の自治体での取り組みが散見されるに留まり、多くの現場ではまだまだ十分な取り組みがされていないといえよう。なにしろ、自治体の財政が逼迫している中で、教育そのものにかける予算も削減されているのである。

 さらに、外国人を受け入れる際の他の問題にも共通して言えることであるが、「諸問題を抱える日本人をそっちのけにして、外国人だけ優遇するのはおかしい」という批判にさらされることも予想される。結局、多くの自治体が、弱い立場におかれる子ども達に対するケアに及び腰になり、「多文化共生社会を目指す」というかけ声は聞かれるものの、その中身は外国人講師を雇った英語教育や継続性の無いイベント的な交流会などに留まり、切実に必要とされている課題への取り組みがなされていないのが実情ではないだろうか。

さいごに

 多文化共生への課題は、人類の課題ともいえる。人類には、同質性を保ちながら、あるいは同質化させながら、ある一定の集団を形成してきた歴史がある。その過程で異質なものを排除し、差別を生み出してきた。このような排除や差別が引き起こした戦争や民族大虐殺などの悲惨な出来事を繰りかえしてきた人類の歴史をみると、多文化の共生がいかに困難なことであるかを痛切に感じる。

 しかし、その困難は乗り越えられると私は信じる。今の時代だからこそ必要な事であり、また、個人の意識の持ちようで十分に可能なことである。その変化を支えるのは、文化的社会的マイノリティの人権を保障する法の整備と、次世代を担う全ての子ども達の生きる力を育て、共生の意識を育む教育の保障である。

 多文化共生社会のありようとは、人間の叡智や知性といったものを総動員しながら、ゆっくりとじっくりと取り組むことであろう。そうした取り組みが、地域が人類の繁栄、幸福に貢献しうるのである。
最後になるが、今回来日した拉致被害者家族の受け入れを考えるとき、日本人とはいったい誰なのかを改めてつきつけられる。日本で生まれ育った日本人だけが、日本人ではない。多様な価値観や文化背景を持った「新しい日本人」を身近に感じる今、多様性を受け入れる社会を築く必要がある。

 日本の社会が歴史上、多様性を受け入れたとか、そうでなかったとか、様々な議論があるが、これからの日本の進路を考えるとき、「新しい日本人」の存在を無視できない。現在議論されている、憲法改正にも多様性を持つ国家理念を表現する必要があるのではないだろうか。

[参考文献]
共同通信 2004年5月26日配信記事
福井放送HP 2004年5月26日記事
2004年5月 執筆
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