松下政経塾 The Matsushita Institute of
Government and Management

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人間観
2010年11月

塾生レポート

「新しい人間観」にみる行政のあり方
片山清宏/卒塾生

人間は長い歴史の中で幾度となく繁栄と貧困を、平和と争いを、結果としての幸福と不幸とを繰り返してきた。「人間とは何か」「幸せとは何か」。松下幸之助塾主の「新しい人間観」と向き合うことで、人間のあり方、そして人間の幸福を実現する行政のあり方について考察する。

 

1 はじめに

 「市民一人ひとりの思いを尊重し、すべての人を幸せにすることができたのだろうか」

 2010年3月31日。私は、多くの定年退職者とともに、市長から退職辞令を受け取った。このとき、私の十数年に及ぶ公務員生活が終わりを告げた。帰る道すがら、「地域のため、市民のために仕事がしたい」と求めて入庁したときからの様々な思いが去来し、思わず涙があふれた。

 私は、行政職員として、毎日を乗り切ろうと必死で生活をしている市民の姿を見てきた。そこには、一人ひとりが背負った様々な人生があった。企業の突然のリストラに遭い失業した人。自営の会社が倒産し、税金や保険料の支払いができず、減免を求めに来る人。家族が重病にかかり高額療養費の納付相談に来る人。離婚し生活が困窮し、生活保護を申請しに来る人。一つの部署でもこれだけ多くの相談事がある。私は、まるで駆け込み寺のように窓口に来庁する市民一人ひとりに対してできる限りの対応をしてきたつもりだ。しかし、必ずしも要望に応えることができず、市民を落胆させ失望させることも多かった。

 公平・中立の立場としての行政の限界。しかし、一人ひとりの幸せを実現したいという強い想い。「公共の福祉」という高い理想を掲げながらも、目の前の一人の幸せさえも実現できない自分。私はこの葛藤に悩み苦しんだ。「どうすれば市民一人ひとりを幸せにすることができるのか」「幸せとは何か」「生きるとは何か」「人生とは何か」。そして「人間とは何か」。

2 人間を知れ

 松下幸之助塾主は、まずは「人間を知れ」と言う。

 「たとえば一流の羊飼いは、羊を思うままに飼育し、立派な羊に育てあげる。その秘訣とは何かというと、やはり羊の性質とか特徴をよく知り、これに即した飼育法を考えるからであろう。同じように、人間の繁栄、平和、幸福というものも、やはり人間の本質を見きわめ、これに基づいた生き方、考えた方をしてゆくところに招来されると思うのである」

 「お互い人間の本性というものに則してものごとを考え行なっていくことが、人間の幸せを生み、好ましい社会をつくり上げていく上できわめて大切であり、それを無視、あるいは軽視してことを行なおうとすれば、往々にして人間自身を苦しめ、また社会を混乱させる結果になってしまうということであります」

 当然、全ての人間の人生は異なる。人間自体もそれぞれ違う。しかし、何か本質的な共通点はないのか。「人間」の本質を探求することで、自ら納得できる解を見つけることができるのではないか。そして、これまでの葛藤が解けるのではないか。この問題意識から、そもそも「人間」とは何かという命題を考察し、人間の本質に迫ってみることにしたい。

3 松下幸之助塾主の考える人間観

 松下塾主は著書『人間を考える』の中で「新しい人間観」を提唱した。その中で「人間とは何か」、その答えを次のように力強く表現している。

 「人間には、この宇宙の動きに順応しつつ万物を支配する力が、その本性として与えられている。人間は、たえず生成発展する宇宙に君臨し、宇宙にひそむ偉大なる力を開発し、万物に与えられたるそれぞれの本質を見出しながら、これを生かし活用することによって、物心一如の真の繁栄を生み出すことができるのである。かかる人間の特性は、自然の理法によって与えられた天命である。この天命が与えられているために、人間は万物の王者となり、その支配者となる」

 この「新しい人間観」で、松下塾主はこれまでともすれば弱いものと考えられていた人間を、本質的に最も偉大な存在として認識しようとしている。この宇宙にはいわゆる「宇宙の摂理」「自然の理法」が働いており、その「自然の理法によって、すべてのものにはそれぞれ異なった特質が与えられている」と考える。「万物の王者」であるということは、自己の感情、欲望、愛情などにとらわれず、正しい価値判断につとめて、人間としてこれら万物それぞれを生かしつつ、同時に人間生活自体の物心一如の向上発展を生みだしていく権能があるということである。その自分に与えられた権能を知り、一方でそれを正しく行使していくところに人間としての責務があると説いている。

 なぜ、松下塾主は、このような考えに至ったのだろうか。そこには決して順風満帆とは言い切れない苦労と別れが色濃く現れる人生があった。

 松下塾主は、わずか9歳の時に貧困ゆえに一家が離散へと追い込まれ、大阪に丁稚奉公に出ることになった。これが悲しい人生の原体験である。さらに、次々と家族が病死する。こうした幼少期を考えると、そこには喪失感、孤独感、挫折感があり、貧困への憎しみ、世の理不尽さに対する怒りがあっはずだ、しかし、松下塾主は人生体験を重ねる歳月の中で、貧困への憎しみと世の理不尽に対する怒りを消していった。やがてそれを「自然の理法によって自分に与えられた天命である」と受け入れるようになる。そして、「人は誰しも、もともと繁栄の社会を築き上げる能力を有している」と考えるようになっていく。さらにその思想を「人類の平和と幸福」を繁栄の基準とする「PHP理念」へと発展させている。

 私は初めて「新しい人間観」を読んだとき、人間を「万物の王者」とするこの思想に傲慢さを感じざるを得なかった。しかし、松下塾主の絶望と貧困の生い立ちを知り、思想の背景を学ぶうちに少しずつだが共感できるようになる。

 これまで、人間は長い歴史を通じて、身も心も豊かで幸せな社会を目指し努力を続けてきた。しかし、一方で世の中には貧者、弱者が相変わらず存在するのは歴然とした事実である。人間はこの「理不尽さ」に対して、怒りや憎しみ、絶望を感じ不幸となってしまう。これまでの人間の幾多の尊い努力が、どうして十分に報われないのか。もともと人間にそのような本質が、いわば宿命的に与えられているのか。いやそうではない。もしそうだとするならば、これはいくら努力を重ねても所詮は徒労に終わることになるからだ。そんな世の中で人間は生きていけるはずがない。結局はお互い人間が人間の本質を正しくわきまえず、これに基づいたものの考え方なりあゆみ方ができなかったからではないか。

 そう考えるようになると、松下塾主の人間を根本的に肯定し、その役割の自覚を強く促す思想に共感できるようになった。この「新しい人間観」に立ってこそ、人間は本質を逐次発揮し、物心ともに豊かな共同生活を営んでいくことができる。そして、また一方でそれこそが人間の使命なのである。人間には本能に加え他の生物にはない知恵がある。その知恵によって自然の理法なり万物それぞれの特質を認識し、それを生かして発展させることができる。だから、人間というものがあって初めて万物それぞれの存在意義が明らかになり、その特質が生かされてくるともいえる。

 このような人間観に基づいてすべての活動を営んでいくならば、人間の幸せもより高まっていくであろうと信じる。そして、これまで葛藤してきた市民一人ひとりを幸せにしたいという想いも実現できるのではないか。

 これが王者としての人間の本質である。では、その本質の自覚に立って、人間はいったいどのようにあゆんでいけばよいのか、どうすれば人間の本質が発揮され、人間は幸せになることができるのであろうか。

4 新しい人間道

 松下塾主は「新しい人間観」の提唱に続いて「新しい人間道」を提唱している。

 「人間には、万物の王者としての偉大な天命がある。かかる天命の自覚に立っていっさいのものを支配しつつ、よりよき共同生活を生みだす道が、すなわち人間道である。人間道は、人間をして真に人間たらしめ、万物をして真に万物たらしめる道である」

 人間観が万物の中での人間の立ち位置、すなわち「人間とは何か」について語っているのに対し、この人間道は、万物の王者としての「人間のあゆむべき道」について教えてくれる。人間観が宇宙や万物といった視点の中での一部として人間を描いているのに対し、後者は人間一人ひとりが己の人生をどのように生きるかという視点で描かれているのである。

 その人間道の第一は、人間同士を含めて万物をすべてあるがままに容認すること、第二は容認したものを適切に処遇していくこと。この人間道をより円滑にあゆむためには、礼の精神に根ざさなければならず、また、人間道をより正しくあゆむためには衆知に基づかなければならないと言う。

(1)あるがままに容認し処遇すること

 「人間万物いっさいをあるがままに認め、容認するところからはじまる。すなわち、人も物も森羅万象すべては、自然の摂理によって存在しているのであって、一人一物たりともこれを否認し、排除してはならない。そこに人間道の基がある。そのあるがままの容認の上に立って、いっさいのものの天与の使命、特質を見きわめつつ、自然の理法に則して適切な処置、処遇を行ない、すべてを生かしていくところに人間道の本義がある」

 この人間道において松下塾主は、人間道は人間万物いっさいをあるがままに認め、容認するところから始まるとしている。人間は、それぞれ置かれた環境や考え方に万差億別の違いがある。現状を受け入れられず、足掻いても足掻いてもうまくいかない人もいる。しかし、あきらめ半分で一度状況を受け入れると、これまで見えてこなかった道が開けてくることがある。結果的には、その道が自分にとっての天命であり、最良の選択肢であったりする。私自身も含め、誰しもが一度は味わったことのある経験ではないだろうか。

 では、それにいまだ気づくことができず、足掻き苦しんでいる人に対し、公平性・中立性を掲げる行政はどんなサービスを提供すれば良いのだろうか。行政にできることはあるのだろうか。

(2)礼の精神と衆知を集めること

 「この処置、処遇を過たず進めていくことこそ、王者たる人間共通の尊い責務である。かかる人間道は、豊かな礼の精神と衆知に基づくことによってはじめて、円滑により正しく実現される。すなわち、つねに礼の精神に根ざし衆知を生かしつつ、いっさいを容認し適切な処遇をおこなっていくところから、万人万物の共存共栄の姿が共同生活の各面におのずと生み出されてくるのである」

 松下塾主は、すべてをありのままに受け止めた後、それを自分がどのように受け止めるか、王者としてどうすることがふさわしいのかは、豊かな礼の精神と衆知に基づいて考えるべきであると言う。礼とは、日常的な礼儀作法だけでなく、宗教で教えるところの慈悲とか愛の精神、あるいは感謝とか謙虚、寛容といった豊かな心も含まれ、人間として望ましい基本的な心のありようを名づけたものであるとしている。

 感謝の心を忘れないという「礼の精神」、どんな意見にも耳を傾けるという「衆知の精神」。この二つを心に土台として置いておくことで、そこに「ありのままを容認すること」「適切に処遇すること」という二つの柱を強固にそびえたたせ、生き生きとした幸せな人生という家を建てることができるのである。

 この「礼の精神」と「衆知の精神」を育むことこそ、教育、医療、福祉、生涯学習等ゆりかごから墓場まで、あらゆる分野を担う行政にできることではないかと私は思い至った。たとえば、教育を通じ、子どもたちに礼の精神を説き、大人に偏りのない多くの有益な情報を発し続けることで衆知を集める精神を醸成する。そして、そのことがまちに一体感をつくり、人と人、地域と地域、国と国を結びつけると私は考えるのである。

 当たり前のようにも感じるが、この「礼の精神」と「衆知の精神」を育むことこそ、真の行政として、その一歩先にある、個々人の幸せと社会全体の幸せをバランスよく調和させることができる道であると考えられる。

5 真に調和ある生成発展を目指して

 「政治、経済、教育、文化その他、物心両面にわたる人間の諸活動はすべて、この人間道に基づいて力づよく実践していかなければならない。そこから、いっさいのものが、そのときどきに応じ、そのところを得て、すべてが調和のもとに生かされ、共同生活全体の発展と向上が日に新たに創成されるのである」

 松下塾主は、人々がありのままに物事を肯定し、礼の精神と衆知を集めることによって得た処遇を行うことによって共同生活は日々新たに生成発展されると説く。

 行政需要の多様化によって、行政の仕事は日々増加しており、画一的、均質的な行政サービスでは、必ずしも住民の要求を満たすことはできなくなっている。「どうしたら市民一人ひとりに真の幸せをもたらすことができるのか」。

 まずは、市民それぞれが、人間に与えられている偉大な本質というものを見つめつつ、多種多様な人間が集まった共同生活の一員として生きていることを認識することが大切である。そして、行政自身もまた、人間道に基づいて全体の奉仕者としての責務を全うすべく、行政ができることは何かを常に考え、努力を続けていかなくてはならない。国の役割、地方の役割、地域の役割を認識し、謙虚で寛容な心で多くの人々の意見を聞き、「新しい人間観」というものを正しくみきわめ、人間道に立って諸策を創造し、またこれを体得することができれば、調和ある生成発展をもたらすことができるだろう。

 この難解な著書と向き合うことは、自分という「人間」に相対することに通じる。「新しい人間観」に基づく行政のあり方とは何か。塾生として、一人の人間として己を知り、磨くことで「人間観」に対する理解をさらに深めていきたい。そして、今後は、塾主の理念に基づく具体的な行政の政策のあり方についてもさらなる考察を進めていきたい。

参考文献

松下幸之助『人間を考える』 PHP文庫
松下幸之助『素直な心になるために』 PHP文庫
松下幸之助『松下幸之助の哲学』 PHP文庫
松下幸之助『PHPのことば』 PHP研究所
佐藤悌二郎『松下幸之助 成功への軌跡』 PHP研究所
松下政経塾・塾理念の手引『「新しい人間観」について』
『論叢 松下幸之助』第14号 PHP総合研究所

2010年11月 執筆
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