論考

Thesis

人間とは何か~何のために人は生きるのか~

人間は、長い歴史の中で幾度となく繁栄と貧困を、平和と争いを、結果としての幸福と不幸を繰り返してきた。それが人間の本来の姿なのだろうか。本稿では、松下幸之助塾主と、東洋思想の大家である安岡正篤氏の人間観に基づき、「人間とは何か」という本質的な命題に迫り、人間の繁栄幸福と世界の平和のあり方を考えたい。

1 はじめに

 人間は、長い歴史の中で幾度となく繁栄と貧困を、平和と争いを、結果としての幸福と不幸を繰り返してきた。いったいこれはどういうことなのか。文化が進み、文明が発達してきたにも関わらず、人間は同じような不幸を繰り返している。なぜ、このようなことになるのだろうか。

 一つには、人間というものは結局そういう宿命を持っているのだという考え方がある。ある面では進歩を生み出しながら、他方では絶えず争いを繰り返し、自ら不幸を招来している。それが人間の本来の姿なのだとする考え方である。もし、そういう考え方に立つならば、人間がお互い努力したとしても、所詮、人間生活に真の幸せというものはもたらされず、人間は繁栄幸福、平和を望みつつも、それをものにすることができないということになる。

 しかし、果たして人間とはそのように常に弱く愚かなものなのだろうか。それが「人間の本質」なのだろうか。

 本稿では、松下幸之助塾主と、東洋思想の大家である安岡正篤の人間観を通し、「人間とは何か」という本質的な命題を考察することによって、「人間の本質」を明らかにし、それに基づいて人間社会の繁栄幸福と世界の平和あり方を考えていきたい。

2 「運命」から「天命」へ

 松下政経塾では人間修養の一環として「書道」の時間がある。入塾した当初、最初の授業でこんな課題を与えられた。「今の自分の想いを好きな言葉で書きなさい。」私は悩んだ挙句、『運命』という文字を半紙にしたためた。

 私は自治体職員として十数年を過ごしてきた。その間、市の「総合計画」の策定に携わった。公募ボランティア市民と職員が、約1年かけて同じテーブルで議論し、10年後の市の将来像を協働で検討していくプロジェクトだった。私は当時、分科会の責任者として、「総合計画」の最終案の取りまとめを担当していた。

 しかし、取りまとめの過程で国の法律や県の制度、さらには多くの規制や行政計画との整合を図るため、市民と職員が1年間かけて苦労して考えてきた内容を大幅に修正せざるを得なかった。そして、最終計画案を完成させ、市民の方々に見ていただいたとき、70歳代の老婦人から涙ながらに訴えられたのである。

 「孫のために地域を良くしたいと思って1年間も議論してきたのに、なぜ私たちの意見を計画に取り入れてくれなかったのか」。「どうして自分たちの地域のことを自分たちで決めることができないのか」

 さらに私は、市の窓口業務で4年間、毎日を乗り切ろうと必死で生活をしている市民の切実な声を聞いてきた。企業の突然のリストラに遭い失業し税金や保険料の支払いができず、減免を求めに来る人。家族が重病にかかり高額療養費の納付相談に来る人。離婚し生活が困窮し、生活保護を申請しに来る人。私は窓口に来庁する市民一人ひとりに対してできる限りの対応をしてきたつもりだ。しかし、ここでもまた、すべての市民の要望に応えることができず、市民を落胆させ失望させることが多かった。

 入庁当時、これから地方分権が進んでいく中で、市民のため地域のために、より大きな仕事ができると希望に満ち溢れていた。しかし、現実は違った。いまだに中央集権体制が残り、自治体への権限移譲は進まず、多くの仕事は国の法律や制度により細かく決められていたのである。市行政としての限界。市の行政職員でありながら、市民のために働くことができず、自らの地域のことも決めることができない自分。私はこの葛藤に悩み苦しんだ。

 そして、一つの結論に至った。行政職員としての専門性を持つ自分が「政治」の分野からこの構造的問題に向き合うことで、解決の道が拓けるのではないか。それこそが私の使命ではないか。私は自治体を退職し、「地域主権社会の実現」を志とし、松下政経塾の門をたたいた。

 しかし、今、塾生の最終学年である3年生となってみて、本当に私が「使命感」のみで松下政経塾に入塾したかと問われれば、否と言わざるを得ない。自分の手で行政制度を変えたいという独りよがりの思い、自分の人生、現状への不満も少なからずあったように思われる。そして、将来への不安など、様々な思いが入り混じった複雑な心境であった。

 最初の書道の時間に『運命』という言葉を書いたのは、自分の中でそれらの心境に対して必死に折り合いを付け、弱い自分を否定し、自分に言い聞かせる意味も込めたいと思ったからである。『宿命』という言葉も考えたが、これでは決められた人生を決められた通りに生きることであり、自分の無力さを肯定することになる。だから私は『運命』という言葉を選び、自分の人生を自ら切り拓いて生きようと願ったのである。

 そして1年後、最後の授業で私は『天命』という言葉を書く。『天命』は松下幸之助塾主が著書『人間を考える』で、自然の理法によって与えられた人間の特性であると説いた言葉である。『運命』から『天命』へと言葉が変わったのは、自分の中でこれまでの迷いが昇華され、ありのままの自分を素直に認め、天から与えられた自らの「使命」を少なからず感じることができるようになっていたからだと思う。使命感を感じたことによって、自らの人生が受動的なものでなく能動的なものに変化していったのである。

 『天命』という言葉の定義は様々であるが、私は、天から人間に与えられた「使命」という意味で、一生をかけてやり遂げなければならないものだと思っている。また、人間がこの世に生を授けられる因となった天からの命令のことであるとも解釈できる。

 ここで、『天命』という言葉の概念を改めて考察するによって、「人間とは何か」という本質的な命題を考えていく。まずは松下塾主の「新しい人間観」からを紐解きたい。

3 「人間は万物の王者である」~松下幸之助塾主の新しい人間観~

 松下塾主は、著書『人間を考える』の中で、人間について次のように述べている。

 「人間には、この宇宙の動きに順応しつつ万物を支配する力が、その本性として与えられている。人間は、たえず生成発展する宇宙に君臨し、宇宙にひそむ偉大なる力を開発し、万物に与えられたるそれぞれの本質を見出しながら、これを生かし活用することによって、物心一如の真の繁栄を生み出すことができるのである。かかる人間の特性は、自然の理法によって与えられた天命である。この天命が与えられているために、人間は万物の王者となり、その支配者となる」

 この「新しい人間観」で、松下塾主はこれまでともすれば弱いものと考えられていた人間を、本質的に最も偉大な存在として認識しようとしている。この宇宙にはいわゆる「宇宙の摂理」「自然の理法」が働いており、その「自然の理法によって、すべてのものにはそれぞれ異なった特質が与えられている」と考える。「万物の王者」であるということは、自己の感情、欲望、愛情などにとらわれず、正しい価値判断につとめて、人間としてこれら万物それぞれを生かしつつ、同時に人間生活自体の物心一如の向上発展を生みだしていく権能があるということである。これが人間に与えられた「天命」である。そして、この「天命」を正しく行使していくところに人間としての責務があると説いている。

 しかし、現実を見れば、人間はこれまで長い歴史を通じて、身も心も豊かで幸せな社会を目指し努力を続けてきた一方で、世の中には貧者、弱者が相変わらず存在する。人間はこの「理不尽さ」に対して、怒りや憎しみ、絶望を感じ続ければ不幸となってしまう。これまでの人間の幾多の尊い努力が、どうして十分に報われないのだろうか。もともと人間にそのような本質が、いわば宿命的に与えられているのだろうか。いやそうではない。もしそうだとするならば、これはいくら努力を重ねても所詮は徒労に終わることになるからだ。そんな世の中で人間は生きていけるはずがない。結局はお互い人間が人間の本質を正しくわきまえず、これに基づいたものの考え方なりあゆみ方ができなかったからではないだろうか。

 そう考えるようになると、松下塾主の人間を根本的に肯定し、その役割の自覚を強く促す思想を理解できるようになる。「天命」という言葉の意味も分かってくる。人間に与えられた「天命」を自覚してこそ、人間は自らの本質を逐次発揮し、物心ともに豊かな共同生活を営んでいくことができるのである。そして、人間には本能に加え他の生物にはない知恵がある。その知恵によって自然の理法なり万物それぞれの特質を認識し、それを生かして発展させることができる。だから、人間というものがあって初めて万物それぞれの存在意義が明らかになり、その特質が生かされてくるのである。

 これが「万物の王者」としての「人間の本質」である。松下塾主は、人間がその王者としての「天命」を自覚し、実践していくことは、人間がこの地球上に発生した時以来、一貫して人間の上に課せられてきた使命であると説いている。これが人間全体に与えられた「天命」なのである。それでは、人間個人に与えられた「天命」とはどのようなものなのだろうか。松下塾主は次のように述べている。

 「人間一人ひとりは顔かたちも異なれば心も異なり、またそれぞれに与えられた素質なり天分といったものも違います。したがって、個々の人間には、そのそれぞれに異なった天分を発揮しつつ、自らの人生を全うしていくという使命があると考えてもいいでしょう。しかし、そういった個々の人間すべてを包括した人間全体の使命というものは、ここに述べたような万物の王者としての天命を自覚実践していくというところにあるわけです」

 「その意味では個々の人間の使命は、この長久な人間の使命からはずれるものであってはならないのです。その人間全体の使命を全うしていくことに寄与貢献するというかたちにおいて、一人ひとりの使命があり、その使命を自分の天分個性に応じて果たすことにつとめなければなりません」

 松下塾主は、人間個人は人間全体の「天命」に寄与貢献するかたちで天分個性に応じて「使命」を果たしていくべきだと説いている。ここで言う個人の「使命」とは「天命」と言い換えられるのではないだろうか。

 つまり、個人の人間は、人間全体の「天命」を自覚し、さらにその中で自らの「天命」を悟ったとき初めて、「人間」という存在足り得るのではないだろうか。

 一方で、東西の古典を渉猟し人間としてのあり方を模索した「人間学の中興の祖」といわれる安岡正篤氏は人間をどのように見て、「天命」についてどのように語っているのだろうか。

4 「知命と立命」~安岡正篤の人間学~

 安岡氏は著書『知命と立命』のなかで、「命」について次のように表現している。

 「『命』というのは、絶対性、必然性を表し、数学的に言うならば『必然にして十分』という意味を持っている。人間も人生そのものが『命』である。それは絶対的な働きであるけれども、その中には複雑きわまりない因果関係がある。その因果関係を探って法則をつかみ、それを操縦することによって、人間は自主性を高め、クリエイティヴになり得る。つまり自分で自分の『命』を生み運んでいくことが出来るようになる」

 「どんな哲学や科学でも、究(きわ)め尽くす、究尽してゆくと、必ずそこに絶対的、必然的なものがある。そこでこれを『天命』という。自然科学はこの天という『命』、必然的絶対なるものを、物の立場から研究、究尽していったものである。そして、科学的法則をいろいろ把握した。これはいわゆる『命を立つ』である。哲学は哲学、宗教は宗教、それぞれの立場から天命を追究して、これが天命であるというものをいろいろ立てていく。これが『立命』である。人間も研究すればだんだん必然的、絶対的なものに到達する。いわゆる『人命』というものを究明することができる。『命を知り』、『命を立てる』ことができる」

 東洋思想は「天」という上位概念を持っている。安岡氏は、人間は「命」に目覚めることによって、その「天」に相対できるようになると説く。命に目覚めるとは、解脱することであり、悟りを開くことである。

 また、安岡氏は著書『運命を開く』の中で、極まりない人生の因果関係の法則をつかみ、真の自主性、主体性を高めていくには、学問によらなければならないと強調する。学問を積めば、本来の自己が感得され、次第に天から与えられた自己の使命を知り(知命)、ついには自己の運命を確立する(立命)するというのだ。その学問とは、「知識の学問」と「知慧の学問」である。

 さらに、安岡氏は『書経』の言葉を引用して、知命し立命すれば、「自ら靖やすんじ、自ら献ずる」すなわち、内面的には良心の安らかな満足を得るようになり、外面的には世のため人のために自己を献ずるようになるという。そこでは、もはやあらゆるものが甘んじて受け入れられていく。心の奥深いところはいつも感謝と喜びがある。そうして逆境さえいつしか順境に転化していく。そのときことは人は真に「運命を拓いた」といえるのだと説いている。

 安岡氏はさらに言う。「人には命があると同時に、『命はわれより作す』のである」。

 人間は、学問を積めば、天から与えられた自己の使命を知り〈知命〉、ついには自己の運命を確立する〈立命〉ことができる。そして、「知命」「立命」したとき、人間は自分一個の存在を超えた人生を歩むようになるのである。そこにはもはや利己的な自己主張もなく、責任を他人に転嫁することもない。

 これは、まさに松下塾主の思想と同じであることに気付く。つまり、天から与えられた「天命」を自覚し実践することが「人間」の使命であり、それが「人間」という存在足り得ることなのである。

5 人間とは何か~何のために人は生きるのか~

 松下塾主の「新しい人間観」と、東洋思想の大家である安岡氏の人間学を紐解きながら、『天命』という言葉の概念を改めて考察するによって、「人間とは何か」という本質的な命題に向かい合ってきた。ここからは、これらを踏まえた上で、私の考える人間観について論じ、「人間とは何か」という命題に対して私なりの答を出したい。

 人間は、天から与えられた「天命」を知り、他者のため社会のために生きようと自覚できたとき、自分一個の存在を超えた人生を歩むようになる力強く歩むことができようになるのではないだろうか。人間は人間の子として生まれただけでは、まだ本当の「人間」とはいえない。生物学的には人間だが、本当の人間になるためには、もう一度、「第二の誕生」を経なければならない。これが「天命」に目覚めることだと思う。「自分が誰かの役に立てる」という事実に気づいて、人のために生きるようになったとき、人から求められるようになる。すると、自分のためだけに生きるより、力強く生きることができるのだと思う。

 私自身は、「地域主権社会の実現」を自分の使命と感じ、松下政経塾に入塾した。まだ、「天命」を自覚できるほどしっかりした思想まで昇華していないが、使命感を強く感じるようになってきたのは事実である。自分自身や将来への不安はあるが、自分自身が進むべき道に対する迷いはない。一生をかけて実現すべき自分の役割が少なからず見えてきたからだと思う。

 これまで「天命」という言葉の概念を掘り下げ、「人間とは何か」という命題の答を探究してきた。そして、現時点での自分なりの答が見つかったように思う。いま、私は「人間とは何か」と問われれば、「自らの天命を自覚し万物すべてを活かしきる権能と責任が与えられた存在」と答えるだろう。

 そして、「人は何のために生きるのか」と問われれば、「人は自分一個の存在を超えた人生を歩み、世のため人のために自己を献ずるため」と答えるだろう。

 人間は万物すべてを活かしきる使命と責務を負っている。そして、人間は、その「天命」を自覚し、運命を確立し、他者や社会のために生きることができる存在なのである。これを力強く認識して生きて行くことができるのは人間のみである。これこそが、人間の存在価値であり、まさに人間が人間である理由である。

6 人間社会の繁栄幸福と世界の平和を目指して

 「人間には、万物の王者としての偉大な天命がある。かかる天命の自覚に立っていっさいのものを支配しつつ、よりよき共同生活を生みだす道が、すなわち人間道である。人間道は、人間をして真に人間たらしめ、万物をして真に万物たらしめる道である」

 松下塾主は、人間観が万物の中での人間の立ち位置、すなわち「人間とは何か」について語っているのに対し、この人間道は、万物の王者としての「人間のあゆむべき道」についても教えてくれている。

 人間はある面では進歩を生み出しながら、他方では絶えず争いを繰り返し、自ら不幸を招来している。しかし、これは人間の本来の姿ではない。人間が「天命」を自覚し、お互い努力すれば、人間生活に真の幸せというものがもたらされ、人間社会の繁栄幸福と世界の平和は実現できるのである。そのためには、人間はどうすればよいのか、それが松下塾主の説く「人間道」である。

 人間道の第一は、人間同士を含めて万物をすべてあるがままに容認すること、第二は容認したものを適切に処遇していくこと。この人間道をより円滑にあゆむためには、礼の精神に根ざさなければならず、また、人間道をより正しくあゆむためには衆知に基づかなければならないと言う。

 安岡氏は、学問修養の必要性について、「我々は何のために学ぶのかといえば、第一に自己の自主性・自立性を錬磨し、自由を確立することであり、それによって発達する自己を通じて世のため人のために尽くさんがためである」と述べている。

 さらに、「我々の『命』をよく『運命』たらしめるか、『宿命』に堕させしむるかということは、その人の学問修養次第である。人間は学問修養をしないと、宿命的存在、つまり動物的、機械的存在になってしまう。よく学問修養をすると、自分で自分の運命を作っていくことができる。いわゆる知命、立命することができる」と説いている。

 松下塾主も安岡氏も人間社会の繁栄幸福と世界の平和を強く願っていた。そのために人間修養の必要性を第一に説いていたのだと思う。これが思想の根底にあるのだと思う。

 今後も、「人間とは何か」という本質的な命題に正面から向かい合いながらその答えを探究するとともに、人間としてどう生きるか、そして、人間社会の繁栄幸福と世界の平和実現のために自分に何ができるか考え続けていきたい。

参考文献

松下幸之助『人間を考える』PHP文庫 1995年
松下幸之助『松下幸之助の哲学』PHP文庫 2009年
安岡正篤『知命と立命』プレジデント社 1991年
安岡正篤『「人間」としての生き方』PHP文庫 2008年
安岡正篤『運命を開く』プレジデント社 1986年
伊與田 覺『人物を創る人間学』致知出版社 2011年
神渡良平『安岡正篤 人間学』講談社+α文庫 2002年

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片山清宏の論考

Thesis

Kiyohiro Katayama

片山清宏

第31期

片山 清宏

かたやま・きよひろ

一般社団法人 日本ブルーフラッグ協会 代表理事 / 慶應義塾大学SFC研究所上席所員

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