松下政経塾 The Matsushita Institute of
Goverment and Management

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人間観
2004年4月

塾生レポート

創設者松下幸之助から教わった3つのこと ~「自己観照」、「縁と徳」、「愚直の尊さ」~
橘秀徳/卒塾生

 塾創設者松下幸之助が残した言葉の中から、自分の塾での経験を通して、特に自分の心に浸みた①「自己観照」、②「縁と徳」、③「愚直の尊さ」の3つについて、考察した。①自分と向き合うことの大切さ、②はいただいた縁を大切にすること、③はたとえ自分に損があっても愚直に生きて行くことの大切さ、について思うところを書いた。松下幸之助が残した膨大な言葉の内、未だ一部しか腹に落ちていないが、今後少しずつ修養し、身に付けていきたい。

 
 本年の4月で私は、松下政経塾で最上級の3年生となった。今回人間観レポートを提出するにあたり、これまでの二年間の塾生活を踏まえて、次の3つのことをお伝えしたい。

 第一には「自己観照」について、第二には「ご縁と徳」について、そして第三には「愚直の尊さ」についてである。

一. 「自己観照」のススメ

 松下政経塾の創設者である松下幸之助は、自らの哲学を構築するにあたり、また物事を考え、進めて行く際に、「多くの人達の知恵(衆知)を集めること」、加えて孔子や老子が考えたのと同様に「天地自然の理と照らし合わせること」が重要であり、それには素直な心になることが前提であると述べた。

 そして、素直な心になるための一つの重要な手段として、塾生を始め、多くの人に「自己観照」の大切さを繰り返し説いている。

 それでは、「自己観照」とはどういうことか、次の様に説明している。
「自分で自分を、あたかも他人に接するような態度で外から冷静に観察してみる、ということです。いいかえると、自分の心をいったん自分の外にへ出して、その出した心で自分自身を眺めてみるのです。」
(「人生心得帖」松下幸之助 PHP研究所 1984年)
 二年生次のスランプ・・・猟官運動の失敗と落第の危機

 私が松下幸之助のこの「自己観照のススメ」について、知ったのは、二年生次のスランプの時期であった。この時には私は何をやっても全く自分の思い通りにならず、悩み、迷っていた。

 昨春、私が生まれた地域で国政に立候補するチャンスが生じ、政党公認を目指し、盛んに猟官運動を始めた。しかし、全くうまく行かず、時間ばかりが浪費していく。様々な関係者と会うが、諸手を挙げて賛成してくれる人は少なく、特に初対面の人には会う度にマイナス方向に進む気がしていた。

 自分は前職で議員秘書を勤めていて、法案の作成にも携わり、即戦力として仕事が出来るという自負心があったのだが、そんな中、自分の後輩達が次々に国政に、県政に議席を得て行く。

 秋になって、結果的に他の方が候補者に決定し、失敗に終わった。

 さらには、塾で落第、退塾の危機を迎えた。松下政経塾では、卒塾生の質を保つため、一年間に二度の審査会(中間審査会及び期末審査会)がある。これに不合格の場合には追試験を受験し、それでも合格出来なかったら退塾となるのである。

 私は国政への扉が閉ざされた直後の二年次の中間審査会において、不合格となり、退塾の危機を迎えた。「泣きっ面に蜂」という言葉が思い浮かび、私は中間審査会の結果に、大きな不満を持ち、自分が不合格になったのは不当であるとさえ、思ってしまっていた。

 国政への扉が閉じられたことも他人が足を引っ張ったからだと考え、悔しくて眠れない夜を過ごした。

 そんな時に思い出したのは、既に卒塾されたある先輩の言葉であった。

 2年前の入塾式で、私がある上級生から言われた言葉は、「塾にいる間は、とにかく悩め、顔付きが何回も変わるくらいに悩め」ということだった。私はこれまであまり悩むことが無く、最初は全く意味がわからず、理解出来ずにいた。この時初めて、心からこの言葉の意味を噛み締めた。松下幸之助は、「一番心配するのが社長の仕事だ」と言い、リーダーの条件に、悩むことを挙げている。25年前の塾生に対しても「悩んでいるということはうまくいっているということ」と言っている。

「自己観照のススメ」との出会い

 この時に初めて、松下幸之助の本を真剣に読む気持ちが芽生えたように思う。書物を紐解いていくと、繰り返し、「自己観照」の大切さが説かれている。

自省の強い人は、自分というものをよく知っている。つまり、自分で自分をよく見つめているのである。私はこれを"自己観照"と呼んでいるけれども、自分の心を一ペん自分の身体から取り出して、外からもう一度自分というものを見直してみる。これができる人には、自分というものが素直に私心なく理解できるわけである。

こういう人には、あやまちが非常に少ない。自分にどれほどの力があるか、自分はどれほどのことができるか、自分の適性は何か、自分の欠点はどうしたところにあるのか、というようなことが、ごく自然に、何ものにもとらわれることなく見出されてくると思うからである。

(「一日一話」松下幸之助 PHP出版)
 孔子の高弟で、「孝経」の作者とされる曾子は一日に三度自分を顧みたという。

 もう一度良く自分を顧みると、様々な失敗は自分が招いたものであることに気付いた。

 国政出馬に失敗したのは、決して他人のせいではなく、まさに自分に国政を担うだけのものが備わっていなかったからではないか。指導者としての資質が備わっていなかったからではないか。

 審査会で発表した自身の映像を見てみると、客観的に見て、自分は全く塾生としての資格さえ満たしていないことが明々白々であった。ひどい、惨憺たる発表であった。

 人は弱い者で、何かあった時に、つい自分の責任逃れや、他人に責任を転嫁しがちで、自分と向き合うことから逃げてしまいがちである。私自身が全くそうであった。これまでの自分の来し方を大いに恥じた。

 自分の弱さと向き合う作業は当初はきついものであった。しかしながら段々に習慣付いて来たように思え、長いスランプのトンネルを抜け出しつつある。現在は毎朝太平洋を見つつ走りながら、「自己観照」を行う日々を過ごしている。

二.縁と徳

 松下政経塾では、毎日の朝会の最後に司会者が「本日の言葉」として、「道を開く」「続・道を開く」(PHP出版社)の一節を朗読することとなっている。これは松下幸之助が月刊誌PHP裏表紙に連載していた短文の中から各々百四篇を撰んでまとめたものである。

 入塾当初は、聞いていても意味も良くわからず、退屈な時を過ごし、司会を担当していても棒読みをしていた始末であった。しかし、塾生活や研修を進める内に、段々と毎朝聞く言葉の意味が沁み込むように思えてきた。

 ここではその一例として、縁についての一節を挙げるが、入塾後すぐに朝会で聞いたはずであったが、何も頭に心に残っていなかった。

  縁あって

おたがいに、縁あってこの世に生まれてきた。そして、縁あっていろいろな人とのつながりをもっている。

縁あって――何だか古めかしい言葉のようだけれど、そこにはまた一つに深い味わいがひそんでいるように思える。

人と人とのつながりというものは、とかく人間の個人的な意思でできたと思いやすいもので、だからまたこのつながりは、自分ひとりの考えで、いつでも断てるかのように無造作に考えやすい。

だが本当はそうではない。人と人とのつながりには、実は人間のいわゆる個人的な意思や希望を越えた、一つの深い縁の力が働いているのである。男女の縁もまた同じ。

そうとすれば、おたがいこの世における人と人のつながりを、もうすこし大事にしてみたい。もうすこしありがたく考えたい。不平や不満で心を暗くする前に、縁のあったことを謙虚に喜びあい、その喜びの心で、誠意と熱意をもって、おたがいのつながりをさらに強めてゆきたい。

そこから暗黒を光明に変えるぐらいの、力強い働きが生まれてくるであろう。

(「道を開く」松下幸之助 P56 PHP研究所 1968年)
 私のいただいたご縁・・・有徳なる人々との出会い

 子育て・家族支援をテーマにする私は、2月には出生率が日本一高い子宝の島、沖永良部島に調査に出掛けた。子どもが多く恵まれる秘訣を探ることを主目的にした研修旅行であったが、主目的外のことが多く得られた。それは、有徳の方々との出会いであった。

 打越明司鹿児島県議会議員(卒塾生、第二期)の御紹介で訪問した島の和泊市役所では、泉貞吉市長に御挨拶をさせていただいた後、保育園を御紹介いただき訪問した。さらには元課長の南実一さんが島の隅々まで御案内してくださった。流罪になって来島した西郷隆盛公(島の発展や人材育成に大きな貢献をされた)の縁の場所を案内してくださった上、夕食まで御馳走してくださった。御説明をいただきながら、南さんが故郷和泊町と町民を良い意味で愚直なまでに心から愛し、そして町の発展に尽力をされてきたことがよくわかった。また人と接する時の笑顔や親切な物腰には感心することしきりであった。私の様な見ず知らずの者にここまで親切にしてくださる。大いに学ぶべき方と出会えた私は幸運であった。

 滞在中に島の定食屋さんで一人寂しく夕飯を食べていたところ、ある中年の紳士から声を掛けられた。

「私も一人です。一緒に食べませんか。」

 紳士は満尾茂治さんと言い、鹿児島で医療品・器具の卸をしている会社の社長さんで、私も名乗り、何のためにこの島に来たか等々話したところ、島の大きな病院の院長、福山茂雄先生の所に連れて行ってくださった。夜更けの訪問に関わらず、福山院長先生は歓迎をしてくださった。院長先生は松下政経塾に大きな関心と期待感を抱かれていて、病院でお酒を御馳走になりながら、日本の政治について、夜更けまで語り合った。さらに時計の針が11時を回った頃に、

「是非君の話をうちの病院の職員達にも聞かせて欲しい」

と言われ、急遽、翌朝の病院の朝会で、20分間のスピーチをさせていただくこととなった。

 朝会では、突然のことでもあり、二日酔いもあって、大変緊張したが、良い機会をいただき、松下政経塾のこと、日本の政治について、お話をさせていただいた。その日も夜に院長先生を訪問し、お酒の御相伴に預かった。島の状況や子宝の秘訣について教えていただく内に夜も更け、再会を約して、辞して旅館へ向かおうとした時であった。酒好きの私へと一升瓶を土産に持たせてくださった。

 次の訪問先の鹿児島では、島の定食屋さんで出会った満尾さんのお宅に泊めていただき、奥様の手料理まで御馳走になり、さらには、西郷隆盛さん縁の場所を案内してくださった。

 将来鹿児島で政治をするわけでも無く、自分たちの一文の得になるわけでもない、全く見ず知らず若造にここまでしてくださるとは・・・。皆さんが言われるのはただ、「これは御縁ですから」の一言であった。

 帰塾して最初に出た朝会での「本日の言葉」は、冒頭に挙げた「縁あって」であった。

 私はこの時初めて、この一節に心から感動し、実感をした次第である。

 なお、松下幸之助著「一日一話」(PHP研究所)では、4月1日の話として「縁あって」が出ている。

 縁あって
袖振れ合うも他生の縁――という古いことわざがあるが、人と人とのつながりほど不思議なものはない。その人が、その会社に入らなかったならば、その人とはこの世で永遠に知りあうこともなかっただろう。

考えてみれば人びとは大きな運命の中で、縁の糸であやつられているとも思える。こうしたことを思うと、人と人とのつながりというものは、個人の意志や考えで簡単に切れるものではなく、もっともっと次元の高いものに左右されているようである。

であるとすれば、お互いにこの世の中における人間関係をもう少し大事にしたいし、もう少しありがたいものと考えたい。

 私は、いただいた幸運な縁について、感謝をし、今後大切にして行きたいと思う。

三.誠実と愚直の尊さ

 愚直の人

  あまりにも正直すぎて、おろかなほどにまでひたすらで、だから機転もきかないし融通もきかない。世俗の人から見れば、どうにももてあますような人。

そんな人はいつの時代にもいるもので、これも人間性の一面であるのかもしれない。

しかし、正直すぎるのはいけないことなのか。ひたすらなのはいけないことなのか。機転がきかなくて融通がきかないのはいけないことなのか。

よく考えてみれば、どれ一つとして非難すべきことはない。むしろ、りくつばかりまくし立てて、いわゆる賢い人ばかりが多くなったきょうこのごろ、こんな愚直な人は珠玉のような人であるとも言えよう。

古来、祖師と言われるような人は、ほんとうは愚直の人であったのかも知れない。だから、世俗には恵まれなかったとしても、そのひたすらな真実は、今日に至るもなお多くの人の胸を打つのであろう。

愚直もまたよし。この波らんの時にこそ、自分に真実な道を、正直にひたすらに、そして素直に歩んでみたい。

(「続・道を開く」松下幸之助 P84-85 PHP研究所 1978年)
 私はある卒塾生の選挙のお手伝いを通じ、誠実、そして良い意味で愚直な方々との出会いの機会をいただいた。

 私が所属していた政党とは、反対の政党の方々であり、少しだけ、先輩への義理だけを果たして帰ることを考えていたが、候補者となった先輩の愚直なまでに一生懸命な姿を見、また、あまりに素晴らしい方々との出会いに事務所に泊まりがけでお手伝いをすることとした。

 この選挙では、かつて大臣を務めた代議士が入られていたが、良い意味で真っ正直、愚直な方で、秘書の方々は「根回しをして、もっとうまく渡って欲しい」とつぶやきながらもこの代議士がその愚直さから創ってきた伝説的なエピソードを嬉しげに話された。

 例えば、貧しい境遇から身を起こした苦労人のせいか、よその家で火事があると被災者を心配して「布団!布団!」と言って、慌てて助けに行こうと走る。

 私がこの選挙で残ろうと思ったのは、実は別に一つ理由があった。

 私の実家は電気工事業を営んでいる。実は子どもの頃、父がこの代議士のお宅に工事にうかがい、「大変良くしていただいた」と喜んでいたことをずっと忘れずにいた。というのも小さい頃に手伝いで現場に行くと、「体裁の良い仕事をしている人ほど、スーツを着た人ほど、冷たい人が多いものだなぁ」と子ども心に感じていたからだった。偉い人でそんな人がいるものか、と思い、いつか会って見たいものだ、と思っていた。

 また秘書の方々の話に戻るが、兎に角、諸々のことについて、代議士は一生懸命、誠実に、愚直にされようとするそうだ。

「愚直とは正直で誠実な生き方である。その態度は人の心を溶かさずにはいない。いつか認められるのである。」

 これは「愚直」を座右の銘とする後輩が教えてくれた作家早乙女貢氏の言葉である。

 秘書の方々も多分代議士に動かされてか、皆人柄誠実にして、愚直であった。

 早乙女氏はさらにこう続けている。

「愚直な生き方は、しかし、現代の功利性を第一とする世界では、およそ無用なものであろう。連日のようにニュースを振るわす親子兄弟の殺人や、政治・経済の階層での汚職。人の心は渇き、荒廃、もはや救いようがない。

 こうした時代にこそ、愚直の精神は必要ではないだろうか。この現代の汚濁と荒廃からの救いの道は、正義を正義とする精神。愚直にして真実を貫く人生。そこにしか救いはない。」

 残念ながら、選挙は僅差での敗戦となった。

 他の政党に所属する松下政経塾出身の国会議員の先輩が、自分の危険も顧みず、遠路会いに来る。またある先輩は敗戦翌日のだれもいない事務所に駆けつけ、議員なのに作業服を着て、一生懸命に黙々と片付け作業をされた。

 最近は、松下政経塾出身者が政界に数多く進出し、期待感と批判の両方がある。批判の中には「塾出身者は下働きをせず、おいしい所だけ持っていく」というものがあったが、この先輩方の姿を見て、とてもそうは思えなかった。自分の損得にとらわれずに、愚直に生きている様に思えた。

 松下幸之助の言葉より

賢い人は、ともすれば批判が先に立って目前の仕事に没入しきれないことが多い。

このためせっかく優れた頭脳と知恵を持ちながら、批判ばかりして、結局は簡単な仕事も満足にできないことがある。

ところが逆に、人が見ればつまらないと思われるような仕事にも「バカの一つ覚え」と言われるぐらいに全身全霊を打ち込む人がいる。

この姿は全く尊く、見ていても頭が下がる。

仕事に成功するかしないかは第2のこと、要は仕事に没入することである。

批判はあとでよい、とにかく一心不乱になることだ。こうした努力は必ず実を結ぶと思う。そこからものが生まれずして、いったい、どこから生まれよう。

兎に角全身全霊を打ち込めるものをみつけたい。

最後に

 松下幸之助は、その生涯に実に多くの発言をし、それらは膨大な記録となった後世に伝えている。松下幸之助の経験や知恵に基づく言葉には、遠く及ばない現在の私である。まだまだ著作を読みながらわからない部分、腹に落ちない部分は多い。しかしながら、生涯をかけ、少しでも近付く努力をしていく所存である。

 今回は、松下幸之助の言葉の中で、これまでの自分の経験と重なる部分、現在自分が特に強く感じた部分について、そして、自分に欠けているもの、自分に今必要と思われるものについて述べさせていただいた。

 様々な縁を大切にし、素直な心になれるよう「自己観照」を続けながら、自分の損得にとらわれることなく愚直に生きて行きたい。

[参考文献]
「道を開く」   松下幸之助 PHP研究所 1968年
「続・道を開く」 松下幸之助 PHP研究所 1978年
「松下政経塾 塾長問答集」松下幸之助 PHP研究所 1981年
「松下政経塾 塾長問答集」松下幸之助 PHP研究所 1983年
「私の行き方 考え方-わが半生の記録-」PHP文庫 1986年  
「人生心得帖」  松下幸之助 PHP研究所 1984年
「松翁論語」   江口克彦  PHP研究所 1996年
「成功の法則 松下幸之助はなぜ成功したか」江口克彦 PHP文庫 2000年
「松下幸之助発言集」 PHP研究所 1993年
2004年4月 執筆
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